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執務長官に書類を提出して退室すると、外は夕暮れの温かい橙色の光に包まれていた。

翠嵐(すいらん)も頑張ってるし、少しは優しくしてやってもいい...かも)

穏やかな光に照らされて、藤柯(とうか)の心もほんのりと和らぐ。

褒めてやることも時には大切だし、と考えていると、ヒュッと空を裂く鋭い音が耳に届いた。

(軍部の練習場の方だろうか?)

そっと近付いて物陰から覗くと、霊力の矢や剣が六十メートルほど離れた的に、寸分の狂いもなく突き刺さっていた。的の数も一つや二つではなく、十は超えていそうだ。

しかもひときわ大きな的には、矢と剣がそれぞれ三本ずつ刺さっている。

普通の人間なら霊力で十の武器を作り出すだけで精一杯だ。

それを操って的に突き刺すなど到底できない。

優れた軍人でもこれほどの能力があるのはほんの一握りだろう。

藤柯はそれが誰の術か、聞かなくてもすぐに分かってしまった。

ちょっかいを出されすぎて、姿を見なくても霊力の判別ができるようになるなんて……。

なんかすごく腹が立ってきた。

夕日の効果は切れてしまい、優しくしようと思っていた気持ちも、きれいさっぱり消え失せた。

その時、矢が刺さった的に長身の軍人が近付く。

ここからでも分かる均整の取れた体を持つ男といえば、軍部長官の霜月(しもつき)様だ。

藤柯は面識はないが、皆が「様」付けで呼ぶので勝手にそう呼んでいる。

霜月様が翠嵐の矢に手を伸ばした瞬間、矢は呆気なく砕け散った。 

『脆い。霊力の密度を上げるようにしろ』

「はい」

霊石を通して伝わる厳しい声に、翠嵐は歯切れ良く返答する。

普段の軽口ばかりの人間とは別人のようだ。

二十代半ばで直接霜月様から指導を受けるとは、翠嵐が将来の有望株で間違いないだろう。

「…これはどうでしょうか」

藤柯が軍部の力量関係を考えている間に、翠嵐は新たに十本の矢を作り、的に放った。

明らかに強度が上がった矢が突き刺さると、的は瞬時に粉々になる。

『その矢で最低三十本は放てるようになれ』

(いやいやいや、そんな事したら霊力干からびるわ)

長官の厳しさに翠嵐が眉間にしわをよせる。

筆が挟めるほどくっきりと溝を作った顔は、仮にも上司に向けて良いものではない。

「はい」

一瞬でその表情を消して歯切れのいい返事をすると、また次から次へと霊力の矢を完成させていく。

あまりにもポンポン作るせいで藤柯でも出来そうな気になってきた。

藤柯も手のひらに霊力を集め、思い浮かべた形を作ってみる。

そうして翠嵐の数倍の時間をかけて出来上がったのはふわふわと羽ばたく、小さな蝶だ。

人差し指を近づけるとふわりと指に止まって休憩し始める。

(この距離なら翠嵐の所まで飛ばせるかも)

ここから翠嵐までの距離は三メートルほど。

比べものにならないほど短い距離だが、藤柯にとっては難題だ。

ふっと息をかけて飛ばすと、蝶は心許なくゆらゆらと飛んでいく。

「翠嵐の頭をしばけ、顔をしばけ」と邪念を送るも、あと一歩のところで届かずに蝶は翠嵐の足元に倒れこんだ。

(うわ。)

変な所に倒れ込んだ蝶を見て、藤柯は苦虫を噛み潰したような表情になる。

翠嵐に見つかる前にそそくさと退散しようとした藤柯は、目に入った光景にぎょっと目を剥いた。

翠嵐は蝶を両手で優しく救い上げ、柔らかい瞳で見つめている。そして人差し指を差し出すと、蝶は答えるようにふわっと羽を広げて彼の人差し指に止まる。

よく頑張ったというように、翠嵐がそっと蝶を擽るせいで、藤柯の頬はじわじわと赤みがさしてきた。

普段から霊力を操る翠嵐は、蝶が誰の霊力で作られた物かすぐに見当がついたはずだ。

(今すぐ飛び立ってくれ!)

