牡丹森2
いっそサボろうかと思ったけど、今日も頑張って学校に行った。
委員会のせいで遅くなったし、今日は喫茶店には寄らずに家にまっすぐ帰ろう。
百合子氏のことは心配ではあるけど、やっぱり気まずいし、なにかあれば兄貴が言ってくるだろう。
なんて結論をだして廊下を歩いていたら、手を掴まれた。
「うわっ」
そのまま随分と乱暴に引っ張られて、なんだかわからないうちにどこかに投げ出された。
背中を壁らしきもので打った、何が起こったのかと顔を上げると、にこりと笑う三枝くんと目があった。
周囲を見ると何処かの準備室であるようだ、埃臭くて薄暗い。
立ち上がろうとしたら顔のすぐ横にすごい音が。
「ひえ……」
目線だけそちらに向けると、三枝くんの長い足が。
壁ドン(足)されたらしい。
「やっぱり、どうしても納得できないんですよね」
「な、なにが……」
「あんたの好きな人って誰ですか? オレよりも顔が良くて頭がよくて優しいんですか? ねえ、そいつはオレよりもいい男なんですか」
「い……いやあなんというか」
男じゃなくて美少女なんだよな、あと性格はものすごく悪い。
というかどうした三枝くん、なんか様子がおかしいぞ。
どうしたものか、いっそ『私、女の子が好きなんです』とか言ってしまった方がいいのか?
でも、別に私、レズってわけじゃないんだよな多分、頭おかしい理由がきっかけだったとはいえオタク話を気軽にできてかつめちゃくちゃにカッコいい私好みの人間がたまたま美少女だったってだけで。
実際、百合子氏が男だったらなとか思ったことはあったりする、まあ百合子氏が男にせよ女にせよ、どうせ叶わぬ思いだっただろうけど。
どう言ったものかと口籠っていたら顎を掴まれて視線を強制的に合わせられる。
「そこで口籠るような奴の方が、オレよりもいいんですか?」
「……うん、ていっても」
そいつ女の子だし別の子にべた惚れしてるんだけどね、と続けようとしたら頬を握りつぶすような勢いで掴まれた。
「もう一回だけ聞きます。オレはアンタを手に入れる為ならなんだってできる。優等生のフリもできますし、誰よりも優しくする。誰よりもアンタの事を愛し続ける……それでも?」
「……それでも、だ。なんでもできると言い切った三枝くんの覚悟に答えられるだけのものを私は何一つ持っていない。素直に君の事を好きになれればよかったのだけど、そういうわけにもいかない……それなら首を縦に振るのは不誠実だ」
目を合わせてはっきりと口にした。
それでも聞き分けてくれないというのであれば何度でも言い聞かせるしかないと思ったら、襟首を掴まれた。
ぶちぶちと聞き慣れない音とともに、胸元が涼しくなる。
「へ?」
なに? 今なにが起きた。
視線を下に、ブラウスのボタンが吹っ飛んでいる、それで自分の胸元が露出していた。
「なら……もう猫かぶる必要なんざねえな?」
地の底から響いてくるような、怨念まみれの声が聞こえた直後に熱いものが私の左胸を鷲掴みにした。
「言いましたよね? アンタを手に入れる為だったらなんでもできる、って。優しくしてもダメなら力尽くで手に入れるしかない。もう嫌われようが憎まれようがどうでもいい。他の男の手垢で汚されるくらいなら自分で徹底的に穢してやる。裸にひん剥いて徹底的に犯して二度と逆らえないように写真でも撮れば嫌でもオレの事『好き』って言ってくれるでしょう?」
目が完全に座っていた。
これば冗談では済まされないだろう、本気だ。
「ちょ、まって。三枝くんには色々世話になったからそういうのは……」
大変お世話になったので、いくらレ……とかされてもこの人が自分のせいで兄貴と愉快な仲間たちにリンチされるのはあまりにも忍びない。
というか私がレ……とかされたらあの兄はなにをやらかすかわかったものではない、最悪身内から殺人犯が出る。
それは避けたい。
そうは思っても、自分の貞操とクラスメイトの命と兄の将来の行方が私の対応ひとつで劇的に変わってしまう状況に、頭が真っ白になる。
そんな私を三枝くんは餌を前にした飢えた獣のようなギラつく目で睨んでいる。
その目が、自分のよく知るとある少女と重なった。
ああ、これは恋に狂った者の目だ。
どういえばあの子、大丈夫だろうか、なんもやらかしていないといいのだけど。
もし万が一こっちが手遅れ状態になったら、流石にあっちまで対応できない。
なんて現実逃避をしているうちに、私の思考は何か不確かなものを一つ、掴みかけた。
…………ん?
三枝くんの顔を見上げてよく観察する。
表情も雰囲気も口調も全く違ったから今まで全く気付かなかったけど、ずいぶん顔付きが似てるな?
