20話:捕食者と草食獣
「……待ってくれ琥乃美」
告白しながら、僕をベッドへと押し倒した琥乃美と目が合う。だけど、その目には何も見えない。
「何を待つんだい? 僕は気持ちを伝えた。あとは君がそれをどう受け止めるかだけだ」
「分かってるけど……すぐには返事ができないよ」
「つまり?」
「えっと……時間をくれ。僕も僕の気持ちを良く分かっていないんだ。最近は色々な事が一度に起こり過ぎている。もうとっくに僕のキャパを超えている」
「だから、良いのかもしれないよ? 君は……それぐらいが丁度良いんだ」
琥乃美はそう言って、僕の上からどいた。
「ふう……中々に難しいね。押し倒したらあとは流れで……と聞いたんだが」
「誰に聞いたんだよ」
「君の母親だよ」
「ブッ! あの馬鹿何を吹き込んでやがる!!」
思わず噴いてしまった。そういえば忘れていた。琥乃美はなぜかやけに母さんに気に入られてたな。
まさかまだ関係が続いていたとは。
「いっくん。これはフラれたということでいいね?」
なぜか琥乃美が嬉しそうにそんなことを言い出す。
「いや、だから、時間を」
「……男が時間を欲しいって言った時は、大体後ろめたいことがあるか、他に気になる人がいる時だって聞いたぞ」
「いや……うーん」
「というわけで、一旦、僕がフラれたという事で処理しても良いかい?」
「処理ってなんだよ……」
「つまりだな、僕は片想いになり、追う側になったってことだよ」
そう言って僕を見つめる琥乃美が、僕には美しき獣に見えた。いや耳と尻尾があるから、実際そうなのだけど。
「僕はね……追われるよりも、追う方が燃えるタイプなんだよ」
「そうなのか」
「ああ、だから、いっくん。僕は君を見事落として見せる。それが僕の願いだ」
そうきたか。いやしかし参ったな。
それは僕にはどうにも出来ない類いの願いじゃないか。
「心配しなくてもいいさ、いっくん。僕は全力で君に攻撃する。その結果、君がどうなろうときっと僕は満たされるだろう。だから、好きになったフリも、その逆もしなくていい。ただ、変な奴がやたらと好き好き言ってくるのを楽しむだけで良いさ。ああ、好き好き言うってのは言葉の綾でもちろんもっと語彙を豊富に愛をだな表現し……」
「わかったわかった……落ち着け琥乃美」
珍しく興奮した様子でまた僕を押し倒そうとする琥乃美を僕は落ち着かせた。
昔もたまにあった、琥乃美の暴走モードだ。こうなると、何を言っても無駄だし、言う気もない。
厄介なことになった……。僕は流石にそれを口に出すことはなかったが、琥乃美が僕を見てニヤリとしたので、きっと言わなくたって、伝わっている。
こうして僕は、捕食者から逃げ惑う哀れな草食獣となったのだった。
☆☆☆
その後、僕は琥乃美の部屋を後にして帰宅した。
「ん?」
明かりが付いている。
「……ただいま」
「おかえり~」
僕は玄関から続く廊下を抜け居間に入ると、一人の女性が寝そべってテレビを見ていた。
綺麗に茶色に染まった髪に寝癖をつけたまま、パジャマ姿のその女性は……僕の母親だ。
「あれ、母さん、今日仕事は?」
「ビルで大規模な水漏れがあって工事するんで今日は営業停止だよ。営業妨害だよマジで。売り上げ保証してくれんのか?」
「知らないよ。まあ、たまには休みもいいじゃん」
「まあな~」
ごろんと転がって、僕に笑顔を向ける母さんは、息子のひいき目を抜きにしても美人だ。すっぴんでも、アラフォーとは思えないほど若々しい。ただし見た目だけだ。テーブルの上にはビール缶が並び、灰皿には吸い殻の山。
中身はただのオッサンだ。
「んー? 久々にちゃんと顔を見るが……もしかして彼女でも出来たか?」
「なんでだよ。あ、そうだ! 琥乃美にいらんこと吹き込むのやめろよ」
「お、もしかして脱チェリーした!? しちゃった!?」
がばりと起きた母さんが嬉しそうにそう聞いてくるので、僕はその頭にチョップを入れた。
「してねえし、したとしても言わねえよ!」
「はあ? 息子がチェリー卒業したかどうかを確認するのは母親の義務なんだが?」
「嘘つけ……。とにかくいらんこと教えるなよ」
僕は鞄を置いて、部屋着に着替えると、テーブルの上を片付けていく。
「あーもー中途半端に残して。ちゃんと飲みきってから次の缶空けろって」
「だって最後らへんって気が抜けてるんだもん」
「だもん、じゃねえよ」
僕は、吸い殻をまとめて、缶を回収する。仕事してるときはかっこいいんだけどなあ……。
「いっくん、久々に一緒だから、豪勢なご飯でも出前しようよ~。明日日曜日で休みだし!」
「……ピザ食いたいだけだろ」
「正解!」
「わかったわかった」
「あと、借りてきたビデオ一緒に見よう」
「ビデオ?」
「映画! ラブいやつ!」
「ああ、映画ね」
それから、ピザを頼み、食べながら母さんと映画を見ていた。
「なあ、一里」
好きな子を嫌いな奴に取られた主人公が泣いているシーンで、母さんが突然僕に声を掛けてきた。
「ん?」
「そろそろ全部忘れて、前に進んでもいいんじゃないか?」
「……何の話だよ」
いや、分かっている。分かっているけど、僕はそう返すしか出来ない。
「誰かを好きになるって、誰かに好きって言われるのって、素敵なことなんだよ」
「分かってるよ」
「だったら、もうちょい応えてやれ。いつまでもウジウジしてるんじゃねえよ、あたしの子のくせに」
「ウジウジしてねえし」
僕がそう強がるも、それを察してか、母さんは何も言わずに僕の頭を撫でた。
「どうなっても、母さんは一里の味方だからな」
「うん。ありがとう」
久々に母さんと過ごしたその日の夜は――悪くなかった。
なのに。
翌朝。
「うっし、じゃあ、一里、出ていけ」
僕はいつの間にか、まとめられていた僕の日用品と着替えが詰められたスーツケースを母さんに押し付けられた。
「は?」
「親離れの時だ。心配するな、ちゃんと教育費は払うし、生活費も口座に振り込んでやる」
「いやいや、いきなり出て行けって! 住むところもないし!」
と、僕が言った途端に、母さんがそれはそれは楽しそうに笑った。
めちゃくちゃ嫌な予感がする!!
「なあに、心配しなくていい。とある素敵な女の子が、住居を提供してくれるってさ。可愛い子と一つ屋根の下に住むなんて羨ましいですにゃ~、あやかりたいですにゃ~。あ、間違いを犯しても自己責任だからな。ちゃんとする時は使えよ?」
「まてまてまて!! それってまさか――」
僕が母さんに事情を聞こうとした瞬間。
背後から、僕へと声が掛かる。
「――やあ、いっくん。荷物があるだろうと思って、迎えに来てしまったよ」
そこには白いワンピースを着て、髪の毛を整えたまるでどこかのお嬢様のような姿の――琥乃美が立っていた。
お待たせしました。
母親の登場です。お気に入りキャラですが、当然攻略対象ではありません。
また、ぼちぼち更新していく予定です。気長にお待ちください!
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