礼拝堂の悪役霊嬢
大天使アムールを守護者として抱える、エルドラド王国。その王都に存在する魔法学園の礼拝堂には、悪役霊嬢が出ると言われていた。悪役であり令嬢であり亡霊であるから悪役霊嬢、とはよく言ったものだ。そしてその礼拝堂の地下には、守護天使と名高いアムールが封印されていると噂されている。
守護天使とは読んで字の如く、国を守護する天使のことだ。エルドラド王国は一千年にも渡り、アムールの庇護下で生きながらえていた。だがおよそ百年前に、その悪役霊嬢によってアムールが封印されてしまった。それ以降王国はアムールの加護を失い、少しずつ滅亡へと向かっているそうだ。
そんな噂話を聞きつけて、現在に至るまで数え切れないほどの生徒たちが礼拝堂を訪れた。礼拝堂、とは言っても今はすでに使われておらず、朽ちていくのを待つばかりな廃墟である。そこを訪れ噂の真偽を確かめ、あわよくばアムールの封印を解こうと試みた生徒たちが何人もいたが────その全員が呆気なく返り討ちに遭い追い返されたのである。
生徒だけではない。アムールを崇拝する教会や、王宮の魔術師たちまでもがその封印に挑戦した。だが大半が封印へと辿り着く前に悪役霊嬢の歯牙にかかり、残りも封印を解けずに力尽きて終いだった。その内挑戦する者もいなくなり、今となってはもう、賑やかしか肝試しに来る学生ばかりとなった。
そして今日も、愚かにも足を踏み入れた生徒が一人。
「あら、わたくしの領域に足を踏み入れるなんて、どれほど愚かなことか分かっているの? 他の人達と同じように、わたくしの手で追い返してあげる」
黒い髪に赤く血走った瞳、ボロボロの白いドレスとまさしく亡霊のような出立ちで、悪役霊嬢が中空へと姿を現す。埃の絨毯が敷かれた寂しい礼拝堂の入り口に、白い制服を身に纏った少女がいた。悪役霊嬢を見上げる青い瞳は震え、全身は氷のように固まっている。やはり今までの生徒と同じように、興味本位で来たのだろう。そんな軽率な考えで踏み込まれるわけにはいかない、と悪役霊嬢は手を挙げて、
「……本当にいた」
「ん?」
青い瞳が一点に定まり、声がぶるりと震える。だがその震えは怯えではなく、どちらかというと興奮しているように思えた。初めて見る反応に困惑する悪役霊嬢を見据え、少女はビシッと指を指すと、
「フェリシティ・レムルス=スペクター侯爵令嬢! 私と友達になってください!!」
◆◆◆◆◆
フェリシティ・レムルス=スペクターは悪役霊嬢である。令嬢だし亡霊だし、悪役ではないが世間的には悪役なので、まあ大体は合っていると言えよう。
フェリシティは亡霊になったその日から、年がら年中礼拝堂に張り付いて封印を見守っていた。侍女に毎日梳かして貰っていた黒髪を乱れさせ、自慢の薔薇色の瞳が血走った目だと言われようと構わず、ワガママを言って着せてもらった白いドレスの裾を揺らしながら見張りをやっていた。普通は白いドレスだなんてデビュタント以外には着ないから、一般の令息から見れば悪霊だと思われても仕方がない。実際、悪霊なのだから。
だが悪役霊嬢歴百年のフェリシティにも、恐れてしまうものはある。それこそが、
「フェリシティ様! 一緒にご飯食べましょ!」
礼拝堂に根気よく通い詰める少女、マリー・オラシオンだった。
魔法が使える貴族ばかりを集めた男子のみの学園において、マリーは異様に浮いていた。男子校に女子がいれば浮くのは当然だが、マリーはそれに輪をかけて浮いている。その一因こそが、この執拗な礼拝堂通いだ。入学式が終わってすぐ礼拝堂を訪れたマリーは、現れたフェリシティに前述した言葉をぶつけ、それから毎日通い詰めるようになった。
