花火
西の空を灯す涙魔法を、キドルは眺めていた。
事前に決められた、キーパーズからのサインだ。
夜の暗闇に咲く光は橙色。示す所は、逃亡者捕獲失敗である。
彼は正に今まで、死刑囚一行の追跡に当たっていた軍元帥のグラウス、そして法の番人ロエ・アンデマイズと共に死刑囚追跡の報告を待っていた。
係長の報告以降、逃亡者一行は完全にその姿を消している。
その為、警備網の目が多少大きくなってしまっていた事は否めない。
しかしキドルは、十中八九西に逃げると考えていた。
念の為に北部への警戒も強めてはいたが、警備を抜けるなら、王都ブガニアの端。
同行者がいる以上、鉄道を利用するだろう事も計算の内だった。
トワシ駅を含めた三駅へは、かなりの人員を割いていた。
魔人は兎も角、同行者の一人くらいは捕獲するつもりでいたのだ。
目的と逃亡先程度なら、口を割らせる方法はいくらでもある。そのつもりだった。
彼は口から漏れそうなため息を堪える。
事実を、ありのままを同室の者達に伝えなければならない。
「予想の上を行く敵、だと思うのです。逃げられました。全員に」
彼の声は平静を保っているものの、その手は普段より遥かに強く帽子のつばを握り締めている。
「ふざけるな……ふざけるなよっ!」
キドルの幼い言葉に対する返事は、腹に響くような声だった。
声の主は軍服の見るからに屈強そうな男、グラウス・プリムステイン。
彼は逞しいその体を震わせ、怒りを隠そうともしない。
「軽侮かと。キーパーズと軍を総動員しておいて、逃げられたでは済みませぬ。宰相殿らしくもない、逃亡者への見積もりが不十分だったのでは?」
神経質そうな甲高い声は、ロエのものだ。
普段から神経質そうな彼もまた、苛立ちを隠しきれないのか先ほどから落ち着かないそぶりで目に掛かる前髪を払っている。
しかし、キドルは責任の所在を争うつもりはなかった。
それどころか、二人の声など今は耳に入っても、いない。
彼は充分に最悪を想定し、予備策も充分に取っていた。
はずだった。
「これだけ騒ぎ立ててしまっては、最早隠し立てするのも限界だぞ! どうするというのだ!」
「追跡は。民へはどうしらせれば。ああ、王には何と申し開きをしたらよいか」
取り乱す二人の声は、やはりキドルには届かない。
彼の頭は、更に最悪を想定して計算を始める。
魔人の強さ。看守の、そして猟犬の手強さ。
それだけではない。それだけなら、こんな事にはならない。
死刑囚。
何かあるとすれば、そこではないだろうか。
キドルは思い当たる。ひらめきを感じる。
係長にも聞き取りを依頼してはいるが、あの男は商品《情報》の質を高めて来るだろう。
結果が出るとすれば、明日。
しかしもう一つ、鍵があったはずだ。
「ロエさん」
珍しく取り乱した様子で何か叫んでいたロエに向かい、キドルは呼びかける。
「人を呼んで、欲しいのです。死刑囚と共に捕らえられたオークを」
「……わかりませぬ。そんな事をしている場合ですか」
話を遮られたロエは、それでも平静を失っている事を恥じたのだろう。
バツが悪そうにしながらも、やはり非難するようにキドルを見つめる。
再び漏れそうになるため息を、幼い姿の宰相はまた飲み込む。
苦楽を共にしたこの男達は、やはり平和に慣れてしまっている。
保身などしている場合ではない事が、全くわかっていない。
しかし、それを説いている時間はない。
正体不明の死刑囚についての情報を集めなければ、手遅れになる。
キドルはその事について、ほぼ確信を持っていた。
「死刑囚について詳しく知る必要がある、と思うのです。それも、出来るだけ早く。西にはアレがいるので容易く西へ抜けることは出来ないでしょう。しかし、やはり気がかりなのです」
西にいる脅威を思い出したのか、はたとグラウスに漲っていた怒りが離散していく。
彼は、散々に手を焼かされているのだ。アレに。
「規格外の怪物にはモンスター、ということか。しかし魔人ではなく、死刑囚を警戒しているのか、宰相殿」
「杞憂かと。彼は外世界人ではありませぬか」
「それでも」
キドルは三度ため息を飲み込み、二人の言葉を跳ね返す。
「それでも、死刑囚について調べるべき、と思うのです」
いつまで立っても晴れぬ、胸の不快感がそう示していた。
**ブガニア新聞より抜粋**
創立暦三十四年 七月六日 朝刊
『西部立ち入り禁止に』
天空大陸西部への立ち入りを禁止する法令が、本日より施行される。
原因は相次ぐ巨大モンスターの襲撃。
先月一日に編成された軍の討伐部隊は依然目的を果たせておらず、元帥のグラウス・プリムステイン公爵が明日改めて状況を伝える記者会見を開く予定だ。




