Ⅰ、異世界転移、恐怖のイケメン
子供の頃は、幸せだった。
優しい父、おっとりした母、仲の良い夫婦。
その日々がおかしくなったのは、あの女が召喚されてから。
預言の力を持つと言われるその女は、初めのうちはまともな人間に見えた。しかし、この国における自分の立ち位置を理解し始めると、すり寄ってくる貴族に持ち上げられ、あからさまに父にモーションを掛けるようになった。何故なら、父は一国を治める王だったからだ。
母を愛していた父は、初めは頑なにその女を拒んだ。
しかし、他の貴族の手前、聖女と呼ばれるその女を蔑ろには出来なかった。
初代聖女は、建国初代の王を支え、その預言の能力でこの国の危機を幾度も救ったという逸話があり、その後召喚される聖女自身が信仰の対象となっていたからだ。
聖女の力なくば、国を滅ぼしかねない──そう、代々まことしやかに囁かれていた言い伝えは、母を愛する父を苦しめた。
父がもっと、治世者として自分に自信があったのならば結果はまた違っていたのかもしれないが、残念ながら父の能力は凡庸で、またその事を誰よりも本人が理解していた。
父は、最終的には聖女の持つ預言の能力を求めた。
聖女は、母の地位を、財力を、影響力を、全ての物を、貪欲に求めた。
おっとりした母は憔悴しながらも私を連れて、「聖女様の預言の通りに致しましょうね」と極寒の地へと赴き、そこで身体を壊して結局還らぬ人となった。
母は、最後まで父と聖女を責めなかった。
母も父を愛していた筈だから、子供のうちはそれが不思議でならなかったが、後に気付いた。聖女の為でも父の為でもなく、母はただ、私の為に……私にまで聖女の魔の手が伸びない様に、ただひっそりと生きていく事を決めたのだと。
私には、鬱屈とした何かが溜まっていた。
優しいだけで母を守れず、優柔不断な父に対して。そして、全てを狂わせた聖女に対して。
私は、いつかこの鬱屈とした気分が晴れるものだと信じて、剣を振るった──
***
「ようこそ、聖女様。二人いらっしゃる様ですが、どちらが本物の聖女様ですかな?」
「……」
白髪の、仙人のようなお爺さんに声を掛けられ、私と玉井さんは顔を見合せた。
……あれ?私達、二人でプレゼン用の会議室の準備をしていた筈。
で、玉井さんが悲鳴を上げたから何事かと思って振り向けば、彼女の足元には黒い渦みたいなものが存在していて。
その中にゆっくり引き込まれていく彼女が私に手を伸ばしたから、私はとにかく引き上げなきゃと思って、助ける為にその手を掴んだ。
……で。
で?
「せ、先輩っ!!由良先輩、多分これ、異世界召喚ってやつじゃないですか!?」
玉井さんは、私の腕をブンブン振りながら興奮した様に瞳をキラキラさせる。
「ちょ、玉井さん、痛い痛い」
「あ、スミマセン!私、めっちゃ異世界転生漫画とか好きなんですよー!」
「異世界転生??」
「今回は異世界転移ってやつですね!」
フフンと得意気に話す玉井さん。……成る程、彼女が昼休み過ぎてもスマホ弄って何か熱心に読んでいたのはその異世界うんちゃら漫画とかなのか。
「聖女様方、ちょっとよろしいかな?」
「あ、すみません」
私達が勝手に盛り上がってしまったので、お爺さんが会話に割って入る。
長く白い眉毛からちらりと覗くお爺さんの瞳の色は綺麗な青で、その口から流暢な日本語が出てくる事に違和感を感じる。グローバル社会だから、それはもう古い考えなのだろうけど。
「聖女様は、預言が出来る高貴なお方なのです。……お二人のどちらかが、その能力をお持ちの筈なのですが」
「あの、」
「はいはーい!それ私ですぅ♪」
私のしようとした質問を遮り、玉井さんはウキウキと手を挙げる。
ちょい待て。
よく分からないけど、まず聖女とやらの身の安全が保証されてから名乗り出る方が良くない?
大丈夫なの?聖女って……預言が出来るなら直ぐには殺されたりはしないだろうけど、好ましくない預言なんかした日には生け贄とかにされないの?