フェリシティの在学中とは大きく様相が変わっている────例えば生徒が男子限定になっている────この学園だが、流石に食周りが退化しているわけはあるまい。それなら当然学食があって然るべきだし、殆どの令息はそこで昼食を摂っていた。だがマリーは毎日弁当とやらを持参して礼拝堂に訪れては、フェリシティに話しかけながら昼食を摂っている。今日もそうだった。
長らく埃を被っていた長椅子、その一部が小さく丸く綺麗になっている。マリーがいつも座っているからだ。そして例に漏れず今日も、マリーは定位置にブランケットを広げてその上に座った。そのまま慣れたように食事を始めるマリーを見て、フェリシティはため息を吐く。
「良いかしら、マリー。何度も言っているけれど、ここに通い詰めるのはおやめなさい」
「むぐ、何でですか! もぐ、フェリシティ様ともぐ、お友達になりたいむぐです!」
「……食べ終わってからにしなさい」
「! むぐ、もぐ……フェリシティ様! お友達になってください!」
「それも何度もお断りしているわよね? いい加減諦めなさい」
「なんでですか!」と癇癪を起こすマリーにまたため息を吐いて、フェリシティは校舎に向けてマリーを転移させる。礼拝堂を満たしていた騒がしさが一瞬でなくなり、フェリシティは三度ため息を吐いた。
この百年間さまざまな生徒を見てきたが、こんなタイプは流石に初めてだ。大体の人間はフェリシティを見るだけで逃げ出し、酷い時には攻撃魔法を放ってくることもあった。フェリシティは亡霊なので闇属性でなければ痛くも痒くもないが、顔面に向かって魔法を撃たれるのだけは許せなかった。
今までがそんな人間ばかりだったからだろう、マリーは特に異質に映った。亡霊と仲良くしようとする人間なんて、本来存在しないのだ。何度断ってもしつこく食い下がってくる、その原動力が何なのか気になって仕方なかった。
フェリシティは礼拝堂の悪役霊嬢だ。故に、学内の事情を知ることも容易である。礼拝堂には基本、ネズミやクモやカラスが棲みついていて、フェリシティは彼らにお願いをすることが出来た。動物は従順だ。報酬さえ与えれば、望む目的を果たしてくれる。フェリシティは彼らにお願いして、マリーの素性を調べ上げた。
「───……」
そして驚くべきことを知った───マリーは、守護聖女だったのである。
守護聖女。それはエルドラド王国に一人だけ置かれる、誇り高き聖女の役目である。王国が守護天使アムールの加護を受けているのは周知の事実だが、守護聖女はそのアムールと唯一話すことのできる存在だった。守護天使と対話し、願いを叶え、加護を授かる存在。それこそが守護聖女であり、マリーに期待された役目だった。
更に言えばマリーは、亡霊を操る術に長けているそうだった。操霊術と呼ばれるその術は、世界を見てもほんの一握りしかその力を持たない。ある国では迫害の対象であり、この国でもあまり良い目では見られなかった。平民出身の守護聖女であり操霊術の使い手。そんな人材が男子校に放り込まれて、浮いてしまうのも無理のない話だった。
「マリー。誰に頼まれたかは知らないけれど、わたくしと友人になったからといって、封印が解ける訳ではありませんからね?」
「……え?」
「守護聖女の役目は守護天使との対話。教会で育てられたという貴女なら、あの守護天使は絶対に解放すべき存在なのでしょうが……わたくしは、命を賭してもその目的を阻止しますわ」
「えっ、え!? ま、待ってください! 私は何も、アムール様を解放したいわけじゃなくて……!」
「では、なぜ?」
マリーの弁明に、フェリシティは思わず首を傾げる。守護聖女が礼拝堂に訪れる目的なんて、地下に封じられている守護天使以外には無いはずだ。教会育ちなら尚更、その役目を期待されていることだろう。他にそれらしい目的なんて、ないはずなのに。
見当のつかないフェリシティに対し、マリーは必死な顔で言った。
「だから私は、フェリシティ様とお友達になりたくてここに……っ」
