渓谷
霧で覆われたこの大渓谷のどこかに、間違いなく何かがいる。
グレンザムはその気配を感じながら、問いへの答えを待つしかなかった。
彼がウィスペリア大渓谷を訪れた目的は、人探しだ。
わざわざこのような回りくどい手を使う以上、気配の主が目的を果たすきっかけになるかもしれない。
であれば、むやみに戦うより相手の出方を伺うべきだと考えていた。
「むむ。出てきては、もらえぬか。では聞くだけ聞いて欲しい。ドリットン・ドドローグの行方を……」
粘り強く質問を続けるグレンザムだったが、何度目かの質問は霧を裂くように飛んで来た矢に遮られる。
当てるつもりはなかったらしく、矢は硬い音を立てて地面に突き刺さった。
友好的な話し合いは諦めなければならないかもしれない。
「……帰れ、とでも言いたげではないか」
グレンザムは刺さった矢を見ながら、気配に向かって懲りずに声をかけた。
「そうよ、帰って」
やっと返ってきた答えには、案の定歓迎の意図は感じられなかった。
その上、声からするとどうやら女性のようだ。
グレンザムは亡き妻の教えを思い出し、少し暗い気持ちになる。
更に手が出しにくくなってしまった。
「ぐぬ。私はただドリットンの行方を聞きたいだけなのだ」
「知らない。帰って」
短い答えと共に、再び足元に矢が一つ刺さった。
刺さった位置が先程より少しグレンザムに近づいているのは、おそらく意図的なのだろう。
それにしても、何かがおかしい。
グレンザムの胸をよぎったのは、隠しきれない違和感だった。
どうにも、思うように体の感覚が働いていない。
何故か頭がぼんやりしている気もする。
地面に刺さった矢。
あれらは見るからに威嚇目的だった。
しかし、今の状態で狙われて果たして避けきれたかと言われれば自信を持てない。
そもそも、気配の主がいくら巧妙に隠れているとは言え、未だ居場所すら特定出来ずにいる。
数多の生物の特徴を吸収したグレンザムらしからぬ事態だった。
体の不調は、毒ではない。
もし毒ならば、彼の身体に数多ある抗体が無効化しているはずだった。
更に動きが鈍くなった体とうまく回らない鈍い頭で、グレンザムは己に何が起こっているのかを必死に考える。
異変は、より強くなっていた。
身体は強張り、もはや着慣れた囚人服の中では肌が冷たく突き刺されるように痛む。
「ぐぬ……」
思わず口から漏れた息は白く濁り……。
それを見たグレンザムは、鈍った思考でやっと原因にたどり着きつつあった。
「ふ、ふむ……。こ、これがさ、寒さか」
思いついた答えを述べようとするが、思ったより体が弱っているのかうまく口が回らない。
知識の中に『寒さ』という概念はあったが、身をもって実感するのは初めてだった。
空を飛ぶ彼は比較的、寒さに対しての耐性はある。
しかし西で生まれ、過ごしやすい西部と王都周辺でしか生活した事がないグレンザムには、凍えるような体験をしたことも、寒さに強い生き物を呑んだこともなかった。
彼の長い生涯で一度も体験した事のない寒さは、どの毒よりも深く彼を蝕んでいた。
肌は引き絞られるような痛みを感じ、上下の歯は無意識にカチカチと音を立てる。
未だ経験のない刺激に思わず身を丸め暖を取ろうとするが、体の熱は奪われていく一方だ。
「あなた寒がりね。まだそんなに冷やしてないのに」
霧の向こうから聞こえる声には、幾分の余裕が感じられた。
「帰って。帰るなら、このまま見逃してあげる」
最終通告だと言わんばかりに声の主はグレンザムに選択を突きつけた。
「……」
しかしグレンザムはその通告を無視して、体に魔力を巡らせはじめる。
打開するべく、魔法を使う為に。
やがて体の中を暴走するように魔力が駆け巡り、霧の中は光に包まれた。
声の主は、まだ気を緩めるべきではなかったのだ。
彼女が相手にしていた男は、グレンザム・ダイゴノア。
かつて天空大陸で最も恐れられた魔人なのだ。
**天空大陸を十倍楽しむコツ! より抜粋**
天空大陸の気候は、日本のそれとは大きく異なります。
特に冬に天空大陸に旅立つなら、防寒具は余計な荷物になるので注意してください。
天空大陸での服装の目安ですが、人気の首都ブガニア観光をするなら秋服を目安に持っていけばまず事足ります。
中央部は年間を通して過ごしやすく、どの季節に訪れても程よく過ごす事が出来るでしょう。
もちろん昼と夜で寒暖の差はあるので、寒いのがニガテな方は上から羽織れる薄手の上着を持っていくといいかもしれません。
※観光地として一般的ではありませんが、北部や高山地帯を訪れる場合は簡単な防寒具が必要になります。
ツアー参加を希望している方なら、必ずツアー会社に詳細を確認して下さい。




