ここで一句 2
長いですが、散文詩ではありません。
ノンフィクション成分濃いめにしてフィクションとしてのスケッチです。
晴れているとも云えない、曇っているとも云えない、陽光はありながらに空は霞んで見える気持ちの悪い夕方。
西側の山の向こうで、のっぺりと空に拡がる平たい雲の一部が、其処だけ「腫れた」というふうにもりっとしている。入道雲になろうかどうしようか、悩んでいるかのよう。そんな悩みは吹き飛ばし、いっそもりもりと膨れ上がって、夕立になってくれれば涼しくなりそうなのだが、この空の霞みっぷりからすると、期待できない。
かと云って、じりじりと突き刺してくる陽光も無いものだから、ひたすらじめじめと蒸す。多分、今日はこの後、夜のほうが辛いだろう。あの霞んだ雲は夜も、朝から熱し続けた地上に蓋をする。
少し、風が吹いてくるのだけが幸いだ。
鞄に入れていたコードレスのイヤホンを取り出して、片方を耳に差し込んだところで、
「おーい」
と後ろから声を掛けられた。
校門を一歩跨いだところで振り返ると、学校指定の半袖体操服を着たクラスメイトが、右手で自転車のハンドルを握り、左手を振っていた。
こちらも手を振り返して、イヤホンは――こちらも学校指定である膝丈ジャージの――ポケットに入れ直した。
自転車を押して近づきながら、
「そっちも今終わり? 一緒に帰ろ」
と、当たり前のようにサラリと云う。
いつも示し合わせて一緒に帰るようにしている訳ではないから、誘いの言葉がある。だが、通学路が同じなので、部活終わりが同じになったりでタイミングが重なった時に、断る理由も無い。
「ちょっと寄り道するけど、いい?」
帰宅方向が同じなのだから、自然と同じ方向に歩き始める。寄り道する場所も、家路の途中だ。
「寄り道? お使いでもあんの?」
田舎町に住むこの二人の中学生にとって、「誘惑」になるような店や施設などは無い。あって道の駅のソフトクリーム、そうでなければ、スーパーマーケットくらい。
「お弁当買って帰る」
昔国道だった県道、新しく国道になったバイパス、その二つを繋ぐような格好の新しい県道――それが二人の通学路あるいは家路の一部である。
そんな道路の傍に数年前、自分達にとって「お姉さんお兄さん」くらいに見えるご夫婦が、弁当屋を開いたのだ。帰郷なのだか移住なのだか知らないが、この過疎の田舎で新しいお商売を始めてくれるとは奇特なご夫婦だと、親世代や祖父母世代は随分有り難がっていた。
農家をやっている親や祖父母とも暮らしている身からすると、そういう外食は滅多に縁が無いけれども、立地が需要に応えているということなのか、学校帰りの今の時間帯だと、トラックの運転手さんだとかが出来上がりを待っているのをよく見かける。そういえば、仕事帰りらしい、同級生のお母さんと出くわして挨拶を交わすこともあった――かなり人口が減った過疎の田舎町である、「食堂」でなく「弁当」というのが良かったのだろう。この店が出来る何年か前に唯一残っていた仕出し屋さんが廃業して、農協や役場、土木・建築現場等、ある程度の人数が集まることになる職場の昼食が難儀していたという事情もあり、繁盛しているふうだ。
「祖母ちゃん、どうしたん?」
自転車を押しているほうが小首を傾げた。ほんの微かだが、眉尻が下がった表情になっている。弁当を買う、と云った同級生の家族構成と家庭内の役割を大体知っているので、自分でも気付かないうちに何かを心配するような顔になっていた。
家業が農業で基本父ちゃんと祖父ちゃん、母ちゃんはこの町から車で一時間掛かる県庁に勤める公務員……「家事」の主体は祖母ちゃんが担っている筈で、帰宅後の夕飯は、本来、祖母ちゃんが作ってくれてる筈じゃないのか?と。
自分達の祖父母世代が、手術するだの、こけて骨折っただのは、よく聞く話だ。
信号待ちで立ち止まり、その隙に通学鞄を探って財布を取り出しながら、「心配されるようなことではない」と云うふうに苦笑を見せて、「いやいや」と財布ごと手を振る。
「まあ、めでたい話ではないんだけど、うちの祖母ちゃんに何かあった訳じゃないから、心配しないで」
歩行者信号が青になって、渡りながら云う。
