気まぐれなんて起こすもんじゃない
道徳的にいろいろとアレなんでお気をつけください
この話の主人公であるミサキはビッチである。淫売とか、売女とか言い換えてもいい。いきなり何を、と思われるかもしれないがここから先の話を進めるためにどうしても必要な部分なので頭の隅に置いておいてほしい。
ちなみにこのミサキと言う名前は本名ではない。では本名はと問われるとそれはここから先の話にほとんど必要がないので語っても仕様がない、と返させていただこう。ミサキとはそんな女である。さて、そんなミサキの本職は普通の会社の事務員である。特に目立つでなく、ミサキの時のように男漁りをしているわけでもなく、当たり障りなく日々を過ごし人よりちょっと要領のよい社員生活を送る有り触れた女。なぜ会社ではそうかと言うと、それは偏にミサキが学習したからである。自分の貞操観念が一般から見ればありえないほど軽いと知らなかった学生時代に巻き込まれた修羅場は十や二十ではきかない。ただミサキに言わせれば一回誘っただけであっさり乗った男にも問題はあるだろうと―――まあ、そう思っていても口に出さない程度の分別はあった。そして、その面倒な修羅場や痴情の縺れの場数をこなすうちにきちんと学習したのである。とりあえず、誰かまわず近場で漁るのは良くない、こちらが気にしなくてもあちらが気にする。伴侶や恋人がいるのも良くない、一晩の付き合いと割り切っていてもどこで火がつくかはわからない。交友関係が広いのも良くない、どこでどう話が捻じ曲がるかわかったもんじゃない。相手を絞るのは以ての外、お互いに勘違いをすると悲惨極まりない。
以上の学習をもって、ミサキは安全にビッチライフを過ごしていた。しかし、何にでも例外はあり人間にも気まぐれはある。その日ミサキが起こしたのはまごうことなく気まぐれで、しかも、致命的な間違いだった。それも、気付いたときには手遅れな類の。
その男は会社の同僚だったとミサキは回想する。不思議な男だった。仕事はそこそこできるし見た目も見れないものではないのに奇妙なほど人の目に留まらない男。名前さえ耳にしたことはない。けれど何度か仕事はしている。なのに名刺のやり取りすら覚えにない。そも、仕事ができると知っているのにどの部署かすら知らない。だが皆が親しげに話しかけている。しかし記憶に留まらない。それでもちらほらと恋人や仕事ぶりの話だけは流れてくる。そんな男と知っていてミサキが声を掛けたのは純然たる欲求不満と興味と気まぐれだった。ちなみに、後でもんどりうってこのことを悔いるのだがそれはまた話が進んでからなので置いておこう。この時のミサキははっきり言ってどうかしていた。残業で3徹の影響もあった。自分の中の経験を2つも無視してしまったのだ。近場で、恋人もちの噂がある男なんて正常な判断力があれば決して誘わなかった。しかし残業で3徹、男漁りに遠場に行く余裕もなし、性欲と疲れだけは溜まっていく状況。判断力など最低に落ちた状態で2人きりになったとき、つるりと口から出たお誘いに男は戸惑ってから頷いた。その結果、ミサキはとんでもない非日常に巻き込まれることになる。
1晩を過ごした後、男は消えていた。姿だけではなく、存在もろともごっそりと。男が何者なのか?考えると恐ろしい気がしてミサキはそれを忘れることにした。忘れることにしていたのだ。数ヵ月後、自分の腹が膨らんでいる感覚に気がつくまでは。しかもおぞましい事に見た目には何事も起きていない。ただただ腹の中が膨れていく感覚だけが厳然としてある。恐怖である。しかも急速に膨らむ感覚であり、十月十日の人間の常識を鼻で笑われるレベル。わが子への愛おしさとかそれ以前に腹の中身が人間でない予感に冷や汗が流れる。ひいふうみいと数えてみれば該当するのはピル飲んだしゴムもつけてもらったはずのあの男の性交しか思い当たらない不思議。むしろ恐怖。
