第5話「平和な日常」
平和である。
かつてないほどに。
私はごく普通の学生として、王立貴族学校での生活を謳歌した。
授業に出て。
剣闘部の活動もして。
昼食時にはキュウセイといちゃいちゃして。
言語学教室での翻訳作業。
ダンジョンの魔物退治。
学校主催の社交パーティーへの出席、などなど。
19歳にして、前世での学生のように。
青春を。
異世界転移によって失われたあの時を取り戻すかのように、私は各方面において精力的な活動を行っていた。
「カエデ様。こちらの書類にも押印を」
「またですか」
「申し訳ありません……重要なものでして、承認印なしで進めるというわけにも」
「わかっています。サボらないので安心してください」
たまに。
ファルコーン子爵家から部下の人が書類を持ってきて、決済を迫ったり方針を聞いたりすることがある。
私は無能であり。
部下の仕事ぶりに対してクレームを入れられるほどには、残念ながら知恵も知識もない。
ゆえに。
基本おまかせしている。
のだが。
正解がまったくわからないけれど誰かが決めなければならない案件というやつも、たまにはある。
「こちらの案件なのですが……財務大臣のルイ=ジャンと軍務大臣のマティアスで意見が割れておりまして」
「へええ」
「カエデ様の口から直接意見をうかがいたく」
「うーん……政務大臣ブリスの見解は?」
「可決してほしい、とのことですが。財力的には厳しいと」
「えーっと」
私は書類を読み進めた。
ううん。
旧スティング子爵家と旧ファルコーン男爵家をつなぐ、商用道路の整備予算捻出についてかあ。
物資輸送のための中継基地を増やしたいとか、なんとか。
書いてあるけど。
それは必要なのかしら?
こ、こまった。
どうしよう。
公債発行とか臨時徴収とか増税とか、そんなこと言われても私には全然判断がつかないぞ。
ケタが他の書類と比べて1つ大きいし。
軽々には決められない。
「これ……可決したほうが便利なんですよね?」
「もちろんです」
「で、予算的には厳しいと」
「そうなりますな」
「…………私の権限で可決します。財務大臣のルイ=ジャンに、予算面での解決策を模索してもらってください。方針としては、増税よりは予算削減の方向で」
秘書さんは顔をしかめた。
「荒れますぞ」
「ええっと……軍務大臣に命じて不満を抑えさせてください」
「それは行政大臣の担当になりますが」
「……予算削減は軍部にも当てはまります。戦争が終わったのですから、兵力は減らす方向で」
「急すぎませぬか」
「かもしれません。できれば私の口から命じるべきなのでしょうけど。いかんせん私は学生なので」
ここを動けない。
動きたくない。
だって。
正気じゃなくなるもの。
キュウセイと別れてどれほどの期間……私が「もつ」のかはわからない。
体感的には。
おそらく。
半年だと厳しいだろう。
そうなると再び部下を食い漁り、あの頭のおかしいカエデに戻ることになる。
「…………多少強引にでも、今の時代に合った体制にして下さい。不満が大きくなった時点で子爵位を息子に引継ぎ、私は引退します」
「そ、そこまでの覚悟でしたか」
執事さんは驚愕しているな。
でも。
それは。
覚悟というか。
必要に迫られて、なのだ。
子爵状態の私は正気でいられる条件が厳しすぎるので、できるだけ早期に権力を放棄して平民に戻っておきたい。
「今のこと、書面にする必要がありますか?」
「い、いえ。私が直接口頭で伝えます。その……それでよろしいので?」
「はい」
執事さんは急いで書類をまとめ、領地へと去っていった。