「……貴女の周りの亡霊がどんな者だったかは知りませんけれど、一括りにしないでくださいまし。わたくしは誇り高きスペクター侯爵家の娘。そこらの亡霊とは違いましてよ」
「そうじゃないんです! 私は、フェリシティ様だから友達になりたいって思ったんです!」
「出会って一月も経っていないのに、随分と知ったような口を利きますのね。わたくしのことなど、ただの噂話の存在としか思っていないでしょうに」
「……っ、フェリシティ様!」
「何?」
しつこく食い下がってくるマリーに、フェリシティは冷たい目を向ける。マリーはその視線に一瞬怯むような顔を見せるも、すぐに覚悟を決め直すと大きく叫んだ。
「信じてもらえないかもしれませんが……私には、前世の記憶があるんです」
◆◆◆◆◆
マリー・オラシオンには前世の記憶がある。
誤解のないように言っておくが、これはマリーが転生者であるという訳ではない。ただマリーには、前世の記憶があるというだけだ。
前世のマリーは、こことは違う遠い未来の世界で生きていた。発達したインフラに発展しすぎた社会、それらに守られ飢えも渇きもない平穏無事な日々。前世のマリーは、その穏やかな世界で大往生した。トラックに轢かれたり過労死することもなく、孫たちに囲まれて穏やかに命を終えたのだ。
現世のマリーは生まれてすぐ教会に捨てられて、親の愛を知らずに育ってきた。育ててくれた教会の人たちには感謝しているが、それでもどこか埋まらない気持ちがあった。前世の優しい家族を記憶から取り出しては、それこそショーケースのケーキを眺めるようにただ反芻していたのだ。穏やかすぎる前世はもはや他人で、触れることが出来ず関わることもない空想上の記憶だった。だが羨むことしか出来ない記憶の中にも、確かに役立つものがあった。
それが、前世のマリーが時間を費やすほどに没頭していたソーシャルゲーム────愛の弓矢と天使の声、通称あいてんである。名称からして女性向けであるそのゲームは、乙女ゲームの型に嵌った作品というよりかは、男性同士の関係を描くことに重きを置いていた。友情ではないが愛情とも呼べない、時に純粋で時に重苦しい関係性のてんこもり。前世のマリーが入れ込んでいたそのゲームは、今現在マリーが生きている世界と悉く一致していた。
「……つまり、前世で見た御伽話と現状があまりにもそっくりだったから、わたくしに声をかけた、と?」
「はい! 私、前世の記憶でフェリシティ様を見てからずーっと、お友達になりたいって思ってたんです!」
『あいてん』においてフェリシティは、主要キャラの過去話に少し登場する程度のキャラクターだった。男性同士の関係性に重きを置いている作品において、女性キャラにそこまで比重が行かないのは当然のこと。その中でもフェリシティは、立ち絵が用意される程度には優遇されていた。前世のマリーはフェリシティに対して何も思わず、その話の主軸である男性キャラクターにのめり込んでいたが、今のマリーからしてみればとんでもない。前世の記憶の中からフェリシティを見つけたその時から、マリーは何度も何度もその記憶を取り出して擦り切れるほどに反芻していた。
フェリシティは、マリーが最も憧れる強い亡霊だった。
「わたくしが亡霊になった理由も、全て知っているのね」
「……はい」
フェリシティの質問に、マリーは目を伏せて答える。
『あいてん』の世界において、フェリシティは自ら泥を被った悲しき悪役霊嬢だった。堕天したアムールを封じるために、その命を使い果たしたのだ。
そもそもアムールは、エルドラド王国の建国者であるエレインにのめり込み、その力を与えて守護天使になった。しかし段々とエレインが自身の理想から離れていき、失望によって徐々に堕天していったのだ。全てが堕天してしまったら、庇護下にあるエルドラドは酷い有様になる。故にアムールは堕天した部分を切り離してルーシィという新たな堕天使を作り、自分自身は眠りについた。そしてそのルーシィが暴れ回った結果、フェリシティが命を賭して封印したのだ。
