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──ミア、知ってるかい。名前って、救いにも呪いにもなるんだぜ。
……声が、した気がする。つい数時間前、ぼくを連れ回したあの迷惑さんが、なんとなしに呟いたおだやかな声。
──ありえん! 名前にその言葉が入っているなど!
都隊長さんの、声もする。
ぼくを最初に取り調べした、都隊長さん。話し始めは普通だったのに、名前を言ったら急に怒りだしたんだよなあ。
でも、そんなに怒られたって、どうしようもない。何を言われても、ぼくの名前はぼくの名前なのだ。有り得ないと言われようが、嘘なんてつきようがないのに。
だからぼくも、ただ言い返すしかなかった。
「あり得なくないよ! ぼくはエンシーミア・ウィザード!」
その重りが何なのか、なんて。
知るはずもなくて。
***
「留学生ッ! 離れろ!!」
「ダメよぉッ、完全に掴まれてる! 貴方の属性じゃ合わない!」
「くっ……!」
「なんて気流……これじゃあ、部屋の外まで飛ばされちゃうわ!」
ふわふわ、ふわふわ。激しく家具が揺れ、突風が部屋に吹き荒れる中、ぼくの体だけを"何か"が覆ってすくいあげている。
だれか、ぼくをよんでいる。
美形さんとチーターさんが、ぼくから儀式板を離そうと試行錯誤している。それとは別に。
もっと、遠くから、深く。
何か。
《────、──》
「……なに?」
手を伸ばす。存在があるかもわからない空間に、その"何か"が……ううん、たぶん"誰か"が、いるような気がして。
《──れ──じゃ──》
「え?」
《それじゃ────な──い》
──それじゃない?
どういうことだろう? 少しだけぼやあっとする頭をまわして、考える。
それじゃない、ということは、違う何かを求めてる? ……いや、それ以前に、『それ』とは何か。
考えていれば、ぼくがこの"誰か"と出会す直前にしていたことと、さっきまで頭の奥で不貞腐れていた出来事が重なって、ぴたりとひとつの答えをはじきだした。
「ちがくない。ぼくの名前は、《ウィザード》だ」
《──》
揺るぎなく、真っ直ぐ伝える。
びゅおびゅお吹き荒れる風の中で、小さな笑みを感じた。それはぼくの幻覚だったかもしれないけど、確かにそう感じられる感覚がぼくにはあった。
風の温度に暖かさが増す。
《ここに、加護を──貴方の新たな旅に、祝福を》
うわ!?
ぐわり! とあたりが揺れるほどの強風が一筋の直線となり、儀式盤へと消えていく。
ぱらぱらと部屋中に紙類が舞っていたのが、徐々に床に落ちていく様子が、まるで花びらみたいだな、なんて場違いなことを思う。
儀式板に変わった様子はない。ぼくにも何か変化があったわけじゃない。
魔法が使えるような感覚は全くしないけれど、これで終わりなんだろうか……?
「新たな旅、か……」
横からぽつりと聞こえてきた声にハッとして辺りを見渡せば、部屋の惨状に苦笑するチーターさんと、チーターさんに腕を捕まれた状態で顔をしかめている美形さんがいた。
サアア、と血の気が引く。ま、また美形さんが怖い予感ですか!?
身体の前で指を組んでもじもじしていると、ぼくの横からした声の主──キリンさんが、のんびりと近づいてきた。正確には、首が長いのを利用して首だけぼくに寄せてきた。びくりと驚いてしまったのは許してほしい。
「エンシーミア・ウィザード、君の身分を認めよう」
「は!?」
「あらぁ!」
ベロリ、とキリンさんに顔を舐められた。え、どういうこと……突然濡れた顔にショックが隠せない。
ふぁっふぁっふぁっ、と楽しそうに笑うキリンさんを呆けながら眺めていると「納得がいきません!」と食ってかかる美形さんの声がした。ツカツカと歩み寄ってきて、ぼくをビシリと指差す。
「開花の儀でこのように場が荒れる前例など無いでしょう! 彼の名は嘘と取るべきです!」
「何を言うとるんじゃ、御前は。精霊が加護を与えたのは御前も見ていたじゃろうて」
「加護を与えれば身分を偽っても良いと仰るのですか!」
「どうじゃろうなぁ。ワシもタダで認めてやるとは、まだ言っとらんからなぁ」
ぱちり。瞬くぼくに、キリンさんと美形さんの視線が注がれる。
「……何を考えているのですか」
「まだ何も考えておらん。ただ、御前さんの言うように『ウィザード』という名を認められん者もいれば、何であれ精霊が加護を与えたならばよしとする者も居る。そこの穴埋めは、何かせんとなあ~~~とは、思っとるのぉ」
ふぁっふぁっふぁっ。またキリンさんの笑い声が響く。雲行きの怪しさに、恐る恐るぼくも手を挙げ発言しようとする。
と、いつの間にか背後にいたチーターさんに口を塞がれた。見上げると苦笑したまま首をゆるゆると横に振られる。ぼくが話に入るのはよくないらしい。
──かくしつ、でもあるのかなぁ。
最近覚えた難しい言葉を当てはめながら、キリンさんと美形さんの不穏な空気を見守る。
数分、きっと実際には数十秒くらいの間を置いて、二人の睨み合いは終戦した。
「……もし本当に認められた名であるなら、実力を示すべきでしょう。『ウィザード』の名を持つならかなり高い素質であることが予測されます」
「同時に、『ウィザード』なんて名を扱えるわけがない……と、言いたいわけじゃな。オウポット」
「私でなくても思うことです」
美形さんは小さく息を吐き出し、ぼくをきつく睨む。
けれど先ほどより、怖さは感じなかった。
「君は何もわかっていないだろうが、我々は自分の名前を呪文とする魔法使いだ。『ウィザード』とは魔法使いそのものを現す言葉であり、崇高な存在であることを言う」
「はい……?」
「名に『ウィザード』が入っているということはつまり、我々魔法使いの代表であると言っているようなもの……ああそうだ、良い例えがあった。《人々の世》の人間にわかりやすくいうならばな、」
は、とぼくを嘲笑うかのように、美形さんは告げた。
「自ら自分は神であると、名乗ったようなものだ」
──小さな光が、ぼくの前をチカチカと光りながら、駆け抜けていく。
後ろにいるチーターさんが「がんばってね、自称『カミサマ』」とからかう声が、全く笑い話に聞こえなかった。