2nd Race:そもそもの強運とは?
今でこそ四国へ渡る為にかかる時間は、橋を使えば車で1時間半から2時間ほどだろうか。当時は、明石・須磨からフェリーを使い、岩屋・津名から路線バスを乗り継いで、まずは鳴門を目指すというのがルートだった。これがなかなか大変で、そう頻繁には帰省できない。
下宿先を決める段階で他のアパートをあたることも可能だったが、面倒くささが勝ってしまった。
どうせ四年の辛抱だと、安易に最初に見た部屋を選んだことも、初年度のホームシックの原因だろう。
学生向けの二階建て風呂無しアパート。
空いているのは、一階一番奥の陽当たりがすこぶる悪い七号室のみだった。
南側の窓を開けると、四から五メートル先にはすぐ隣の民家。昼間の太陽が高い時にしか、陽の光は注いで来ない。それも窓際の狭い範囲のみ。
その分、他の部屋より家賃は三千円安かった。
アパート住人共用のコインシャワーが十分百円で使えることを考慮すると、僕だけシャワーが無料だと前向きに考えられなくもない。
だが、日の当たらない生活に極度のストレスを抱えて、一年目の夏休みはとっとと帰省してしまっていた。
部屋の選択には若干の後悔があるが、あっさりと余裕で上回る程に、アパートの大家さんご夫妻がとても優しい方だった。
ご主人の出で立ちが、いささか風変わりで、常日頃から手袋と安全靴を着用されている。学生の外出中に雨が降ってくると、マスターキーを使って部屋に入り、洗濯物をとりこんでおいてくれる。
世話好きが過ぎるかもしれないが、当時はおおらかな時代だった。ご主人の学生に対する愛は、バイカル湖より深く、カスピ海より大きい。
また、好きなアーティストが同じだったり、競馬についても造詣が深く、事あるごとにお話しさせてもらっていた。
奥様は女優と見まがうほどの超絶美人。
そんじょそこらの絶景も、奥様の背景になると、ただ霞むのみ。
神戸から嫁がれたそうで、同郷という理由もあってか、何かにつけて気にかけて頂いていた。奥様に憧れを抱く学生も大勢いた。
「元から子供好きなのよ」
いつもニコニコ、僕たち学生を褒めることしかしない。
学生生活自体は至って普通。
なんの変哲もなく過ごした後の、二年目の夏休みの話。
前年の夏を無駄に過ごしてしまった僕は、今年こそ意義のある夏にしようと考えていた。最初に候補を挙げたのは、飲食系のアルバイト。小遣いを稼ぐことが出来る上、まかない付きなら普段の食費は抑えられる。
元々僕は、一人暮らしをするにあたってゴマ油と砥石を用意するくらいに、料理が嫌いではなかった。
バイト代でオーブンレンジを調達しようとも考えていた。
これだけ条件が揃っていたので、どう考えても飲食店一択だった。
初めて応募したのは駅ビル内のとんかつ屋。
アルバイトの面接になんて落ちようが無いと根拠のない自信を持ち、勢い勇んで臨んだが、ものの見事に落ちることになる。
今から考えれば、ここで落ちたことは、WIN5で一票総取りの的中するよりも遥かに強運だった。実を言うと、僕は小麦粉や片栗粉を握りしめた時の軋む感触が、大嫌いだったのだ。想像するだけで全身の毛が逆立つくらいに。
落ちるべくして落ちたんだと、自分自身が傷つかないように、言い訳を自分に言い聞かせる。屈辱でイライラする気持ちを胸の奥底深くにグッと押し込めた。
次に受けたのは、大学への通学方向とは逆にある、ハンバーグがメインのいわゆるファミレス。ここだと深夜営業もやっているので、夜中働けば割増手当も付く。
日の当たらない生活に慣れなかった前年とは違う。毎週末はアパートのどこかの部屋で、朝までジャラジャラと中国語の勉強会。完全に夜型人間へと変身した僕にとっては、おあつらえ向きの条件だった。
夏休み中だけだし、稼げるうちに稼げるだけ稼いで、オーブン料理の幅を拡げるつもりだった。夜間勤務も可能だと、受けの幅を広く持っている事もアピールすれば、今度こそは落ちないはず。
当時は今と違ってほんの一部の人だけが携帯電話を所有していて、普及が少しづつ進んでいく状況だったように思う。
貧乏学生が持てるわけもなく、かといって部屋に電話回線を引けるわけでもない。採用の知らせはアパートに隣接する大家さん宅の電話に取り次いでいただくことになっていた。
面接を終えて一週間から十日後くらいだろうか。空は灰色に滲み、雨が降りそうで降らないような天気だった。
部屋で過ごしていると、いつもの足音に気が付いた。明らかに他の誰よりもテンポが遅く、足音は少し硬い。一聴でそれだとわかる、大家さんの癖のある足音だ。もちろん、電話がかかってきているとの報告だった。いい知らせに違いないと心踊らせて、大家さん宅へすっ飛んでいった。