要するに、礼拝堂の地下に封じられているのは堕天使のルーシィであり、解放されたら再び災いが起きる。そのためにフェリシティは、礼拝堂で百年も門番を続けているのだった。
「でも、本当にそれだけ?」
「え?」
「わたくしが御伽話で見た人と同じだったから、友達になりたくて声をかけた……貴女の目的は、本当にそれだけかしら?」
真っ赤な瞳に覗き込まれ、マリーは思わず息を呑む。フェリシティは記憶よりもずっと、鋭く聡明な女性だった。
友達になりたい。それは本心だ。あの記憶で見てからずっと、何度も隣を歩く姿を夢想した。叶わぬ夢だと分かっていても、恋焦がれずにはいられなかった。その妄想癖だけは、どうやら前世に似てしまったらしい。
だがその夢を叶えて終われるほど、この世界は優しくない。前世のマリーが見た世界は、容易にハッピーエンドを壊されてしまっていた。
「……フェリシティ様は、相変わらずご聡明ですね」
「ええ。かつては王妃候補でしたもの。それで? 貴女は何を隠し持っているのかしら?」
「…………この世界の、行く末です」
「それは、一体どんな?」
「この世界は……ルーシィの封印が解かれて、危機に陥ります。最終的には平和になりますが……封印が解かれた時、フェリシティ様も亡くなられて……」
「亡くなる? 既に亡霊なのよ。失う肉体だって無いじゃないの」
「魂ごと、消えてしまうんです」
マリーの言葉に、しかしフェリシティは眉一つ動かさない。自分の悲惨な運命を告げられているのにも関わらず、表情は変わらず氷点下を貫いていた。その気高さが美しく、そして苦しい。マリーは喉のつっかえを無理やり押し出して、話を続けた。
「教会の人たちがやってきて、私を人質に、エイダン殿下の手で封印を解かせます。その時フェリシティ様は抵抗しますが、出てきたルーシィに吸収されて……」
「……そう。そうなのね。辛いことを話させてしまってごめんなさい」
「い、いえ」
「ところで、ルーシィは倒せたのかしら?」
「え?」
「だから、ルーシィよ。貴女の見た記憶の中で、ルーシィは倒せたのかしら?」
重苦しい雰囲気もそこそこに、フェリシティが真剣な顔でそう尋ねてくる。その質問の真意に、マリーはすぐ気づいた。
フェリシティが自分の命を賭してまでルーシィを封印したのは、いつかルーシィを倒す方法を見つけるためだ。倒し方が分からず、放置していれば厄災を振り撒く存在。エルドラドを守るためには、倒す方法が見つかるまで封印するしかなかった。その封印と、事実隠蔽のための悪役を買って出たのがフェリシティだ。
フェリシティは、ルーシィを倒す方法を待ち望んでいた。だからこそ、自身の死に際よりも聞きたいと願ったのだろう。マリーはその真意を受け止め、重苦しく口を開いた。
「堕天使ルーシィを倒せるのは、守護者の資格がある存在だけ。記憶の中では、守護天使かその力を借りた私にしか出来ないことでした」
「……守護者の力……」
「ですが、御伽話の中では守護天使であるアムール様が躊躇ってしまって……結果的にルーシィは、自分が引き起こした厄災を全て消滅させて消えてしまいました」
「とんだ茶番劇ね。くだらない筋書きだわ」
マッチポンプにも程がある筋書きに、フェリシティがそう吐き捨てた。
『あいてん』の終盤において、アムールは自身の片割れでもあるルーシィを倒すのに躊躇ってしまう。前世のマリーはその葛藤に同情していたが、当事者になってしまうと甚だ迷惑でしかない。全ての厄災と共に消滅したルーシィも、元はと言えばその厄災自体ルーシィがいなければ起こらなかったことで、同情の余地はない。そして、『あいてん』の世界とこの世界が同じ場所ならば、ルーシィによる厄災は必然的に起こる問題だった。
