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三題噺殺人事件

作者: 古屋宗八

『三題噺殺人事件』

                                  古屋宗八


※この物語はフィクションであり、過去および現在の実在人物・団体などにはいっさい関係ありません。一部、実在の団体等の名称が登場するが、あくまでフィクションなのでご了承ください。

 

深夜二時、北陸特有の、水分のたっぷり含んだぼた雪が容赦なく降り注ぎ、鉄筋コンクリート構造のサークル棟を否応なく凍えさせている頃、ペンクラブの部室で倉知が白い息を吐きながらパソコンで遊んでいた。炬燵の上には生体化学の教科書とノート、プリント類。彼は部室を自習室としてよく使っていた。

 勉強の気晴らしに過去の部誌を読むと面白い、倉知は自分の生まれた年や物をよく知らない子供の頃に発行された部誌を読んで、過去の人間が今の自分の歳で何を考え創造したのか大変興味があった。また、ペンクラブのパソコンに消え残った過去の卒業生の禁酒宣誓やコスプレ画像などの俗っぽいものを見て何だか全く知らない赤の他人の秘密の日常を盗み見ているようで興奮した。

 何か隠しフォルダとかないかなーとコマンドプロンプトで調べてみると過去のエッチなイラスト集やら小説などの見るに堪えない恥ずかしいものが沢山出てくる。プロパティを開いて何年のものかを調べその年の部誌でペンクラブの構成人数やらを推定していくと絵のタッチとか文のクセなどで、その作者が特定できたりするのだ。

 このように勉強をした後の気晴らしにフォルダを漁っているとシステムフォルダに「死人」というフォルダがあった。開けてみるとジェイピグの拡張子の画像ファイルが一つある。

 開いてみると、吃驚した。裸の女の胸にナイフが刺さっている写真だったからだ。肌は青黒く青の網目状の線が走っている。倉知は医学部だからそれが死体であることは一目瞭然だった。否、仮に写真の被写体が本物の死体でないにしろ、その作品の作者は倉知と同様かそれ以上に死体に熟知していることは間違いない。ジョークにしてはその作品は出来が良すぎた。倉知は興奮した、自分の在籍しているペンクラブというサークルにこんな秘密があったことを。プロパティを調べると2010年。今からちょうど十年前の今頃に作られた写真だ。撮影場所はこの部室のようだ。今とは置いている物も配置も全く違うが、ペンクラブの過去ログに置いてあった昔の写真と類似していたから間違いないだろう。壁にぐったりともたれかかるようにして死んでいる眼鏡の女性は、恥部もはっきり写し取られており嫌にセクシーだった。たぶんグラビアなどと同じ表現手法が取られているのだろう。クッションのようなもので女体を固定していると倉知は思ったが、どうも違和感があった。拡大して観察してみると、どうやらこれは空手道とかムエタイなどで使われるキックミットということが分かった。倉知にとって見慣れている物だが、ペンクラブという文芸同好会のようなサークルとは不釣り合いなので不思議に思った。

 しっかし、この眼鏡の女性、美人だよなぁ、倉知はホルマリンの甘い匂いを思い出した。倉知はどちらかという法医学の専門だった。普通、死体というものは腹の内側から腐っていく、人が死ぬとすぐに胃酸が胃の内壁を溶かし始め、やがて貫通して腹腔の内側に流れ出す。やがて漏れ出した消化液は他の臓器を溶かし、そうしてドロドロになった状態で腸内細菌が活動し悪臭をもたらす。その過程で体内からのガスで死体は多かれ少なかれ膨張し、むくんだ状態になるのだが、この死体はそれ、医学用語で膨満が見られない。かなりきれいな体だ。腐敗網が見られるということは死んでから二、三日たった後に本格的なエンバーミング(遺体衛生保全)がされたのだろう。もしこれが本物の死体だったとしたら、いや本物であることを、既に倉知は確信していたのだが、何者か―――医学関係の専門家が関わっていることは確かだ。なぜなら、エンバーミングは素人には決して出来ない仕事なのだから。

 倉知は自分と同じ種類の人種の存在を嗅ぎ付けた。まさか暇つぶしにこんな愉快なことが見つかるとは、倉知は、画像をUSBメモリに保存して「死人」というフォルダごとコマンドプロンプトで念入りに完全に消去した。こうしておいてもハードディスクを物理的にも攫えばデータを拾えないことはないが、そんなことが出来るのは警察ぐらいだし、警察もまさか一介の大学サークルのパソコンを押収しようとは思わないだろう、倉知は通常、慎重なタイプだが、時々驚くほど大胆になって楽天的思考で賭けをすることがある。そして十中八句、その賭けに負けたことはない。

 倉知は唇を濡らして、ゲームスタートだと頭の中で呟いた。


    ※


 私は楡原と一緒に準星という部誌の印刷の準備をするためにサークル棟に訪れていた。本来の締め切りから考えるに四月中になって部誌が印刷できていないなんて異例中の異例なのだが、後期試験の準備期間で学校に入れなかったり、部員が大幅に締め切りを破った挙句、脱稿できなかったりしたので、まぁ運が悪かったとしか言いようがない。私は不活性な大学生なので、責任なぞは毛ほどにも感じないのだ。人生はなるようになるし、ならないときはならない。私たちは戦後復興やら経済発展とかでヒ―ヒー言っている世代じゃないのだ。私と同様に楡原はゆったりゆったり海月のように生活する人物であったが、部員というものは締め切りを破るものだし、三流国立大学でやれることなんて限られているので、問題になることはなかった。

 むしろ、楡原には人をゆとりにする才覚があり、付き合っていると、自然と心が堕落しきってゆったりしてしまうので、自然と楡原の周りにはゆるい牛乳膜のような堕落しきった空気になってしまうのだった。無論、私もその餌食になっているだろう。

 ペンクラブの部室はサークル棟の三つの棟の真ん中突き当たり右にある。旧式のダイヤル錠がついたロッカーが棟の付け根にあり鍵番号を知っているペンクラブの部員は何時でも自由に部室の鍵を取り出すことができる。私はいつものようにダイヤルを回してロッカーを開けた。が、何故か鍵がなかった。あれーおかしいなと部室のドアノブをゆっくりまわしてみると鍵がかかっている。私は扉をノックする。おーいと声をかけてみる。どちらも反応なし。扉のすりガラスでは中の様子がわからない。外に靴が置いてないので部室に人がいるとは思えないのだが。私と楡原は顔を見合わせた。

 大学に連絡してサークル管理人にマスターキーで開けてもらった。管理人さんにお礼を言って扉を開けると東側の壁に一年生部員で顔見知りの女の子がいたので驚いて短く悲鳴を上げてしまう。顔が良く見えない。顔色とか肌の色が全体的に灰色で気味が悪い。楡原も大きく唾を飲み込んだ。なんか首に演劇部で使う音響ケーブルみたいのが巻きついてる。なんでそんなものを巻き付けて眠っているんだろう………。

