開幕
彼女の背は遠くに、勇ましくある。誰も彼女には追いつけない。
彼女は振り向く。その赤い目に、僕はどうしようもない程に狂わされてしまう。
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ある日のホームルーム。T高校1年5組は静まり返っていた。僕は右斜め前の席をぼーっと眺める。担任が意を決したように口を開く。
「矢鮫さんは一ヶ月前から、行方不明になっています。」
矢鮫 凛。僕の幼馴染。彼女がいなければ根暗の僕は高校生活をうまくスタートできなかっただろう。
「現在警察も捜索していますが、未だ手がかりも見つかっていません。」
絵を描くことが趣味だった彼女。
「みなさんももし矢鮫さんを見かけたらすぐに助けてあげてください。」
彼女の机の上の落書きは、今も残っている。彼女はどこに行ったのだろうか。そんなことを考えつつ、僕は机に突っ伏した。
いつの間にか教室には僕しかいなくなっていた。すでに下校時刻を10分過ぎている。僕は雑に教科書を鞄に詰め込み、教室を離れる。すでにあたりは紅く染まり始めているにも関わらず、セミが煩く鳴いていた。
その日以降、僕は学校に行かなくなった。
8月。相変わらずセミは煩い。気温は高すぎて外に出られるわけもない。クーラーの効いた部屋。カーテンは締め切られ、電気はついていない。僕はベッドに潜り、ただ進み続ける時計の針を眺める。
「そぉ〜?」
母ののんびりとした声がドア越しに聞こえる。
「…どうしたの。」
「いやぁ、ずっと部屋に籠もっていても気持ち、晴れないでしょ。おじいちゃんのところにでも行ってきたら?って思って〜。」
祖父の家。そう言えば去年は受験前ってことで行かなかったな。
「…うん、行ってくる。」
本心としては部屋から出たくないのだが、祖父と過ごせば心も晴れるかなという少しの期待から行くことにする。
「わかったわ〜。おじいちゃんに連絡入れとくね〜。」
「お願い。」
僕はベッドから這い出て電源の入っていないスマホと財布、ICカード、家の鍵を鞄に詰め、服を着替えた。祖父の家は自宅から電車で1時間ほどの住宅地。祖母は数年前に他界し、今は祖父が一人で住んでいる。
「連絡したよ〜。」
僕が部屋から出る直前、母がリビングからそう言ったのが聞こえた。
「ありがとう。」
僕も部屋を出てそう返す。忘れ物はないか、もう一度確認した時、ヘッドフォンを忘れるところだったことに気がついた。
「じゃあ、行ってきます。」
外は相変わらずの暑さで、上着を羽織ってきたことを少し後悔する。
電車は相変わらず混んでいて、僕はその人混みから逃げるようにスマホの電源を入れヘッドフォンで音楽を流し始める。
気がつけば電車の混雑はある程度解消されていた。
1時間は短いようで長かった。
日に焼けたコンクリートが、熱を発する。僕は帽子を深く被り直す。
2年前と変わらず、祖父の家はあった。
「じいちゃん、入るよ。」
僕は玄関でそう言ってからドアを開く。いつも通り鍵のかかっていないドア。僕が到着する時刻を予想して開けているらしい。
「よう来たなぁ。こんな大きくなって。」
リビングでじいちゃんが僕を出迎える。
「いつも通り部屋は使ってくれて構わんよ。」
「ありがとう。」
僕は二階に上がり、一室に入る。そこには簡単な作りの椅子と机、そしてベッドのみが置かれている。じいちゃんが多くても年に一回しか来ない僕のために作ってくれた部屋だ。
椅子に座り、母に「着いた」とだけ書いてメールを送信する。
「想、このあとはどこかに出かけたりするか?」
「いつも通り駅に行ってくるよ。」
僕はじいちゃんの家に来るたび、来るときの駅とは別のターミナル駅に行っている。人は多いが、駅構内がとても広いのでぶらぶら歩くのにはちょうどいい。
「晩御飯はどうする?」
「夜8時には帰ってくるよ。」
「わかった。作っておくよ。これ鍵な。」
「ありがと。」
駅はいつもと変わらず混んでいる。構内図を見ながら今日はどこへ行くか暫く考える。
「…◯✕鉄道のホームに行くか。」
僕はひとりそう呟くとホームの方向に歩き始める。
入場券を買って改札を抜ける。地味に広いエントランスを抜け、中央階段を降りようとする。
「…?」
北階段の方をふっと見ると、白いワンピースを着て、麦わら帽を被った女の子がいた。
「…!!」
それは紛れもなく彼女―矢鮫だった。
「矢鮫!!」
僕は走って彼女の方に向かう。最初ボーっとしていた彼女だが、僕に気がつくと彼女も走って逃げ出した。
「待って!」
僕も彼女のあとを追って階段を下りる。
「…どこだ?」
階段を下りた時、すでに彼女の姿は見当たらなくなっていた。
しばらくホームをゆっくりと歩く。
なぜ、彼女は僕から逃げたのか。
そもそも彼女は本当に矢鮫だったのか。
そんな考えが頭をよぎる。
ホームは人の姿は見当たらず、静まり返っていた。
「あれ…?」
暫く歩いていると、中央出口と南出口の間、見覚えのない出口を見つける。
