第18話
◇ ◇ ◇
ホルスへ向けて城を出たのは昼過ぎのことです。
「――アリス様」
「なに?」
「本当に護衛は要らないのですか」
「エリィがいるでしょ」
「そういう問題ではないのですが……」
一国の王がろくに護衛を付けず出歩くのは危険な行為だと言いたいところですが、馬車は使わず歩いて行くと言われるくらいです。アリス様には端からそのようなことを期待してはいけないのです。
(一応は正体に気付かれぬよう変装はしていますが、これで良かったのでしょうか?)
隣を歩くアリス様は質素な装いをされ、一見すれば王族どころか貴族の娘にも見えません。わたくしもアリス様と同様に身分を偽るように普段よりもずいぶん控えめな恰好をしています。
(たしかにいまのアリス様は良くて商家の娘。ですが……)
グラビス様からも道中、身分は偽れと仰せつかっています。おそらくわたくしたちの正体に気付く者はいないでしょう。ですが女二人での旅など賊にとっては格好の獲物でしかありません。もしものことを憂いてしまうのはわたくしだけでしょうか。
(アリス様だけでなくグラビス様たちまで。いったいなにを考えておられるのでしょう。理解できません)
アリス様の希望で護衛は付けない。代わりに正体に気付かれぬように変装する――そうグラビス様から聞いた時はその判断に驚き、近衛騎士の立場から護衛を付けるべきだと進言しました。
(密かに騎士団の方が後を付けてくれていれば良いのですが、この様子ではなさそうですね)
背後から感じていた視線は王都を抜けた辺りでなくなりました。恐らく城門を出るまでは秘密裏に護衛が付いていたのでしょうが、一つ目の城門を越してしばらくするとそれは無くなりました。
(アリス様が嫌だと言っても護衛を付けるのが騎士団の役目ではないのですかっ。あまりにも手薄過ぎです!)
グラビス様もそうですがわたくし以外、誰一人としてアリス様に意見を具申する者はいませんでした。しかも騎士と言う身分を伏せているので帯剣することは許されず、護身用の短剣をカバンに忍ばせているだけです。これではなにかあっても御守りする術がないも同然です。
「みんなエリィを信じてるんだよ」
「え?」
「エリィのことを信頼しているから私の好きにさせてくれてるんだよ。ごめんね。我儘に付き合って貰って」
「い、いえ。そんなことは」
「顔に出てるよ。本当はもっと護衛を付けるべきだって」
正しい判断だと思うよ。そう言われるアリス様は真っ直ぐ続く道の先を見つめご自身の思いを口にされました。
「女王として視察に行けば民たちは本当のことを口にしないかもしれない。それじゃ意味がないんだ。そう思わない?」
「それは……」
「私は民の本当の声を聴きたい。領主への不満や私への悪口でも良い。本音を聴かなきゃ民の為の国は作れない。そう思うんだ」
アリス様のお考えが間違ったものとは思いません。わたくしですらサミル様の前では委縮する場面がありました。婚約者であったわたくしでさえそうだったのです。王族との接点など皆無に等しい平民なら尚更委縮するでしょう。
「グラビスもそれを理解しているから我儘を聞いてくれたんだと思う」
「そうなのですか?」
「騎士団長だよ? 本当は護衛を付けるべきだって言われなくてもわかってるよ」
「そうですよね。すみませんでした」
グラビス様も難しい決断をしたのでしょう。アリス様の身に危険が及ぶようなことがあってはなりません。それでもアリス様のお考えを尊重されたのだと知ればこれ以上なにかを言うことは出来ません。
「エリィの考えは正しいよ。王族がろくに護衛を付けずに城を出るのは危険だからね。でも大丈夫。この国の民にそんな悪い人はいない。私が言うんだから間違いないよ」
「そうですよね。この国の方々は皆良い人ばかりですからね」
「そうだよ。だから大丈夫。それよりさ、今日は野営する?」
「え?」
「街まではまだ掛かるし、今日は野宿しようよ」
「あの、まだ2月ですよ。野営はさすがに……」
「雪降ってないし大丈夫だよ」
「いえ、そういう問題ではなく……」
やはり馬車を使うべきでした。何処かちょうど良い場所はないかと周囲を見渡すアリス様を前に頭を抱えたくなります。そういえばロラウ様がご健在だったころはよく城を抜け出しては湖まで行っていたと言われてましたね。
「エリィ――って、どうしたの?」
「いえ。なんでもありません」
クーゼウィンからフェリルゼトーヌへ向かう道中も野営を好まれていましたし、いつでしたか馬小屋でも良いと言われたお方です。ここはわたくしが折れた方が良さそうです。それに、たまには身分や立場を忘れて過ごす時間があってもと思うのも事実ですから。