 否、眠っているのではない。死んでいるのだ。そう思うと、ガクガクガク、体が震えてしまう。楡原が私の手を握った。私は涙目で楡原を見る。楡原は小さくうなずくと、とりあえず管理人を呼んでこようと言った。その静かな声で私はまた泣いてしまった。くそ、にれはらのくせに………。

 その後はごった返しだった。私たちはサークル棟下で待機していた。管理人さんが大学総務課を呼んで、大学が警察に通報して(大学に警察はうかうか入れないらしい)、私たちは事情聴取やなんやらで何度も同じことを説明する羽目になった。

 まず、音響ケーブルはサークルの備品かと尋ねられた。私も楡原も部室にはよく顔を出す方だったが、今までそんなものは見たことがなかった。少なくとも最後に訪れた一週間前には確実に無かった筈だ。音響ケーブルはニメートルちょっとの長さで、六ミリ幅のきしめん状のラインに両端から赤と白のピンプラグが二股で分かれている。これが遺体の首に巻き付いていたってことは、これで命をなくならせたのかな。

そして、鍵の管理についてしつこく訊かれた。というのも我々部員がいつも使っている鍵が部室の中で発見されたからだ。警察が他殺か自殺のどちらの線で動いているのかはっきりしなかったが、他殺だったら密室殺人事件になってしまう。楡原によると、もし音響ケーブルによる縊死(首吊りで死ぬことらしい)であるならば、音響ケーブルを引っ掛けるためのある程度の高さの物がなければならない。しかし、部室には適当な金具などはなく、あるとするならばドアノブを使用する方法だという。

 「えっと、それが?」私は楡原に尋ねた。

 「その場合、遺体はドアの前になる。けれど実際には東側の壁に遺体はあった」

 「そっか自殺じゃないってことか」自信満々の私の答えに、しかし楡原は首を振る。

 「いや、自殺してから誰かが遺体を動かしたケースだって考えられる。そして、その場合は他殺と同じ問題が発生する。つまりは密室だ」楡原は冷静に言った。

 「なるほど、鍵の管理は基本的にペンクラブ部員がしている。ということは、犯人は身内にいる?」私は思考を張り巡らす。

 「もしも合鍵を持っていたとしても部員が関与している可能性が高い」楡原はここで言葉を切って、顔に似合わない緊張した面持ちをして言った。「でも他殺じゃないかもしれなくてよかったね」

 「え?」私は目を瞬かせた。「ああ、そういうことね。確かに他殺だと問題だわ」

 そう被害者は他ならぬペンクラブの部員であり、必然的に鍵を恒常的に取り出せるペンクラブ関係者である可能性が高い。それに、もし外部の人間が、例えば管理人が犯人だったときは密室にするメリットがない。何故ならマスターキーを持っている自分が真っ先に疑われてしまうからだ。私はもし知り合いが殺人犯かもしれないと考えると背筋が凍って吐きそうになった。


  ※


 中央図書館二階で倉知は時間をつぶしていた。医学生である彼は普段はここから五キロメートルも離れている杉谷キャンパスで過ごし一般教養のある、とりわけ月火水の日だけ、この五福キャンパスで授業を受けていた。しかし、彼は一般教養の科目は既に全て取り終わっており、わざわざ五福キャンパスに出向く必要はない。では何故、彼は五福キャンパスで暇を潰しているのか?理由は三つある。まず、彼は十年来の空手家であり、趣味で大学の部活で空手をやっている。この大学の空手道部は五福キャンパスでしか活動していないため練習に参加するためには遠く離れたこのキャンパスに来ないといけない。といっても趣味だから、気が向いたときに参加しているだけだが。二つ目、彼は二回生の後期に必修の単位を一つ落としており、医学部は必修単位を落としたら即時、留年が決まるため、この一年、倉知は殆どやることがなく、ふらりと五福にある拠点で勉強したり遊んだりしていた。彼は現役で医学部を合格しており、将来有望といわれ続けた人間であったため、今回の留年は決して彼だけの原因ではないとしても、彼の自尊心と経歴をひどく傷つけるものだった。そのため、杉谷キャンパスで過ごすことが些か苦々しいものとなり、その逃避と療養といってもさしつかえはない。今はもう春休みの折り返し地点であり、あと一か月後には再び医学生として、そして遅れた分を取り返すためにも、より一層勉学に励まなければならない。

 そして三つめ、これは最近できた理由なのだが、倉知はまた、ペンクラブというサークルに属しており、ときどき部室を使っていたのだが、そのとき偶然に部のパソコンから見つけた死体の写真に強く惹かれ、その出自の詳細を調査しようとしていた。勿論、彼の趣味として。だが、その願望は調査開始から僅かで阻まれることになる。そうペンクラブの部室から死体が発見されたためである。自殺か他殺か、死因すらも発表されていない。倉知は眉毛を触って目を閉じて考えた、どうにかして部室の中に入れないものかと。彼が眉毛を触るときは何か困難な問題がどうにもならなそうなときである。

 さて、どうしたものか。まず今回、写真でなく実際に部室に人間が死んだこと、これは十年前に撮られた死体写真と関係があるのだろうか。彼の脳裏に一つの考えがよぎる。関係があるとすれば、今のところ一つだけ、いやまさかな。彼は内心でかぶりを振る。

そして、死体写真のこと、あの被写体の女性の正体と撮影者。十年前のペンクラブは現在よりも、その過去よりも部員数が多く全盛期だったようで最も部内誌の数が多い。彼は部室に保存されている部誌を持ち出すようなことはしなかったので、部室が警察によって封鎖されている現在では、部誌から十年前の構成人数や関係性、何が起こっていたかを推定することが出来ない。むしろ、死体写真を知る手がかりの殆どはペンクラブの部室にあることは確実に間違いがないだろう。

 何か他に手がないってわけではないんだけどな……。とりあえず、事情を知っている奴を見つけ出さないといけない。だが、ここは俺のアウェーだ。上手くいくか五分五分ってところだな。倉知は舌打ちをした。


    *


 ここんところ、警察の応対に多忙に追われていた私は市立図書館でぐったりしていた。図書館は癒し……。ああ、そういえば準星が印刷できていない。でも部室は警察がいるし、面倒だなあ。正直、事件があるから仕方がないよね。自粛、そういうことにしよう。

「津幡佳奈さんですか」

「そうですけど、何でしょうか」

「自分は倉知という者です」男は首筋をかいて付け加えた。「ペンクラブに所属していますよね。俺も幽霊ですがペンクラブ部員なんです。ちょっと事件のことを訊いていいですか」