「祖父ちゃんの姉ちゃんの旦那さん――えーと、だから、祖父ちゃんから見て義理の兄ちゃん、お父さんの伯父さんが、亡くなったん。祖父ちゃんと祖母ちゃんとお父さんが、泊まりがけでお通夜とお葬式に行くから。今日の夕飯は自分の分を買えってお金貰った」
成る程、と頷きつつも、質問してきた級友の表情は、少ししんみりしていた――実際、めでたい話ではないが、関係性を聞いてしまえば、いつか来るべきことが来た、とは納得出来る、故に「心配は不要」な非日常なのだな、と飲み込む。
信号を渡って少し歩き、弁当屋が見える。
この弁当屋は、厨房に窓が付いているだけ、という店舗で、客が「入店」する形にはなっていない。張り出した庇の下に食券販売機とベンチだけがあり、客は注文後、店舗の周辺で出来上がりを待つ。
二人が店の前に辿り着いた時、丁度、白シャツにネクタイ、背広を腕に掛けたサラリーマン風の男性が、「ありがとうございました」の声と共に店名のロゴが入った袋を二つ受け取っているところで、ベンチには一人、自分達の母親に近い齢に見える女性が座っており、スマートフォンを耳に当て「おかずは買って帰るから、炊飯器のスイッチ入れてて」などと云っていた。
その女性の声に「おかずだけの注文も出来るんだ」と、二人ともが声に出さず胸の内だけで「へぇー」と嘆息する。
接客用の窓の上にメニューが写真付きで並んでいる。自然と、やはり二人ともが、視線を上に向けた。一人は注文をしないのだが、「じゃあバイバイ」と別れる気は無い。冷やかしになってしまう側もこの弁当屋を利用したことは無いので、好奇心があったのだ。
当然、今日このとき、この弁当屋に用がある当人は、一層、目をキラキラさせてメニューを見ている。
「お奨めは豚バラ丼……」
「やっ……ば!」
多分蒲焼き風の、甘辛醤油を焼き付けた薄切り肉が米を覆って、一口分箸で持ち上げている写真――育ち盛りで部活帰りの中学生の食欲を、残酷と云いたくなるほど煽ってくる。
塩鯖弁当、エビフライ弁当、のり弁当、等々「如何にも」なラインナップもあるが、目が向かない。鶏唐揚げ弁当、とんかつ弁当辺りは少し悩ましくて目移りするが……、その辺りは祖母がおかずとして作ることもある。この店の味はどんなものか気になるけども、それこそ、おかずだけ買って帰ることを親や祖父母に提案した方が良い、と考え直す。ご飯は、自分ちの田で取れた米ので良い――今までの人生で経験した「外食」において、定食の「白御飯」を美味しいと思ったことが、まだ無いのである。カレー、オムライス、ピラフ、丼物と、「米に味が付くメニュー」ならば、そこまで敏感に肥えた舌でもないから、ちゃんと「美味しい」と思ったことはある。
店の側も「豚バラ丼」を自分の店舗の「一押し」にしているのだ、初めての店でソレを避けるほどひねてもいない。
何より、先程サラリーマン風の男性が離れた後、まだ開いたままの窓から漂ってくる匂いが堪らない。もしかして、油を敷いたフライパンで焼いているんじゃなく、炭火で炙っているのじゃなかろうか。同じ醤油の焦げた匂いでも、祖母が台所のガスレンジでフライパンを使って焼く照り焼きハンバーグのそれとは全く違うし、去年の夏休みに、キャンプでやったバーベキューの風景が何故か脳裏に過ったので、「炭火」と思ったのだろう――。
「トッピング、どうしようかなぁ…」
「あ、すいません」
後ろから、がたいのいい男性がやってきて、メニューをちらりとだけ見上げてから、食券機に近寄ろうとしたので、自転車ごと少し下がる。
そろそろ客が増えてくるようだ。ちらっと駐車場のほうを見ると、新たに大型車が入ってくるところだった。
慣れた様子で食券機のボタンを押す男性は常連らしい。もう何を頼むのか決まっているのだろう。それでもメニューを見上げたのは、「本日売り切れ」ラベルが付いていないかどうかの確認かもしれない。
初めての利用でまだ悩ましい二人の中学生は、邪魔にならないところまで離れ、改めてメニューのリストを眺めた。
プラス五十円から百五十円の間で、何種類かトッピングが選べる。
「絶対コレ」