目を覆うほどの天災、抗いようの無い滅び。その事実に直面し目を伏せるマリーに対し、フェリシティはどこか明るい声で告げた。
「でも、対処法を知れただけで一歩前進だわ。あとはどうにかして、守護天使を目覚めさせないと……」
「あの、フェリシティ様」
「何かしら?」
「その……なんで、信じてくれるんですか?」
「─────……」
「いや、その! 自分で言うのもなんですけど、結構荒唐無稽な話じゃないですか! だからその、不思議で……」
マリーの言葉に、フェリシティはぽかんと口を開ける。そして暫くした後、くすっと笑い声を溢した。まさか笑われるとは思っておらず、マリーは驚いて肩を跳ねさせる。そんなマリーを見て、フェリシティは笑いながら言った。
「ふふっ、おかしなことを言うわね。前世の記憶が珍しくないことぐらい、貴女も知ってるでしょうに」
「え? あ……」
「ふふふ……それに」
微かに透けた手が伸びて、マリーの頬を撫でる。そのまま驚くマリーを引き寄せて、フェリシティは吊り目がちな瞳を細めて微笑むと、
「わたくし、必死な子は嫌いじゃないし……友人になるなら、信じてあげるのも必要でしょう?」
「え……えっ!?」
「だから、改めて───わたくしの友人になってくださるかしら、マリー?」
この世の何よりも美しい表情でもって、待ち望んだ言葉を差し伸べてきたのだった。
◆◆◆◆◆
エイダン・プロム=エルドラドは第一王子である。守護天使アムールの加護を一身に受ける、エルドラド王国の未来を担う王太子だ。将来を期待された、有望な若者。だがそんなエイダンには、ある悩みがあった。それは、前世の記憶だ。
エイダンには前世の記憶がある。この世界に生まれ、命を全うするまでの記憶だ。その記憶の中でもエイダンは王太子であり、この学園に通っていた。婚約者のフェリシティと共に、幸せな日々を送っていたのだ。だがその日常は、ある日突然崩壊する────守護天使のアムールが、堕天してしまったのだ。
堕天し、切り離されたその一部はルーシィと名乗り、世界を混乱に陥れた。討ち倒そうにも手立てがなく、諸外国に助けは求められない。手詰まりのまま時が過ぎ、エルドラドは追い詰められていって、
『わたくしが、ルーシィを封印します。ですから殿下は、ルーシィを討ち倒す手立てを見つけてくださいまし』
フェリシティのその提案に、エイダンは頷くことしか出来なかった。自分諸共封印する直前の、あの安らかな微笑みが今も忘れられないでいる。
エイダンがこの記憶を持ったままなのは、きっとフェリシティの力なのだろう。必ずルーシィを討ち倒す、そう信じているからこそフェリシティはこの記憶を残した。その期待が、今はひどく重い。世間一般には、礼拝堂の地下に封じられているのがルーシィだとは知られていない。守護天使が堕天した、なんて外聞が悪いにも程があるからだ。フェリシティはその辻褄を合わせるために、悪役令嬢という濡れ衣を被った。故にルーシィのことは記録にも残されておらず、アムールを信仰する教会からはいつ封印を解くのかと急かされてばかりだった。
百年に一度しか現れない守護聖女が現れ、礼拝堂の封印は弱まりつつある。アムールを取り戻すには今しかない、というのが世論の方向性だ。だが礼拝堂にいるのはルーシィだし、討ち倒す手立てがない以上、無闇に封印を解くのは危険だ。だからエイダンはのらりくらりとそれらを交わしてきたが、流石に厳しくなってきた。
そんな折、こんな話が耳に入った────守護聖女が、礼拝堂の悪役霊嬢を手懐けたらしい。
エイダンは何が何だか分からなかったが、とにかく事実を確かめるほかないと思った。故に無理を押し通し、守護聖女がいるであろう時間帯に礼拝堂を訪れて、
「むぐぐ!?」
「あら、大きな魚が掛かったわね。お久しゅうございます、王太子殿下」
