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病床

 特に引き止める理由もなかったので、南へはハチに行ってもらう事にした。

ガイナルさんは僕と二人で南に行かせたかったようだけど、ハチに頑なに同行を拒まれてしまった。

ハチとの旅路を避けられたのは素直に嬉しい。

そこはかとなく、貞操の危機を回避出来たような気がしないでもない。

ただ、何となくハチに拒まれた事だけが納得がいかなった。


 ただ文句ばっかり言ってられそうもない。

実際、よほど疲れていたらしく、僕の体調は本調子には程遠い。

食欲が沸かないばかりかあれだけ寝て一流企業で働く夢一つ見なかったんだから、これは間違いなく重症だ。

せめて会社のエントランスでカウンターに肘をつきながら、受付のお姉さんと小粋なトークをする部分だけでも夢で見せて欲しかった。

[おじさんね。兄ちゃんが何を言ってるのかしょっちゅうわからなくなるよ]

わかろうよ。知を探求しようよ。



 まあそんな訳で、ハチはあの後すぐ旅立っていった。

想像するだけでむさくるしい事この上ないことに、オスタウロス三人衆も連れていったらしい。

どうやらあの暑苦しい巨漢達は、いつの間にかハチと随分親しくなっていたみたいだ。

僕があちこち出歩いてる内にハチとオスタウロスの間に何があったのか……は全然気にならないから、知らないままでいようと思う。



 しかし。

こんなに体調を崩すのは、一体いつ振りだろう。

どちらかと言えば僕、体は頑丈な方だと思っていたんだけど。

ハチが出て行ったのは、もう一昨日だ。

つまり僕はもう五日ほど寝込んでいる事になる。


 

「すぐる、調子はどうだ」

と、ベッドに横たわる僕に声をかけてきたのはミリアさんだ。

どうやらミリアさんにもかなり心配をかけてしまったらしく、目が覚めてからと言うものよく顔を出してくれている。

いつ何をやらかすかわからないミリアさんが来ると、適度なスリルを味わう事が出来て退屈はしないね。

昨日、僕の寝覚めを聞いたからか当然のように鍋一杯の毒マリモを差し入れに持って来たけど。

食欲がないおかげで自然に断る事が出来たものの、アレが何を作ろうとした結果なのかは怖くて聞けてない。


「ふむ。スグルよ、これは食わんのか」

と、返事も待たずに差し入れられた果物をもしゃもしゃ食っているのは魔人さん。

食欲がないから別にいいけど、何だか腹が立つ。

ちなみに、魔人さんはミリアさんが差し入れた毒マリモにだけは手を出さなかった。

食欲魔人グレンザムをも震えさせるとは、ミリアさん恐るべし、である。


「そういえば」

ミリアさんが、リンゴに似た果物の皮を剥きながら思い出したように言う。

何故かリンゴっぽいそれは徐々にマリモ色に姿を変えはじめている。

「あの駄犬、すぐるが寝込んでいる間ずっと心配していたぞ」

シャリシャリ、と皮が向け落ちていく音と共に、ますますマリモさを増していくリンゴもどき、

もはや特殊技能の域じゃないかな、あれ。

あのマリモを口に入れたらまた寝込むことになりそうだ。


「早く元気になるといいな。ほら、食べるといい。まだ食欲はないか?」

すっと皿に載せられたソレをミリアさんが差し出してくる。完全に毒マリモが出来上がっている。

「……ごめん、ちょっと今は食べられそうにないや」

僕はそっとそれを魔人さんに押し付けて、首を振った。

ミリアさんに残念そうな顔をされて少しだけ心が痛んだけど、僕の中の生存本能が『今はやめておけ』と叫んでいる。

[え。おじさん以外にも誰かいるのか、ここ]

そういう意味じゃあない。


「そうか……無理をする事はない、すぐるは我らの要だ。ゆっくり休んでくれ」

ミリアさんはそう言うと、表情を和らげた。

「むむ。そうだ、私はそろそろ行かねばならぬのだ」

対照的に魔人さんは珍しく表情を強張らせて、いそいそと立ち上がる。


 これは、押し付けたマリモから逃げる気だな。

「グレンザムさん、よかったらソレ食べてから行って。まだ食べたりないでしょ」

「むむむ……。いや、私は義父に頼まれごとを……」

「遠慮はいらないぞ、グレンザム。少し歪な形になってしまったが、食べていってくれ」

「むむむむ……」


 グレンザムさんはこの世の終わりのような顔をした後、諦めたようにマリモを口に入れ、そして散った。

逃げようとするからだよ。

「なんだグレンザム、こんな所で寝るな」

とミリアさんが困ったような顔で魔人さんに言っているのを見て、僕は戦慄を隠し切れなかった。

伝説の魔人を昏倒させておいて自覚がないなんて、天然の恐怖は底なしだね。



 それにしても、ハチは今頃どのあたりだろうか。

無事に……まあいいか。

「おにたん! ナナちゃんと遊びに来たよ!」

ドアからひょっこりユマちゃんが顔を覗かせる。

突然の嬉しい来客で、ハチへの心配は跡形もなく消え去っていた。

[いやいや。チビちゃんが顔覗かせる前から思考放棄してたじゃねえか]

僕は頭にナナちゃんを乗せたユマちゃんを笑顔で迎えながら、おっさんのツッコミを無視した。



**『ミリ様を崇める集い』会報より抜粋**



ミリ様は心根優しく誰にでも接する、この世に舞い降りた女神だ。

しかし、時に神の優しさは人の身には強すぎる毒となる。


過去、病床でミリ様の拝謁を受けた会員数名が病状を甚く悪化させ、結果的にミリ様を甚く悲しませている。

彼らは皆ミリ様直々の手料理に舞い上がり、つい差し入れを口にしてしまったらしい。


※事の重大性を加味した結果、会則に追記を設ける事となったので会員は周知すること。


一つ。病床にあるもの、決してミリ様に知られてはならぬ。

会員総出で隠蔽に当たること。もし知られれば、尊い同士を失い、女神を悲しませると知れ。


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