第32話
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この日の宿営地を決めたのは国境から一時間ほど歩いた日没直前でした。街道から少し脇に逸れた場所に無人の小屋を見つけ、野営を覚悟して中で見つけたその建物を勝手ながら使わせて頂くことにしました。
「まぁ、木の下よりはマシだよね」
小屋の中に入った途端、ボソッと呟くアリス様が一歩進むたびに床がきしむ音が響き渡ります。窓は割れ、屋根の一部は朽ちてしまい星空を眺めることが出来ます。言い換えればそれだけ使われた形跡がないということです。アリス様の仰る通り、野外よりはマシと言うべきでしょう。
「ここは……狩猟者の宿泊所のようですね」
室内には簡易的なベッドやテーブルがある他は弓矢や刃渡りのあるナイフなどが無造作に置かれていました。いずれもここ最近で使われた様子はなく、刃物は一部に錆が出てしまっています。
「獲物が獲れなくなって放棄したのでしょうか? アリス様、この辺りでは――アリス様?」
「エリィ! ランプ見つけたよ」
「アリス様っ。暗い中で動き回らないでください!」
「ね、マッチある?」
一先ず明かりは確保したと自慢気なアリス様になにも言うことは出来ず、手荷物の中からマッチを取り出します。
「アリス様、さすがにランプ用のオイルの持ち合わせはありませんよ」
「大丈夫だよ。エリィは座ってて――やっぱり。少しだけどオイルが残ってるみたい。一晩くらいなら問題ないよ」
「アリス様はこういうのに心得があるのですか?」
アルシアの街を出てからずっと気になっていました。一日中歩いても弱音を言わず、野宿になっても不満どころか逆に楽しんでいるような素振りを見せるアリス様。これまではわたくしに心労を掛けまいと我慢されていたと思っていました。ですが手際よくランプに火を灯す姿は今回の旅を心から楽しんでいるようでした。
「父上が好きだったんだ。一緒に城を抜け出して魚釣りに出掛けては宰相によく怒られていたっけ」
「国王が城を抜け出し……なるほど。アリス様が悪びれず離宮を抜け出していた理由がわかりました」
「褒めてないよね⁉ 貶してるよね⁉」
「違いますよ。ワタシにはそんな経験がないので羨ましいと思っただけです」
父上は常に国王の傍に仕えていました。わたくし自身、幼いころから王家に仕える家の娘としての教育を受け、いわゆる親の愛情と言うものはほとんど受けたことがありません。ましてや親子揃って休暇を楽しむなど考えられませんでした。