倉知を名乗る男は肩幅が広く背も高い切れ目が特徴的で言葉尻は丁寧だが人を圧倒する独特な印象を私は持った。ペンクラブ部員だと言っているが私は面識がない。幽霊部員でも大学に提出する構成表には載っている筈だから後で確認しておこう。

「なんか怪しいですね。大体、なんで私がここにいるって知っているのですか」

因みに私と楡原が事件の第一発見者ということは良く会う知己な部員には知らせてあるが、面識もないような場末の幽霊部員には伝えていない。警察もマスコミもプライバシーの観点で公表していない筈だ。知己な部員がみだりに情報を漏らすことはないと思うので、私に事件のことを聞く時点でかなり怪しい。

「ツイッター、やっていますよね」倉知は携帯を指さした。「かなり本をお読みになるのですね。読了後に感想を良くツイートしています。そして今日の午前、本を読みに行くというツイート。そしてあなたがアップした写真に写っている本を地元の図書館で検索をかけたところ、この図書館で既に借りられているものだと分かりました。本屋で買った可能性もありますが、文庫本の一つが廃版となってネット通販でも売られていないものだったので必然的にそうかなと想像しました」

たいした推理力だ。というか粘着質なストーカーみたいだな、こいつ、私は呆れた。ちょっと私も事件のことは興味があるので、こいつを泳がしてみることにした。

「それで何が知りたいのですか」

「まず事件のこと、諸々です。どういう風に死んだのとか、思ったこととか発見状況を知りたいです」倉知は一息ついて、取ってつけたように付け加えた。「今度、創るミステリー参考にしたくて」

私はかいつまんで彼に説明した。彼は幾つか質問をし、それに私が答えた。質問内容から彼は、被害者が死んでいた部屋の位置や鍵のことに多大な興味を示したようだった。    「なるほどなあ。鍵は内側にあったわけですね」

「そう、密室なのよ。だけどどうやって死んだのか、まったく見当がつかない」

「合鍵があったということじゃないですか」

「まさか、マスターキーは管理棟で保管されているわ」

「でも、鍵は番号さえ知っていれば取り出せますよね。あのくらいの鍵くらいなら粘土で型を取って簡単にプラスチックなんかで合鍵が作れますよ」

「そう、だから。ペンクラブ部員が何らかに関わっている可能性が高い。でもほかの部員には言わないでね。絶対、混乱してしまうから」

「OG、OBが合いかぎを作って所持している可能性はないですか?」

「ドアの鍵は、去年の夏から新しいものに変わったの。そして暗証番号は追いコン、新入生歓迎会、三題噺みたいなペンクラブの活動に参加しているか、よく部室でたむろっているペンクラブの主要部員にしか教えていないの。つまり、合鍵を作れる人間は、ペンクラブ主要メンバしかない。でも事件当日の犯行予測時間にはペンクラブ主要部員はすべて完璧なアリバイがあるのよ。私と楡原を含めてね」

「といいますと?」

「あの日、卒業お祝いという名目で飲み会をやったの。そして二次会はカラオケで朝の五時までみんな遊んでいたのよ」

「ペンクラブの主要メンバの全員ですか?」

「私と楡原は準星の印刷の準備のために三時に抜け出したけど、その後ずっと楡原と満喫にいたからアリバイは証明できるわ」

「被害者の女の子は?」

「その日、体調が悪いって連絡が来て、それっきり。飲み会にも来てないわ」

「他殺か自殺かもわかってないみたいですね」倉知は人差し指を唇に当てた。「不審死ってわけだ。それともう一つだけ、ロッカーの鍵の暗証番号は誰が考えているんですか」

「部員が集まったときにサイコロを振って決めているの。だから、過去の暗証番号の流用をしていないし、少なくとも部員が漏らさない限りは、ドアの鍵を得ることが出来ない」

「実際、警察はペンクラブ部員の周辺を洗っていることですしね」

倉知は落ち着いた風貌だが、何か強い攻撃性のオーラというらしきものを身にまとっているようだった。現に、私はその言い方に違和感を覚えた

「貴方にも警察が来たの?」

「ええ、まあ」倉知はそう言って肩を揺らし、私は倉知が言葉を濁したように見えた。

「あ、後ですね十年前のペンクラブで何か女性が死んだとかなんとかの事件ってありましたか」倉知はそう言った。私は肩を震わせた、彼がどこまで何をしっているか分からない。しかし、それはある一部の学生だけが知っているタブーの筈だ。

「どこで、それを?」私は冷たく言った。

「いや、風のうわさで」倉知は私の様子に驚いたようで、居心地が悪いように頬をかいた。

もしあのことを知られたら、どうしようか。なぜ、いったいどうやってこいつはそんなことを知りえたのだろうか。私の心臓の鼓動が不吉に早くなるのを感じる。

私は彼がペンクラブのあのころのどこまでのことを知っているのか洗いざらい問いただしたかったが残念ながらそれは後ほどになりそうだ。なぜなら、背の低い屈強な男と中背のひょろりとした二人組の男が近づいてきたからだ。

「ちょっと話を聞かせてもらっていいかな?」背の低いほうが倉知に言った。

倉知が事態の変化に面食らって呆然としていると、中背の方が、背広の裏側から警察手帳を出して「こういうもんです」と言った。

この二人の警官は私が倉知に会ったとき、既に保険として連絡しておいたものだ。

二人の警察は倉知を挟み込むようにして向かい合った。

「嫌ですね、俺が話をすることなんて一つもありませんよ」

そう言って倉知は警官の間をすり抜けて脱兎のごとく逃げ出した。

「あっ待て!」がたいの良い方が叫ぶ「おい、下に行ってまわりこめ」

倉知は閉まる寸前のエレヴェータに飛び乗る。ひょろ長い警官はエスカレータで下に回り込もうとするが生憎、それなりに人が乗っており一筋縄ではいかない。きっとこれじゃ倉知に逃げられてしまうだろう。


        *


うっすらとホルマリンの匂いが立ち込める、人子もいない医学部棟に、倉知は黒桐々とした闇に紛れて潜んでいた。セキリティの甘い廊下を使って、彼は息をひそめて法医学研究室に入る。この研究室の長は倉知の家族の遠縁にあたる人物であり、彼が一年生の頃から、その方面に進もうとしている旨を伝え、特別に学部一年生の頃から遊学に行くことが許されていた。この叔父といえる人物は、県警の検視官のプロにして権威的な存在であった。第一線は流石に若輩に譲り渡しているが、厄介な事件や変死体に対しては今でも意見を求められるのだった。そして倉知は知っている、彼は情報保護の観点から仕事を一切、家に持ち帰らず、大学で保管していることを。

