4th Race:いつしか溶け込んでいた街
すだちとうず潮に阿波踊りが有名な徳島県では、毎年8/12から8/15に一年の最高潮を迎える。近年では台風の影響やコロナウイルスが原因で、祭りの一部又はすべてが中止になった年もあったそうで非常に残念だ。
ここ数年だと、とある同県出身歌手の方が紅白歌合戦に出場され、鳴門市の大塚国際美術館から生中継されたことが印象に残っている。
「コンクラーベ」と呼ばれるローマ教皇を選出するための選挙があり、それを執り行うのが、システィーナ礼拝堂。
美術館には、その内壁を再現した建物があり、内部の壁画は荘厳の一言。
個人的には、モネの『大睡蓮』を見てみたい。モネには、憧れの青い睡蓮を育てる事が出来なかったというエピソードがあるらしい。
だが、画像で見る限りでの陶板画の壁画には、青い水面に映る「白い睡蓮」が描かれているようにしか見えないのだ。間近で見ると真実が理解できるのだろうか? 是非ともいつか確認してみたい。
徳島市内には『鬼滅の刃』のアニメーション制作をされたufotableさんのスタジオやカフェなどもあるそうだ。
無限列車編のストーリーには、二つほど驚愕した。若干ネタバレ気味になってしまうかもしれないが、すでに大勢の方がご覧だと思われるので、少しだけ許してほしい。
一つ目は、竈門炭治郎の攻撃回避法。
夢の中に入り込んで、無意識領域に存在する精神の核を破壊しようとする、鬼の攻撃。炭治郎が気付いたその回避手段は、夢の中で自害すること。最初のみならまだしも、連続で攻撃を受ける度に自刃する炭治郎を見ていると、いたたまれない気持ちになった。
もう一つは、煉獄杏寿郎の、
『老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ』
というセリフ。
自分自身が今まで生きてきて、何かを悟り、境地に至るような考えを持てていないことに、唖然とした。
こういった考えは、人間の「根源」とでも言おうか、「尊厳」とも言えようか。真の意味での「知識」を早くから持っていれば、深く悩むことも格段に減ったんだろうな……と、つくづく思う。
少し遠回りをしてしまった。
兎にも角にも、以前過ごしたことのある街が賑わっていると聞くと、それはもうこの上なく嬉しい限りなのである。
僕が過ごしていた当時のお盆休みは、全国から踊り狂う為にわんさかと観光客が押し寄せていた。県内全域が、仕事さえも休んで踊りまくるか、観光客相手に商売しまくるかの二択を迫られているような感覚。
当然、その年の僕は後者である。だが、新人が仕事を教わっている余裕などなく、常に洗い物の担当だった。商売しているという感覚は全く無し。
今の時代とは違って、たらたらやっていると罵声は飛んでくるわ蹴られるわで大変だった。理不尽だとは思っていた。気に入らないなら明日から来なけりゃいい、とも思っていた。
ただ、辞められない辞めたくない理由の方が断然大きかった。
怒涛の四日間を無事に終えると、一旦客足は急激に落ちる。その後、夏休み期間中はそれなりに賑わっているが、九月に入るとだいぶ落ち着いてくる。
夏休み中だけの契約だったが、八月の終わりに継続する意志を伝えたため、九月からは調理の仕事も教えてもらえるようになった。
料理が苦ではないから始めたのに、食材に一切触れさせてもらえないというストレスとはおさらば。やっと飲食店らしい仕事を与えてもらえるのが嬉しかった。
もちろん、嬉しかったのはそれだけではない。確実にあの人と接する機会は増えるはずなのだから。
深夜勤務も可能だと伝えていたが、夏休み期間中は結局働かせてもらってはいない。どうしても深夜は夕方よりも少数精鋭で営業しなければならなかったらしく、新人はただただ足手まといなのだ。
それ故に憧れの彼女とは、出退勤時に入れ替わりで会釈程度の軽い挨拶をかわすことのみが接点だった。
彼女の出勤日の十時前になると、いつもソワソワしだして仕方がなかった。デシャップ台からパントリーにチラッと目をやり、彼女の出勤を確認する。彼女が通路から出入口へと曲がると、ショートボブよりは少し長い髪が、ふわふゎっと弾む。