あんぐりと口を開けた私の後ろにある扉がギギギ、と開き、真っ黒なマントに銀糸の刺繍が施された衣装を身に纏った男性が手に剣を携えて登場した。
「きゃー!!王子様じゃないですかっあれ!!」
玉井さんは、急なイケメン登場に興奮マックスだ。うん、確かに凄いイケメンだとは思う。輝く様な美しい黄金の髪、緩やかに流れる長めの前髪から覗く切れ長の瞳はエメラルド。鼻梁もすっきりとして高く、顎のラインまでシャープだ。少し薄めの口元と、目尻のホクロは魅惑的。……だけど私は、その王子様の携えた剣が気になって仕方ない。
鞘から抜き身のそれに付着しているのは……血に見えますが、誰か気のせいだと言って。よく見れば、真っ黒なマントの下の方が色が濃く見えるんだけど、それってやっぱり返り血だったりしませんか。
私達二人が別の意味で魂を口から出していると、イケメンが口を開いた。
「……間に合わなかったか」
やはり、バリバリ日本人とはかけ離れているのに、するりと出た言葉はお爺さんと同じく日本語だ。そしてお爺さんが、イケメンに笑顔で声を掛けた。
「おぉ、殿下。ちょうど良いところに……」
イケメンは本当に王子様だったらしい。
「……ちょうど、良い?まさか私がここに来たのは、偶然だと思っているのか?」
苦笑い……というより、冷笑に近い笑みを浮かべる王子様に、ヒッと青ざめながら震え、平身低頭……つまり土下座するお爺さん。
ちょい、ご年配の方を脅すその態度は、いくらイケメンといえどいただけない。とはいえ、自分がこのお爺さんを庇うのは、情報が出揃っていない今はまだ時期尚早。
……なんだけど。
「ちょっと!!いくら王子様でも、このお爺ちゃん土下座する程悪い事してないですよねっ!?」
玉井さあああん!!
私が止めるより先に、彼女はイケメンにツカツカ近寄り、お爺さんを背後に庇うようにして両手を広げた。
玉井さん、正義感強かったのねー。
……じゃなくて。
玉井さんには、彼の手にするあの剣が目に入らないのだろうか?それとも、推定聖女である自分が斬られるなんて絶対にないと思っているのだろうか?
普通の人は、とりわけ平和な日本人は、「自分にそんな事降りかかる訳がない」と思いながら生きている。自分が交通事故にあう訳がない、災害にあう訳がない、強盗に入られる訳がない、レイプされる訳がない、騙される訳がない、銃で撃たれる訳がない……剣で斬られる訳がない。
けど、ここは、恐らく日本ではない。
であれば、逆に何でも起こりうるのだ。そもそも、土下座という行動がこの世界では違う意味を持つのかもしれないし、王子様らしい人の前に立って良いのかすらわからない。
そんな世界にたった二人で放り投げられたのだから、まずは少なくとも生き延びる手段を探さないといけない訳で。
「……どけ。邪魔だ」
王子様は低く鋭い声で玉井さんに一言告げる。
「玉井さ……」
玉井さんは、私が声を掛けるより先に、真っ青な顔をしてお爺さんの前からバッと離れ、私の後ろに隠れた。変わり身の早さに私の目が点になる。
ん?何なに?今度はどうしたの?
「先輩……」
玉井さんは、私の背中にすがりながら、先程のお爺さんと同じ様に身体を震わせる。私が玉井さんに気を取られた瞬間に、私の視界に影が出来た。
「……そこを退け。邪魔だ」
「せ、先輩……わ、私……」
驚いた事に、先程までの勢いは何処へやら……玉井さんは、本気で何かに怖がりだした。
「……玉井さん、下がって」
王子様の視線を見た私は、玉井さんを背にジリジリと後ろに下がった。王子様の視線は、私達ではなく……私達の足元に注がれている。
つまり、本当に私達は邪魔で……退いて欲しいのだ。
王子様が剣を振り上げ、お爺さんの叫び声が耳を打つ。
「お止めくだされ!!殿下!!」
ガキィン!!ガキィン!!