見た目は変わらないが腹に子供が宿っている感覚など人に言って信じてもらえそうにもないよって産休をもらうわけにもいかない・・・のだが、ミサキはこれまで真面目だった。そして、趣味は男漁り以外には本だのネット小説だのを読みふける位しか趣味がなかった。結果どうなるか?有給が山ほど溜まっていたのである。まさに良い意味での因果応報。過去の自分を褒めつつギリギリまで働いてミサキは自宅で1人で出産した。なぜかそれでも平気だという確信があった。まあ確信がなくとも腹が膨らんでいないのでそれ以外に道はないのだが。堕胎も腹が膨らんでいない以上胎児が現代機器に映らない可能性が大。想像妊娠にしても腹が膨らんでいないのだから・・・どうもしていないのに黄色い救急車を呼ばれる覚悟などミサキにはない。誰だってない。そんなミサキの葛藤を置き去りにして子供は生まれた。必死にネットをググッたりして自宅の浴槽での出産である。奇妙なことに生まれた赤子は誰にでも知覚できるようだったのでミサキは仕方なしに「遠縁の子なのだけど家族が今ごたごたとしているらしくて・・・」そう誤魔化し誤魔化し育てざるを得なかった。だって赤ん坊。なにせ赤ん坊。無邪気に懐く子供にほだされる程度にはミサキは母性を持ち合わせていた。有給を使って育てた赤ん坊はこれまた異常な成長速度を誇り、瞬く間に手を離せる大きさになった。具体的に言うと溜まっていた有給は使い切られなかった程度の速さだ。外見年齢から見て6歳くらい。これ教育の義務引っ掛かるんじゃないのとミサキは思ったが戸籍に登録していいかすらわからないので諦めた。彼女は一般市民なので超常現象への行政の対処がどうなるのかなどわからない。
育児に仕事に男漁り(こればっかりはやめられないがだからといって子育てに手を抜くことはしていない)にと忙しなくも本人にとっては充実した生活を過ごす内に、子供はついに15を数える見た目に成長。名前はミサキが海の岬から来ているからという謎の理由で海と呼んでいる。ちなみに10くらいの見た目から成長は徐々に緩やかになり、何だかんだで一年は経った。すっかりと不思議なわが子にも馴染み、学校に行かない代わりに昔の教科書などを引っ張り出して一般常識やらなにやらを教えたりした一年を振り返り振り返り、ミサキは憤った。この一文で先の展開、別の言い方をすればここからの本題がなんとなくお分かりいただけたかもしれない。そう、例の不思議な男が来たのだ。あたかもあの時から大して時間が経っていない体で玄関のチャイムを鳴らし、巨大な見たこともない花の花束を持って。ミサキの第一声がくたばれ、であったのも仕方ないだろう。男は一瞬あっけに取られた後かなり傷ついた顔をしたもののミサキは一切気にせずに言葉を重ねた。
「今すぐくたばれ、さもなくば帰れ」
ミサキはこの上なく本気だった。言うまでもない。どんな不思議技術を使ったかは知らないが妊娠すると知っていればミサキは決して男と寝なかった。それは単純にあの時点でミサキにお金がなかったからでありお互いに夫婦になる気もなかったからだ。そしてミサキはなんとなく感づいていた―――こいつ、こうなるとわかってて黙ってた、間違いない。そしてそれは正解である。男はハッと何かに気付いてから全身全霊を込めて誠心誠意土下座し、ようやく家に入ることが叶った。出されたのは水のみである。水道水である。コップに入ってるだけマシなのかもしれないというほどピリピリした態度を隠そうともしないミサキに、出された水を飲むことなく男は再度土下座して自身の事情を話し始めた。
ちなみにこの時点で海は外に遊びに行っているので大人の汚い事情など知る由もない。
まず、男が打ち明けたのは自分が人間ではないと―――だろうなあ、とミサキは頷いた。そうでもなければ説明がつかない不思議現象が起こりすぎている。続きを促すミサキに男は土下座のまま続けた。男は、本来異世界のいわゆる魔族というものであり、人の感情を食うものであるという。しかし、彼の住む世界の人間は一度滅んでおり今は大きく感情を揺らすほど、複雑に絡み合う感情が育つほどに発達した文明がなく仕方なしに異世界に渡り人の群れに混じって感情を食って生きてきたという。ちなみに夫婦という概念はないらしいがこの男は最も人間に親しんでいるためかそのあたりの責任もキチンと取ってきたのだという・・・今までは。