今日も彼女と無事に出会えた嬉しさと、今まさに彼女が存在するという事実。どんなに疲れていても、彼女を想うと気持ちが軽くなった。
忙しいディナータイムに練習を積んで、ようやくサラダとデザートの盛り付けをマスターした頃、突然店長に呼び出された。
「吉野くん、ちょっといいか?」
「あっ……はい。どうしました?」
「急に美村さんが今週末で辞めることになっちゃってさぁ。吉野君たしか面接で深夜勤務可能だって言ってたよね? ディナーは高校生入れりゃなんとかなるから、深夜入ってくれない?」
密かに待ち望んでいたこの時が、ついにやってきた。
「え~っ? マジっすかぁ~? まぁ、可能とは言いましたけどぉ」
内心は会心のガッツポーズをしているのだが、あえて嫌そうな雰囲気を醸し出しながら、ニヤリと作り笑う。
「んっ? とにかく来週からは十時出勤な。またパチスロ連れて行ってやるから、はい決定っ!」
「はぁ~いっ、わっかりましたぁ」
働き始めてすぐに、パチンコ好きの店長とは休みに打ちに行くほど仲良くなっていた。僕が決して嫌がっている訳ではない事に、即刻気付いてくれたようだった。
はやる気持ちを無理に抑えることもなく、胸の鼓動は高まったまま、一週間を過ごした。
迎えた月曜日の夜。出勤したのは九時過ぎ。
「んっ? どしたぁ? 早いな。なんなら先に飯食うか?」
「あっ、初めての深夜勤務でなんかソワソワしちゃって。飯は後で食べますよ」
「緊張? 基本的にはディナータイムでやることと何も変わらんよ。ちょっとずつでいいから、閉店作業を教わっといて」
「それですよ、それ。覚えること多そうやなぁ」
「たかだか知れてるわ。ダスターの煮沸消毒に洗米機の洗浄。あとは何だっけ」
「その二つは先輩から聞きました。ってか……えっ? まだあるんですか?」
「フライヤーの油交換して、鉄板も磨いて。それから冷凍庫と冷蔵庫の在庫チェックも追加な」
「あれ? 在庫の管理はいつも社員さんがされてませんでしたっけ?」
「解らないことがあれば聞きに来ればいいから、とりあえずやってみな」
「ん〜。じゃあ、やってみます」
「そうそう、在庫チェック前に、明日の営業分の解凍が必要な食材は、冷蔵庫に移しておいて」
「まだあるんすか……?」
噂には聞いていたけど、そりゃそれだけやる事多けりゃ新人は足手まといやわ……と、妙に納得しながら、靴を下駄箱に蹴り入れた。
控室へ向かう。一時間も前に出勤するのは、僕以外に居なかった。
目の前の、麻雀卓ほどの大きさのテーブルに、一週間先までのシフト表を挟んだクリップボードが置かれている。
右側一面は衣服用のロッカー。
左側の棚には、椅子に座ったときの視線に合わせて、ビデオデッキ一体型のテレビが一台。
後ろを振り返ると、ドア横の目の高さにタイムカード用のラックが掛けられていて、名前が見えるように段々にカードが刺さっている。
八畳弱ほどの機能的にまとめられた空間で、時間だけを持て余す。胸の高鳴りは、何をどうしても、ずっと続いていた。
今日までの一週間、穴が開くほど散々確認してきたけれど、もう一度シフト表を手に取った。
おっと、ボードの下から、先の丸まった鉛筆が数本現れた。細長いお菓子の缶の蓋らしきものをトレー代わりに、一部黒ずんだ消しゴムと、ほんの少しカスをまとった鉛筆削りもおいてあった。
シフト表の上半分にはキッチンメンバー、下半分にはホールメンバーの、それぞれ名前と線が記されてある。上下で離れてはいるが、二本の線は十時から翌二時までの同じ時間を示していた。
もう少しだけ待てば確実に彼女はここに現れる。椅子に深く腰掛け直して一息入れたその時、遠くの方で微かではあるがパタッ……と、ppp程度の音がした。
控室は、騒がしい店内とは異なる静かな空間。距離的には十数メートル離れていて、控室のドア越しだということを勘案しても、下駄箱付近で発生した音がかなり小さいことは想像に難くない。
なるべく音をたてないように、細やかな心配りができるのが彼女であってほしいと、強く強くねがうばかりだった。
微かな足音が徐々に大きく聞こえてきた頃。
僕の願望はもう完全に、確信に変わっていた。