昼食を両頬いっぱいに詰め込む守護聖女と、それをにこやかに眺める悪役霊嬢にばったり出くわしてしまった。
「───……じゃあ君たちは、ルーシィを討ち倒すために模索していると……?」
「ええ。そうよね、マリー?」
「むぐっ! ……そ、そうです、もちろん!」
守護聖女のイメージとは程遠く、まるでリスのように頬を膨らませるマリーを見てエイダンは思わず困惑する。その隣にはうっすらと透けたフェリシティの姿があり、マリーを愛おしそうな目で見守っていた。
噂ではフェリシティをマリーが手懐けたと聞いたから、てっきりルーシィの封印を解こうとしているのかと思っていた。しかし実際は逆で、エイダンと同じようにどうにかルーシィを討ち倒そうとしているらしい。志が同じなのは有難い話だが、何というか、二人ともイメージと随分違う。フェリシティはもっと高嶺の花のように冷たく、守護聖女は完璧な淑女だと聞いていたのだが。
「そのためには殿下の協力が必要不可欠なのですわ。協力してくださいますよね? エリック……いえ、エイダン殿下」
「……ああ、勿論だとも。僕に出来ることは何だってする」
真剣な顔で返すエイダンに、マリーがパァッと顔を輝かせる。眼前、薄く薔薇のように微笑むフェリシティは、記憶の中と変わらない姿をしていた。
◆◆◆◆◆
教会が礼拝堂の封印を解こうとしている。そんな一報を聞きつけ、エイダンは急いで礼拝堂へ向かった。だが時すでに遅く、平和的な話し合いも和解も解決もとっくに通り越した後だったようで、
「フェリシティ・レムルス=スペクター! 今すぐにこの封印を解きたまえ!」
エイダンが駆けつけた時にはもうマリーは人質に取られ、フェリシティは封印を解こうとしていた。
討ち倒す手立てをまだ得られていないのに、守護天使を起こせていないのに封印を解くなんて。そんなことをしたら、マリーの言っていた厄災が巻き起こってしまう。前世の記憶にある、あの悲惨な状況が出来上がってしまう。それはフェリシティも分かっているはず、なのに彼女は封印に手を掛けていた。このままフェリシティが封印を解けばルーシィが解放され、近くにいたフェリシティは諸共巻き込まれる。それだけは絶対に阻止せねばならない。ならない、のに。
「フェリシティ様! ダメです! 私のことは良いから……っ、きゃあ!」
「……心配しないで、マリー。貴女の言う悲劇は、起こしたりしないわ」
「待て、フェリシティ嬢! そんなことをしたら……!」
「────殿下」
手を伸ばす、駆け寄る、でも間に合わない。地下に固く閉じられた封印に、フェリシティが手をかける。ふとその赤い目がこちらを見て、強気に微笑んだかと思うと、
「今度はわたくしのこと、ちゃんと守ってくださいまし」
刹那、光が弾けた。
扉を閉じていた赤い鎖が解け、光の粒となって霧散する。扉にまとわり付いた紫色の気配が一層強まり、ゆっくりと扉が開いた。歓喜の表情で扉を見上げていた教会の司祭が、その向こうから現れた存在に目を見開く。真っ黒な髪に翼を持った堕天使ルーシィは、桃色の瞳で辺りを睥睨した。マリーを人質に取っていた人間の膝から力が抜け、そのままへたり込む。マリーはそれを振り払い、フェリシティへ向かって走った。ルーシィがそれをギョロリと目で追い、封印を解いたフェリシティの存在に気づく。黒い翼が広がり、尖った爪がマリーの記憶と狂いなく振り下ろされて────、
「───はあッ!!」
エイダンの展開した防壁が、ルーシィの爪を間一髪で受け止めた。まさかの防御にルーシィとマリーが驚き、背後のフェリシティだけが平然としていた。守ってくれるのは分かっていた、と言わんばかりの顔である。その冷静な顔が恨めしく、しかし同時に、変わらないことを安堵してしまう心があった。
泡を吹いて倒れた教会の面々を退かし、エイダンは剣を構えてルーシィに向き直る。防壁を叩き切れずに一歩下がったルーシィは、とても愉快そうに喉を鳴らした。