玄関はとても広く、上がりかまちを上がって左側には事務机が置いてある。毎月の家賃の支払いなどの簡単な事務作業もこの場で行っていた。僕以外にも電話の取り次ぎをおねがいしていた学生も多くいた。
今となっては見ることもなくなってしまった黒電話が、玄関を入った真正面の棚にどっしりと鎮座している。
初回出勤の日時と、裏口ではなくレストランの正面玄関から入るようにという指示を、メモして受話器を置いた。横で聞いていた奥様は状況を即座に把握されたのか、
「採用が決まったのね。良かったわ。頑張りなさいよ」
と、早速声を掛けてくれた。
約束の時間は次の日のディナータイム前。玄関前には長蛇の列。お客様がひっきりなしにご来店されている様子が、外目からも確実に感じられる。周りには他に競合店舗などがほぼ無く、国道沿いの便利な立地で、常に忙しい店だった。
お客様を縫うように店内に入ると、待ち構えたように店長に応対された。客席からパントリーへと続く通路へ誘導され、そこを左に曲がったすぐ奥にある出入口からバックヤードへ。
「ここで靴履き替えて」
「あっ、はい」
出入口を出たすぐ左側の壁に沿って、胸の高さくらいはある、どっしりとした下駄箱がおかれていた。靴が雨ざらしにならないよう、七段ほどある棚にはそれぞれ蓋が付いている。蓋の上部には複数の蝶番がつけられている。下部にある横長の穴を取っ手にして、手前から上に持ち上げると開く。
店長もたった今、出勤されたばかりなのだろうか。膝の高さにある蓋の取手を、少しかがんで左手で開き、右手で黒い靴を取り出し地面に軽く放り投げた。そして、蓋を持ち上げたまま、履いていた靴を蹴り入れた。
すぐさま取手を放すと、キュキュッと蝶番の軋む音に続いて、バタンと大きな音と共に蓋が閉じた。閉じた後もまだ若干の揺れは残っており、金属の擦れる音は少しずつ小さくなって、やがて蓋は静止した。
強弱記号を付けるなら、最低でもffは出ているだろう。
まだ夕方だからいいものの。
犬の遠吠えが、張り詰めた糸のように真っ直ぐに細く聞こえそうなほど静まり返った夜中だったら、近隣住民からクレームが来そうなくらい強い音だった。
そそくさと先へ行く店長。
僕も用意されていた白いコックシューズに履き替え、音がなるだけ小さくなるように、ある程度は蓋を下げてから手を離した。気を付けてもやはり、キュッからのバタンとmfくらいの音は出てしまった。
パントリーとバックヤード間の出入口を出た右側を進むと、右側にキッチンへの出入口が見える。そこを越えてさらに右に曲がった奥のつきあたり正面と、その左側に扉がある。正面の控室に通された。
中央に置かれている四人掛けテーブルには、きちりとたたまれた服が置かれていた。その隣には、何か紙のような網のような薄い物と、ステープラーも一緒に置かれている。
「更衣室でその服に着替えて。帽子も忘れないように」
控室を出て右側の扉は更衣室だった。
クリーニングをしているから脂汚れは落ちているが、それなりにシミの多いコックコート。皆で使い回しているのがありありと分かり、綺麗なのか汚いのかよくわからない。そんなコートに袖を通した。
なるほど、謎の物体の正体は帽子らしい。頭の大きさに応じて拡げ、ステープラーで留めるとあら不思議、コック帽の出来上がり。
料理は嫌いではないと言った。だが仕事としては初体験。様になっているのかどうかは分からないが、見習いコックとして一応の完成をみた。
そうは言いながら、初日の仕事は延々と皿洗いだと聞かされていたので、本来のコックとは到底言い難い。
キッチンの入り口で手の洗い方をレクチャーしてもらう。逆性石鹸とよばれる液に三十秒ほど手を浸して消毒をすると、そこから十時までひたすら洗い物。お客様は途切れる様子なし。下げられてくる食器も山のよう。一心不乱に洗いまくった。
食器洗浄機が作動している間に、次の洗い物のセットと洗い終わった食器の整理が必要。とにかく食洗機を止めないことがコツなんだと、何とか頭では理解出来た頃には、もう勤務時間が終わろうとしていた。
十時はちょうど深夜勤務の方々との入れ替わりのタイミング。続々と夜中のメンバーが出勤してきている様子で、ユニフォームに着替え終えた方から勤務に入って来られている。
勤務時間は残り三分。何とかやりきれそうな満足感に包まれて、ふとキッチンから食器返却口の先のパントリーに目をやると……それまで生きてきた中で最大の衝撃が走るのである。