怒り
突然だけど、僕は実に穏やかな生活を送り続けてきた。
ごくごく普通に幼少時代を送り、凪のように穏やかに普通に学校生活を送り、過激で過酷な就職訓練を経て無事に希望していた就職先に就職する事が出来た。
[一つ、穏やかじゃないワードが入ってるぞ]
反抗期らしい反抗期もなければ、挫折らしい挫折もない。
幸い目立つタイプじゃなかったからか、いじめられる事もなければ、非行に走る事もなかった。
周りで若者らしい生活を送る同級生を、半ば他人事のように傍観しながら青春時代を過ごした。
[だから恋愛もまともにしねえで童貞なんだな。もっと若者らしく貪欲にいけばなあ]
トラブルなんて言うのは、僕の外で起きるものだと思っていた。
実際、巻き込まれた事なんて一度もなかった。
[絶賛トラブルに巻き込まれ続けてる最中だけどな。何たってぼーっとしてたら死刑だぞ、兄ちゃん。まいったなほんとに。あははは]
二十歳越えて初めてこんな体験をする日が来るなんて。
おっさんに怒る気力もなければ、余裕もない。今回ばかりは、助けて欲しい。
素直に僕はそう思っていた。
「まだ出るじゃろ。出せ」
「もう本当にないんです……これで全部なんです……」
お父さん、お母さん。
僕、ついにこの日が来ました。
「いいから出せ、まだ持っとるじゃろ、ほれ出せ」
カツアゲ、デビューです。
と言っても、出せと言われているのはお金じゃない。
こんな最果ての地じゃ、お金を使う場所なんてほとんど無いだろう。
「何を黙っておる。黙っていても出すもんは出してもらうぞ」
先ほどから矢継ぎ早に催促を受けているのは、そんな簡単なものじゃない。
「はようしゃべらんかっ! 急ぐんじゃろ、情報を出さんかっ!」
僕がカツアゲを受けているのは、知っている情報だった。
このお爺さん、僕のこと神様扱いしてるなんてとても思えないんだけど……。
何故こうなったかと言うと、お爺さんが力を貸してくれる事になったからだ。
このお爺さんは、魔人さんの話では優れた軍師なんだそうな。
ちなみにその魔人さんは、既にお爺さんからこってりと情報を搾り取られて、疲れ果てた顔で僕を見るだけの不気味人形になっている。
このお爺さんのモットーは『情報が命』。
かつて魔人さんがこの村を訪れた頃、弱兵ばかりだったこの部族が生き残れていたのは、お爺さんの力量による所が多かったらしい。
戦乱真っ只中のこの西部で、別段強い訳でもないマレージアという部族を守り続けた男。
「はようせんかっ!!」
それがこのお爺さん、ガイナル・ダイゴノアだった。
お爺さんに、先ほどまでの枯れた様子はもう見えない。
それどころか、情報を得るごとに若返っていくようにさえ僕の目には映っていた。
「ぐむ……スグルよ。ここは私が受け持つ。ハチ達を呼んできてはくれぬか。義父はきっと、あいつらの話も聞きたがるはずだ」
魔人さん……もう出すものがないって言うのに、自らを犠牲にして僕を助けてくれるんだね……。
「いけっ! 父はこうなっては満足するまで止まらぬ、走れっ! いくのだ、スグルッ!!」
僕は魔人さんの犠牲を胸に刻み、涙を振り払いながら駆け出していた。
どんな面接にも耐えられるように訓練し続けたこの僕が耐え切れなかった猛攻だ。
特別な訓練を受けていない魔人さんが、いつまでもお爺さんの質問攻めに耐えられるとは思えない。
顔を伝う涙が風に流されるまま、僕は増援……いや新たな生贄を捧げるべくハチ達の元へ足を早める。
待っててね、魔人さん。
[しょうもな]
◆◆◆◆◆◆
「うまいことやったのぅ。何ぞ話があるんじゃろ、グレンザム」
スグルをハチ達の元へ向かわせた意図は、やはり義父には隠せていないようだ。
先ほどまで矢継ぎ早に質問を浴びせていた、鬼気迫る様子はもう見えない。
「それにしても懐かしいわい。お主が悲壮な顔を見せて助けを求めると、ピアーニャも泣きながら駆け出していったなあ」
目を細める義父の目に、涙はなかった。
きっと、既に悲しみの涙は流れ果てたのだろう。私にはわかる。
心は悲しみに耐えられない。
生きる以上、悲しみという苦痛を持ち続けることは出来ないのだ。
悲しみが風化してしまった父のように。
心を消し去って政府に使われていた、私のように。
「どれだけ犠牲を出すことになるのか、かのう。そんな所じゃろ、お主があの若者に聞かせたくないのは」
やはりお見通しのようだ。
スグルは、やはりまだ若い。
幼いミノタウロスの娘を奪還した戦いで彼が見せた表情の中には、命を奪うことへの抵抗があった。
出来ないなら、それで構わない。
スグルの持つ力は、その事を差し引いたとしてもあまりにも強力だ。
魔王になる決意だけを持ち続けてくれれば、私の夢を果たす事は出来る。
「グレンザムよ。あの若者が戻ってくる前に、気持ちを静めんか。未来の魔王が裸足で逃げ出しそうなおっかない顔をしとるぞ。しかし、感謝せねばなるまいな。娘……ピアーニャを奪った奴らに、未だそこまでの怒りを持っておるとは」
思わず両手を強く握り締める。
悲しみは、消える。
どんなに悲しくても、心は少しずつそれに慣れる。
しかし、怒りは違う。
怒りは決して消える事はない。燃え尽きた焚き火の中に、赤熱のおき火があるように。
妻を奪われた怒りは、消えることなく燃え上がる機会を待っていたのだ。
「そうじゃのう……もう少し色々と聞いてみないとわからんが、その軍とキーパーズ、だったか。そやつらはかなり殺さねばならん。王家は根絶やしじゃ。それに、宰相も。そやつらはわしが殺してやりたいくらいじゃのう」
この父も、同じだ。
笑いながら話してはいるが、その形相は悪鬼も避けて通る凄惨なものだった。
娘を奪われた怒りは、この枯れ木のような体の中でずっとくすぶっていたのだろう。
スグルを魔王にするには、無血での決着はあり得ない。
ならば、我々が汚れ役を請け負えば良いだけの話だ。
**魔王年代記より抜粋**
紀元前二年
緑葉の月
初代魔王の覇道が、遂に始まった。
これは、初代魔王が天空大陸を征服するまでを記した、年代記である。




