手をつないで
歩行者信号に着くまでにはきっとと佳那は思っていた。そのまま真っすぐ寄り道なしに行くなら、自分よりももちろん足の長い彼がすたすた進むのを見越しても、そうすぐにはたどり着かないはず。
佳那は彼の隣を歩いたり、くっついたり、はたまたすこし離れたりしながら、きっといい具合に指と指が触れて、指先がやさしく絡み合って、それからそっと繋ぎあうところをふわふわと夢想する。
そのときは秋が終わりつつあるこの郊外の歩道の涼しくて寒い、ぶるっと震えはしないものの、時折きゅっと身をちぢめたくなる風がさっと巻き起こり、途端に肌寒くなって佳那はすっと心細くなるまま、数歩先をてくてく歩む彼にぱたぱた追いすがってぴったり寄り添うと、彼は早足になっていた足取りをそっと止めて自分を優しく見下ろしてくれるはず。
そんなことを期待しながらほわほわと物思いに耽るうち、いつのまにか立ち止まっている自分に気がついて、ふっと前を向くと、彼は佳那を置いてけぼりにしたまま両手をブルゾンのポケットに突っ込みながら悠然と先に進んでいる。
不意に彼に見捨てられた気がして、途端に足元が覚束なくなり、そのまま一歩も踏み出せずに寂しさに襲われて打ち萎れるうち、我知らずふっと心変わりを起こしてぷくぷくと苛立つままにむっと頬を膨らませて、キッと薄目になりながら彼に軽蔑のまなざしを送る間もなく、パッと振り返った彼とぴったり瞳が出会った。
──あっ、えっ。
思わず焦って心でつぶやきながら、佳那は素早くまばたきをして頬を染めつつちょっと視線を逸らし、それからそっと彼を盗み見る。
すると彼はすでにこちらを向いておらず、前に向き直っているものの、さっきまで軽快だった足を止めているところからすれば、自分を待ってくれているらしい。
それだけのことがすぐさま佳那の胸をぽかぽかさせて、嬉しくなるままに飛び跳ねそうになる足取りを抑えつつ、それでも早足になるのに任せてちょこちょこ彼のもとに向かううち、彼はゆっくりとこちらを向いて、真っすぐに自分のことを見守っているので、佳那は自然と微笑みながらぱたぱた飛ぶようにそちらへ向かう。
そのままにこにことそばにたどり着くなりぴたりと両足をそろえて、爽やかで背の高い彼を見上げると共に、
「待った?」
と晴れやかに尋ねると、きっと否定の返事が返ってくるだろうと思いのほか、彼は無表情に冷たくこちらを見下ろしたまま、
「うん」と冷ややかに頷いて佳那をどきりとさせたのち、すぐさまふっと優しく微笑んで、「ごめん嘘。待ってない。佳那のこと見てた」
いきなりそう言われて、佳那はたちまち胸がはずんで顔が火照ってくるような気がしたものの、不意に照れくさくなって、一瞬黙ったのち、
「ごめん。でも歩くの、速いよ」
と話題を自分のことから彼の早足へと転じると、彼は不思議そうにちょっと首をかしげた。
「俺のこと?」
「うん」と佳那はわざとらしく唇をとがらせながら、じっと上目遣いに彼を見つめてこくりと頷く。
「早いかな。そうでもないと思うけど」
不服そうな言葉とは裏腹に声の調子は和やかで、その顔には笑いさえ交じっている。
「早いの」
佳那はそうつぶやいて、今度は半ば本気でむすっと唇をとがらせるなり、依然としてポケットに突っ込んだままの恋人の手を引っ張り出そうと、彼のブルゾンの袖口を指先で摘まんでぶんぶんと揺するが早いか、
「何? どうしたの?」
そう問いかけられても佳那は相変わらずブルゾンを摘まんだまま不満げに、しかししっとりと甘い口調で、
「手、出してよ」
と頼んでも彼は至って平然とした様子で、
「無理だって。寒いし」と答えたその顔には微かにたくらみの成分が見える。
「わたしだって寒いもん」
そう言いながら頬をぷっくりさせてぎゅっと袖口を掴むと、やがて彼がすっとポケットから手を出してさっと佳那の手を取り、やわらかく握ってくれたかと思うとふっと横を向いた。
「信号、点滅してるね」
意外な言葉に佳那もそちらを見ると、ぴかぴかと四角い緑色が点滅していて、ひと通りの少ない郊外の横断歩道を自分たちと同じ男女二人連れが仲良く小走りに渡り、その周りでは刹那の突風にくるくると舞い上がった落葉が黄色や橙、赤や褐色の色あいを穏やかにひらめかせる。
「うん、だね。あ、赤だ」
色が変わると同時に風もぱったり止んで、落葉は一瞬ひらりと舞ったのち、しずしずと地面へ帰って行く。佳那はその安らかさにほっとするままぼんやりするうち、彼が落ち着いた声で優しげに、
「信号が変わるまでここにいようか」
「うん」
頷きながら、やわらかくつないだ温かな手を軽く振ると、彼はこちらを愛おしげに見下ろしたまま、しばらくのあいだ佳那の好きにさせてくれた。
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