 倉知はサーチライトを口にくわえて、目当ての書類を探す。冷や汗が出てくる。万が一に見つかってしまえば、医学部生としても、社会地位的な人間としても終わってしまうだろう。

しかし、妙な、熱狂ともいえる好奇心と興奮に倉知は揺れ動かされていた。何の熱に狂い、何に熱をもって狂っているのかさえ分からないまま。

 星井咲―――例の首を圧迫させて死んだ、哀れなペンクラブ部員。彼女の死にざまと言える検視結果は紙切れ数ページにまとめられ、存外にあっけないものだった。

 自殺か他殺か判別は出来ていない、凶器とおもわしきものも見つかっていない、そして首に掛けられた音響ケーブルは誰がどうやってかけたのか。はっきりとしていない。

 そして―――驚くべきことに被害者の口からルーズリーフが見つかったそうだ。丁寧にも付箋に十年前の事件と同一犯?とメモされていた。同封された書類に十年前にあった死体遺棄事件でも同じようにルーズリーフが口に押しこまれていたらしい。

 そのルーズリーフにはどちらとも『三題噺』と書かれていた。


      *


 私と楡原が大学構内を歩いていると突然、背の高い若い男に声を掛けられた。

 「俺は今、ペンクラブの事件を調べている記者なんだけど少しいいかな」

いや、駄目ですと、楡原が言った。

「いやね少しだけ」記者を名乗る男は写真を見せた。「この人、誰かわかるかな」

「いいえ、知りませんけど。なんですこれ、死体の写真じゃないですか」

そこにはサークル棟の部屋のようなところでナイフに刺されて死んでいる女の死体が写っていた。私は思わず息を呑んだ。

「この写真は?」

「十年前、呉羽山で謎の死体遺棄事件があった。その被害者によく似ているのだ。そしてこの部屋は十年前のペンクラブの部室だと思うのだがどうだろうか」

「そういえば前に見たのと似ているような気がしますね。でも僕たち十年前の事は余り知りませんよ」

「いや俺は今回の事件と十年前の呉羽山死体遺棄事件は関係があると睨んでいるのだよ」

「どういうことです?」

「どちらも口の中に、ルーズリーフが詰め込まれていたんだよ。そしてそのルーズリーフにはどちらにも共通して『三題噺』と書かれていたんだよ、何か知っていることはあるか」

「一つだけ気になっていることがあるんです、凶器の音響ケーブルについて」

「あの音響ケーブルは凶器じゃない。凶器はもっと細いピアノ線のようなものだ」

「どうして、貴方はそれを知っているんですか」楡原が首をかしげる。

「さあね」倉知はぶっきらぼうに言った。「ただ信憑性はかなり高い筋とだけ言っておこう」

「凶器でないなら、何故首に巻き付けてあったんだろう」私は呟いた。

「犯行に関わるものか、あるいは、ただ犯人の遊びなのか」楡原は振り返って私を見た。「不思議なことと言えば、この画像に写っている、この青いマットみたいのは何だろう」

「ああ、それはミットだ。蹴りがある格闘技の練習に使うんだ」倉知が答えた。

「これ、うちの備品じゃあないね」楡原は瞬きを瞬時にした。「音響ケーブルだってそうだ」

「同じように犯人からのメッセージかもしれないな。こういう快楽犯にはありがちなことだ」倉知は一瞬立ち止まって私たちの方に目を向けた。「何か心あたりはあるか」

「一つ一つに何か意味を見出すことは出来ない」楡原は言葉を切る「でも、もし両方の事件が独立したものでなく連続性をもつものならば、一つだけ、ペンクラブに関わるものがある」

「何?」

「三題噺だよ」楡原の言葉に私は驚いた。「今回のテーマは、ケーブル、ミットそして楽譜記号だ」

「やっぱり、二つの事件がつながったな。それで三題噺って何なんだ」

「ペンクラブでは、不定期で三つのお題を出し合って、そのお題に沿った小説を書いて、皆で講評しあうんだ」

「それが、殺人事件と関係があるの」私の口調は冷たい。「いくらなんでも荒唐無稽すぎない?だいたい、写真の事件と今回の事件は関係あるとしても、いくらなんでも十年越しの連続殺人って気が長いし。こういう犯行って気がついてもらわないといけないわけだから、もっとはっきりとした手口を使うんじゃないかなあ」私が言った。

「うーん。人を殺す時点で常軌を逸しているといえるからなあ、論理的な行動ができないのかもしれないよ」楡原は言葉に詰まらせた。「ただ何かを守るためだったのかもしれないよ」

「つまり誰かがこの画像を見つけてしまった。これ以上、調べられると問題だから、誰かを殺して部室に入って調べられないようにしたということか」記者が言った。

「なんか、火を消すために火をつけるみたいな。本末転倒じゃないそれ。リスクが高いでしょ」

「あるいは被害者の女の子もその写真関係の何かを知ってしまったか」

「口封じってわけね」

「なあ、今と十年前の部員を集めることってできるか」記者は尋ねた。

「今の部員は事件のことを話したいとか、そんな口実で集められますけど、流石に十年前、のOBを集める伝手はないよ」楡原が言った。

うううと唸る記者と、これ以上出てこない情報に場にどんより停滞感が広まった。私はこの微妙な空気に耐え切れず、スマホを開いた。そして気付いた。

「ツイッターで、辿ればなんとかなるかもしれない」

「これで、犯人が捕まりますかね」楡原が呟いた。

「わからない、だけど犯人は必ずペンクラブ部員にいる……と俺の直観が言っている」

記者が言った。


   *

 

倉知は考えていた三題噺が、現在のお題が過去の事実をも関係するという突拍子もないことを。そして、犯人の存在。倉知は、捜査や詳細な現場検証、ペンクラブの人間関係などは殆ど、把握していなかったが犯人の素性、トリックはある程度は検討をつけることができた。勿論、倉知は正確な証拠を得ているわけではなかったから確実にそれが真実であるかは確実ではないものの、そう考えれば過去のペンクラブの死体写真も容易に説明ができるため、それが真実らしいことを暗に示していた。

 そして考えた犯人と俺とどこまで性質が異なるのだろうかと。大学を退学するようなことを平気でしてのけた自分、それに良心の呵責さえ感じない。俺は事件のことを追うにつれて犯人にひどく興味を覚えた。そして犯人に協力をしたいとさえも感じた。