自転車を支えたほうが、自分だったら、という意味で、期間限定の「ハラペーニョ・サルサ」を指差した。その連れは思わず顔を顰めた後、苦笑した。
「無いわー」
期間限定じゃないキムチですら選択肢に入らなかった人間には、あり得ない。そこまで「辛さ」を前面に出していない「ズッキーニとトマトのサルサ」で終わっていれば、今のじめじめ蒸し暑い感覚に、爽やかさを主張して合致したかもしれないが……。
納豆……これは、買って直ぐ食べる人のためのトッピングだろう、それこそ、今駐車場に入ってきた大型車から降りてきた人のように、仕事場で昼食・夕食、というライフスタイル用の。自分だったら、家に帰れば冷蔵庫に定番の納豆があるから、トッピングをしたければそっちで良い。
チーズ、ごま増量、山かけ、温玉、――ほうれん草のごま和えときんぴらごぼうは、トッピングと云うより付け合わせのようだが。
「あー、無しでも良いかな、トッピング」
「え、なんで? お金は貰ってるんなら、頼めば」
家族構成もライフスタイルも似通っている二人であるから、この「外食」が「珍しい」ことであるのを良く理解している。どうせなら、滅多に無い非日常的体験を最大限受け止めればいいのに、と目をぱちくりさせた。
「お釣りは小遣いにして良いって云われたから」
財布から千円札を出しながらの苦笑を伴う返答に、「あ、成る程」と納得し――付き合ってメニューを見ていると、いよいよ目の毒になってきたので、自転車のハンドルを両手で握り直し、振り返ってそっぽを向く。
――どのトッピングを選んでも千円で終わるが、普段、ジュースやアイス、お菓子等の買い食いに家族からいい顔はされないので、ここでトッピングは我慢して、炭酸飲料のペットボトルを堂々と買うんでもいいかな、という気もしている――と、
「なあ、ちょっと見て」
斜め後ろから、軽く肩を叩かれて振り返ると、友人は何だか、僅かな興奮と驚きが綯い交ぜになった表情をしていた。
何を、という顔が反射的に浮かんで、肩を叩いてきた手は、西の方角の空を指差す。
夏至を十日過ぎたくらいだ。
西側に見える代わり映えしない山並みであるが――この時刻、他の季節なら別の峰に掛かる直前、あるいは既に別の峰の向こうへ隠れる太陽が、若干北寄りの峰のまだ上、高くにある、――それが、ちゃんと分かる。
じりじりと日差しが突き刺さるようだった昨日なら、太陽を「見て」なんて云わないし聞けなかっただろう。
それが、くっきりとしたまん丸の輪郭で、浮かんでいた。
春なら、黄砂や霞でこんなふうに「見える」こともあるが、
「月みたい!」
「この時期に、こんなの、初めて見た」
夕焼けのオレンジでも無い、高い位置にまん丸で白い「太陽」だから、いよいよ、生まれて初めて見た気がする。
連れが少しばかり興奮の混じった表情だったのが、理解出来た。
――ただ、そんな珍しい風景が何故かを考えれば――この後の蒸し暑さを予想して、二人とも、うんざりした溜息が漏れた。
もう一度メニューを振り返り、食券機の使い方――それは注文の仕方――を教えて貰って、初めての経験に少しばかり緊張しながら、札を投入口に差し入れてボタンを押す。
自転車を支えた連れは、結局いつも通りの分かれ道まで付き合ってくれるようで、品を受けとるまでも駄弁りながら一緒に待った。
「トッピングは結局、どうしたん?」
「温玉」
温泉卵は家で作るのが難しいと、祖母や母が云っていたのを思い出した。だったら、それを生業としている人が提供するものを食す、この機会を逃す手は無い、と思ったのだ。
番号札の数字を、窓から呼びかけられて近づき、温玉のせ豚バラ丼が入った袋を受け取る。
並んで帰路に就く。随分「ほくほく顔」になっていたのか、自転車を押している方が、
「なんかムカつくくらい、いい顔してる」
などと拗ねた声で云った。
「あー、楽しみ」
わざと嫌みったらしく浮かれた声を出すと、
「そりゃそうでしょうねぇ! もー、良い匂いがこっち来て、堪らん」
同じく、わざとらしい大げさな嘆き節が返された。
「これでうちの夕飯がそうめんだったりしたら泣く」
「夕飯がそうめんのことあんの。夏休みの昼ご飯ならまだしも」
