毬藻
「うわあ……」
何とか岩山を登り切った僕の口から、思わず声が漏れた。
夕日に染まり出した地上は飾り気がない、無骨な土色だった。
赤茶けた土から所々生えている草の緑も、随分と弱々しい。
でも、それがいいと思う。
人がいなくても、この土地は強く生きてる。
こんな景色は元の世界でもそうは見れないだろう。
苦行を乗り越えた達成感と目の前に広がる景色で、胸が熱くなる思いだった。
胸が熱くなる、と言えば。
約束していた半熟卵券を受け取った魔人さんの姿は、今思い出しても胸が熱くなる。
いそいそと、しかし丁寧に替玉券をしまう様は一人の男の生き様を見ているようだった。
[んなもんと絶景を一緒にすんじゃねえ。もっと思い出さなきゃならねえもんがあるだろう]
あの哀愁漂う後ろ姿より大事なこと、あったかなあ。
何だったかなあ。
いつも通り「うむ」とか「ふむ」とか唸りながら何か言ってたけど、あれ多分ラーメンに想像膨らませてただけだと思うよ?
[はあ……それもあるだろうけどよ。もっと大事な話してたじゃねえか。白の大地に人が寄りつかねえ理由、聞いただろ]
小うるさいおっさんの話に耳を傾けながら、僕は視線を背後に向ける。
険しい岩山を壁にして隠れているような白い地面、『白の大地』がそこにはあった。
白い大地、なんて言うからただ色が違う地面がある程度に僕は考えていたけど、実際は僕が今たっている岩山に囲まれた盆地をそう呼ぶらしい。
ミリアさんの大変肉体的で直感的且つ本能的な『真っ直ぐ行けば早いだろう』という考えでこの岩山を登らされたものの、本来はこの岩山をぐるぐる周回して登ってくるルートが正しいんだって。
迂回ルートでのんびり来るより時間短縮は出来たと思う。
でも、体力がない僕がロッククライミングに近いことをやらされたわけだからそこまで劇的な時短にはなってないだろう。
「すぐる、食事の用意が出来たぞ」
絶望的な一言と共に、ミリアさんが粘液をまとったマリモのような物体を持ってやって来た。
「これを食べたら下へ降りよう。ここから先は楽だ。もうひと頑張りだぞ!」
ミリアさんはそう言うけど、僕は登る事より降りることより、あのマリモを口に入れなきゃいけない事の方が辛いよ。
口には出さないけど。
手渡されたマリモをゆっくりと口に近づけながら、僕は魔人さんの言葉を思い出してみる。
白の大地の事、持って帰らなきゃいけない土の事。
人が住まなくなった理由……農作物が育たない事と、なんだったろうか。
このマリモのように危険が伴う話だったような気がしないでもない。
「どうした、食べないのか? いきなり襲われる可能性があるんだ。今のうちに食べておくといい」
そうだ。
確かに襲われるから気をつけたほうがいいとか何とか、魔人さんが言ってた気がする。
何でも呪われているとかなんとか……。
段々思い出してきた。
ここを訪れた人々は、そりゃあもう嫌な思いをして帰って来るらしい。
特に複数人で来ると全員が不仲になって戻ってくるんだって。
魔人さんはこの話をしてる時、説明しながらもあんまり怖がってなかった。
きっと魔人さんは一人ぼっちで採集に行かされていたから怖い思いをした事がないに違いない。
かわいそうに。呪いより奥さんの方が怖い恐妻家だったんだろうか。
[やめてやれよ伝説の魔人とか言われてる男をそんな呼び方すんな。もっとかっこつけさせてやれ。グレンザムは呪いの部族カリーシア生まれだからなあ、呪いを怖がる必要ねえのかもしれねえ]
なるほど。
奥さんに比べたら慣れ親しんだ呪いなんてへっちゃら、ってことかな。
[……ごめんなグレンザム、助けてやれなかったわ。あと、そろそろ諦めてそのヘドロ食えよ。もっともらしい回想して時間稼ぎするんじゃねえ。]
おっさんの言うとおりだ。
恐妻家の警告も思い出した事だし、これ以上マリモを握り締めながら経ってるのは不自然だ。
そろそろ、この呪われたマリモを口に入れなきゃ。
一生懸命引き伸ばしたけど限界だ。はあ、嫌だな。
「……それは本気で言ってるのか、すぐる」
突然聞こえたミリアさんの声は、少し湿っていた。
視線を向けると彼女の大きな黒い瞳も、心なしか潤んでいる気がする。
やばい。そろそろ、ミリアさんの料理が美味しくないって思ってるのばれちゃったかな。
……というか僕、声に出してたっけ。
「すぐるが喜んでくれればと思って一生懸命作ったんだが……」
まさか、あまりの食べたくなさに僕の思考がミリアさんに伝わってしまったんだろうか。
だとしたら、もう誤魔化しようがない。
「まさかそんなに喜んでくれているとは! 嬉しいぞ、もっと食べるといい! わたしの揚げパンもやろう!」
あれ。伝わってないぞ。
というかこのマリモ、揚げパンだったの……?
**『ミリ様を崇める集い』会報より抜粋**
目もくらむ美しさと、貴族ならではの気高さ。
つやつやと美しい黒髪に、しなやかなで均整の取れた肉体。
幼少から鍛えこまれたその強さと相まって、ミリ様は正に現代に舞い降りた戦乙女と言えよう。
少々危機を覚える天然具合もまた、彼女の魅力を引き立てる一因になっていることは付け加えるまでもない。
しかし、戦乙女に迂闊に近寄ってはならない。
ミリ様が作った聖なる料理を口にする栄誉を手にした会員一名が意識不明の重態で搬送された。
彼は今も恍惚とした表情で生死の境をさ迷っている。
※今回の事件を考慮し、会則に追記を設ける事となったので会員は周知すること。
一つ。ミリ様の料理を口にする際は、命をかける事。また、死んだ場合は魂だけでも戦乙女に付き添う存在であれ。




