歳10話 ミニキャンプ
週明け、ジムのスタッフルームで山崎会長と野口さんが、難しい顔をして話をしているのが見えた。
気まずかった俺は、こっそり地下のロッカールームに入り、トレーニングウェアに着替えた。
「大河、無断で練習休むなんて珍しいじゃねーかー」
シャワーを浴びた沖田さんが、腰にタオルを巻いて現れた。
「ちょっと、急な用事ができちゃって……」
「何の用事だよ」
「いや、ちょっと……」
(まさか、篠田なぎさと会ってたなんていえないし)
「さっき、篠田なぎさから電話があったらしいじゃねーか」
「マジっすか」
「図星か、分かりやすいなー、お前は」
「じゃーなー」
キザな挨拶のあと、ロッカーの影に消えた。
(あー、また引っかかった)
俺は、頭を掻きむしった。
ボクシングシューズの紐を締めロッカールームの扉を開けると、そこには、満弁の笑顔で野口さんが立っていた。
あまりにも予想外だった俺は、びっくりして後ろに転びそうになった。
「わーっ、なんなんすか今日は……。 どっきり番組の撮影っすか?」
「たーいーがーくん」
「あっ、はい」
「明日から、よろしくね」
(何だかハイテンションだ……。 しかも、野口さんのこんな高音初めて聞いた。 気持ち悪い)
「はい? 明日ですか?」
「何だ、お前なんにも聞いてないのか?」
「何ですか、急に真面目な声になって」
「坂口、ちょっと来て」
今度は山崎会長だ、階段の上の方で、覗き込むようにして手招きしている。
今日はなんだか訳がわからない。
とりあえずスタッフルームに行くと、山崎会長がソファーに座れという。
「さっき、篠田なぎさの事務所から電話があった。 お前を写真集に使いたいそうだ。 急な話だが三日間グアムで撮影らしい。 ジムの宣伝にもなるし行って来いよ。」
「あっ、はい」
「あと、野口も一緒だそうだ」
(だから、テンションマックスだったのか……)
週末の夜、呑み会だった。
「生ビール三つと、ウーロン茶とトニックウォーターです」
店員が飲み物を置いて向こうに行った事を確認すると、高見は顔を前に出し、みんなの顔をテーブルの中心に集めた。
「まだ大きい声じゃ、マズいと思うんだよ」
「おー、おー」
一同は、神妙な顔でうなずいた。
「ウチのスポーツ記者が言ってたんだけど……、大河、篠田なぎさの写真集に出るんだって?」
「ブーーーッ」
ウーロン茶をストローで口いっぱいに含んでいた真希が、思わず噴き出し、兼一の顔を直撃した。
一同は驚き、後ろに引くと背筋を伸ばした。
「ごめーん」
「おっ、気にすんな」
兼一は、爽やかな笑顔を浮かべると、眼鏡を外し、お手拭きで顔を拭いた。
それを見届けた一同は、再びテーブルの中心に顔を寄せた。
「うん、この前ジムの会長に連絡があったらしい。」
「そんで、受けんのか」
橋元さんが、更に身を乗り出してきた。
「何だか、『やれ!』って命令されちゃった」
「何だよ。 じゃあ、篠田なぎさと二人っきりでグアムか?」
「ブーーーッ」
真希は再び噴き出し、油断していた兼一の顔を再び直撃してしまった。
一同は再び、後ろに引くと背筋を伸ばした。
「ごめーん」
「少し……、気にしろ……」
申し訳なさそうに手を合わる真希に、兼一は眼鏡を外しながら、さり気なく答えた。
「それで、どうなんだ? 二人きりなのか?」
「いや、野口さんも一緒」
「よかったー」
真希の一言に、全ての視線が集中した。
「だ、だって、トレーニング休んじゃうんでしょ? 野口さんが一緒ならグアムでもトレーニングできるかなーって……」
「うん……、よかった……」
兼一は、真希の三回目の直撃を心配して、慌てて立てたバッグの壁の後ろで、うなづいていた。
大河達がグアムに旅立った日、真希はママの店で夜ご飯を食べていた。
「真希ちゃん、テレビ見る? この時間だったら情報番組やってるわよ。 きっと」
「うん、観る」
画面は、ちょうど問題のシーンだった。 テレビキャスターがまるで真希に語りかけるようにいう。
「えー、本日、モデルで女優の篠田なぎささんが、写真集の撮影のためグアムに向かいました。」
「真希ちゃん……、チャンネル変えようか……」
真希は、目を細くして、ゆっくりと首を横に振った。
画面の中では、野口を先頭に篠田なぎさと大河が並んで歩いている。しかも、その手は腕に絡み付き、どう見ても仲がよさそうだ。
「真希ちゃん……、真希ちゃん……、」
真希はウーロン茶に口を付けて、ブクブク何かを言っていた。
「この真希ちゃんって、後楽園ホールでも見たわね……」
グアムに着いて二日目の朝
ホテルの前で、大河はストレッチを、野口は謎の柔軟体操を始めた。
「大河、いい天気だなー」
「気持いいっすねー」
「おはよう」
「あれ? 篠田さん、早いっすね」
「ロードワークでしょ? 私も一緒に走ろうかと思って」
「あっ、そうなの? でも、篠ちゃん、こいつ速いよ」
野口は遠回しに、一緒に走るのは無理かもしれないと伝えた。
「私、実は陸上部で駅伝の選手だったの」
「そうなの? じゃ、行く?」
「ええ」
準備体操を終えると、自転車で先導する野口を追うように二人は走った。
この時すでに撮影が始まっている事は、撮影スタッフ以外、誰一人知らなかった。
少し離れた車の中から、篠田なぎさの魅力的な笑顔や真剣なまなざし、いろいろな魅力が撮影されていった。
どっちにしろ二人は、篠田なぎさの引き立て役にしか過ぎない。
大河は彼氏的な位置づけで、野口はほとんど写っていない。
しばらくすると、自転車の野口は上り坂で苦戦し、最後尾で大きく遅れていた。
会話がはずんでいる大河と篠田なぎさは、それに気づかず、まるで恋人同士のように走っていた。
一時間程してホテルの近くまで帰ってくると、野口さんがスポーツドリンクを飲みながら手を振っていた。
「お前ら、俺を置いていきやがって。 グアムは坂が多いんだよ、明日は二人で走ってくれ」
合流した三人がホテル裏の砂浜へ向かおうとすると、体格のいいガードマンが立っていた。
「Morning」
「モーニン」
「あれ? 野口さん英語大丈夫なんですか?」
「常識的な英語ぐらいな」
「日常的でしょ?」
「Your Sam?」(あなたの子供?)
