旋風
発光と共にグレンザムの身体から飛び出したのは、四つの緑色の球だった。
それらは猛烈な速さで絡み合いながら、次第に小さな風の渦を生み出す。
小さな風の渦が唸りを上げながら暴風へと姿を変え、唸りを上げながら吹き荒れはじめる。
そしてグレンザムはと言えば、力が抜けそうになる体を必死に奮い起こして球が消えるのを見上げていた。
霧が、風に散らされて崖の切れ目から空へと巻き上げられていく。
不思議な事に、風の中心にいる彼は服も髪も、風の猛威が全く伝わっていない。
弱りきったグレンザムが吹きすさぶ風の中で立っていられるのは、この涙魔法が使用者本人には作用しないからだった。
おかげで何とか地に伏せずに済んでいるものの、彼の体はまだとても万全とは言えない。
しかし、窮地は脱した。
霧が消し飛び、冷えが和らいだ気がした。
視線を下に移してみると、霜に覆われた地面が徐々に土色に戻っていく。
グレンザムは体の自由を奪う原因はこの霧にあると推測していた。
推測を後押しするかのように戻り始める体温からも、対応は正解だったのだろう。
先ほどまで完全に熱を奪われていたグレンザムの体は見えない拘束を受けているように未だ重い。
しかしそれでもグレンザムは何とか視線を上げ、姿を現した気配の主を見る。
驚きに目を見開いているのは、一人の女だった。
荒れ狂う風の中にいて尚、彼女の視線は決してグレンザムからは離れない。
ナイフで伸びた分を削ぎ落したような白い髪が風に弄ばれるのも構わず、彼女は矢を引き絞りながらグレンザムを見つめていた。
「ふむ」
試しに口を動かしてみると、思いのほか滑らかに動いた。
既に平時の身体の動きを取り戻しつつあるようで、先程まで悩まされていた強張りも痛みも消えつつある。
「出来れば矢をしまってはもらえないだろうか。その髪を見て確信した。女、ドリットンの行方を知っているな?」
あの白い髪は、探している人物の家系のみに現れる特殊なものだ。
彼女の姿を見て、より手がかりとなる気配が濃厚になる。
尚更、余計な戦いになるのは避けたかった。
「……」
答えはなく、その代わりに更に強く弓を引くのが見えた。
静けさを取り戻した渓谷に、静かに弦の引き絞られる音が響く。
「むむ。出来れば穏便に済ませたい。気に入っているのだ、この服は」
どうせ、矢で打たれても体には傷一つ残らない。
それでもグレンザムは戦意がないのをアピールするつもりで、彼女に見える様に身体を広げる。
「囚人服……一体なんなの、あなた」
「グレンザム。グレンザム・ダイゴノア。随分若いようだが名前くらいは聞いたことがっ」
飛んできた矢を、グレンザムは避けもしない。
頭部に向かってくるなら服が破けることもないと判断したからだ。
「むむ、矢はやはり不味い。で、女。私の名前くらいは聞いたことがあるだろう」
矢を飲み下しながら、グレンザムは何もなかったように名乗りを続ける。
再び見開かれた女の目を見れば、それが十分な説明になったことは明白だった。
「……大分前に死んだって聞いたけど」
当然の疑問だった。
彼が政府に敗れてから会った人間は、ほとんどグレンザム自身によって命を絶たれている。
「本当なの? 本当に、魔人グレンザム?」
信じきれないが信じるしかない、とばかりに彼女の心は揺れているようだ。
しかし、だからこそわざわざ矢を呑んで見せた。
こんな芸当が出来るのは、グレンザムのほかにいない。
もしグレンザムが考えている通りの人物なら、この弓使いは決して敵ではない。
信用を得る為、包み隠さず己の恥を晒す事をグレンザムは選ぶ。
「うむ。政府に飼われるように処刑人をやらされていた。地下に捉われてな
「信じられない。でも……」
迷いながらも、彼女は弓を前に放り投げ、そしてグレンザムを見る。
「でも、本当なら話を聞いてあげる。変わりに私のお願いも聞いて」
その目には、既に敵意も戦意も見えなくなっていた。
**ブガニア連邦王国建国の歴史より抜粋**
ドリットン・ドドローグが反乱軍を率いることになった経緯には、消えない差別意識が関わっている。
ブガニア連邦王国が立ち上がるまで数多の国、部族に分かれて争っていた天空大陸では、残念な事に統一後も種族間、旧国家間での諍いが表に裏にと噴出していた。
ブブガニウス陛下はこの状況を憂い、宰相キドルを通じて王国民全ての平和と安全を呼びかけた。
陛下の優しいお心は民に次第に届き次第に王国は穏やかさを取り戻したが、ごく一部の集団はキドルの政策を不平等であると反乱の意を隠そうともしなかった。
これがやがて最後の扇動者ドリットンを生み出し、最後の反乱へと繋がるのである。