「あッははははは! まさか防がれるなんて! 愛の力ってヤツ? あははははは!」
「ひ……っ!?」
「どこまでも不愉快ですこと」
「来るぞ。構えろ!」
そこからは激戦だった。
影から生えてくる無数の手を打ち払い、指揮下にある何千もの亡霊を薙ぎ払い、ルーシィの翼に斬撃を与える。しかし流石は守護天使の分身、エイダンの攻撃では傷一つ付かなかった。マリーの操霊術による支援も、フェリシティの援護射撃でさえも効果がない。三対一の優勢だと言うのに、三人は徐々に追い詰められていった。
消耗していく三人を嘲笑うように、ルーシィがご機嫌に尋ねる。
「誰も君たちの献身には報いてくれない。きっと除け者だって嘲笑うだろうね! なのにこんな健気に戦って……意味はあると思うのかい?」
「……ッ」
「相手をするだけ無駄よ、マリー」
「いいや君は聞くべきだ! 君は、君を不気味だと迫害したみんなを助けるのかい? 誰かが報いてくれるとも限らないのに!」
「口を閉じろ!」
マリーの心につけ込むようなルーシィの言動に、フェリシティとエイダンは攻撃の手を強める。ルーシィはそれらを笑いながら回避し、マリーの返答を待った。弱いところを責め立てるようなルーシィの言葉に、マリーは顔を真っ青にしている。だがエイダンとフェリシティの背中を見て、一つ深呼吸をすると、真っ直ぐにルーシィを見据えて告げた。
「私は……っ、二人を死なせたくない! そのために貴方を止める!」
「へーえ? そう? じゃあ死んでくれよ」
マリーの返答が気に食わなかったのか、ルーシィが目を細めて指を突き出す。その指から紫色の閃光が放たれ、真っ直ぐにマリーへと向かっていった。守りに向かおうにも、ここからでは間に合わない。あらゆる魔法も祈りも届かず、マリーが貫かれるのを見ていることしか出来なくて────、
「────っぐ、ゔぅ……!」
「フェリシティ様!?」
届いた閃光はただ真っ直ぐに、フェリシティの胸を貫いていた。
◆◆◆◆◆
視界が歪む。体が崩れる。姿勢を崩したフェリシティを、小柄なマリーが受け止めた。こちらを見下ろすマリーの目には大粒の涙が溜まっているものの、体に怪我はない。どうやら間に合ったらしい。良かった。
「フェリシティ様! しっかりしてください、フェリシティ様ぁっ!」
「……そんな大声、出さなくても……聞こえてましてよ……」
ポロポロと涙を流すマリーを慰めてやりたくても、もう体が動かない。元より肉体なんて無いはずなのに、確かに四肢を失った感覚があった。これがマリーの言っていた、二度目の死なのか。
薄れゆく意識の外側で、猛烈な激戦の音がする。エイダンが持ち堪えてくれているらしい。その献身は素晴らしくて、無駄にしてしまいかねないのが心苦しい。ルーシィを討ち倒す術も整っていないのに、どうしてこんなことになったのか。ただルーシィを討ち倒すためだけに、ずっとこの場所に留まり続けていたのに。
見上げ、目を見開く。マリーは未だに泣き叫んでおり、消えゆくフェリシティを必死に引き留めていた。こんなことしていないで逃げてしまえば良いのに、それが出来ないのは優しさゆえか、それとも。
意識が消えていく。思考すら保てなくなっていく。マリーの涙を拭いたくても、腕が動かないのが恨めしい。こんなことすら、出来ないというのか。
何も出来なくなって、弱って、苦しくなって。それでも最期に何かを成し遂げようと、フェリシティはひたすらに祈って、
「……か、ないで……マリー……」
「嫌……っ、嫌です、フェリシティ様! 置いてかないでください! お願いだから……っ!」
「…………まりー……」
そんなに泣かないで。
そんな悲しい顔をしないで。
わたくしだって一緒にいたかった。ずっとずっと、一緒にいたかった。
だって、だって───初めて出来た、友達だったから。
