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最近めっきり紀和に会わなくなった。
代わりによく会うのは翠嵐だ。
「紀和は遠征だよ」
日に日にげっそりしていく翠嵐が教えてくれる。
横に並んで廊下を歩くと、歩く気があるのか聞きたくなるほど足取りが重かった。
その理由はまあ、多分、あれだろう。
「翠嵐はお留守番組ですか?」
「そうそう。お留守番兼書類処理係」
ほぼ投げやりの返事だ。
相当書類仕事に鬱憤が溜まっているらしい。
「ちゃんとできてるんですか?」
お留守番組になった当初は「書類の書き方分かんない」と言って藤柯を廊下で待ち伏せ、その度に同期に連れて行かれていた。
「やってるよ、藤柯もこんな仕事して過ごしてるんだと思えば、やる気出る。大丈夫できるできる」
「うわ」
思わずドン引いた声と虫を見るような目で見てしまった。
書類仕事が嫌で頭がおかしくなっている。
目は空を見つめ、自分に言い聞かせるように「藤柯と一緒…」と呟いている。
だいぶ気持ち悪いので、違う理由を見つけて欲しい。
「翠嵐、体調はどうですか」
「ん? ……ああ。傷ももう瘡蓋くらいで、ほとんど治ってるかな」
怪我のことをすっかり忘れていたようだ。
怪我に慣れているだろうが、それでも心配だ。
(……気付いているんだろうか、翠嵐は)
いや藤柯が気付いているのに、彼が気付かないはずがない。
聞くべきか、触れないべきか。言い出してくれるのを待つべきか。何が正解か分からなくて、藤柯は開きかけた口を閉じた。
お前の身を案じていると、どのように伝えたら良いんだろう。
視線を落とす藤柯を、翠嵐は不思議そうに見つめていた。
藤柯は押し付けられた期限間際の書類をようやく提出した。
その帰り、医務室前の階段には二人の男が座っている。
(前を通らない方が良いだろうか)
そう考える藤柯の耳に医官の落ち着いた声と、聞き慣れた青年の声が聞こえてきた。
「難しいと思うよ」
「そうですか」
藤柯の心臓が跳ねた。
藤柯がまさに彼に聞きたかった話をしていると思ったから。
心臓がばくばくと鳴り、足は縫い付けられたようにその場から動かなかった。
(翠嵐が何も教えてくれないなら、このまま聞いていたい)
でも、盗み聞きという形で聞いてしまったら、翠嵐はどう思うだろう。
藤柯は隠し事が得意じゃない。だから、次会う時にどんな顔をしたら良いか分からなくなる。
そう思うのに足は動かない。
藤柯の葛藤が彼等の耳に届いたように、そのまま二人は黙り込んで何も話さなくなった。
沈黙を破って翠嵐が口を開くと話題は他愛のない話にかわる。
それにほっとして藤柯はようやく足を踏み出した。安堵以外の感情には気付かないふりをして。
藤柯は昨日からずっともやもやと考え事をしていた。もやもやとしている物が上手く言葉で表現できず、余計に考えるという悪循環。
注意散漫だった藤柯は出勤してすぐに人とぶつかってしまった。
「あ、すみません」
「ごめんごめん!急いでて!」
体格の良い男は、肩に大きな荷物を乗せて走り去っていく。
周りを見渡してみると、他にも荷物を担いだ人達が忙しなく動いていた。
皆の向かう先に視線を向けると馬小屋に繋がる。
(自分も行くべきか…いや、勝手に行動したらまずいかな)
上司の指示を仰ぐべく執務室に行くと、そこには普段と同じように机に齧り付く引きこもり共がいるだけだった。
「あれ……?」
「おはよう藤柯」
ほんわか先輩に首を傾げたまま挨拶を返すと苦笑された。
話を聞くと、藤柯と同じように不思議がる人がまばらにいたようだ。
「ついさっき、霜月様から伝令馬が来て『軍部の戦える者は皆平地に来るように。追加の物資も持ってきて欲しい』と言っていたよ。まあ、うちは足手まといになるから何にもできることなんてな……あ、ちょっと藤柯!」
藤柯は話の途中であるにも関わらず、おざなりに礼をするとすぐに執務室を飛び出した。
今まで走る必要性がなかったから、もう何年も走っていない。
息が上がるのも足が重く感じるのも早かった。
貧弱な体に鞭打ち、馬小屋までしきりに足を動かす。
到着した時には、肩で息をしないと満足に息も吸えなかった。
息を整えようと深呼吸しても意味がないほど、体が酸素を欲しがっている。
こんなになるまで走った理由はただ一つだけ。
目の前に立つ男が戦場に行くことを止めたかったからだ。
翠嵐はちらりと藤柯を見ると、すぐに視線を戻して馬の手綱を確認しはじめた。
彼の瞳に本当に藤柯が映ったのかは分からない。
何の興味も示さない、冷めた瞳だった。
いつも見ているはずの引き締まった横顔も、いつも以上に冷たくて、触れれば切れてしまうほどだった。
まるで藤柯を拒絶しているようだ。
怯みそうになる自分を叱咤し、翠嵐との距離を詰めて彼の手首を握る。
「行くんですか」
普段通りを意識したはずが、緊張に染まった硬い声になる。
翠嵐は、手首を握られても作業する手を止めなかった。
「俺は軍人だ」
今まで向けられたことのない淡々とした声。
抑揚も温度もない無機質な声に、一瞬目の前の青年が誰か分からなくなった。
「……今の体調が分かっているんですか」
「それで?」
剣の鋒のように鋭く刺すような瞳が藤柯を射抜く。
ひくっと藤柯の喉が震え、初めて彼に対して恐怖を感じた。
指一本動かせない。
ただ立ち竦んでいると、彼は藤柯の手を払って馬と共に遠ざかっていった。




