第38話
「私は主の命に従っているだけです」
ようやく顔を認識できる距離まで歩み寄ってきたジル様は冷たい人でした。もちろん性格がそうだという訳ではなく、蝋燭の炎に照らされた表情から感じた印象です。覇気と言うべきか自我が無く、ただ命令に従って動いているようなそんな印象を持ちました。
「私たちの主人はウィレット様です。自分の意思など必要ありません」
「必要ないって……ですが――」
「主からの施しです。最低限の食事は与えるように仰せつかっています」
役目を果たすだけとその場に屈みこむジル様はなにかを床へ置きます。聞けばパンと干し肉、それに水差しが入ったバスケットだそうです。確かに最低限の食事は保障されているようです。
(アリス様と旅をすれば良くあることです。文句は言えません)
寝具はともかく食事の心配をしなくて良いのは一安心です。そう思っているとカチャカチャと音が聞こえ瞬く間に周囲が明るくなりました。ジル様が燭台の火をカンデラへ移してくださったのです。
「もう少し年を取っていると思いましたか」
「い、いえ。そういうつもりは……」
「気になさらず。慣れていますので」
カンデラの灯に照らされるジル様は意外と若く、年齢で言えば20代半ばと言ったところでしょうか。先ほどわたくしを「若い娘」と表現されたのでもっとお年を召された方だと勝手に思っていました。
「幼い頃に親に捨てられ、ローレン家にお抱え頂くまで浮浪の生活をしていました」
「え?」
「この性格も浮浪生活の中で身を守るために出来上がったものです。ウィレット様をはじめ、この屋敷の者はこんな私をはぐれ者と避けています」
「それなのにウィレット様に仕えているのですか」
「私には行く場所がありませんので。しかし自分を監禁した相手を『様』ですか。随分と人が良いのですね」
よほど辛い過去をお持ちなのでしょうか。軽蔑するような視線を向けるジル様は手に持つカンデラをわたくしへ預けます。
「寝具を持ってきます」
「お借りできるのですか」
「最低限のことはして差し上げるよう仰せつかっています」
淡々と答えるジル様は一礼をすることなくそのまま部屋を出て行きます。逃げ道にもなる1階へ続く階段の戸に鍵を掛けないのはわたくしを信用されているのでしょうか。仮に逃げたとしてもそれではアリス様のみに危険が迫るだけなので端からそんなつもりはありませんが。
(いまは大人しく助けを待ちましょう)
近衛騎士であるにも拘らずアリス様を危険に晒し、自分も助けを待つ始末になるとはこれではただの恥晒しです。城に戻ればきっと笑い者にされるでしょう。そうなったとしてもいまは無闇に動かず、助けを待ちつつ打開策を見つけることにしましょう。
(アリス様にもちゃんと食事は出されているのでしょうか)
わたくしへ食事を与えるくらいですからアリス様もそれなりの扱いを受けていることでしょう。辛い思いをされていなければ良いのですがきっと大丈夫です。それを信じ、いまは寝具を持ってくると言われ出て行ったジル様を待つことにしました。