……なんかすっごい嫌な予感がする。
「まっっっっっっっっって!!」
行き着いてしまったとある推測に、衝動のままに叫び声を上げた。
「待って、いや嘘だ、いやまじか……ちょっと待って待って待って待って、先にとっても恐ろしいこと聞いていい?」
「なんですか? 今更怖気付いたんです? でももう無駄ですよ。もうなに言われても優しい優等生になんか絶対戻ってやらないので」
口元だけはいつもの三枝くんの顔で笑いつつ、目は獣のようにギラついている。
こういう目を私は知っている、とてもよく知っている。
私がすごく好きな人と、全く同じ目だ。
「ひょっとしてあの、百合子氏?」
「…………何故、その呼び名をご存知で? ……もしかしてヤエザキのことを知っているんですか?」
ビキリ、と表情を凍り付かせた三枝くんに自分の推測が正解であったことを察した。
「知ってるってか……」
私がそのヤエザキなんだよなあ……
それにしても分かってしまえば、なんで今まで一切気づかなかったのかと不思議に思うくらい三枝くんの顔は百合子氏と同じだった。
いやまあ、服装と雰囲気と性格が全然違ったから無理はないか、流石にこれは自分の鈍さが原因ではない、はず。
現に今、三枝くんが百合子氏っぽい雰囲気になった途端に割とあっさり気付けたし。
今更だけど、今更すぎるけど。
「ひょっとして、牡丹森さんの好きな人ってあのキモオタですか?」
話が斜めに飛んでった、なんでそうなるの。
即座に訂正しようと思ったら三枝くんはくつくつと笑い出す。
「……確かにアレとなら話も合うでしょうよオレなんかよりもよっぽど。それにアイツに弱っちいくせにお人好しの大馬鹿で……すごくいい奴だから。オレだってあいつのことは嫌いじゃない……けどアイツ、滅茶苦茶人を見る目がないですよ? オレが百合子氏なんて呼ばれてることを知ってるってことは、オレがアイツとどんな格好で会っているかはご存知ですよね? アイツ、オレの事完全にカワイイ女の子だと思い込んでますよ、キモオタに話聞くなら男の格好よりも女のフリしたほうが話を引き出せそうだと思って話しかけたら案の定、鼻の下伸ばしてべらべらべらべらと」
鼻の下を伸ばした覚えはない、ないのだけど断言はできない。
ってかそういう理由であの格好だったのか?
三枝くんは笑っているんだか怒っているんだか泣いてるんだかよくわからない顔で言葉を続ける。
「アイツ、本当に見る目ないんですよ。オレの見た目にコロッと騙されてこの前『好き』だとかほざいてましたからね、大嘘とか言ってたけどあんなあからさまな誤魔化し方でこっちが騙されてやるとでも? ああ、本当に馬鹿な男だ! あんな馬鹿なキモオタ、牡丹森さんにはふさわしくない、だから」
これ以上はいたたまれないので、私は百合子氏の心の傷が少しでも軽いうちにと、無理矢理割り込むことにした。
「待って百合子氏、待って!! 事態は百合子氏が思ってるよりも深刻でござる!! てゆーか自分で言ってて色々おかしいのわかってないの? ……え? まって百合子氏冷静に考えるとめっちゃかわいそう」
だって百合子氏=三枝くんだってことは百合子氏が好きで好きで堪らなかった思い人氏ってこの牡丹森のことじゃん?
その牡丹森の正体が百合子氏が今まで散々キモオタだのカスだのこき下ろしてきたヤエザキってわけじゃん?
百合子氏が思い人のことをものすごく好きで可愛いと思っていたのはいやというほど知っている、何も知らなかったから思い人氏って本当に愛らしい美少女なんだろうなって思ってたけど、その思い人氏が自分のことであるというのなら、話は変わってくる。
私のどこが美少女じゃい、ただの根暗女なんですが?? 可愛げなんて欠片もありませんが?
