第44話
◇ ◇ ◇
「――なるほど。やはりアルフォンヌ伯爵が首謀者なのですね」
グラビス様から国内情勢の説明を受けたのは翌昼過ぎのことです。
宿舎とは別の棟にあるグラビス様の執務室は広く、応接室も兼ねた造りになっていました。
最初は久々の再開を楽しむように和やかな雰囲気でしたが、話が本題へと進むにつれてアリス様の表情は険しくなり、それに同調するかのようにわたくしとグラビス様も顔が険しくなりました。
「表向きは火の不始末が原因となっています。ですがあの晩、奴がご夫妻の寝所へ向かう姿が目撃されております」
「ではやはり首謀者は?」
「アルフォンヌ伯爵です。他にも彼に近い貴族が数人。いずれもなにかしら理由を付けて要職の座についています」
「一つ、聞いても良いですか。宰相が処刑されたと聞いていますが事実なのですか」
「……事実です。宰相閣下だけではありません。あの男は自分より序列が上の者を排除しました」
「そんなっ……!」
グラビス様の言葉にわたくしは言葉を失い、アリス様は唇を噛みしめ怒りを堪えています。無実の者が殺されるのは政変に付き物と言われますがそれにしても酷い話です。
「宰相閣下は火災の責任、法務長官は罪人へ便宜を図った罪、いずれも濡れ衣です。無実の罪で処刑されました。残っているのは伯爵に近しい連中か要職に就いていなかった者だけです」
「……伯爵はいまも城にいるのですか」
「城は焼失しました。いまは城の北側にある離宮を居城にしていると聞いております」
「そうですか。宰相たちの死は残念でなりません。ですがグラビス。あなただけも生き残ってくれていて良かったです」
「……殿下。私は陛下を御守り出来ませんでした。そのような人間が生きていて良いのでしょうか。いまの私は命欲しさに伯爵の駒となっています。騎士の風上にも置けません」
悔しさを滲ませるグラビス様は拳を作り、涙を堪えます。
「私はあの日、火事の知らせを聞き、真っ先に陛下の下へ向かいました。しかし駆け付けた時には既に――っ!」
「グラビス。自分を責めてはなりません。あなた方騎士団はよく働いてくれました」
「しかし殿下! 私は近衛騎士の務めを果たせなかった! そんな人間が生きていて良いのですかっ」
「生きてください」
「っ⁉」
「父上たちの分まで生きて、共に父上が目指した国を作る。それが残された者たちへ課せられた責務なのです」
力強く訴えかけるアリス様の目には涙が浮かび、それは雫となって頬を流れていきます。アリス様が人前で泣く姿を見るのは初めてです。王女として威厳を保とうと頑張ってこられたのだと思います。ですが己を責めるグラビス様を前に堪えることが出来なかったのでしょう。
「アリス様――」
「エーリカ。恥ずかしいところを見せてしまいましたね」
「そんな。なにも恥じることはございません」
「――グラビス。貴方は近衛騎士として王家の為に忠義を尽くしてくれました。もう一度、その力を貸して頂けますか」
「殿下、それは――」
「国を取り戻した暁には騎士団を復活させます。貴方以外にだれが団長になれるのですか」
涙を拭い、王女としての言葉を掛けるアリス様に片膝を付いて忠誠を誓うグラビス様は深く頭を下げられました。
「……この命、王女殿下にお預け致します」
「確かに預かりました。グラビス。本題に戻る前に一つ聞いても良いですか」
「なんなりと」
「なぜ伯爵は王都への人の出入りを制限しているのですか」
「治安の維持、それが理由です」
「治安維持?」
グラビス様の言葉に聞き返したのはわたくしです。国王不在となれば他国が攻め入るのも民が蜂起するのも簡単です。
治安目的でなんらかの制限を掛けるのは理解できます。しかし、フェリルゼトーヌの治安は安定しており、民が蜂起するほど国王が悪政を敷いていた訳でもありません。隣国クーゼウィンとの関係は言うまでもなく良好。警備を厳重にする理由としては物足りなさを感じます。