「─────!」
刹那、光が弾けた。
力が渦巻き、形を成し、取り戻していく。意識がはっきりして、思考が組み立てられていった。真っ白なドレスの上を、青い燐光が彩っていく。体が軽い。力がみなぎる。かつて生きていた時と同じような感覚に、フェリシティは目を見開いた。
眼前、立ち上がったフェリシティを見つめ、ルーシィがガクガクと震えている。その姿に先程までの威圧感はなく、何だか殴れそうな心地がしてきた。
ああ、そうか。これこそが───守るべき者のいる、守護霊としての力か。
「……フェリシティ、さま……?」
「マリー」
拳を握り、振り返る。涙に濡れてぐっしゃぐしゃになった可愛い顔を見つめ、フェリシティは精一杯の笑顔を浮かべて、
「安心なさい。わたくしがぶっ飛ばしてさしあげますわ!」
振り向き、握り込み、踏み込む。殺気を纏い振り向いたフェリシティに、ルーシィがヒュッと息を呑んだ。ようやく、ようやくだ。ようやく、自分の百年を奪った男をぶちのめせる。傷だらけのエイダンを追い越して、フェリシティは嬉々として飛び込んだ。飛んでくるあらゆる攻撃を弾き返し、フェリシティは勇猛に走り抜ける。あらゆる手立てが水泡に帰し、ルーシィは金切り声で叫んだ。
「ふ……ふざけるな! 愛の力なんて、そんなのあるわけない! どいつもこいつも裏切るんだッ!!」
「───やかましいですわ」
「ッ!?」
間合いを詰め、拳を振り抜く。素手で殴るなんて淑女のやることではないが、こうでもしないと腹の虫が収まらない。百年も待ったのだから一発ぐらい殴る権利はあるだろうと、フェリシティは真っ直ぐにルーシィを睨みつけ、
「貴女が愛していたのは、貴女の理想でしょう?」
反論を許す隙も与えず、握りしめた拳を鳩尾に叩きつける。愛と友情とその他諸々が乗った渾身の一撃はそのまま、ルーシィの体を粉々に打ち砕いた。
そうして、百年にわたる戦いは呆気なく幕を閉じたのであった。
◆◆◆◆◆
「フェリシティ様ぁ〜っ!! 無事でよかったですーっ!!」
「あら、泣きすぎよ。せっかくの可愛い顔が台無しだわ」
堕天使ルーシィを討ち倒し、あらゆる後処理が終わったさらに後。礼拝堂の中で泣きついてきたマリーを、フェリシティは優しく慰めた。
戦いが終わってから分かった話だが、どうやらフェリシティはマリーの守護霊になったらしい。マリーは操霊術の使い手だし、そんなことになるのも納得がいく。ルーシィをぶちのめすことが出来たのも、守護天使アムールと同じ守護者の資格を手に入れたからであろう。結果オーライ、何とも素晴らしい終わり方である。
ずびずびと泣きついてくるマリーとは反対側で、エイダンが少し困惑した顔で尋ねた。
「それにしても、守護霊になったなんて……これからどうするんだ?」
「そうね、もうここを護る必要も無くなったし……そういえばマリー、貴女まだ危機が起こるって言ってたわよね?」
「ずび? ……ずずっ、そうです! ルーシィを倒したので殆ど無くなりましたけど、まだいろいろ厄介なイベントが残ってるんですよ〜!」
「いべんと、はよく分からないけど……それならわたくしは、マリーに着いて行こうかしら」
「えっ?」
フェリシティの提案に、マリーが青い目をまんまるにする。そこまでおかしな提案をしたつもりはないのだが、相変わらずマリーは表情に出やすい。そこが可愛いところだ。
守護霊となった以上、フェリシティが最も力を発揮できるのはマリーの隣だ。他にやることもないし、それ以外にやりたいことも思いつかない。
呆気に取られているマリーとエイダンの間で、フェリシティは微笑みを浮かべると、
「だってわたくしは、マリーの友人だもの。一緒にいるのは当然でしょう?」
唯一の友人と、昔の婚約者に似た知人。
二人がいるなら何だって楽しそうだ、と守護霊は心の底から笑った。