それでも百合子氏が本気で私のことを可愛いと思っていたのであれば、それはただの幻覚だ。
つーか思い人氏の趣味が妙に自分の趣味と一致してるなとか思ってたけど、私じゃん……一致するに決まってんじゃん同一人物なんだから。
「ま……さか」
百合子氏も私と同じ答えにようやく行き着いたのか、顔色をざっと青くさせた。
うん、わかる。すごい申し訳ないと思ってる。
「はい、百合子氏にコロッと騙された哀れなキモオタこと、ヤエザキでござます……ははは……ちょっと考えをまとめる時間をもらっても?」
「は……え??? ぼ……ヤエ…………は??????」
「そーっすよ、牡丹森=ヤエザキ。ヤエザキは見知らぬ不審者に本名名乗るのはどうかなーと思って咄嗟に使った偽名っすわ」
「は?」
「ごめんね、百合子氏が今まで散々可愛い可愛いって言ってた女の子の正体はキモオタくんことヤエザキのことだったらしいっすわ……いやでも三枝くんも見る目なくない? 牡丹森の、どこが、可愛い?」
「え……いや、え?」
百合子氏の視線が掴みっぱなしの私の胸に向いた。
うん。とても混乱していらっしゃる。
「あ、自分女っす。小学生の頃に変質者に絡まれたことがあって……それで過保護大爆発させた兄貴に男物の服押し付けられてて、面倒だからそのまま過ごしてただけ……つまり、ボクはキモオタくんじゃなくて、兄のダッサイお下がりで平然と過ごしてる美意識の欠片もないキモオタ根暗女ってこと、おk?」
自分で言ってて全然『おk』じゃないよな、と思った。
百合子氏は完全に処理落ちしたのか、沈黙してしまった。
「幻滅してるところ悪いけど、そういうわけなんで……えっと、この後どうする? まあどれだけ好きだったとしてもその正体がこれなら気持ちも冷めるっしょ。つーわけで一旦落ち着いて、ってかボクの忠告全然響いてないじゃん、ったく……仕方ない人でござるな、百合子氏は」
沈黙しっぱなしの百合子氏の脳味噌をどうにかして再稼働させたいけど何を言えばいいのやら、と思っていたら急にぐわっと抱きしめられた。
そしてそのまま動かない、結構苦しい。
というか向こうの心音がえっこう聞こえてくるというか響いてくるというか。
どうしたものかと思ったら耳元に息が掛かってゾワッとした。
「……てめーは、オレに惚れてるんだよなあ?」
「え、いやえっとその」
大嘘とは言ったものの、どうも見抜かれているようなのでどう誤魔化したものかと思っていたら、耳朶を噛まれた。
びゃ、みたいなきったねえ悲鳴が自分の口から漏れる。
「なら、オレが百合子のままでいればアンタはオレのもんになる? なるなら一生アンタの大好きなカワイイ百合子氏でいる覚悟ができるけど」
どうしようクラスの優等生が一生女装する宣言し始めた。
百合子氏のことは確かに好きだけど別に女の子だから好きだったわけじゃないので、いろんな意味で訂正しないとまずい。
「べ、別に女の子だったから百合子氏が好きだったとかそういうんじゃなくて……口悪いけど好きな子のこと話してる時めっちゃ楽しそうにしてたりだとかなんだかんだ言って真面目に話聞いてくれるとことかさらっとカッコいいことするところとかがまあ、好きと言いますか何というか?」
「ふぅん」
やめろ耳元で笑うな、なんかゾワゾワする。
「と、というかですな、百合子氏。百合子氏の大好きな女の子の正体はヤエザキだったわけじゃん。なんでまだ好きっぽい感じなの? 普通ゲンメツしない?」
「は? なんで?」
「だってヤエザキ、クソダサいキモオタじゃん……」
「は? お前、普通にかっこいいしいい奴じゃん」
「どこが??」
話に付き合ってるからいい奴判断されるのはまだわかる、だけどかっこいい、とは?
ヤエザキのどこにかっこいい要素が?
「何日か前にオレがクソ野郎に絡まれてた時、弱っちいくせに当たり前のように割って入ってきただろうが。ああいうことが普通にできる奴はそうそういない、特にてめーみたいなクソ弱いのなら尚更……ていうか、もう二度と、絶対にあんなことしないでくださいね、あの時はオレが間に合ったからいいものの、アンタ殴られる寸前だったんですから」
あったなあ、そんなこと。
っていうか百合子氏キャラがぶれっぶれだな、大丈夫?
「というか、オレがアンタのことがどれだけ好きかは散々聞かせてやってるはずだけど?」
「あー……うん。ええと……」
冷静になって百合子氏の言動を振り返る。
なんか色々言っていたことを思い出す。
本を読んでる時に嬉しそうにワクワク読んでるのが可愛いだの、ちっせえ口でサンドイッチを一生懸命食べてる様子がリスみたいで愛らしいだの、体育の時の水泳の時に見た太ももが白くて柔らかそうで膝枕とかしてもらえたら多分死ぬとか言ってた気がする。
というか、言われた。
あと結構な頻度で、今日もオレの嫁が可愛くてどうのこうのみたいなことも言われたことがあるような。
あれ全部、牡丹森のことか。
「なー、牡丹森さん? 耳も首も真っ赤だけど、大丈夫か?」
大丈夫じゃない。
全然大丈夫じゃない。
今すっごい大声で叫びたい、このよくわからない感情をどうにか昇華させないと多分頭か心臓が持たない。
「心臓もめっちゃドキドキしてるし……うわ、顔真っ赤……」
少しだけ身体を離されて、真正面から顔を見られた。
勘弁してくだされこれ以上余計な刺激を増やさないでほしい。ほんと頼むから。
百合子氏はそんな私の顔を見てニヤニヤと意地悪く笑っている。
そうして何か良からぬことを言うつもりなのか、ゆっくりと口を開く。
まってやめて、今Now loading中だからちょっと待って。
やめろ笑うな腕に力を込めるな考えが、考えが一向にまとまらない!!
百合子氏は、やっぱり酷い奴だと思う。