「なにか不穏な動きがあるのですか?」
「国王陛下に近しい者たちによる反乱です。特に我々、近衛騎士は陛下たちの最期を間近で見ました。国王夫妻を御守りする立場でありながらなにも出来なかった自責の念に苦しむ者がいまもいます」
「アルフォンヌ伯爵に復讐を考えているのですか?」
「それを恐れて騎士らを辺境へ送ったのです。私のように士官だった者はあえて目が届く王都へ残し、他は全て散り散りとなりました」
俯くグラビス様は拳を作り、肩を震わせます。その姿だけで近衛騎士だった者たちが抱くやり場のない怒りや悔しさの大きさを感じます。アリス様も先ほどからずっと俯かれたままですがなにも言わず、只々グラビス様の話に耳を傾けておられます。
「私たち近衛騎士だった者は殿下の御無事を祈り、殿下が帰国された暁には奴を討つと決めておりました」
「…………」
「陛下にお仕えしていた者の多くが殿下の御無事を願っていました。殿下が争い嫌いなのは承知しております。しかしこれ正義の為の戦いなのです。どうか殿下、アルフォンヌ伯爵の討伐を御許し下さい」
「……それは出来ません」
数秒ほどの間を置き、首を横に振ったアリス様は討伐を認める訳にはいかないと言われました。
「皆の気持ちはよくわかりました。しかし相手がだれであろうと、たとえ憎き相手であったとしても、これ以上血を流す訳には参りません」
「しかし殿下! それではこの国は――っ!」
「それでも認める訳にはいきません」
感情的になるグラビス様とは反し、感情を押し殺すアリス様はあくまで王女として国を思ってのことだと強調されました。国王亡きいま、無用な争いは民たちの不安を煽るだけだという考えの下での決断なのだと、そうわたくしは理解しました。
「グラビス。皆が抱くその悔しさや怒り、よくわかります。ですが、一番は民が幸せな暮らしを送ることです」
「殿下……」
「無論、いつまでも伯爵の好きにさせるつもりはありません。然るべき時に然るべき方法で彼の手から国を取り戻します。いまはそれに向けての準備をしましょう」
穏やかな表情でグラビス様を宥めるアリス様は他に変わったことは無かったかと尋ねられました。するとグラビス様は直接聞いた訳ではないと断りを入れた上で伯爵が金の輸出を止めたと言われました。
「正確なことは分かりません。ですが聞いた話ですと採掘の一部を止めたとの話です」
「採掘を? なぜそのようなことを」
「分かりません。ですがほぼすべての鉱山の稼働を止め、貨幣用として少量の採掘を続けている――そう聞いております」
「アリス様。これはつまり――」
「うん。そうみたいだね」
この話に心当たりのあるわたくしはすぐさまアリス様に同意を求めます。アリス様もわたくしと同意見だったようでグラビス様にそれは事実だと言われました。
「実はクーゼウィンに滞在していた際に金の輸入が出来なくなっていると苦言を呈されたことがありました」
「クーゼウィン王からですか」
「いえ。宰相のレーヴェン公爵からです。彼は……いえ。なんでもありません」
きっとわたくしを気遣われたのでしょう。アリス様は小さく首を横に振ると他に変わった点はないかとグラビス様に尋ねられました。するとグラビス様はこれも不確実な話だと断りを入れ、アルフォンヌ伯爵に付き纏う悪い噂があると言われました。
「伯爵には以前から怪しい噂が流れていました」
「怪しい噂?」
自然と眉を顰めてしまう言葉にアリス様も「聞いたことがある」とグラビス様の言葉を引き継ぐように話し始めます。
噂話に過ぎないその話によれば伯爵には利敵行為の疑いが掛かっていたそうです。しかし確たる証拠が見つからず、結果として彼を野放しにしてしまう結果になったそうです。
「――陛下には伯爵の身柄を拘束するように何度も進言しました。ですが陛下は……」
「わかっています。父上は確たる証拠が出見つからず、拘束はおろか処分も出来なかったのですよね」