 どうしてだろう?猫の首をそっと撫でたことを思い出す。

 どうしたいのだろう?猫の首をそのまま力を込めて指を丸めたことを思い出す。

 じたばたする猫、歪な鳴き声、もっと力を籠める。意外と力が強い。後ろ足をおもっきし殴ってやる。ざまーみやがれ。

 あのときのことを思い出すのは何故だろう?後悔していたのに。

 あのころのことに胸が締め付けられるのは何故だろう?人並みには幸せだったのに。

 犯人と感情が同期する、そんな気がする。

 嗚呼、これが人を理解するってことなのかな。

考えてもきりがない思考に倉知は飲み込まれていった。

 

   *


 私はツイッターや先輩からメールアドレスを辿ることで何とか、十年前のペンクラブ関係者と現在の部員を一堂に会させることに成功した。いやー大変だった。どっと肩の力が抜ける。私、こんなに働き者じゃないのだけどな……。

 正直、社会人は、かなりご多忙だろうから集まりは悪いだろうなと思っていたのだけど、嘘偽りもなく十年前の死体遺棄事件、それがペンクラブにあったことに関係があることを匂わせると、最初渋っていた、OB達もひどく興味をもったようで、全員がここに出席することになった。ある人は海外から駆けつけてくれたようだから、余程この話題には信じるに値する信憑性とやらがあるのかもしれないと思った。

 それと同時に、頭をよぎる疑問が一つ。それは、大学のサークル構成表を調べていてわかったことだが、私が図書館で会った倉知という人間はペンクラブ部員ではなかった。その正体について私は疑問を投げかけざるを得なかった。勿論、この集会に前に会った倉知の姿はなかった。

 場所はGBカフエというアメリカ風パブで開催された。私はこの店のけばけばしい雰囲気と大量に出てくる料理を辟易していたから、この店に訪れたことは数える程しかないのだが、所謂、大学生の溜まり場として人気のスポットとして知られていた。

 バックにかかるハイテンポな洋楽、ネオンを模された電飾は店中に張り巡らされ、熱狂した大学生とともに店内を有機質な異様ともいえる暖気を作り出していた。

 「さて本日、皆様にお集まりいただいたのは他でもありません、今回の部室絞殺事件と十年前にあった死体遺棄事件が関係しているかもしれないとのことで、誠に非公式な行事といえますが皆様に情報交換を賜りたいなと思った次第です」そう慇懃な口調で言ったのは、我がペンクラブ部長の橘ゆずかである。細身の体質できしゃな肩をもつ中性的な顔立ちの女性である。男装が趣味のようで、よくアニメや漫画の男性キャラクタのコスプレをしている。今の服装もジーンズにブラックシャツを合わせて男物のピアスをしているのでぱっと見た感じでは危ない感じの狼青年にみえなくもない。しかし、本人はいたって真面目な性格であり見た目ほどに怖くはない。前に、これはある種の威嚇なのよと、そっと笑いながら教えてくれたこともある。この先輩に私のことを好いているようでひいきにならない程度可愛がってくれるのと同様に、私もこの先輩のことを人間的に好ましく思っていた。

「まず、部室絞殺事件に関して、この事件はわがサークルの部員が首を絞められて死んでいたという事件です。手口も、犯人も、目的もわかっていません。何か、アイディア、意見はありますか?」ゆずか部長が周りに訊いた。

「密室に関してだけど、三つの観点が考えられる。一つ、部屋に抜け穴がある、つまりは密室ではない、あとから密室にした。二つ目、合鍵を使った。偽造したとか」ミステリー好きな先輩がここでニヤリと笑って言葉を切った。

「そして三つめ、第一発見者が被害者を絞殺したか」

「そんな、私を疑っているの?」私は憤慨した。

「確か楡原とお前は準星の印刷のために途中で抜け出したよな、死亡推定時刻から考えてペンクラブの中でアリバイがないのは、お前ら二人だけだよ」

「確かにアリバイは友人、家族など知己な間柄では成立しにくい。それはいいのだが、俺が気になるのは死亡推定時間っていうものだ。どうもこのあたりの情報が曖昧なんだが、どこまで警察から情報を教わったのだ?」

「正確な時間とか死亡情報は警察からじゃなくて、すべて記者とか大学関係者からしか入ってこなかったの。曖昧といえば曖昧だけれども、さしあたって矛盾もないから、正確さには欠けるけど信憑性は高い情報だと思うわ」ゆずか部長が答えた。

「部屋に抜け穴があるって観点だけど、一つ思い浮かぶ方法がある」工学部の先輩が言った。「壁に穴を開けて、絞殺したあと部屋から出て壁の穴を埋める方法だ」

「無理だろ、あれコンクリートで出来ているんだぜ」人発の先輩が苦笑した。

「ところがどっこい、それができるんだな。半径五十センチの刃渡りの掘削機なら、今の技術じゃ結構小型なものがあるんだよ。それを使えばあの程度の厚みの壁だったら一時間もあれば人が通れるぐらいの穴は開けられるよ。そして壁自体は速乾性のモルタルで埋めれば三時間もあれば簡単に埋まる。あとは塗装すればいい。建築業界ではそんなに困難な技術じゃないよ」

「さては、お前が犯人だな」人発の先輩がいたずらっぽく笑った。

「合計四時間か、ギリギリ無理ではないって範囲だな。そうすると犯人は外部犯でも十分に可能ってわけだ」

「多分、それ無理だと思うよ」建築学科の先輩が答える。「サークル棟は昔の建物の原型を壊さずに改築してあるんだけど、昔のRC構造は技術が未発達だから不必要に強固な設定にしてある。そのため、コンクリートの中には沢山の鉄筋が入っていて掘削することは難しいと思う。ちょうど、理学部棟も古い建物から改築して綺麗にしたように、分かりづらいけど、意外とサークル棟自体ってオンボロなんだよ」

「まあ、掘削するのには刃の摩耗を防ぐために大量の水が必要だから、なんにしろ、非現実的なアイディアだよなあ」工学部の先輩が嘆息した。

うーんと唸る部員たち、いろいろなアイディアは出るが、その全てが決定打にならない。しかし、わいわいと議論し合うのが楽しかった。やがて話題が一段落し場が停滞し始めたところでゆずか部長が切り出した。

「次に、十年前の呉羽山死体遺棄事件のことです。この写真を見てください。ペンクラブの部室で死んでいるとみられる女の写真です。これが十年前の死体遺棄事件の被害者と同一人物ではないかと言われています」

場が風のない池のように静かに静まり返った。まるで我に返ったように。

「十年前にペンクラブで悲しい出来事があった。俺の親友でペンクラブ部員の平坂という女が自殺したのだ。そして、今日は彼女の命日だ」OBの人が悲しそうに言った。

「勿論、それが死体遺棄事件と関係があるとは、にわかに信じがたいし、実際のところ関係がないかもしれない。だが、彼女は確かに当時、ふさぎこんでいたような感じだったが、決して自分から死ぬほど、思い詰めていたようには見えなかったのだ」

