死と再生
2037年、世界はウイルスに沈んだ。
それは最初、ただのインフルエンザに似た症状で始まった。だが、異常はすぐに明らかとなった。感染者の死亡率は極端に高く、ワクチンも治療薬もまるで効果を示さなかった。世界の都市は次々と封鎖され、人々は愛する者の名を呼びながら崩れ落ちた。混乱、暴動、政府の崩壊。人類の文明は瞬く間に崩れていった。
その死の中で、主人公・**白石 颯人**は35歳の誕生日を迎えた。そして、彼は静かに目を閉じ――
気づけば、彼は知らぬ天井を見上げていた。
いや、知っていた。見覚えがある。黄ばんだ天井に、母の鼻歌。これは――
「颯人、起きて!保育園行くよー!」
聞き慣れた声。母だ。死んだはずの母が、ここにいる。颯人は飛び起き、鏡の前に駆け寄る。そこにいたのは、あどけなさの残る5歳の自分だった。
「……なんで、こんなことに?」
だが、夢ではない。匂いも、感触も、すべてが現実だった。
そして彼の頭の中には、35年分の記憶――ウイルスによって崩壊した未来の記憶が、ありありと残っていた。
未来を変えるチャンスだと、彼は確信した。
数日後、颯人は決意を固めた。
覚えている出来事の中で、最も早く起こる「確実な災厄」――それが、4月20日に中東某国の日本大使館前で起こる爆破テロだった。
新聞にもテレビにも、今のところそれらしい話題は出ていない。だが、間違いなく起きる。死者は12名、そのうち日本人は4人。彼の記憶は詳細だった。
「警察に行くしかない……」
5歳の足で、ひとり警察署へ向かうのは至難だったが、決意は揺るがなかった。歩道を歩く大人たちの視線を感じながら、ようやく地元の交番にたどり着いた。
「すみません……おまわりさん」
中にいた警察官が驚いたように顔を上げた。ベテラン風の巡査部長と、若い警官が一人。
「どうしたの?迷子かい?」
「違います。あの……すぐに伝えないといけないことがあります」
彼は椅子に座らせられ、紙コップに注がれた水を差し出された。警察官たちは、子どもの「お話」に付き合うつもりで穏やかな表情をしていた。
颯人は、正面を見据えて言った。
「4月20日、中東のバレク国にある日本大使館の前で爆発があります。テロです。犯人は男性二人で、車に爆弾を積んでます。日本人が四人亡くなります」
沈黙が流れた。
若い警官が苦笑しながら、「テレビの見すぎだな」と小声で呟く。
だが、年配の巡査部長は少し眉をひそめた。
「君、その話、どこで聞いたの?」
「……夢で見ました。でも、ほんとです。お願いします、誰かに伝えてください」
巡査部長はその口調に、どこか尋常でないものを感じたのか、ノートにその話を書き留めた。
「名前は?」
「白石颯人です」
「おうちは?」
「〇〇町の団地です。お母さんと住んでます」
彼は、淡々と話した。5歳とは思えない口調で、事細かに日付と状況を語るその姿に、警官たちの表情が変わっていった。
だが――
「一応、担当部署に伝えておくよ。でも、今日はお母さんのところに帰ろうね」
それ以上の話は進まなかった。
数時間後、母が迎えに来て、彼は引き取られた。家に帰る途中、母は怒るでもなく、ただ困惑したようにため息をついた。
「おまわりさんに、変なこと言ったって……あんた、何考えてるの?」
「ごめん……」
本当のことを話すことは、もうやめよう。そう、颯人は思った。
そして――4月20日。
午後8時、日本時間。
ニュース速報が、テレビの画面を真っ赤に染めた。
《速報:バレク国日本大使館前で爆発。複数の死傷者か》
食卓でご飯を食べていた母の箸が止まる。颯人も、テレビに釘付けになった。次々と映し出される映像――燃える車、大使館の壁に走る黒煙、人々の悲鳴。
ナレーターが続ける。
「現地警察によると、死者は12名、日本人4名を含むとのこと……」
箸を持ったまま、母が彼を振り返った。
「颯人……これ、あんた……まさか……」
何も言えなかった。ただ、じっとテレビを見つめた。
その夜、母は電話をしていた。警察署にだった。
「……本当にあの子、言った通りだったんですか?」
短く相槌を打ったあと、母は受話器を置き、しばらく黙っていた。
そしてぽつりと言った。
「颯人。これからは、そういう話は、誰にでもしちゃだめよ。わかった?」
「……どうして?」
「人には、言わないほうがいい話って、あるの」
彼女の目は、優しさと不安が入り混じったような色をしていた。
数日後、あの交番の巡査部長――本田孝一が、団地に訪ねてきた。
「話、少しだけいいかな」
母は戸惑いながらも通し、颯人と本田は、リビングで向かい合った。
「……君の話、当たったね。本当に、全部」
「はい」
「正直に言ってくれ。君は、何者なんだ?」
颯人は迷った。だが、目の前の男が信用できる人間かどうか、五歳の頭ではなく三十五年の記憶を持った「経験」で判断した。
「全部話したら、信じますか?」
「聞く価値はある」
そして、颯人は語った。未来で何が起き、どれだけ多くの人が死に、何もできずに自分も死んだのか――。
本田は長い沈黙のあと、言った。
「わかった。ただし、誰にも言うな。君の話は、世間に知られた瞬間に“潰される”」
「はい、わかってます。信頼できる人を通して、伝えていきたいです」
本田は、わずかに笑った。
「……変わった子どもだな。でも、おれも若いころ、いろんな嘘つきと話してきた。君は、そうじゃない」
その日から、白石颯人の**“予言”**は、極秘裏に本田警部補を通して、一部の警察幹部や信頼できる情報機関にだけ届くようになる。
それが、世界を変える静かな革命の、最初の一歩だった。