王子様は何度も剣を振り上げ、物凄い音をたてながら私達が先程立っていた場所──何かが描かれた床を、壊す勢いで突き刺していた。否、壊すつもりで砕いていたのだ。
「殿下!!聖女様召喚の術式が……っっ!!お止めくだされ!!衛兵っっ!!殿下がご乱心だ!!」
お爺さんが王子様の下半身にすがり付きながら、何とかその行動を止めようとしている。先程までガタガタ震えていたのが、嘘の様だ。どうやらその模様が描かれた床は、お爺さんの大事なものらしい。
しかし、力では殿下と呼んだ相手に勝てる筈もなく、また一方で狂った様に剣を振り下ろす王子様によってその床は粉々に砕かれていった。どうやら、床と剣の材質では、剣に軍配が上がった様だ。
私達は、その様子を息を潜めてじっと見ていた。
どれくらい経っただろう?お爺さんが呼んだ衛兵がやって来る事もなく、王子様がやっと、腕の動きを止めた頃。
私の後ろで玉井さんが、「あ……助かっ、た……」と呟く。
「……先輩、由良先輩……傍にいて下さい」
「……?うん、勿論」
私は、恐怖からか、安心からか、ハラハラと泣き出した玉井さんの背中を擦りながら、さてどうしたものか、と頭を抱えた。
***
仙人の様なお爺さんは、「聖女召喚部屋」の管理者という事だった。
ようは、王子様が粉々にしたのがこの国に聖女を召喚する為の術式で、それがないとこの国は聖女が召喚出来なくなるという。
この国の未来を預言し、発展の為に尽力するのが聖女という事なので、確かにその術式を壊した王子様は、お爺さんの言葉を借りれば「ご乱心」という事なのだろう。
それ程、この国は聖女を大事にしていたし、また求めてもいた──
何て事は、どうでも良い。大事なのは、聖女が「元の世界から移動する為の手段」が壊された事だ。
……え?私と玉井さん、どうやって日本に帰れと?
そもそも、私達はお客様に自社商品をプレゼンするという、大事な大事な商談日だったのだ。
まだ入社して二年目の玉井さんには見学して貰って、自社商品プレゼン後に普段は立ち入れない工場見学の提案、そして日を改めた工場見学では工場の人間による品質管理やアフターケア、特注対応について説明して貰う手筈になっていた。
もうダメだ。
会議室の準備を整えていた時から20分後には、私達はお客様を入り口でお出迎えする筈だった。毎日営業が汗水垂らして足を運び、漸くキーマンと話をつけて、他の用事のついでだけれども、我が社のショールーム見学に来て頂ける流れを掴んでくれたのに。
私達ショールームスタッフがいなくても、何とかなるかもしれない。
けれども、プレゼン資料であるパワーポイントを時間内に話し終わるよう何度も読み込んだのも、商品への質問の受け答えも、お客様のおもてなしも、全て私達の仕事だ。
なのに……なのに!!
私は、沸々と怒りが沸き上がるのを止められなかった。
相手の都合も関係なしに勝手に呼び出しておいて、その手段を一方的に破壊するなんてあり得ない。
とはいえ……実際に呼ばれたのは玉井さんであり、いわば私は金魚の……だ。
「由良先輩も食べません?この国の食事、どれも美味しいですよ♪」
「そっか、良かったね。ありがとう……ねぇ、玉井さん」
「何でしょう?」
もぐもぐと、デザートらしきものを頬張りながら首を傾げる玉井さん。リスみたいに可愛くて、ささくれていた心がちょっと和む。さっきまであんなに怯えていたのに、凄い切り替えの速さだ。そしてそれは、彼女の長所でもある。
「……玉井さんは、聖女だって言ってだけど……この国に残るつもりなの?」
「はい。もう日本には戻れませんし。ただそれは、先輩が残って下さるのが大前提でして……先輩が国外に行かれるなら、私はとにかく逃げなくっちゃです」
玉井さんが「もう日本には戻れない」と断言するのに、身体が震える。
彼女が聖女かどうかなんて私にはわからないけれど、どこか確信があるような話しぶりだった。
「私が残るって……この世界に?この国に?」
念のため聞いてみたけれど、答えはやはり変わらない。
「先輩も、残念ながら日本には戻れません。残るかどうかは、この国に、です」
心が軋んだ音がした。
何故、彼女が取り乱しもせず淡々とこんな話が出来るのかが理解出来ない。私は実は夢なのではないかと、先程から自分の太腿をつねってばかりいるのに。
「先輩がいないと、私は殺されちゃうんです」
「……ん?」
話が飛躍した気がする。
「理由はわかりません。でも、先輩は多分殺されません。そういうのが視えないんです」
「ちょ、ちょっと待って?話が見えない」
「……由良先輩が、私の言う事を信じてくれると約束するなら、全部話します」
そう前置きしてから彼女が私に伝えた事は、信じ難い衝撃的な内容だった。
彼女は昔から、直感力のある方だ、と自分を認識していたらしい。けれどこの世界に来て、それが直感ではなく預言の能力の片鱗であったものだと理解する。
「何でだかわからないんですけど、こっちの世界の方が自分の居場所だと感じるんです」
彼女は困った様に笑って言った。ご両親とは不仲らしい。
そして、彼女がこの世界について一番初めに視た預言は、私と一緒に美味しい料理が並んだテーブルに座っているところ……と、逆に私と二人で牢屋に入れられているところ。
牢屋って何!?怖っ!!