「彼女は三題噺の原稿とか授業の面倒なレポートを完成していたの。近々、自殺するような人間が興味もないようなレポートを書いたり、批評会である三題噺に参加したりすると思う?私たちは彼女の死の理由がわからなかったし、同時に知りたいと思っているの。もう数十年も。ただ、その死体の写真がペンクラブの場所である以上、私たちも何かの関係性をどちらも突拍子もない出来事として見出してしまうのよ」OGは目を瞑った。

「この死体遺棄事件は覚えているよ、当時でかなり問題となったからね。現在では風化して知る人も知るって感じだけど俺たちもかなり大騒ぎしてたんだぜ」

「どういう事件だったんですか?」一回生の女の子がおずおずと手を挙げた。

「杉谷キャンパスの医学棟から検視用の遺体が盗難されたんだ。この大学の前代未聞の大スキャンダルさ。当時の学長も医学棟の責任者だから全ての責任を取って自殺している。ずさんな管理状況でね、死体が盗難されたことが発覚して、一週間ぐらいは外部に漏れないように必死に隠蔽工作を図っていた。それから隠し切れないと分かって警察に通報。しかし、犯人を特定することは難しかったという。その後、呉羽山丘陵のある一画で盗難された死体が発見。色々と手を尽くしたようだが昔の技術も現在ほど洗練されていなかったんだろうな、捜査は暗礁に乗り上げ。犯人も捕まらず今に至るというわけだ」

「そして、盗まれた死体が何故かペンクラブの部室にあったらしいと写真から判断されるわけだな」違うOBがつぶやくように言った。

「といっても数時間やそこらじゃないか、俺たちもこの時期に部室をよく利用していたし。さすがに深夜には使わなかったが」

「そして今回の事件と、過去の事件がつながっているのだって?なんでも口の中から同じ筆跡で『三題噺』と書かれたルーズリーフが押し込まれていたとか」

「はい、そうです」ゆずか部長が答えた。

「しかも、今期に開催される三題噺のキーワードに沿っているらしいのだな。過去の三題話のお題を調べても、やはり何か類似性がみられる。まるでカルトのイニシエーションのようだ。死体遺棄事件が写真に何故か置かれているミット、今回の絞殺事件にしても凶器でもなく被害者の首に巻き付いていたケーブル。そして最後は楽譜記号にまつわる殺人事件が起これば役満だな。まるで数え歌殺人事件のようだ」感嘆するようにOBが言った。

「三題噺殺人事件」ゆずか部長が言った。「そういうことになりますね」

「偶然じゃない?」OGが笑い飛ばした。

「そうかもね。或いは、今の部員が昔の事件に乗っかって面白おかしく快楽殺人を続けているのかもしれないな」低い声でOBが言った。

その言葉で一瞬、場は凍り付きしんと静かになった。


   *


 倉知は犯人に会った。

「何故、人を殺すのですか?」そいつは静かに俺の話を聞いてくれた。

「何故、人を殺しちゃいけないんだい」倉知は尋ね返されてしまった。そして倉知にはその返答に確固たる意志で反論できなかった。

人と人は分かり合えない。固有の自我、伝わらない感情、概念

だから悪意をもってもいいのですか?権利を剥奪しても許されるのですか?

否、悪意をもっているのではない、これは純然たる好奇心。

人肉の味、同族殺しの精神、蕩けるドラックの味、そのタブーにどうして惹かれん?

いいや、惹かれているのだ、皆は、自分だけは健常というふりをして、どいつもこいつも人の不幸が好きな外道ばかり、ならいっそ何故、その本性を認めてしまわない?

つまらない自己保全なんて捨ててしまって破滅に向かえばいい。

私は完璧なエンターテイメントを書き上げたかったのだ。

ただ享楽のために、人を殺す、サイコパス、みんな大好きサイコパス。

さあ、皆の期待に答えよう

これが最後の『三題噺殺人事件』

さあ、ラストを書き上げよう。


  *


 「これは、ゆずか部長の新作ですか?」私が訊いた。曇天が多い北陸に似合わないほど、太陽が照りつける明るい昼下がり、私は橘ゆずか部長と一緒に過ごしていた。

 「うん、どうかな」部長は少しぶっきらぼうに言った。この先輩は人に自分の作品を見せるときはいつもこうだ。きっと恥ずかしいのだろう。

 「ミステリーなんて珍しいですね。しかもこれって」

 「ああ、今回の事件をもとに書いたものだ」部長は少し顔をこおばらせた。

 「なるほど、第三視点で書かれているんですね。主人公の名前は倉知ですか……偶然ですがこれと同じ名前の人間とこないだ会いましたね」私は読みながら言った。

 「そうか、そいつは私の知り合いかもしれんな」部長は顔をそむけた。

 え、私は聞き返した。明るい公園、桜のつぼみが開きかけている大きな木の下のベンチに私と先輩は腰かけていた。一風の気持ちのいい風が通る。

 「いや何だ、その。冗談だよ。意味なしジョークというやつさ」先輩は軽く笑った。

 「最後は未完ですか?いきなり、第一視点で書かれていますね」

 「うん、最後の文章は、メモ書きのようなものかな。途中まで一段落したから、津幡に読んでもらいたくてね」先輩は言った。

 「えーと、深夜二時、北陸特有の、水分のたっぷり含んだぼた雪が容赦なく降り注ぎ、鉄筋コンクリート構造のサークル棟を否応なく凍えさせている頃、ペンクラブの部室で倉知が白い息を吐きながらパソコンで遊んでいた。炬燵の上には生体化学の教科書とノート、プリント類。彼は部室を自習室としてよく使っていたっていう書き出しですね。先輩にしては淡々とした書き口ですね」私は先輩の原稿を声に出して読んだ。

「あと、なんかやけに主人公がとげとげしている感じがしますね」私は笑った。

「そうかな」

「そうですよ」二人で笑い合った。

「しかし、あれですね。私もあまりミステリーなんて書きませんし、原稿の批評だったら普段からミステリーを書いている楡原に読ませた方がいいかもしれませんね」

「そうね、そうかもね」先輩が言った。「ちょっと喉が渇いてきちゃった。向こうの自動販売機で何か買ってくるわね」

そう言って公園内に設置されている自動販売機の方に先輩はてくてく歩きだした。ああ、なんてのどかな一日だろうか、最近、事件関係で疑われたり、死体を発見してしまったりで神経がまいってしまっているのだ。のどかな日常がやはり私には合っている。これでぼーとした楡原がいれば満点だ。そう考えて先輩が自動販売機で飲み物を買うところを見ていた。

