片恋ランナウェイ
私の恋は、不毛なものだった。
私が彼と出会ったのは、高校一年生の時だった。出席番号が前後で席順が近かった彼とは、好きなバンドが同じで、好きなアニメやゲームも一緒で。すぐに打ち解けてよく話すようになり、いつしか私は彼のことが好きになってしまった。しかしながら、この思いが実ることは決してなかった。
何せ彼には、中学生の時からお付き合いをしていた可愛いカノジョさんがいたからだ。実によくある、失恋話だと思う。
そのことが発覚したのは、クリスマスの一週間前のことだった。その日も、私と彼、数人の友達が放課後に教室に残って期末テストに向けて勉強をしていた。最も私のは想い人と一緒に過ごせるという事実に浮ついていて、ほとんどテスト勉強は、手がついていなかったけど。確か、その日に私は彼をクリスマスデートに誘おうと思っていたんだと思う。
「そういえば、来週の火曜日あんた用事あるの?」
ぶっきらぼうな口調で切り出したけど、内心はドキドキしていた。友人たちは、購買部にお菓子を買いに行っていて、教室に二人っきりというタイミングだった。
「火曜日……って、クリスマスイブか」
「そう、クリぼっち?」
「いや……」
彼は言葉を濁した。どうやら用事があるらしい。まあ、彼は友人が多いので、先約があるのだろうと思っていた。がっかりはしたけど、それほどショックではなかった。その後の彼の言葉で、どん底まで突き落とされたけど。
「あー、お前にならいいか。あいつらには絶対に言わないでくれよ」
「え、なに?」
嫌な予感がした。さっきまでとは違う意味で、心臓が脈打つ。果たして、その嫌な予感は的中してしまった。
「俺、カノジョいるんだ」
「……っ。まじ?」
嘘だと、叫ばなかった私はえらかった。何とか、茶化しながら質問をする形を取り繕う。
「いつから?」
「中学生の同級生」
「へー」
気のないふりをする。声は震えていたと思う。彼には、気づかれないくらいだったけど。いやだ、相手のことなんて知りたくない。けれど、ここで止めてしまうのは、私の普段のキャラではないから。
「どんな人?可愛い系?」
「……きれい系」
照れくさそうな表情で、カノジョさんのことを私に教えてくれた彼のその顔は、初めて見るものだった。
その後、私はどうしたかというと、何もしなかった。そのまま、購買部から戻ってきた友人たちと、彼と教室で勉強をして、彼と一緒の電車で帰った。
唯一、親友には連絡して、泣きながらの長電話に付き合ってもらたけど。彼には思いを告げず、友人関係を維持することを選んだのだ。
◇
思えば、それが良くなかったのだと思う。あの時に、告白して玉砕しておけばよかった。そうすれば、何度も彼に失恋することなんてなかったのに。
次に、私が彼に失恋をしたのは、三年後のことだった。
「え、カノジョさんと別れたの?」
「ああ……ちょうど昨日」
私と彼が好きなバンドのライブの、開演前に話していた時のことだった。
「なんでまた」
彼には申し訳ないが、この時の私はようやく巡ってきたチャンスに舞い上がっていた。この質問も、内心をごまかすためのものだ。
「来月から留学するから、遠距離恋愛になるし俺から別れることを切り出した」
「それは……」
「まあ、彼女の負担になりたくなかったし」
そのあと私が、彼にどう声をかけたのかは、覚えていない。ただ、彼の横顔だけが記憶に残っている。
ともあれ、私は自分が考えていたよりもずるい人間だったようだ。彼の心の隙間に付け込もうとしたのだ。私は彼が留学に行くまでのひと月の間に、可能な限り彼と会う口実を作った。
あのバンド好きだからCDを貸してほしいとか、私の好きな漫画を貸してあげるとか。我ながらヘタレとしか言いようがない遠まわしさだ。けれど、これが精いっぱいだった。
いよいよ彼が留学に行く二日前、バレンタインデー前日にまたもや私は、貸してたCDを返してもらうという名目で約束を取り付けた。もちろん下心ありだった。