それより、聖女とやらはこの国の発展の為に未来を預言する筈なのに、そんな内容のもので良いんだろうか……??
と、思いながらも一生懸命口を挟まない努力をして、私は彼女に話の先を促す。
「次に、おじーちゃんの前で王子様と向かい合ったじゃないですか。あの時に視たのが本当に最悪で……私が王子様に斬られて殺されるところと、先輩が王子様と話をしているところだったんです」
「……ええ!?」
玉井さんがあの王子様に殺されるって?聖女ってこの国にとって、大事なんじゃないの!?
かなり驚いたが、やっと納得がいった。玉井さんが王子様を急に怖がり出した理由は、そういう訳だったのか。
「だから先輩。今後、私は何があってもあの王子様と関わりたくありませんっっ!!」
そうだよね、と私は頷く。
誰がそんな危険人物に自ら近づこうというのか。
「なので、王子様から呼び出しがあったら、先輩が対応して下さいっ!!」
……ん?
「わ、私が?」
自分を指差して確認すると、玉井さんはしっかりはっきり首を縦に振った。
「はいっ!!私は、長髪の神父みたいな人のところに行くまで引きこもりますっ!!王子様は、先輩に任せます!!」
力強く断言する玉井さん。
ええー……
私に預言の能力はない筈なのに、脳裏に自分が刺されるシーンを想像してしまい、顔がひきつった。
***
翌日。
王子様が、私達に宛てがわれた部屋へやってきた。因みに玉井さんの強い強い希望により、一人一部屋宛てがわれるところ、二人で一部屋使わせてもらっている。私は聖女ではない為、多分部屋がグレードアップしたと思うけど、玉井さんとしてはダウンした筈だ。何故そんな事をするのだろう、とは思ったけど、王子様が来室された事で理解した。本当に玉井さんが王子様との関わりの一切合切を私に丸投げする気だという事に気付いて、私は腹を括る。
とはいえ、この世界の礼儀なんて知らない。
ひたすら失礼のないよう祈るだけだ。
「……どちらが聖女だ」
王子様の一言目がこれだった。
私が玉井さんと目を合わせると、彼女はまた真っ青になってガクガク震えている。
「……その質問に答えた場合、聖女はどうなるかを先に伺っても宜しいでしょうか?」
私は仕方なく、王子様へ質問に質問で返す。玉井さんの様子を見てると、彼女が聖女でーす、なんて言った瞬間に玉井さんが刺されそうだから。
王子様は、少し驚いた顔をして、考える素振りをした。
「聖女は……この国には不要だ」
「わかりました。では、私達がこの国から出て行く事にすれば、身の安全は保証されるのでしょうか?」
「……」
王子様は、再び考える。
「……この国から、出て行くのか?」
「命より大切なものはございません」
命、大切に。
ベッドの影に隠れたままだが玉井さんの頭もコクコク動いている。よっぽど王子様が怖いんだな、と思う。預言なんて視ていない私には想像する事が出来ない恐怖なのだろう。
「……ふむ」
「私達が望むのは、とにかく自分達の安全です。知らない世界に来て常識も何もわからないまま放り出されるのも辛いものがありますが、死ぬよりマシです」
「……成る程」
「でも出来たら、この世界よりは元の世界に戻りたいですが」
仕事が途中なので、かなり切実。出来たらこの世界に引き込まれたあの瞬間に戻りたい。この世界と日本が同じ時間を刻むのだとしたら……あああ、考えるだけで胃が痛む……!!
「それは無理だな」
苦悩する私にあっさりと王子様に否定し、私は肩を落とした。
理不尽極まりない。そして、この怒りを目の前の人物にぶつけた時点で首が飛びそうだから何とかやり過ごすしかなかった。
「だが……そうだな。お前の言う事はわかった。……名前は?」
「私は川添由良と申します。そして、」
「かわぞえ、か。また来る」
王子様はそれだけ言って、玉井さんの名前は聞かずにさっさと去って言った。
王子様の背中が見えなくなったのを確認し、ドアを閉めて私はズルズルと座り込んだ。
「緊張した……」
喉がカラカラだ。
「せんぱ~いっっ!!ありがとうございますっ!!」
玉井さんが目に涙を浮かべて、私に抱き付いた。
……腰の抜けた私にお水下さい、玉井さん。