自動販売機はコンクリートの生垣のそばに立っていた。そのコンクリートの壁には何か前衛芸術のつもりだろうか、よくファッションデザイナー気取りの若者が変な絵を落書きしては、町内会の人々によって消されていた。その、薄汚れた壁に、縦に長い平行四辺形に左右の辺が伸びているような図形が描いてあった。あれは何かの記号なのだろうか?またおかしなものを。

しかし、何か違和感があった。あれは確か―――。

「先輩、危ない!」私はおもわず叫んだ。しかし、先輩は振り返らず。辺りの静寂を掻き消す乾いた音が鳴り響いた。バックファイヤか、否、違う。スローモーションのように眼の前の映像が流れだす。まるで、これが永遠に続くかのような。

乾いた音が鳴った瞬間、先輩の頭が吹っ飛んだ。文字通り、大きく胴体をゴムみたいに、あれは人間じゃないみたいに、ただただ不気味な物理運動がそこにあった。

真っ赤な血、そんなに吹き出さない?あれは何?脳漿かな?私の身体はがくがくと震えだすのが分かった。先輩の頭に穴があいている。倒れ込んだ先輩の頭に穴があいている。そこから血が、そこから血が遅れてやってきてどくどく流れている。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。私は不安で満たされた。

誰かが、警察を電話で呼ぶ声が聞えた。私はどうしようもなくて、でも何か、行動をしないといけなくて、でもどうしていいかわからなくて。取り敢えず先輩の元に駆け寄った。怖い、怖い、怖い。先輩、大丈夫ですか。私は、ヒッと思わず呻いた。

なぜなら先輩の口にルーズリーフが押し込まれていたからだ。

私、知っている。その紙に書かれた文章知っているよ。私は勇気を出してそのルーズリーフを先輩の口から出した。

そこにはやはり『三題噺』と書かれていた。私はやっぱりと小さく呻いて、そこで崩れ落ちて気を失った。


  ###


私は病院で眼を覚ました。両親が目の前に立っている。両親や警察の話では私は約一日眠ってしまっていたらしい。私が公園に持って行ったバックのほかに、りんごだとかババナの差し入れが置かれていた。ドアノックの音が病室に響き渡る。

「少し、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか」警察手帳を出して男はそう言った。前に事情聴取を受けたあのがたいの良いほうの警官だ。私は、聞かれたことをその警官に話した。ゆずか部長が殺された現場のそばのコンクリートの生垣に楽譜記号である―――ナチュラルが描かれていたこと。そう、あれは「三題噺殺人事件」の最後のキーワードになる。ゆずか部長は連続殺人事件に巻き込まれたのだ。そう警官に言うと。

「いや、それは違うよ。そもそもね三題噺連続殺人事件なんて起こっていないのだよ」そう、がたいが良い警官は静かな低い声で言った。

えっとそれはどういう意味ですか、そう訊こうと声に出すのにはばかれる格好で警官が言った。

「安心して良い。これは非公式の情報なのだけど、我々は犯人がどいつか殆どもう把握しているのだよ」ゆっくりした声で低い姿勢を取って警官は発声した。「ただね、どうもシンプルな事件の土台に、いくつもの不確実性と第三者の意図がそれはもう複雑に絡み合ってしまっているから少し手間が掛るだけさ」

「そうなのですか?」私は全く見当がつかなかった。

「さあ、ボーイフレンドが遊びに来ているよ」警官は下手なウィンクをして出て行った。

それと入れ違いに楡原が入って来た。

「やあ、災難だったね」やはり楡原の声は落ちつくと私は思った。

「先輩が撃たれちゃったよ……」

私は泣いてしまった。そして泣きながら楡原にゆずか部長に渡された原稿を渡した。

 楡原は無表情でそれを読むと、なるほど、と呟いた。

 「なにが、なるほどなの?」私は涙声でそう呟いた。

 「わかったのだよ、事件の全容が。犯人も、密室も、多分、動機も、説明できると思う」

 私は驚いた。私はどうしてこんなことが起きたのか、どうしてゆずか部長が死ななければならなかったかてんで分からなかった。結果的に事件が三題噺になぞられて起こっていることも、ただただ不気味で、ひどく混乱した。

 「いいかい、犯人は…………、」楡原はそっと耳打ちをした。

 

私はその答えに驚愕した。


 *


読者への挑戦


《登場人物》


楡原…ペンクラブ部員、事件当日は語り部の津幡と一緒にいた。

津幡佳奈…語り部、本作の主人公。ペンクラブ部員

橘ゆずか…ペンクラブ部長、三題噺殺人事件の最後の被害者。ト音記号のダイイングメッセージを書いて死亡。キーワードは楽譜記号。

星井咲…部員、三大噺殺人事件の第二の被害者。密室で絞殺された。キーワードはケーブル。

倉知…謎の男。

記者…事件を追う男。


・わかりづらい小説の構成になっているが、小説の現実では、それほど虚偽の事実は流れていない。

・第一の死体遺棄事件、第二の部室考察事件、第三の事件のいずれかにも口の中に『三題噺』と書かれたルーズリーフが見つかったことが三題噺殺人事件と呼ぶゆえんである。

・三題噺のテーマはミット、ケーブル、楽譜記号

・現実の物理法則に従うし、まだ見ぬ物理法則には従わない。



《解答編》


ゆったりとした内装と、暖色系を揃えた家具に包まれたカフェは平日の朝の十時を越えているにもかかわらず、近所の常連客である老人達が新聞を読みに来たり、おしゃべりに興じていた。このカフェの名前はコメダ珈琲店。名古屋発祥の喫茶店で、お薦めはシロノワールとブレンドコーヒーである。なおコーヒーは作り置きの為、あまり美味しくは無い。

「それでこの前の事件の解説をしてくれるかしら」私はシロノワールを食べ終わってかなり満腹に近い状態だった。

「病室で言った答えの続きだね」楡原はカツサンドを頼んでいた。コメダ珈琲店のカツサンドは無駄に量が多い。それを食べながらそう楡原は確認した。

「そう、あの後、妹が来て結局、話がはぐれちゃって分からずじまいだったものの。早く自分の中で物事を消化させたいの」私はやや、むくれて言った。

「そうだな、しかし証左が薄いところがあるが、おそらくこの推理が最も可能性の高い物となるだろう。何故なら、事件は密封系、つまり密室という非現実系で行われており、それ故に犯人や手口が断定しやすいという特徴を持っているからね。また、この推理は部室絞殺事件だけでなく死体遺棄事件でも説明できる根拠があるという意味で論証に値するという訳さ。逆に、第三の部長が撃たれた事件のように、現実的に起こり得るものに関しては僕に関してはなんにも言えない。それは、探偵のようなロマンチックなものではなくて警察の社会人的な泥臭い捜査が必要になるからね。第三については詳しい事は分からない、でもある程度の説明は出来ると思うよ」楡原は言った。

