部屋
パイナっていう名前のこのおじさん、元々は魔法研究の仕事をしていた人らしい。
本人曰く、研究所の意向と合わなくなって退職させられたんだそうな。
巣穴に来たのもつい最近で、自前の研究道具を持って彷徨っていたら突然足元に穴が開いたんだって。
十中八九、ユマちゃんのおてんば散歩の餌食になったんだろう。
今は商人を目指して商品開発の真っ最中。
こっそり巣穴の中に作った研究室で商品開発をしているんだって。
元研究者としての興味と、商品開発のアイディアを得る為にどうしてもペインの事が聞きたいらしい。
断っているのに、さっきからずっと「その魔法はどこで手に入れたか教えて欲しい」としつこく食い下がられていた。
「すみません、そういうのお断りしてるんです」
僕はいつまでもしがみつくおひげさんに拒否の意思を手で示し、再び歩き出す。
もうこのセリフ、十回は言ってると思う。
「そこを何とか……協力して頂ければ役に立つアイテムを差し上げるでやす!」
「だから、急いでるんです。ちょっと間に合わなくなっちゃうとアレなので」
おひげさんはもはや涙目だったが、簡単に足を止められると思ってもらっちゃこまる。
「……なんでそんなに急ぐんでやすか? あの、良かったら力になれると思うでやすが」
「いえ、結構です」
会話をすれば足を止められると思ったら大間違いだ。
僕は駅前で配られているティッシュすら、一度も受け取った事がない男だよ。
「すぐる、せっかくだから話を聞いてみたらどうだろう。西部へ向かう旅は長旅になるぞ? それに、何だかその……ちょっとかわいそうな……」
えぇ。
ミリアさんの言い方だと僕が悪い人みたいだよ。
「西部? 何でまた……」
「あー、こいつらは今指名手配受けてて逃走中なんだ。この巣穴からトワシ駅のあたりまで抜けて、そこから機関車に飛び乗るんだと」
えぇ。
エマの言い方だと僕ら犯罪者みたいだよ。
「トワシのあたりなら、転移でお連れ……指名手配!?」
「僕、死刑囚だよ」
驚くおひげさんに、僕は正直に教えてあげた。
「あ、あたしやっぱりこの辺で……」
「ふむ。転移ならばかなり時間を短縮出来るだろう。スグル、休憩がてら詳しく話をしてやったらどうだ。そもそも、我々もスグルの魔法については知らぬ事ばかりだ」
おひげさんは逃げ出そうとしてたみたいだけど、魔人さんが立ちふさがって止める。
「いやあ、そろそろお暇させて……あの、ずっと気になってたんでやすがあなた、昔資料で見た、ある人によく似てるような……お名前を伺っても?」
「うむ。グレンザム・ダイゴノアである」
「ははは。冗談がお上手でやすねえ! さてあたしはそろそろこの辺で……ああ何でも、このあたりは強盗団が出るらしいから気をつけたほうがいいでやすよ!」
少し顔を引きつらせながら、おじさんは足を震えさせながら去ろうとする。
「ごーとーだん? はい! はい! それ、ユマたちのことだよ!!」
「ばぁっかじゃねえの? 勝手に巣穴使っといて、誰住んでるのか知らなかったのかよ!」
無邪気なユマちゃん達の声を聞いて、おひげさんは足から崩れ落ちた。
どうやらおひげさんは話を聞く気になってくれたようだ。
転移が出来るなら、と言う事で一休みする事に決まった。
涙目で歯をカチカチ鳴らしているおひげさんに案内してもらって、僕達はおじさんの研究室に来ていた。
部屋中に張り巡らされたパイプに、不気味な色の湯気を立てている鍋。
あちこちに置いてあるフラスコは見た事がない形のものばかりだ。
それぞれ適当な場所に腰を下ろしている皆に向けて、僕はこれまでの経緯を説明する。
元はただの旅行者だったこと、おっさんとの出会い、魔人さんとの出会い。
それに、おひげさんが聞きたがっていた魔法について。
「……という訳で、僕の視界に映ったものに痛みを与える魔法なんだって。あと、自動で反撃してくれる魔法も使えるみたい」
話を進めれば進めるほど何故か重くなる空気に疑問を持ちながら、僕は説明を終える。
しかし皆なんで、あんなに難しい顔してるんだろう。
おひげさんなんてボロボロ泣き出してるよ。
「ふむ……神を宿していたのはその為か。すさまじい魔法だ。私が手も足も出ぬ訳だ。全ての魔法の理を無視している」
話を聞き終えた魔人さんは、感心した様子だった。
「さっすがご主人様! さすがです、さすがでございます!」
「そうだな、涙魔法は一人に一つ、複数の効果を持つなど聞いたこともない。相手に悟られず、無条件で攻撃する魔法か。恐ろしい。そもそも、魔力の消費はどうなっている?」
え、知らない。
それにこのあほな魔法、本当にそんなすごい魔法なの?
[だからずっとそう言ってるじゃねえか。魔力もほとんど使わねえぞ、消費が激しかったら最強の魔法なんて言えねえからな。しかも今、あの賢者の涙はおれを取り込んでる。前も言ったと思うが、おれの存在は魔力の塊みたいなもんだ。実際のところ、無制限でペイン使えると思っていいぞ]
そうなんだ。
[ちなみに外世界人の兄ちゃんは、魔力が極端に少ねえ。育った土壌が違うからな。それでも、一日くらいは魔力の残量を気にせず、平気でペインを使えるぜ]
じゃあおっさんがいてもいなくても、一緒だね。
[……]
黙り込んだおっさんを無視して、ミリアさんに僕は答える。
「ほとんど消費しないって。魔力の心配はいらないって、パビラスカさんは言ってる」
「そうか。本当に、魔王を目指せるかもな……」
「さすが、素晴らしいですご主人様! このハチ、感服しました!」
ハチがさっきからうるさい。どうしたんだろう。
[魔法のことはよくわからねえけど、取り敢えずすごそうってのだけわかったんだろ]
ああ。
「……すごいでやす」
と、ここで今まで涙を流していたおひげさんが反応した。
「すごいでやす、正に史上最強の魔法でやす! 低燃費、操作性抜群、迷惑な魔法光もカット! 環境にも優しそうでやすね!」
どうやら泣いてたのは、僕の魔法に感動していたかららしい。
しかし、その説明だと車の宣伝文句みたいだね。
先ほどまでの怯えも嘘のように、おひげさんは大はしゃぎだった。
かなりペインがお気に召したらしい。一人で「革命だ」、とか「ロマンだ」とか暑苦しく大声を上げている。
ひとしきり大騒ぎすると、おひげさんは僕を見て言った。
「是非、そのパビラスカ様にあたしの商品も見ていただきたいでやす! 苦心して作り上げた簡易涙魔法、ドロップスの数々を!」
なんですかそれは。
**魔法省研究所日報**
創立暦三十四年
四月三十日
研究所開発部門部長、パイナ・ガガミガガム氏が本日付で退職となる。
氏の退職を受けて、『プロジェクト・ドロップス』の開発は頓挫せざるを得ない。
同日に所長より、新プロジェクトの開発号令が下った。