「今日みたいに蒸し暑いと、あり得る……トマトどっさり切ったやつをツナで和えてのっけたの、とか」
「へえー。……お昼になら、食べたいかも」
「でもさ、今日は、せめて魚じゃなくて、肉味噌和えたのが良いなあ。もう口の中が肉!」
何のことはないことを喋りながら、いつもの家路の分岐に辿り着き、
「バイバーイ」
「バイバイ」
自転車を漕いで去って行くのを見送り、ポケットに手を突っ込んでイヤホンを耳に嵌めながら、歩き始める。
鍵は、勝手口のドアのを預かっている。
通学靴を玄関に持って行かなくてはいけないが、後でいい。
ダイニングテーブルに弁当の袋を置いてから、直ぐ隣の居間に入り、座卓に乗っていたエアコンのリモコンを取ってオンにし、通学鞄を一緒に卓に置く。当然、居間と台所を遮るガラス障子は開け放しておく。
流しで手を洗った後、流石に家にあるのが分かっているから割り箸を断ったので、箸立てから自分の箸を取り、冷蔵庫からは麦茶のボトルを取り出して、コップに注ぐ。
そこまでの一連の動作は、「あたふた」と形容出来るような忙しないものだ。
いつもなら、部屋着に着替えてから食事して風呂、の流れであるが、今Tシャツに着替えても、多分、それもまた直ぐに汗を吸って洗濯する羽目になる、体操服のままでいい。
普段なら、母親が帰ってくるのは、夕食の食卓に料理が揃うぎりぎりの頃だ。最近は選挙が近いせいで、少し遅くなっている。今は、いつもの夕食よりも早いくらいだが、待たなくても良い、と云われているので、全く遠慮せず椅子に座り、いそいそと袋からスチロール製の丼を取り出す。
母は、少なくともこの田舎町と比べたら都会の「県庁所在地」から帰宅するのだ。一つの弁当屋のメニューから「何」を選ぶどころか、コンビニチェーンなり弁当チェーンなり、何ならファストフードやファミレスのテイクアウトなど、「何処」の何、まで選ぶ余地がある。それを羨む気分もあるので、今、出来たてでまだ温かい豚バラ丼が冷めてしまうのを許容して待ってあげるほど、殊勝で優しい子じゃない自覚がある。
先ずは、麦茶をコップ半分がぶがぶと飲み、
「頂きます」
と宣言はして、わくわくしながら透明の蓋を取る。
茶色い肉のど真ん中に鎮座した温玉へ、ぷつりと箸を刺す。とろり、ほぼ液体ながら確実に生ではない黄身が溢れた。
肉は細切れじゃなく、短辺が二センチ、長辺が二〇センチくらいもある帯のような形だ。
海苔でそうするように、卵の黄身が絡んだ肉で御飯を包み、大きく開いた口に運ぶ。
ここで一句
サティ忌に温泉卵月のごと
――そう云えば、一人の夕飯も生まれて初めてのことだが、寂しいだとかの感傷は、この瞬間、全く無い。完全に、食欲が勝っている。
やっぱり、炭火と思ったのは間違い無かったようだ。フライパンで焼いたのとは全く違う匂いと香ばしさがあった。
最初の一口は肉巻きで行ったが、肉一枚分のボリュームが凄かったので、ご飯とのバランスが取れなくなる。
二口目からは、肉を囓る。ご飯をかき込む。囓る、かき込む。
最後の一口分の肉を使って、スチロール製の丼にこびりついた米と卵の黄色をキレイに拭い取り、口に運ぶ。
麦茶を飲み干してから出た、「ぷはーっ」という息は、我ながら、何とも満足げに聞こえた。
「ご馳走様でした!」
これも、食後の「挨拶」としてでなく、心から出た声だった。
明日の帰り、お弁当屋さんの店員さんにも「感謝」として云いたい気分になっているのだが、明日は、祖母ちゃん達も多分四時までには帰ってくると云っていたから、「客」になる訳じゃない、却って迷惑だろうか……?
取り敢えず、途中まで一緒に帰ってきた級友には、
「絶対、食べた方が良い! お母さんにおかず注文だけでもって、頼んでみ!」
と明日、云うつもりだ。
無責任ではあろうが、この感動を、共有したいのである。
2025.7.3
特別な名前が付いてる「○○忌」とか物凄い有名人とかじゃなくても、「何月何日」である命日というのは、季語と見なしてもらえ……ないんですかね、どうなんですかね?(汗)
色々と巡り合わせが絡んだ末、「2025年7月1日に、月のような太陽を見た」ことを記録しておかねば、という気になり、突発的に書きました。