しかしミサキはどうやら体質的に合わなさすぎて子供が育つのが遅く(本来なら三日で生まれる、とのこと)、妊娠に気付くのも遅れたという。さらに男の種族、魔族が長命であり異世界に故郷があったのも災いした。事情があって元の世界に戻った男の時間感覚では十年は一日に満たないほどの僅かな時間で、更に世界同士で流れる時間が違ったのだ。そして再びの来訪で血族の存在を感じ取り最初のミサキと同じようにひいふうと数えて真っ青になり(この時点ではまだ時間感覚が違うことを失念していたので妊娠しているとしか思っていない)慌ててこちらでも栽培していた故郷の花を持ってきたとのこと。ちなみに住所は一応性交の翌日に会社のパソコンから見たとか・・・聞いているだけで気が遠くなる話である。ミサキに言わせればふざけるなの一言であろうが。しかし男にも事情があったことは理解し、彼女は溜め息一つでそれまでの緊張感を霧散させた。余談ではあるが遠場で男漁りをしているうちに知らずそういった筋とも関わったことも多いのでミサキの根性はかなり据わっている。今回こんな荒唐無稽な話に付き合えているのはそれも大きい。
仕切り直し、と言わんばかりに今度はきちんとお茶を入れて持ってくる。手付かずの水はもったいないのでミサキがそのまま飲んだ。べろりと唇を舐めてミサキは男を見据える。
「それで、どんなつもりで来たんですか」
特に睨まれたわけでもないが男は萎縮し、消沈した様子でミサキに言った。
「責任を取りたい。結婚してくださいませんか」
「お断りします」
即答だった。ミサキは自分の性分をよくよく知っている。結婚したところで貞節など尽くせないのは目に見えているしなにより根っから他人と生活することに向いていない。今までにも実は何度か告白なり求婚なりそういったことはあり、それは大体仕事の事情で一人に絞らねばならなかったときに起きている。ミサキは節操がない分大らかで包容力のある女だから、長く付き合うと絆される相手が出てくるのだ。かつてまだ子供の時には相手の熱情に流されるままに付き合ったこともあった。そして破綻した。一人の男のために生活を変えることがどうしてもできない。多情で奔放な、絶望的なまでに縛られない性質。いつかどこかで古い―――地母神系列の女神っぽいよなあとゲーマーだったらしい男に言われたのを思い出して唇の端に苦笑が滲む。そんな高尚なモノではない。ミサキは他人に合わせるのが大嫌いなのに、滑稽なほど寒がりなだけだ。だから一晩でいい。一晩だけ温もりがあれば生きていける。その考えが海によって些かも変わらなかったといえば嘘になるけれど。
「私、夫は要らないんです。と言いますか、夫が要らないんです」
子供を愛おしむその姿は母親であるけれど、妻にも恋人にも向かないと笑う。ミサキの明確な拒絶に男はゆったりと顔を上げた。
「・・・これは、自己満足だと思ってくれて構いません。ですが我々の子供には父親が―――いや、俺の種族の育て方を知る者は必要だとは思いませんか?」
男の言葉にミサキは言葉に詰まる。事実、海の成長は人間とは明らかに違う。もしかすると男にしかわからないようなものが健やかに育つために必要かもしれない。これがたとえば、可愛がるだけでいい玩具ならばミサキは躊躇うことなく断っただろうが海はミサキにとって都合のいい玩具ではなく、生まれて初めて真っ当に共に住める生き物だった。それがどれだけ嬉しかったかはミサキにしかわからない。だからこそあるかもしれない事実に絡め取られてしまったのだ。
「…わかりました」
決断は一瞬。沈痛な面持ちでミサキは額に手を当てた。
「結婚、しましょう」
事実上の敗北宣言及び、ミサキの予想においては最悪の結末だった。それがそうでもなかったことは後にわかるのだが今の状態では一人の男しか相手にできないという現実に目の前が真っ暗である。海が大事な私のため、海が大事な私のため、ここで海を見捨てたら死にたくなる私のため、心中必死に言い聞かせて精一杯の笑顔を作ったミサキに男は満面の笑顔を見せた。
ここから始まるミサキさんの子育てスロウライフ




