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迷宮

 既に南に向かって六日。

私たちはついに、迷いの森に足を踏み入れていた。


 三兄弟は六日の強行軍でかなり疲れが溜まっているようだ。

この森に入ってもう一日が過ぎているが、進行は思わしくない。

深くに入れば出て来れぬと噂の迷いの森に立ち入っている事で、この私ですら気が滅入りそうだ。

ご主人様が恋しい。

そして弱った心に追い討ちをかけるように、腐った落ち葉が積み重なった柔らかい足元も、そこかしこに這い回っている木の根も、共にたえず我々の体力を奪い続けていた。



「叔父貴……叔父貴よ、森に入ってもう大分経ちます。本当に大丈夫なんでしょうね」

そう訊ねてくるイースは、やはり声に力がない。

広大な迷いの森で過ごした一日など、ご主人様の可愛らしい右足小指の先っちょの伸びた分程度のものだろうに、泣き言を言うとは情けない。

なにより、私の嗅覚を疑うなど愚かにも程がある!

「当たり前だ。ソレの匂いはしっかり嗅ぎつけているぞ! もう少しだ!」

私はイースが持っている花びらを鼻先で差し示し、答えてやった。


 根拠のない励ましではなかった。

実際の所、この鼻に届く臭いはこの一時間ほどでかなり強くなってきている。

道中は臭いがもれぬよう包みに(くる)んであったが、解き放たれた今では目がくらむほどのすっぱくて、鼻を刺すどころか引きちぎりそうな悪臭を放つ、花びら。

これこそが、目的の場所への唯一の手がかりと言っていい。


 迷いの森の中で何かを探すなど、本来なら幼子にすらバカにされる行為だろう。

この森は空からも見通しが利かず、目印も役に立たない。

この森の木々の三割ほどがストロル・ウッドと呼ばれる植物で、ひとりでに伸び縮みしたり歩き回ったりと、森の風景は少し目を離せば大きく変わってしまう。


 木々ばかりではない。

岩に擬態した巨大虫、水たまりに擬態する魔獣など、他の場所でなら目印になりそうなものが何一つ役に立たないのだ。

政府の調査団すらまともに出入り出来ぬ、生きた迷宮だと言われるのはその為だ。

ワーウルフを越えた嗅覚を持つウルフヘジン、私がいるから可能な任務と言ってもいい。

花びらから漂う香りで怖気が、ご主人様の役に立てる嬉しさで喜びが、体に走る震えとなって表れる。


「お、叔父貴どうしたんだよプルプル震えて。それやっぱり、臭いのか? オレらには良くわからねえけどよ」

カヌの奴も大分参っているらしいが、軽口は健在だった。

口を開けば文句ばかり言っている。

こいつは励ますより、怒鳴り飛ばしてやった方がいい。

「黙って歩け! 足を動かせ、牛馬のようにひたすら歩くのだ!!」

「ようにってオレ、ミノタウロスだぜ。なんだよ……おっかねえなあ……」


 ふむ。

とは言え、私もやはり疲れが溜まってきているのだろうか。

心の中に焦りと苛立ちが芽生えているのを感じる。

ご主人様のご尊顔を見ることが出来ない事が私の心をここまで蝕むとは……ああ、ご主人様。

ご主人様は今頃、あの清らかな体を私がいない寒さで震わせてはいないだろうか。


「お、おい叔父貴! 置いてかねえでくれよ、叔父貴を見失ったら終わりなんだぜ、オレらは」

うるさいヤツだ。

カヌが怯えるのもわからないではないが……。

「ならばさっさと歩け!」

甘やかしてはいられない。

この穢された鼻一杯にご主人様の芳醇で華やかな香りを吸い込む為にも、一刻も早くこの任務を終えなければならぬのだ。


 そうこうしている内に、目の前に広がっていた木々が我々を避けるようにもぞもぞとどこかへ立ち去っていく。

目印の嗅覚がなければ、まず間違いなく道に迷っていただろう。

背後では木が背丈を変えたのか、薄暗さが増したように感じなくもない。

そして……匂いが強くなった。

森の動きが、我々にいいほうに働いたらしい。

「匂うぞ、こっちだ」

たった今開いたばかりの目の前の空間に、私は道を促す。


「おい叔父貴。大体、花を追えって何の話なんだよ。詳しく聞いてないぜ。花なんてどこにでもあるだろうよ」

カヌは未だその軽口をとめようとしない。

ただ、こればかりはここまできちんと説明をしなかった私にも非がある。

「……面白い話ではないぞ」

「叔父貴。俺も聞いておきてえ。ってか何度も聞いたのにごまかし続けてたんだからそろそろ言えよ」

黙って歩いていたイースまで、後ろから催促してくる。

まあいい。答えてやろう。

どの道、この旅ももう少しで終わりだ。


「この花はな。ここにしか……いや、本来ならばここにもないものなのだ」

「はぁ? 一体何の話だよ」

足を止めて振り返れば、カヌがその厳つい顔に皺を寄せている。

「この世界に存在しないはずの花が咲いている場所。それこそが目的地だ」

顔だけでなく、体ごとイースとカヌに振り向いて私は言う。


「異世界の花が咲く、マネルダム家に伝わる秘密の花園。そこに、あのうるさいヒゲ公爵の妻の墓があるらしい。ドルニア・マネルダムの墓がな」

「墓? 何でそんな場所に宝具があるんだよ、叔父貴」

「ある、ではない。ある可能性が高い、と言う話だ。私も詳しい事はわからんが、妻が愛した花が咲き誇る場所を墓にしたらしい。どうもこの花びらは、異世界にしかないものらしい……それとな、イース。そろそろダルを何とかしてくれないだろうか」

私は見て見ぬフリをしてきた要望を、そっと付け加える。


「きいろいおはなに、あかいおはな。キレイなおはながいっぱいだね」

などと口走っているのは、我々の連れ最後の一人、ダルだ。

発言こそ子供のように可愛らしいものだが、その声は野太く、筋骨隆々の大男が幼児のように散策している様子はどこか恐怖を覚える。

どうやらエマと離れすぎて、己を見失ってしまったようだ。


 鬼気迫る様子には、さすがの私でも背筋が寒くなる。

そもそも、黄色の花も赤い花も、少なくとも私が視認する範囲ではどこにも見当たらない。

一体何が見えているというのだ。

「……」

「……」

結局、イースもカヌも私の発言には返事をしなかった。




**天空大陸を十倍楽しむコツ! より抜粋**



旅立ちの窓口『グリムルの大鎌』は異世界パスを持ったお客様と、簡単なお荷物しかお通し出来ません。

生物や電子機器、武器とみなされるものを持ち込もうとすると大鎌に弾かれ、場合によっては大怪我してしまう場合があります。

天空大陸に旅立つ際は、身軽にしていきましょう。


カメラを持ち込もうとするお客様やスマートフォンなどを隠れて持ち込もうとする方が大勢いらっしゃいますが、これらも一般のお客様は持ち込み不可です。


また、衣類についても注意が必要です。

ファスナーやボタン等の衣類に付随しているものはお通し出来ますが、大掛かりなアクセサリーなどは持ち込むことが出来ません。

稀に、肩に鋲をつけた世紀末なお客様をお見かけする事がございます。

浮かれてしまう気持ちもわかりますが、貴方のその格好、天空大陸ではあまり目立ちませんよ?


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