「まず、初めに一連の事件の犯人について、結論から言うとサークル棟管理人及び総務課の大学運営関係者だよ。勿論、最後の事件については例外的に自殺のようなものかもしれないけどね、これは後で説明するよ」

「でもその場合、サークル棟管理人はマスターキーを持っているわけだから密室にしてしまったら一目散に疑われてしまうんじゃない?」

「そう、ここがこの事件を複雑にしてしまった要因だ。僕たちは密室をテーマとしていかに密室を破ることが出来るかということを考えてきた。しかし、密室を考えるのに逆説的に考えるべきことは、密室がどのようにできたか、いつできたか、そしてどうしてつくられたかということだ。そしてもう一つ、盲点なことがある密室が破られていなかったとしたらどうかという疑問だ。つまりは密室なんてなかった。但し犯人の殺人者にとってはね。我々が体験したのはあくまで演出された密室殺人事件だった」

「話が抽象的だけど……?」私は首を傾げる。しかし、脳裏にひらめいたアイディアは、しかし不確実性を孕みながらも説得力があった。「もしかして、私たちが発見したペンクラブ部員は死んでいたと見せかけて実は生きていたってこと?」

「その通り、顔色が悪かったのはある種の特殊メイクだと考えられるね。俺たちが管理人を呼んで開けてもらったあと俺たちは下で大学からの指令を待っていた。その時に総務と管理人は警察を呼ぶふりをして殺害したんだろう」

「でも死亡推定時刻は?いくらなんでも鑑識で調べられたらわかるでしょ」

「それが分からないんだよ。特に寒い日は。流石に一日経つと死体は顕著に変化するんだけどね。短時間で気温が低いときは特に死体は変化しにくいものなのさ。寒い日は三時間は立たないと正確な死亡推定時刻は分からない。これは、死亡推定時刻のプラマイ一、二時間の誤差を利用したトリックなんだよ。そしてこれは計画によるものではなくて即興で考え付いたことだろうけど」

「即興ってことは、元の計画では、普通にペンクラブ部内にいる部員を密室でもなくてただ殺そうとしていたってことだよね。それはどうして?」

「犯人の管理人はそういう殺人嗜好の人間だと警察から聞いた。多分、目的は娯楽のようなものだろう。ただ、協力者の後から加わり、被害者の首にケーブルを掛けたり死人のメイクを施したりして飲み会を抜けさせて部内にいるように指示させたのだ。多分、被害者の子にいたずらかなんかだと吹き込んでかわからないけど。とにかく、そいつは犯人を裏切って俺たちに部員を見つけさせ密室を演出させたのだ。密室殺人になることで疑いの目が自分たち犯人に向いてしまうことを恐れたサークル管理人は咄嗟の機転で死亡推定時刻を遅らせるトリックを使ってアリバイを確保しようとしたのだね」

「つまり、密室を作った人と実際に殺人を行った人間は別々にいて目的が違っていたってわけか。なら、その密室を演出しようとした協力者は誰なの、その目的は」

「橘ゆずか部長だよ。第三の事件の被害者の。目的は、今となっては正確なことはわからない、だけど部長の日記から完璧なエンターテーメントの推理小説を作るために三題噺の題目になぞらえた事件を現実にでっちあげて、自分の創作物にリアリティを与えたかったらしいということが分かった。これは、部長の協力者の人間が警察に逮捕されて同様の内容を供述したから信頼できるソースだよ」

「えっと、どういうこと?三題噺は結局何だったの?」

「そう事件が三題噺になぞられて起こっていたのではなくて三題噺が事件に沿って作られていたんだよ」楡原は言葉を切った。「順序がまるきり逆なんだ。ゆずか部長は十年前に自殺したペンクラブ部員を調べていくうちに、その部員がペンクラブで死体撮影をしていた変態OBの存在を知ってしまい口封じに自殺させられたことを発見したんだ。そのとき撮影された死体写真に何ら関係のないようなミットというオブジェクトの芸術的センスを感じ取ったゆずか部長はこれに、あと二つの題目を組み合わせて三題噺殺人事件というエンターテイメント作品を創ることを決心したんだよ。そして記者が言っていた口の中に三題噺と書かれたルーズリーフが押しこまれていたという情報は創られた虚偽の事実だったんだ。記者自体もゆずか部長の協力者だったことがもう発覚している。本当に押しこまれていたのは最後の事件だけで他の事件は三題噺に全く関係がなかったんだよ」

「でもそんな不確実性なこと、例えば私たちが死んでいない部員を発見しなかったり、脈を計って生きていることを知ってしまったら成立しないことじゃない。そんな偶然のような出来事がおきるのかしら」

「俺たちのことを全て計算しつくしていたのか、あるいは不確実性な出来事を計画に入れることでその目的を知られにくくするということなのかもしれない。そのほうがエンターテイメント作品としては面白くなる、そう考えたのかもしれない」

「そして最後の事件はね、全て協力者による自作自演で、自分でルーズリーフを口に押しこみ、自分の協力者に拳銃で撃たせたんだ。三題噺、最後の題目の楽譜記号を完結させ中ればいけないためにね。そして描かれていた楽譜記号はナチュラル、つまり変えた音を元に戻すという意味の記号だ。きっと、自分が事件を改変し操作したということを暗に示したかったんじゃないかな」

「たしか、十年前の死体遺棄事件って元から医療関係者の関与が疑われていたよね」私はゆずか部長の原稿を思い出しながら言った。

「ああ、そして今回も、恐らく関係している筈だ。死亡推定時間の誤差トリックや死体のメイクなどにね」

「ああ、まさかそんなことがあるなんて」私は改めて驚愕した。そんなもののために、三題噺に沿った殺人事件を演出するために自殺するなんて。はっきり言って異常だ。

この後、うちの大学から今回の事件の犯人としてサークル棟管理人と大学関係者のいくつもの人間が逮捕された。そのうちの一人は医者で杉谷キャンパスの教授であり、世論に大きな波紋を投げかけた。どうやらうちの大学には殺人サークルというようなクラブが存在していたらしい。そうして、私たちの大学殺人事件は幕を閉じた。

殺人サークルの協力者として殺人を幇助し、三題噺殺人事件というエンターテイメントを作りたかったゆずか部長、彼女は何を思っていたのか、今ではもう誰も知らない―――



                                   (終)


反省

・もっと文字量を多くして文章に厚みを持たせたい

・展開がわかりにくい

・小説の構造がわかりにくい

・表現が陳腐


解説すると倉知が主体の文章は橘ゆずか部長の小説の原稿です。だから現実にいない人物。

トリックは死亡推定時間の誤差を利用

三題噺のお題になぞられているというのをミスリードさせたかった、etc

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