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第5話 嵐を呼ぶ男  陸奥嵐 幸雄(1943-2002)

これまで紹介した力士の中で唯一かすかな記憶が残っているが、強かったという印象は全くなく、幕内下位をうろちょろしていたことは覚えている。それでも態度だけは威風堂々としていたので、昭和四十年代生まれの私と同輩かそれ以上であれば、輪島、北の湖、貴乃花の時代の名脇役として懐かしく思われる方も多いのではないだろうか。陸奥嵐を菅原文太扮する星桃次郎とオーバーラップさせているのは私だけではないことを祈りたいが・・

 陸奥嵐はトラック野郎一番星、星桃次郎のような力士だった。

 彼の力士生活の晩年にあたる昭和五十年八月三十日封切りの松竹映画『トラック野郎・御意見無用』は、同年の邦画配給収入第八位を記録する大ヒットとなり、シリーズ化されると同時に巷に派手なデコトラブームを巻き起こした。

 菅原文太演じる主人公「一番星」こと星桃次郎は、青森県下北半島育ちで酒と女と喧嘩に目がない破天荒なトラック運転手という設定だが、「東北の暴れん坊」の異名を取った陸奥嵐も下北半島出身の元トラック運転手で、若い頃は酒と喧嘩に明け暮れる極道息子だった。

 劇中、桃次郎が安岡力也扮するトラック運転手柴田と乱闘するシーンがあるが、痩身の文太が大男の力也に立ち向かってゆくさまは、文太と同じ身長(一七七センチ)で角界では小柄な部類に入る陸奥嵐が、高見山や魁傑、北の湖といった大型力士にもひるむことなく真っ向勝負を挑むところにオーバーラップして見えたものだ。

 偶然ではあるが、トラック野郎第一作の桃次郎の目的地は、陸奥嵐の地元近くの下北の漁港だった。


 陸奥嵐こと南幸雄は青森県上北郡東北町の豪農の家に生まれた七人兄弟の末っ子だった。

 幼少時から大変な悪童だったらしく、兄たちから井戸に吊るされたこともあったという。

 中学時代は野球部のキャッチャーとして活躍し、郡大会のベストメンバーに選ばれるほどの腕前だったが、やんちゃぶりが過ぎて地元に居づらくなり、昭和三十三年三月、中学卒業と同時に就職のため上京した。


 最初は三鷹のプリンス自動車の下請け工場でプレス工をやっていたが、一ヶ月と続かなかった。その後も吉祥寺の運送屋、西荻窪のガソリンスタンド、材木屋、目黒の運送屋と仕事を転々としたのは、全て短気で喧嘩早いのが原因だった。

 三十五年秋には配送中のトラックでダンプカーと衝突事故を起こして重傷を負い、療養のため帰省したが、田舎での平凡な生活に飽きたらず、止める両親を振り切って東京に舞い戻ってきた。

 車好きの幸雄は再上京後もトラック運転手として働いていたが、定期配送先の会社がたまたま宮城野部屋の対面にあったため、筋骨たくましい肉体に見惚れた幕下力士の仙葉山から声をかけられたのが角界入りのきっかけとなった。この時、入門を決意した決め手となったのが、好きなだけ酒が飲める、だった。

 ところが末っ子で甘やかされて育ったガキ大将にとって、相撲部屋は拷問部屋同然だった。気性の激しさゆえにここでも兄弟子たちとしょっちゅうトラブルを起こしたが、シャバと違ってその都度何倍ものお返しが待っていた。酒の飲みすぎで門限に遅れて、親方(元横綱・吉葉山)からこっぴどく痛めつけられたこともある。

 ちょうど幕下の時分、十両の兄弟子から交際していた女性を寝取られたことがあった。褌担ぎと関取では天と地ほどの差があるにもかかわらず、陸奥嵐はこの兄弟子を呼び出してヤキを入れたというから恐ろしい。兄弟子が弟弟子に制裁を加えることはあっても、逆の例は稀であろう。


