第7話「冷たい現実」
次の日。
昼食をとっていた私とティッキーの横を、非常に不愉快な人物が通り過ぎた。
「あ、あれは!」
「どうした?」
「……初日に出会った賊です。大事なものを盗まれてしまいました」
「大事なもの? 貞操とかか?」
「違います! スポーツバッグと道具箱……ってゆーか、貞操は盗まれたらかえって来ませんよ。私はちゃんと処女です」
「そ、そうなのか」
「ええ……って、ジロジロ見ないでください!」
思わず食器を投げつける。
顔が赤くなる私。
ううむ。
ラブコメのようなやりとりをしてしまった。
いかんいかん。
プロポーズは断ると決めたのだ。
これ以上仲良くなるのは、いろいろと危険すぎる。
「それで」
「はい」
「どうする?」
「どう、とは?」
「敵は1人だ。やれるぞ」
「いえ……危ないことはやめましょう」
私はもう断ると決めた女だ。
頼む義理はない。
それは不誠実である。
やるならば自分でやるべきだし。
あの男は結構な手練れのようだった。
筋肉。
魔力。
雰囲気など。
ハンター達に混じって狩りを繰り返した私は、ある程度最低限の値踏みというものができるようになっている。
あの男は危険だ。
危ない。
おそらくティッキーと五分五分ぐらい。
無理やり取り返そうとすれば、少なくともケガはするだろう。
道具箱の中身はすごく気になる。
のだが。
クラスメートの3分の1が死んでいるようなこの世界で、リスクを冒してまで求めるものでもない。
「あ、そうそう。ティッキー。午後からの予定なのですけど」
「ああ。今日は遠慮してくれ。ちょっと用事ができてな」
「ええっ」
なんとも勝手な人だなあ、などと。
内心で思っていた私は、後になってみればすごくバカだったように思う。
ほんとうに。
私はバカだった。
2人がかりならどうとでもなっただろうに。
私はこの時のことを、後々何度も思い出して後悔することになった。
その日の夜。
満月。
月明かりの強い日だった。
この世界の月は血のように赤く輝く。
私は難民集団の端っこに身を置き、いつものように毛布にくるまって眠っていた。
と。
その時。
人の気配がした。
夜這いか。
難民キャンプにおいては、深夜に嬌声のようなものが聞こえてくることがある。
男女別に分けるなどという配慮はされていない。
金と引き換えに体を差し出すもの。
単に楽しむもの。
一方的に襲われて搾取されるもの。
分類はさまざまだが。
どのような場合であっても大声を出しすぎると周囲からにらまれてタコ殴りにされてしまう。
人が密集している中央付近ではそうだ。
ここは僻地。
難民キャンプのすみっこ。
叫んでも助けは来ない。
人の悪意にさらされにくい一方で、人の善意を期待できない場所でもある。
さて。
どうする。
迎撃、とまずは考える。
ハンター仲間から預けられたナイフを握ってみた。
これで?
なんとかできるか?
私が?
すぐに無理だという結論が出た。
生き物は殺せるようになった私だが。
人を刺すほどの覚悟はない。
こわいし。
犯罪者になってしまう。
差し迫る問題を解決するためには、戦う以外の手段を取る必要があるだろう。
逃げる。
走って逃げる。
それでいい。
寝起きなので少々体調は不安だが。
私の脚力であれば、きっとなんとかなるだろう。
毛布を払って身を起こし、いそいそと靴に足を入れる。
持っていく荷物はない。
よし。
準備は整った。
あとは逃げるだけか。
「カエデ」
聞きなれた声が響いた。
「……ティッキー?」
「ああ」
「も、もう。脅かさないでくださいよ。いいですか。こんな深夜に女性の寝床を訪れるというのはマナー違反である上に極めてハレンチなことで」
「こ、これを」
ふらふら、とおぼつかない足取りで近づいてきたティッキーは。
私の目の前に、かつて奪われたスポーツバッグと道具箱とを差し出した。
「え、これは?」
「取りかえしてきた……道具箱。これで、あってるか?」
「あ、合ってます。これです。わざわざ届けに?」
「…………ああ」
「わあ! すごくうれしいです! ありがとう!」
「……」
「でも、明日でもよかったのに。っていうか、これ、どうしたんです? 話し合いで解決……とか? もしくは盗んだとか? だめですよ。あまり乱暴なことは」
「……」
「…………ティッキー?」
様子が変だ。
口数が少ない、のは、夜だから周囲を気にしているのかもしれないが。
いやなにおいがする。
これは。
なんだろう。
狩りの時に動物から感じるもののような。
獣臭にまぎれて届く、あの、解体した後の動物によく似たにおい。
ティッキーが寄って来た。
危うく避けてしまいそうになったのだが。
理性を総動員して受け止める。
ぬるりと。
体重を私に預けてもたれてくるティッキーの腹からは、ぬめるような液体がしたたり落ちていた。
「……役に立てたなら、よかった」
「え、あの、ティッキー!?」
『しにかけー』
『きいてあげてー』
妖精さんがささやく。
しにかけ。
え。
死にかけ?
