照々
いつの間にか頭上にいたそれは、ふわりふわりと不気味に空を漂っていた。
まるで大きな白いシーツがはためくように広がったり縮んだりしながらも、どんどんその姿は大きくなる。
どうやら、少しずつ下降しているらしい。
ひらめく裾からは時折、ルンポリンの上部が見え隠れしている。
次第に明らかになるフォルムは、三角錐に近いようだ。
上に行くにつれて窄まっていく、てっぺんには球体がちょこんと乗っている。
これ、でかいテルテル坊主だよね。
全体像が見えつつある今、僕は拍子抜けしていた。
ものすごく大きなテルテル坊主が飛んでるなんて、こわくもないんともない。
これが恐れられてた巨大モンスターだって言うなら異世界さんも随分とちょろ……
「……きしょ」
改めてルンポリンを見た僕の口から、ヤツを生理的に拒否する言葉が自然と漏れた。
怖くはないけど、気持ち悪い。
よく見ると、元の世界で見慣れたアレとはだいぶ様子が違っていた。
シーツがはためくように見えていたのは、風で翻っている訳じゃない。
白くて分厚い皮に生えた無数のヒダが、ザワワワっと蠢いているせいだった。
何あれ。
おっさん、ルンポリンのあの皮どうなってるの?
[……]
え。知らないの?
神様が? ねえ神様が? また知らないの?
[……い……す]
声小さいなあ聞こえないなああぁ。
[知らないです……グス]
と、役立たずを屈服させたその時だった。
『ギイィィ~マルウゥ~ペ~ナアァァァ~~』
再び、ルンポリンの鳴き声。
妙に「ペ」の部分を強く発音してるようだけど、そんなことを気にしてる場合じゃない。
ルンポリンが、空中でゆっくりと旋回を始めていた。
どうやら今までは、僕達に背を向けていたらしい。
何故、テルテル坊主の前後がわかったかと言えば……。
こちらを振り返ったルンポリンの頭部に、一つの大きな目があったからだ。
大きなまぶたをしきりに瞬きさせて、ルンポリンのモノアイは僕らをじっと見つめる。
どうやら見つかったらしい。
僕はルンポリンの鳴き声で震える大気の中で、ぼそりと言った。
「あの角が刺さったら、死ぬでしょ」
[死ぬね]
聞いていた話と違う。
『ルンポリンの角に刺さって死ぬ』と『豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ』って同じような意味なんじゃなかったろうか。
[本来、ルンポリンは小さい妖精だ。角もあるにはあるが、ほんの数センチの小さな角でとても命に届くようなもんじゃねえ。冗談を冗談とわからないような奴を揶揄するような意味で使われる言葉だな。でも、あのルンポリン小さくないし。あの角は命に届いちゃうね]
おっさんの、言うとおりだった。
目の上には、犀の角を更に禍々しくしたような、鋭い角が生えていた。
あれ、頭重くないのかな。
『ギイィィ~マルウゥ~ペ~ナアァァァ~~』
再び、大地を揺るがすような巨大なルンポリンの咆哮。
完全にやる気に見えた。角を奮いながら、こちらをロックオンしているようにしかみえない。
これはピンチかもしれない。
「くっ。卑怯ものめ、空中にいられては手も足も……」
と言うのはハチ。
それもある。このままでは、空中に滞空するルンポリンと戦う事は出来ない。
「わあ、ルンポリンじゃないか。かわいいな、こっちにおいで」
思わず、という調子で理解不能な言葉を漏らすのはミリアさん。
先ほどまでの警戒はどこに行ったのか。
そして、あの不気味なテルテル坊主のどこが可愛いと言うのか。
「むむ。かくなる上は、私が魔法で撃退しようではないか」
魔人さんだけは、そう覚悟を滲ませる。
現状で何とか戦力になりそうなのは、魔人さんだけかもしれない。
でも、またアフロになられては堪らない。
あんな姿を何度も見せられて、僕の腹筋が無事な訳がない。
無事でいていい、訳がない。
しかし、僕がペインで倒すのはどうやら無理そうだ。
テルテル坊主に足がないように、ルンポリンにも当然足はない。
小指がない以上、ペインに効果はきっと……
[いけるよ?]
いけるらしい。
[そもそも『タンスの角に小指をぶつけた痛みを与える』とは言ったけど、痛みが小指に、と限って説明した事はねえよ、おれは。そんな限られた用途の魔法が最強魔法な訳、ねえだろ?]
まあ言われてみれば、確かに。
そもそも、今までペインを使った敵が足を痛がっていた様子はないような気がする。
[そう言うこった。安心してペイン使えよ]
なら、話は早いね。
『ペナ、ペナ、ペナ、ペナ』
どうやら鳴き声は威嚇音らしいものに変化していた。
僕は改めて、角をこちらに向けて飛び掛るべく姿勢を変える、ルンポリンを見る。
こういうのは襲われてからじゃ遅いに決まっている。
先手必勝、問答無用で行かせてもらおう。
見て、思うだけっ!!
『ナナナナナナナナンナナンナーッ!』
今までより遥かに大きく、そして嘆きに満ちた悲鳴が荒野に響き渡った。
**魔王年代記より抜粋**
紀元前二年
緑葉の月
天空大陸を支配していた旧ブガニアは、住まう民を省みる事など全くなかった。
各地で民を脅かしていた巨大モンスターの存在は、政府の無能さを知らしめる最たる例だろう。
初代魔王閣下は、虐げられていた民を救うべく手を差し伸べ、天空大陸の太平を望んだと伝えられている。