「実は城が焼け落ちた後、陛下たちの捜索に入った際にある物を見つけました」
「なんですか?」
「手紙です。奇跡的にほぼ原形を留めておりました」
そう言って立ち上がるグラビス様は自身の執務机に向かい、引き出しから一通の封筒を取り出しアリス様の前に差し出しました。煤で汚れてはいますが焼け落ちた城から見つかったものとは思えないほど形を保っています。
「アルフォンヌ伯爵の執務室があった辺りから見つかったものです」
「読んでも良いのですか?」
「はい。私も一度読んでおります」
「そうですか。では――」
「アリス様?」
封筒を受け取り、開けようとした瞬間でした。なにかに気付いたアリス様はこの手紙を預かっても良いかとグラビス様に尋ねられました。
「部屋でゆっくり読みたいと思うのですが宜しいですか?」
「え? は、はい。ですがなぜ?」
「グラビス。手紙を読んだのはあなただけですか」
「はい。内容から秘匿にするべきだと判断いたしました」
「正しい判断です。このことを伯爵は?」
「いえ。すべて焼失したものと思っているようです」
「そうですか。それは助かりました」
公には出来ない、もしくは伯爵に存在を知られては拙い秘密が書かれていたのでしょう。グラビス様の言葉に安堵の表情を見せるアリス様は部屋に戻りますと立ち上がられました。
「エーリカ、部屋に戻りましょうか」
「は、はい。あの、その手紙にはいったい――」
「部屋に戻ったら話します」
なぜここでは話せないのでしょうか。グラビス様も内容は知っておられますし、ここにいるのはわたくしたちだけです。秘匿にする必要はないと思うのですが。
「気になりますか?」
「い、いえ。決してそういう訳じゃ」
「顔に出てますよ。グラビス。忙しい中、貴重な話ありがとうございました」
「こちらこそ。殿下。兵の宿舎では窮屈でしょう。宿を用意いたしますので今日はそちらの方へお移りになられては如何ですか」
「その気遣いには感謝します。ですがこちらで構いません」
「しかしここは兵の宿舎。殿下のような方は――」
「ここは兵の宿舎なのでしょう? なら心配は要りません。私はここの者たちを信用しています」
アリス様の言葉はグラビス様にとって少しばかり嫌味に聞こえたかもしれません。わたくしの件があったばかりですから仕方ないのかもしれませんが、最近のアリス様は依然と比べ強気に出ることが多くなった気が致します。
「――グラビスには悪いけど、国に戻った以上は王族として威厳を出さないとね」
アリス様がそう口にされたのは執務室を出てすぐのことです。アリス様自身も先ほどの言葉が嫌味たらしい言い方だったのは自覚されているらしく、他の言い方があったかなと反省されています。
「王女として臣下には相応の態度を示さないといけないけど難しいね。やっぱりエリィと二人の方が気楽で良いよ」
「その言い方はあまり嬉しくないのですが」
「ご、ごめん。別にエリィを見下してるとかじゃなくてね!」
「分かっていますよ。気兼ねなく話せるからですよね。ワタシもアリス様と二人の方が気楽で助かります」
慌てて発言を撤回されようとするアリス様に笑顔を返すわたくしはきっと意地悪に見えたのでしょう。ぷぅと頬を膨らませるアリス様はそっぽを向かれ「バカ」と呟かれます。もちろんわたくしを見下している訳ではなく、照れ隠しのようなものです。
「早く部屋に戻ろ。この手紙、気になるんでしょ」
「アリス様。その手紙にはいったいなにが――」
「この手紙、レーヴェン公爵からだよ」
「父上から?」
「うん。なんかきな臭い感じがするよね」
声のトーンを下げてそう仰るアリス様ですがすぐに「読んでみないと分からないけどね」と言われます。その言葉はわたくしへの気遣いなのかもしれません。
(父上がアルフォンヌ伯爵へ手紙……いったいなぜ?)
単なる偶然なのかもしれませんが、このタイミングで封書が発見されたことにはきっと意味がある。わたくしはそう信じて宿舎へ戻りました。