 序ノ口時代にはたまりかねて脱走するも、一日で連れ戻され、ようやく覚悟を決めた。生来の負けん気の強さと運送業で鍛えた腕力で、大型力士でも力づくで振り回す豪快な取り口を完成させ、昭和四十年秋場所に幕下優勝して関取になった頃から、「東北の暴れん坊」と呼ばれ始めた。


  陸奥嵐の立ち合いは実に個性的である。背を反らし気味に顎をとがらせて突っ張ってゆく姿は、一番星桃次郎が「やんのか、コラ」と顔を突き出して喧嘩相手を挑発している姿そっくりで、見ようによってはユーモラスでさえある。

 学生時代の通知表に「人を笑わせて困るので、注意してほしい」と記されていたほど、素は茶目っ気たっぷりなだけに、個性的な立ち合いも計算づくだったのかもしれない。さすがに仕切りの最中に笑うような不届きな力士はいないが、実は笑いをこらえて集中力を切らしてしまった対戦相手もいたのではないかと想像する。もしそうであれば、この男、大変な策士である。


 相撲は顎を引いて取るのが常識なだけに、こんなに顎を上げて相手の張り手を喰らったら相当なダメージを受けるはずだが、この癖は全く直らないまま三役まで務めたのだから大したものだ。親方からも散々注意されたそうだが、顎を引くと稽古場でも全く勝てなくなってしまったため、匙を投げられたという。

 体重は一一〇キロ台という軽量に対して背筋力が二八〇キロもあるため、本人も反り身になった方が力が入るようで、天井を見上げるような吊りや、抱え込んだ相手を呼び戻しのように空中で反転させて投げ捨てる豪快な掬い投げは陸奥嵐ならではのものだった。

 同郷人であり、同じく自分より大きな相手を力任せにねじ伏せる相撲で一時代を築いた若乃花の相撲を彷彿とさせることから、若乃花2世の声がかかったこともある。

 もっとも、「土俵の鬼」とまで恐れられ土俵の上では殺気に満ちていた本家に比べると、こちらの方は顔は強面でもいくらか愛嬌があり、土俵の上でもじっくり攻めるというより思いつくままに次々と色んな技を繰り出すといったタイプだった。

 親友だった龍虎曰く、「後頭部に禿があるから、髷が乱れるのを恐れて四つ相撲は取らない」とのことだが、実際のところ、あえて組まずに勝負をつけようというところはあった。組むのがよほど嫌なのか、片方の褌を取られるといきなり身体を開いて小手に振ることが多かったが、怪力と遠心力で振り回す小手投げは迫力満点で、不利な体勢からでもよく決まった。

 反面、体勢が崩れてもいない相手を強引に投げようとするあまり、身体を寄せられてそのまま押し出されたり、寄り切られたりすることも多く、勝ちを焦る傾向があるのが玉にキズだった。

 とにかく立ち合いの気迫が凄まじく、常に喧嘩腰で立ち向かってゆくのだが、気合が入りすぎて空回りするところなど、トラック野郎星桃次郎そのものだった。


 腰高で脇が甘いぶん、スピードのある貴ノ花や富士桜には一方的にやられていたが、琴桜や高見山といった重量級をも苦しまぎれの首投げで仕留めるほどのパワーは魅力十分だった。

 最大のライバルは、同じく小型軽量でありながら幕内屈指の腕力を誇る若浪で、両者の対戦は必ずといっていいほどがっぷり四つからの吊り合いだった。普段は組ませない相撲を徹底しているくせに若浪とだけはお決まりのように組み合うのは、幕内随一の怪力を競い合う二人だけに、互いに力相撲で勝負を決することにプライドを感じていたのだろう。

 対戦成績は九勝六敗で陸奥嵐に軍配が上がっているが、勝った決まり手のうち六番が吊り出しで、負けのうち三番も吊り出しだった。

 