その出口は僕の記憶にはなく、さらには地下へ続いている。
「2年の間に作られたのかな?」
その階段は終わりの見えないほど深いところまで続いている。
僕はその出口に惹かれ、一歩ずつ階段を下り始めた。
2つだけ置かれた改札口。僕は持っていた入場券で改札を抜けようとする。が。
『ビーッ』
見事に改札に引っかかる。
「RWへの入場券はお持ちですか?」
駅員が話しかけてきた。
「RW…?」
「あ、招待された方ですね。」
「えまってよくわからないのですが…。招待?」
「そうですよねそうですよね。それじゃあ、RWについて説明しましょう!」
その後長々と駅員にRWを説明されたので、簡単にまとめる。
◯RW(空間)とは
・RWとは、現実世界であるOWとは別次元の世界であり、半仮想世界である。
・RWへは特定の場所からしかアクセスできない。
・RWに辿り着けるのはほんの一部の人間のみ。RWの入場券を持っている場合は指定の場所からなら確実に辿り着ける。
・RWの時間の流れは感覚的にはOWと同じだが、実際はRWの時間はOWの60倍の速度で進んでいる。
・RWでは人は三大欲求を感じない。また、食事・水分補給をしなくても生きていける。
◯RWのシステムについて
・RWでは6の派閥があり、それぞれがチームとして陣取り合戦に近い戦闘をしている。
・(RWの時間における)半年に一度、RW大戦が行われる。これに参加しなかった場合ペナルティが課される。
・戦闘で死ぬor負けるとペナルティが課される。
・RWで負傷・死亡しても、ペナルティ以外はOWへの影響はない。
・RW内ではRWにおける戦闘スキルを身につけられる。プレイヤーは日々訓練をし、大戦や突発的な戦闘に備えている。
「ざっくりRWはこのような場所です。RWの出入りには入場券が必要となりますが、発行されますか?」
「えっと、結局招待って…?RW…?そんなの存在するわけ無いじゃないですか。新手の詐欺か何かですか?」
「存在しないことを証明するより存在することを証明するほうが簡単。」
突然後ろから声をかけられる。僕はその声だけで誰かわかった。
「矢鮫…?!」
「久しぶり。」
「なんでこんなところに?」
「私もRWに “招待” された。だからずっとRWに籠もってる。」
「矢鮫、今大変なことになってるぞ!行方不明になっていて、警察も動いている!」
「知ってる。だからRWに籠もってる。」
「戻ろう。みんな心配してるよ。」
「…誰が心配してるって?」
「え…?」
「家では家族から邪魔者にされて、学校では除け者にされて…!!誰が心配してるっての?!」
「え…。」
そんな話は聞いたこともないし、そんな様子も見たことがない。
「想は気づいてないかもしれない。みんな想の前では私をそういうふうに扱わないから。だから私はいつも想と一緒に過ごしていた。もちろん、想と過ごす時間はとても楽しかったし。」
「そんな…。気づいてあげられなくてごめん…。」
「想は何も悪くない。ただ、私は絶対にOWには戻らない。これはわかってほしい。そのうえで想がどう行動するかは、想に任せる。」
「…僕も、RWで戦うよ。僕は、矢鮫についていく。」
「そう。じゃあ、先に潜ってくるよ。」
矢鮫は淡々と言うと、そのまま改札口を抜けて暗闇の中に消えていった。
矢鮫はOWには戻らないと言った。だけれども、僕は彼女をRWに連れ戻す。ようやく見つけたんだ。絶対に説得する。
「では、RW入場券の発行をいたします。」
駅員はどこかの部屋に入っていった。
「RW…。」
初めて聞いた世界の存在。そんなものが存在するとして、矢鮫が自由に出入りしていたことを考えると、外部に情報が漏れないようになっているのだろう。
「こちらの紙にお名前と生年月日、血液型、あとRWで使用するハンドルネームを書いてください。」
駅員に渡された紙に言われた通り書き込む。
名前:早乙女 想
生年月日:2✗✗✗年8月16日
血液型:O型
ハンドルネーム:Sou
そう言えば、誕生日まであと少しだったなぁ、と思いつつ駅員に紙とペンを返す。
「はい、記入漏れはなく…大丈夫です、ね。はい。ではこちらをどうぞ。」
駅員から銀色のカードを渡される。そこには青い字でしっかりとNAME:Souと書かれていた。
「こちらのカード、紛失されますと再発行できませんのでご注意ください。また、規約に違反されますとペナルティとは別でそのカードも没収させていただきます。お気をつけください。」
「はい。」
カードをまじまじと見る。カードの真ん中には薄っすらとRWと書かれている。裏面は特になにもない。
「では、どうぞお楽しみください。」
駅員はニッコリと笑うと、僕を改札まで誘導する。
少しながら僕は不安を感じていたが、早く矢鮫を追いかけたい一心で改札をくぐり抜け、暗闇へと足を進めた。
「さぁ、行ってらっしゃい。逃げられないデスゲームへ…。」
最後、そんな声が聞こえた気がした。