手作りは自信がなかったから、店売りのお高めのチョコを買って。普段よりも念入りに、髪形をセットして。数年に及ぶ片思いにケリをつけてしまうつもりだったのだ。
だけど、いろいろとずるいことをしていた私には、やはり恋の神様はほほ笑んでくれなかった。
「おっす、お待たせ」
「おう」
いつもの待ち合わせ場所で、彼は立っていた。普段通りに、「CDありがとう」みたいな話をして。さあ、いよいよと思った時だった。
「あ、俺カノジョできた」
「え?」
彼を狙っていたのは、私だけじゃないなんて当然のことを忘れていた。
話には聞いていたのだ。最近よく話すようになった子がいると。ただ、彼がそんなすぐに新しい人と付き合うなんて思ってなかったし、私の方が彼と仲がいいから大丈夫だろうという根拠のない自信があった。けれど、現実は。
「遠距離になるけど大丈夫って聞いたら、距離なんて問題にならないっていわれてさ」
「へー、なんかすごそうな人だね」
「うん」
私はうまく笑えていただろうか。
結局、お高めのチョコレートは、親友と私のお腹に消えていった。
◇
それから彼はすぐに、そのカノジョさんと別れたらしい。けれど、もう以前のように私の心は弾むこともなく、それでいて彼への気持ちは捨て去れなかった。
ずるずるとつかず離れずの距離を選んで、決して思いを告げることはなかった。
果たして私のこの想いは、恋なのだろうか。
◇
彼と二人で、映画を見に来ていた。昔の私なら、こんなことにもいちいちときめいていたのだろうけど、もう期待することもやめてしまった。彼と私は、友人でしかないのだ。
私たちは今、映画館近くのカフェチェーン店で、お茶をしている。お互いに映画の感想を言い合ったり、最近の仕事の愚痴を言い合ったり、他愛もないいつも通りの会話を交わしていたら、突然彼が姿勢を正して私にこんなことを言った。
「付き合ってほしい」
「あんた、言葉選び紛らわしすぎるわよ……。今度はどこに行くの?」
昔なら、飛び上がって喜んだのだろうけど。
「そうじゃなくて、男女の関係性の意味で」
「は?」
カランと、手に持っていたフォークが落ちる音がした。
「……何を言って」
「だめか?」
「いや、そういう、ことじゃ……なくて……」
心の奥底に封印していたはずのツキンとした甘すぎる痛みがよみがえってくる。それは、今の私には甘すぎて、もう純粋に喜べない自分もいて、だけどどうしても期待するあの頃の私もいて。ぐちゃぐちゃになる。
混乱して。ぐるぐるして。
「ごめん」
私は、その場を逃げ出すことを選んだ。
「あ、おいっ!」
彼の焦ったような声を背中で聞いた。
彼にすぐ捕まえられてしまった。ひょっとすると、わざと捕まったのかもしれない。それもわからないくらい、私は混乱していた。
「ごめん」
「謝らないでよ!」
「うん、急にごめん、びっくりさせた」
謝るな。逃げだしたのは、私なんだから。けれど口から出たのは、違う言葉だった。
「何よ今更!これまでそんな素振り一切なかったくせに。私がどんだけ悔しい思いをして、あんたがほかの女と付き合うたびに、ショックを受けていたかも知らないくせに!」
完全な八つ当たりだ。ずっと秘めていたのは私なのだから、こんなことで彼を責める筋合いなんてない。彼は、驚いた表情をしたが、すぐにいつもの表情にもどる。
「もう、あんたへの想いに気づかないようにしていたのに」
「うん」
「それを……」
「うん、本当にごめん」
続きは、言葉にできなかった。彼の胸に、私が押し付けられたから。ぎゅっと、彼のシャツを握りこむ。
「好きだ」
「うそ」
「本当に」
彼の心音が、早くなっているのが聞こえる。そして私も多分同じだ。
「信じらんない」
「……どうすれば、信じてもらえる?」
「じゃあ、証拠みせて」
「わかった」
彼の唇は、少ししょっぱかった。私の長らくの片思いは、その日ようやく決着がついた。