 四十二年初場所に十両優勝して春の大阪場所から幕に上がった陸奥嵐は、いきなり四股名のとおり嵐を巻き起こした。

 この場所、序盤から中盤にかけて台風の目となったのは、横綱佐田の山、大関豊山、関脇琴桜、麒麟児といった上位陣を連破した藤ノ川(前頭四枚目)だった。

 陸奥嵐(前頭十四枚目)の方はといえば、顎の上がる欠点から幕内では通用しないと見られていたうえ、序盤に二つの黒星を喫していたため、中盤まで完全にノーマークだった。

 ところが、十日目にここまで一敗の藤ノ川を突き落としたのを機に俄然調子づき、千秋楽まで北の富士と優勝争いを繰り広げた。千秋楽では柏戸を破った北の富士が十四勝一敗で初優勝を飾ったが、陸奥嵐の方も北の富士の新入幕最多勝利記録に並ぶ十三勝二敗で敢闘賞に輝いた。この場所、支度部屋にあった陸奥嵐の座布団に墨痕鮮やかに「嵐を呼ぶ男」と書かれていたのは偶然ではない。


 この番狂わせの活躍ぶりで、十二勝三敗で技能賞・殊勲賞をダブル受賞した二十歳の藤ノ川とともに次代のホープとして注目を浴びるようになった陸奥嵐だが、両者は相撲の取り口から性格、容姿まで対照的で、口数も少なく品行方正な藤ノ川が善玉ならば、リップサービス旺盛でふてぶてしい大酒飲みの陸奥嵐はまさに悪玉だった。

 普通の力士ならば、初の三賞受賞ともなれば感激に咽ぶ姿には初々しささえ伺えるところだが、陸奥嵐ときたら賞金で酒が飲めることを喜んでいたというから肝のすわり方が違う。

 中卒で即角界入りする力士がほとんどの時代にあって、トラック野郎あがりの陸奥嵐は実社会で揉まれてきただけに、自分の売り込み方も心得ていたのかも知れない。「今牛若丸」と謳われたスピード感溢れる取り口で人気を博した藤ノ川が意外に伸び悩み、貴ノ花という十代のプリンスに人気者の座を奪われて二十六歳の若さで土俵を去ったのと比べると、浮き沈みの激しい土俵生活を送りながらも、陸奥嵐はその強烈な個性ゆえに三十四歳で引退するまで輝きを失うことはなかった。

 勝っては飲み、負ければその憂さ晴らしに勝った時以上に飲むという悪循環の影響か、好不調の波が激しく、二桁黒星と二桁白星を繰り返したため、三役を連続で務めることは一度もなかった。

 昭和四十六年春場所の東関脇をピークに成績は下降線をたどり、四十九年九州場所には十両まで陥落したが、ここから復活してさらに何度も見せ場をつくったのは見事というほかはない。

 久々に十両で相撲を取った四十九年九州場所は、史上初の四股名が五文字の関取となった十九歳の若武者「ウルフ」こと千代の富士が、播竜山、隆の里と三つ巴の十両優勝争いを繰り広げていたが、十四日目に対戦した陸奥嵐は豪快な切り返しで千代の富士を叩き伏せ、優勝争いから引き摺り降ろしてしまった。

 さらに翌五十年初場所でも、後の横綱、千代の富士、隆の里をともに下手投げで一蹴し、先輩の貫禄を見せつけているが、陸奥嵐は決して上位キラーというわけではないにもかかわらず、後に綱を張るような若手のホープとの初顔には不思議と強かった。輪島、北の湖といった超大物から北の富士、琴桜、三重ノ海、若乃花(二代)まで、都合八名の将来の横綱がいずれも初顔で陸奥嵐に屈しているのだ。

 しかも、このうち二桁優勝記録を持つ北の富士、北の湖、千代の富士には初顔から二連勝しており、強きを挫く陸奥嵐の面目躍如たるものがある。

 十両時代も含めれば、陸奥嵐は新旧十二名の横綱と対戦し、その全てから勝ち星を挙げており、これは同じく新旧十二名の横綱から幕内対決で勝ち星を挙げた照国に匹敵する記録である(幕内対戦に限ると十名で、これは羽黒山とタイ記録である)。

