第31話
国境近くまで来たのは日が傾き始めた夕刻のことです。
予定よりもだいぶ遅れているのはアリス様が寝坊されたからなのですが、今回ばかりは怒ることが出来ません。連日の徒歩移動と計り知れぬ不安で寝不足だったです。疲れが溜まっている中でようやく気を休めることが出来たのです。予定が遅れとしても仕方ないことです。
「アリス様。もう少しで国境の橋です」
「うん。ごめんね。私が寝坊したからまた野宿だね」
「仕方ありません。明日にはまた宿でゆっくり出来るのですから、もう少し頑張りましょう」
フェリルゼトーヌとの国境はもうすぐそこです。アリス様の話では国境から街まで半日ほどなので明日の今頃にはどこか宿を見つけていることでしょう。
「エリィ、疲れてない?」
「ワタシは大丈夫ですよ」
主君の手前、笑顔を見せて気丈に振舞いますが本当のことを言えば昨夜も気が張ってしまいゆっくり休めていません。疲労の度合いで言えばアリス様より酷いかもしれません。それでも近衛騎士であるわたくしが弱音を吐く訳には参りません。
「――国境だ!」
「え?」
「ほらエリィ、あれ見て! 橋があるよ!」
一瞬だけ顔に疲れを滲ませた時でした。アリス様が指差す先には石造りの橋が見えました。馬車が一台通れる程度の幅しかない小さな橋ですが、地図と照らし合わせるならこの橋で間違いありません。フェリルゼトーヌとの国境まで来たのです。
「アリス様、フェリルゼトーヌですよ」
「うん。やっと帰って来れた」
「半年振りですね」
半年――政変で追われた者が祖国へ戻るには時期早々なのかもしれません。いえ、身の上を案じれば戻ることすら止めるべきでしょう。ですがアリス様はここにいます。もう一度祖国へ足を踏み入れ、国を民の手に取り戻そうとフェリルゼトーヌに戻られたのです。
「アリス様?」
「うん。行こう」
「はい!」
この橋を渡り切れば本当にフェリルゼトーヌの領土に入ります。わたくしにとって初めて踏み入れる異国の地であり、これから長い時間を過ごすことになる新たな祖国です。緊張していないと言えば嘘になりますがそれはアリス様も同じようでした。わたくしの前を歩く姿は緊張で身体が強張っているようでした。大丈夫、そう自分に言い聞かせるようにゆっくりと歩を進める主君の後ろを歩くわたくしも自然と力が入ります。
「エリィ」
橋を渡り切り、フェリルゼトーヌ領に入った瞬間でした。アリス様が立ち止まり、振り返るとわたくしに声を掛けられました。
「フェリルゼトーヌへようこそ。心から歓迎するよ」
「ありがとうございます。そのお心遣い感謝いたします」
「もう。普通に接してよ」
「本当はこれが普通なのですよ。アリス様はワタシの主君なのですから」
「そうかもしれないけどさぁー」
アリス様の仰りたいことは分かります。ですが公私の分別はつけて頂かないと。少なくともいまは“公”だと思ったのですが、あまり言うとアリス様の機嫌を損ねてしまうので宥める程度に抑えておき、いまは友人として接することにしましょう。
「アリス様?」
「なに?」
「ありがとうございます」
「も、もう。最初からそう言ってよ。それより、まだ暗くなってないからもうちょっと歩こ?」
照れ隠しのようにプイとそっぽを向かれるアリス様はそのまま歩き始め、わたくしもその後を追います。クーゼウィンから続く一本道は草原を分断するように真っ直ぐと伸び、高い木々も無いので月明りだけでも十分歩けそうですがどこかで野営をしなくては。さすがに夜通し歩くのは危険です。
(とは言え、適した場所は見当たりませんね)
先程通った橋の下などが適していたのではと思いますが、アリス様がもう少し歩こうと言われた以上、今夜は久しぶりに木の下で寝ることになりそうです。