ガードマンが野口さんに聞いた。
「ノー アイアム ノグチ」
ガードマンは大笑いしている。
(野口さん、あなたはサムですか? と勘違いしたな?)
笑いが収まったガードマンは、俺の方を向くと、涙を拭きながら聞いてきた、
「Your Dad?」(あなたのお父さん?)
「No He is comedian」(いや、彼はコメディアンだ)
「Oh, ワカリマシタ、アリガトゴザイマス」
俺はガードマンと笑いながらハイタッチをした。
「大河、何だって?」
「彼は何者?って聞いたんで、日本の有名な俳優だって言っときました」
「お前、気が利くね」
野口さんはガードマンの元に歩み寄ると、握手をしてハグした。
「野口さんって純粋で憎めない人ね」
「尊敬できる人なんですけど、楽しい人です」
「大河君と本当の親子みたいね」
「ははは……」
ふと、至近距離で感じた篠田なぎさは、やはり綺麗で、その後の言葉が出なくなってしまった。
それどころか、その美しさに動けなくなってしまった。
ホテル前の路上の気温もかなり高くなってきて、立っているだけで汗が出てくるようだった。
しかし、それ以上に変な汗をかいてしまった……。
「やっぱり、シャワ浴びてこよっと」
目が合った篠田さんは、俺の頬を撫でるように顔を近づけると耳元で一言残し、立ち去った。
俺は、ポカーンと口を開けたまま、ホテルに入っていく篠田さんを見つめていた。
「大河、早くしろ! 砂浜でダッシュするぞ!」
「あ、はい」
我に返った俺は、先回りしていた野口さんを追いかけた。
まるで、ミニキャンプのような三日間の撮影で、ここ最近のモヤモヤしていた気持が、いつのまにか吹き飛んでいた。
(ひょっとして、これって篠田さんのプレゼントだったのか? 俺を元気づけさせようと……)
帰りの飛行機の中で大河は、一つのブランケットの下で抱き着くように眠る篠田の体の感触に緊張して、大きな目を開けたまま眠れずにいた。
通路をはさんで座る野口は、空港で呑んだビールで酔いがまわったのか、大きな口を開けて眠っていた。
「お飲み物はいかがですか?」
「アイスコーヒーをお願いします」
寝ている篠田さんに気を使い、CAさんが耳元で囁くように聞いてくれ、俺も同じように返答した。
成田空港に到着すると、迎えのワゴン車に乗り込もうとする篠田に、野口が近寄った。
「篠ちゃんありがとうね。 あいつも元気出たみたいだし、これからも支えてやってくれる?」
「もちろんです。 大河君と野口さん見てると羨ましいです」
「今、野口さんっていった? 俺の名前知ってたんだ……。」
野口が笑顔を浮かべ、後ろを向いてモジモジしてると、篠田は大河に向かって手を振り、ワゴン車の自動ドアを音もなく閉じて走り去った。
「あの……」
野口が振り返ると、既に別のタクシーが到着していて、車から降りてきたのは足の悪そうな老婆だった。
そして、手を差し出すと、何度も首を傾げながら老婆をエスコートし空港に入っていった。
自宅に着くと、既に十一時をまわっていた。
荷物は後日片づける事にした俺は、シャワーを浴びた後、テレビを観ていると、真希が出ている事に気が付き、コーヒーを飲みながら眺めていた。
そんな時、着信を知らせたスマートホンには、篠田なぎさと表示された。
「篠田ですけど」
「あっ、今回はいろいろありがとうございました」
「なんで? だって仕事じゃない」
「だって、篠田さん、敢えてこんな機会をつくってくれたんじゃないんですか?」
「えー? そりゃ元気なさそうだったし、元気になってほしかったけど、それとこれは別よ」
「じゃあ……、偶然……?」
「そうよ……、多分ね。 あと大河君、篠田さんってやめてくれる? 下の名前で呼んでほしいな」
「じゃあ、なぎささんで……」
「さんか……、でも、今はそれでいいや」
テレビで真希を眺めながら、電話の声はなぎささん、なんだか複雑な感じだった。
「じゃあ、また今度ね。 明日早いんでしょ?」
「はい」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
電話を切ったあとベッドに横になり天井を見上げて、この数日間を振り返っていた。
(なぎささんって、なんだか、優しいな……)