蝶は翠嵐の手が気に入ったのか、大人しく可愛がられていた。




翌日、翠嵐(すいらん)は櫛まで使っていつもより丁寧に藤柯(とうか)の髪をいじっていた。

手櫛でも器用に束ねるのに、今日はやたらと真剣だ。というか遅い。

書類を見ようと頭を下げれば、くいっと上を向かされる。

これも十五回目だ。

首の骨がいつか折られる気がする。

「……まだですか」

我慢できずに聞くと翠嵐は背後でうーん、と唸った。

「ここの編み込みが気に入らないんだよね」

「そんなこと知るか!」

今まで通り普通の結び方で良いじゃないか、と嘆く藤柯を無視して、翠嵐は再び編み込みを始めた。

また頭皮ごと毛を引っ張られる刺激が伝わってくる。

「本当に、いつも通りで良いんですが」

「それだとちょっとね、華が無いっていうか」

「悪かったですね。お前みたいに華やかな相貌も雰囲気もなくて」

「そう思ってくれてるんだ、ありがとう。藤柯に褒められるのは気分が良いね」

「別に褒めていません」

その前に慰めろ。

自分の言った言葉が訂正されないのも悲しい。

翠嵐は筋肉質でガタイが良く、その上腹が立つほど整った顔立ちをしている。

切長の緑玉の瞳も、高い鼻筋も、いちいち華がある。

一方藤柯は、藤色の髪こそ珍しいが、それ以外は「本を抱えて部屋にこもっていそう」で済む程度の印象だ。

平凡で、華などあるわけがない。

「もうちょっと髪を伸ばしてくれたら色々出来るのに」

(......それは世の女性にしてあげたらどうだ)

翠嵐が声をかけたら、頭の一つや二つ喜んで差し出してくれるだろう。

その時、執務室の扉が開き、一人の軍人が入ってきた。

他の文官たちと和やかに会釈を交わし、真っ直ぐ藤柯の前に進み出る。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。軍部所属の紀和(きわ)と申します。先輩を引き取りに参りました」

丁寧に礼をされ、藤柯は思わず首を傾げた。

先輩って……と振り返ると翠嵐は子供のように不満げに口を結んでいる。

(何を拗ねてるんだ、こいつは)

どうやら文官たちは紀和のことを知っていたらしい。誰かが翠嵐を追い出したくて紀和を呼んだのだろう。

その気持ちには大いに賛同できる。

紀和は銀髪が印象的だが、それ以外は穏やかな好青年だ。

だが「翠嵐の回収係」に任命されたことには同情せざるを得ない。

翠嵐に振り回されて、さぞ苦労していることだろう。

「ありがとうございます。是非、今後自由行動ができないように縄で縛り付けておいてください」

「分かりました。管理が行き届いておらず申し訳ありません。また脱走していましたら、いつでもお呼びください」

紀和は綺麗な礼をして、文句を連ねる翠嵐を半ば引きずるようにして部屋から連れ出した。

後輩に世話をかけたというのに、反省したそぶりも恥ずかしがるそぶりも一切なかった。

藤柯は弄られていた髪にそっと触れる。

指先に凹凸があり、いつもと違う手触りだった。

どうやら最後まで編み込みを仕上げていったらしい。器用な奴だ。

しかし、一体どうしてこんなことを……。

(……まさか、昨日の蝶のせい?)

いやいや、と首を乱暴に振って否定する。

はっとしてもう一度髪に触れるが、先ほどと同じ凹凸が指に伝わる。どうやら乱れていないようだ。

綺麗に編み込んで行く翠嵐の手の感触、首を振っただけで編み込みが取れてしまうんじゃないかと思った自分、じわじわと熱くなる頬。

……何だこれ。藤柯は耐えられずにぎゅっと下唇を噛んだ。


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