 そのほとんどが相手が横綱昇進前の取組とはいえ、将来綱を張るほどの力士であれば、若くとも大物の片鱗は見せていたはずで、勢いのある若手の挑戦をことごとく跳ね返した陸奥嵐の気迫と矜持には頭が下がる。


 昭和五十年春場所から幕内に復帰してからの陸奥嵐は、相変わらずの脇の甘さと年齢的なもたつきぶりが目立ち、先に褌を取られて相手十分になる場面が多くなったが、その追い詰められた状況からの鮮やかな逆転勝ちが観客の目を釘付けにした。

 彼が新たに活路を見出したのは足技だった。

 類稀な背筋力を生かした切り返しはすでに名人の域に達しており、柏鵬からもこの大技で金星を獲得しているが、これに加わったのが掛け投げと河津掛けである。

 掛け投げも現在では滅多にお目にかかれないが、河津掛けとなるともはや絶滅危惧種に等しい。

 ところが陸奥嵐は幕内復帰後に掛け投げで二番、河津掛けで四番も勝っており、力士生活の晩年は、陸奥嵐が不利な体勢になるほど観客が盛り上がるという不思議な現象が起こった。

 河津掛けは、相手に背後を取られた絶体絶命の状況から、絡めた足を跳ね上げるようにして背後に反る技である。襷反りのように相手の懐に入っていれば、腕の力と膝のバネが使えるからまだしも、身体が起きて腰も伸びた状態からとなると腰の回転だけで背後に密着した相手を投げなければならず、この体勢から逆転するような相撲など、年に一度見られればいい方だろう。

 これほど難易度の高い荒技を五十一年初場所では四日目、五日目と二日連続して決めているのだから、もはや達人の域である。中でも陸奥嵐の晩年を飾る最高の一番といえば、五十年名古屋場所十一日目の大関魁傑戦であろう。

 突っ張り合いからの中途半端な左小手投げを踏ん張られて背後に回り込まれた陸奥嵐が、魁傑が左で褌をつかもうとした瞬間、身体を背後に捻りながら絡めた足を跳ね上げると、一九〇センチ近い魁傑の巨体がきれいに宙に舞ったのだ。

 魁傑はやや腰高のきらいはあるものの鈍重な大型力士ではない。かつてはオリンピック候補と目されたほどの柔道の猛者だけに、体幹も相当に鍛え上げられているはずだ。おそらく柔道家時代もこれほど有利な体勢から投げ飛ばされた経験はなかったのではないだろうか。

 魁傑は平幕時代にも陸奥嵐から柔道家のお株を奪うような掛け投げで敗れたことがあるから、案外陸奥嵐の方が柔道のセンスがあったのかもしれない(通算対戦成績は陸奥嵐の三勝二敗)。

 

 私生活でも喧嘩早いのが災いして、昭和五十一年には歓談中の暴力団組長と口論になり、組員から威嚇発砲されるという騒ぎを起こしている。この不祥事が引き金になったのか、春場所で二度目の十両陥落が決定したのを機に引退に踏み切った。

 性格的に指導者には不向きだったようで、彼が興した安治川部屋からは一人の関取も輩出することができなかったが、健康上の理由で廃業するや、突如奮起した弟子の陸奥北斗が幕下優勝して十両に昇進した。


   

陸奥嵐はかつての安治川親方であり、現在の安治川といえば安青錦である。安青錦の運動神経からすれば、

陸奥嵐の必殺技、河津掛けもマスターできるのではないだろうか。幸い、現安治川親方は往年の業師安美錦

だから、久々にこの大技を土俵で披露するのに一役買ってほしいものだ。なお、Youtubeで陸奥嵐の河津掛けが見られる思うので、是非この芸術的な荒技をとくと鑑賞していただきたい。

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