09
浅川はただ家が近いだけだった。
一番近いわけではない、小学校の頃、一番はじめの一年生、そのときに家が近かった。
もっと俺の家に近い、ひとはいた。
でもウマが合う中で、親が仲がいい中(浅川の親は所謂、シングルマザーで俺らの親より若い、たぶん苦労しているんだろう。それに同情なのかなんなのか分からないが、俺の母親は仲がよかった)で、席が近い中で、それは彼だった。
子供、特に小さい子供にとって、ウマが合うなんて些細なきっかけである。
こんなもんだ。
ある日トイレの中、たまたま二人になった。
その時、彼は、俺にあるゲームの話を急にしてきた。
俺はそのゲームを持っていなかった。だけれど、その旧作、一世代前の作品はやったことがあった。
「お前、持ってないのかよ」
「うん、だけど僕……前のやつは持ってるよ」
「じゃあ今度、俺んちでやろ」
当時は俺と浅川の、一人称は逆だった。
俺は未知に怖がる、何事にも怯えた僕だった。
彼は無知、何も知らない。恐れすら知らないからこその自信というか、子供特有の無邪気さ、純粋な活力があった。悪く言うならクソガキだったとも言える。
その証拠みたいなところに、「じゃあ今度、俺んちでやろ」という台詞がある。
いくら小学一年でも少し考えたら分かることだ。
俺の持っている古いゲームと彼の最新のは、通信ができない。一緒にやるのは無理なんだ。
でも友達もいなかった千歳優理にとって、その言葉、誘いは嬉しかった。
「じゃあ、今日いくね」
「分かった。ママがいないから、玄関までになるけど、こいよ」
母親に許可を取らないと入れてはいけないという、彼のルールはあるものの、やはりクソガキ。玄関までならいいという独自の、小学一年生理論。
そして四時間目の授業が終わり、給食を食べ終えると二人は彼の家で遊んだ。
狭い玄関だった。一緒に同じゲームはできなかった。でも記憶はないけど、たぶん楽しかったんだと思う。でなければ、今日まで彼と俺を繋げる世界はなかったかもしれない。
そこからはある時までは変わらなかった。
ただ変化、些細な異変は突然起きた。
小学六年、いや五年の終わりごろかもしれない。
彼、岡太郎は学校にこなくなった。
当時の僕は当然、心配した。
最初は、風邪かなんかだろうと思った。
日が開くごとに、風邪じゃないなと思い、何かそれなりのでかい病気かと思った。
それで二週間ほどたった時、彼は授業の途中、だいたい二時間目からとか、三時間目からくるようになった。
僕は何も聞かなかった。
ただ、体大丈夫とか、そういった言葉を最初はかけたはずだ。
幼い自分もどこかで病気ではない、かといってケ病でもなく、サボりではないことは分かっていた。
ちょうどそういうのが分かる時期だった。
明確には今も分からないが、精神的な、家や家族のことだったんだと思う。
父親がいないことなのか、母の再婚相手のことなのか、今も分からないし詮索しようとは思わない。
ただ、そんな優しさがあっても子供というのは、無知。
ひとの心に無知で、トンボに木の枝を刺して角を増やす遊びをするほどに、残酷で、素直だ。
幼い自分も、周りがそれをメカトンボと言ってやっているのを、アリを潰すのをやっているのを見ると、流されて同じ行為をしていた。
ある同級生がいった。
「岡のやつサボりだろ」
「ずるだろ」
心が窮屈になった。
「俺見たぜ、あいつが学校来た時、吐いたの」
「俺も見た、なんかチョコみたいに黒かったの見た」
「朝から菓子パン食ってるから吐くんだよ」
震えを感じていた。
「あいつ、学校には俺らと同じ時間にきてるっぽいぜ」
「保健室でサボってから来てんだろ」
そんな初めて聞いた情報なんて、耳には入らなかった。
優しい性格だったその時の僕は、
怖かった。
あいつがもうずっと、そういうままじゃないか思うと、怖かった。
嘘だ。
本当に怖かったのは、
『あいつと仲のよかった僕も同じ括りで見られるんじゃないか』
それが一番大きな感情だった。
だから僕は、臆病で優しさしかない僕は、
臆病な僕は、優しい僕を殺したのだ。
誰かが言った。
「てか優理、お前親友だろなんか知らないの?」
俺は返した。
「親友じゃないよ、親友のシは死ねシだよ」
意味の分からない返答だった。
でもそれは俺の中で、最大限の否定であり、ひととしての最低な宣言だった。
その俺が、浅川にそんなことを言ったことは、たまに来る浅川にも、それとなく伝わっていた。
彼と話さなくなったこと、学級の雰囲気、他人の会話から。
何で伝わったのかは分からない。伝わったのかは分からないが、伝わっていた。
そして、どれくらいの日数かは記憶にないが、ある時、転機が訪れる。
「親友じゃないよ、親友のシは死ねシだよって言ったんだって」
ある日、俺はそれを浅川岡太郎の口から、言われた。
その日はなぜか彼は一時間目から来ていた。
それだけは、その日だけ覚えている。
彼は一時間目から珍しくも参加していた、その後。体育の授業の移動時間中、人がある程度減った時だ。
彼は俺に
「友達じゃなかったのか優理」
俺はいつかこうなると知っていた。
ある意味、こうなることをどこかで望んですらいたんだと思う。
「俺は、今のお前嫌だよ」
「昔みたいに戻れよ」
謝罪なんて言わなかった。
怒鳴り。
クラスメイトは俺ら二人を見て、逃げるように体育館に向う。
二人だけの中、俺は続けて、
「そんなお前じゃ俺は嫌だよ」
最低だった。
自分の友人が立派じゃないのが、同じ円に自分も入れられるような幻想が、
でも、
「前みたいに俺が自慢できるやつに戻ってくれよ」
自分を吐露した。
こんなことを考える自分が嫌いな自分は、この感情には勝てない。
俺は強くないし、臆病だから。
「ありがと優理、優しいね」
求めてなかった。
優しくなんてない、弱くて、怖くて、甘えていて、
「僕は前みたいになれない、けどちゃんと学校に、普通に来てがんばるからさ」
「前に戻れなくても、優理が誇れる僕に変わるから」
「だからまた友達になってくれないかな」
コクリと頷いた。
そして静寂の中、チャイムが鳴った。
体育の授業が始まる予鈴だった。
「ありがと優理」
それは二人を戻した。