なら、この服の腹回りがびしゃびしゃなのは、ティッキーの血だということ?
「とどめはさしたが……しくじった。相打ちになったのだ。何もしらないで通せ。そもそも聞かれるな。よくあることだから……それで忘れられる」
「ティッキー! ち、治療を!?」
「はは、かっこつけようとしたが、失敗してこのざまだ。へんじ、きけなくなって、すまない」
「…………しゃべらないで! 治して! 血を止めて、治って!」
ティキーは首をふって、私の頬に手をあてた。
「カエデは……すごくきれいだ。もっと見ていたかったのが、こころのこりだな」
「ちょ、ちょっと! しっかりして!」
「……おれは、なにか、まちがったのかな? すまんな。不器用で。好意の示し方が、他によくわからずに…………」
最後まで言い切ろうとするうちにティッキーの声がだんだん低くなっていき。
そして。
途中で途切れた。
ティッキーは死んだ。
死んだ?
私はこんらんした。
え。
なんで。
口に手を当てる。
息をしていなかった。
脈をとる。
ない。
わからない。
血はもはや流れていないようだ。
それはトドメを刺されたあとの鹿もどきにそっくりで。
彼らが報復としてやったのではないかと。
そんな妄想にもかられた。
『しんでるー』
『もうむりだぜー』
叫びそうになった私を妖精が押しとどめる。
月明かりでキラキラと光る妖精さん。
幻想的な景色だ。
死んでいる。
もうむり。
妖精さんはそう言った。
助けを呼ぼうにも、暗くて医者がいる方角さえわからない。
叫んでも無駄だろうか。
無駄だな。
医者は寝ているだろうし。
これは致命傷だ。
夜中に難民キャンプで叫んで叩き殺された者はけっこういる。
ここはそういう場所なのだ。
ダダをこねれば救急車を呼んでくれた前世の環境とは違う。
こんな時に冷静な判断をしてしまう自分が消えてしまいたいほど呪わしい。
「で、でも。ここは異世界なんだから……」
生き返れないだろうか。
よくある話だ。
昔死んだ人のために蘇生アイテムを探すとか。
人を生き返らせる。
かんたんなことのように思える。
さっきまで生きていたのだ。
昼ごろまで。
私と楽しく会話していたのだから。
だから生き返れる。
そう。
そのはずだ。
私は声を絞り出して傍らの妖精に聞いてみる。
『よ、妖精さん』
『なーにー』
『人を……生き返らせる、ことはできるだろうか?』
『むりー』
むりー。
むり。
無理。
その言葉は元の世界に帰れないと言われた時よりも、強く。
ひときわ重く響いた。
ティッキーは死んだ、らしい。
どうしよう。
せっかく道具箱を持ってきてくれたのに。
お返しできない。
受けた恩の返し方がわからない。
そうじゃない。
そんな関係じゃないはずだ。
もっと軽い努力でいい。
命をかけてまで好意を示さなくていいのだ。
私はただ、たまに話しかけてくれて、たまに気遣ってくれて、たまに抱きしめてくれるような人がいれば、それだけで。
いや。
そもそも。
私は、ティッキーのプロポーズを断るつもりだったのに。
断らなければよかった。
ちがう。
まだ断ってなどいなかったが。
それでも。
せめて気づけばどうにかできたはずだ。
用事があると言って別れたあの時に、一緒に戦ってさえいれば。
おそらく。
きっと。
どうにかできていたはずなのだ。
涙が出る。
次々と後悔があふれ出してきて止まらない。
どうしよう。
報われなさすぎる。
私はティッキーにお返しできるものを何も持っていないし。
そもそも。
お返しをするつもりさえ。
ないのに。
どれほどの時間が経ったのか。
妖精が私の手を引いている。
逃げろ。
すぐ離れろ。
これはそういう合図だ。
いつも私を救ってくれた力であり、頼りになる道しるべだった。
でも。
ここにいたい。
せめて。
今は。
あと少しだけ。
『あぶないよー』
『あっちへいこー』
妖精の声が聞こえる。
うん。
わかっているさ。
そうだな。
私は、生きなければ。
ここにずっと、いたいけれど。
行かなければ。
そうしなければならない。
私は荷物を手に取り、ティッキーの死体から離れて闇の中にまぎれた。




