追跡
一方。
追跡組の三人は包囲網を抜け、住宅地を走っていた。
「こっちだ、近いぞ……っ」
前を駆けるハチが叫ぶ。
しかし、その表情は決して明るくはない。
「むむ。既に捕えられたか」
「そうなのかっ!?」
何かを察したグレンザムの言葉に、エマが足を早める。
「多分な。この先から濃い匂いがするが、さっきから動いてない」
大型犬の姿をしたハチは、鼻を引くつかせながら答えた。
三人が向かっている先にあるのは、綺麗に並んで建てられた家々の中心部。
昼間は住民達の憩いの場として利用されているであろう、広場だった。
ハチは匂いを探るのをやめ、首を振る。
「だめだ、恐らく待ち伏せされているが、人の匂いが多すぎて人数まではわからん」
「ふむ。エマよ、危険を感じたら身を隠せ」
「……ちっ。ユマのこと、頼むぞ」
気丈な少女は、悔しそうだ。
己の無力さを実感しているのだろう。
やがて三人は、広場へたどり着く。
しかし、ユマの姿は見当たらない。
だが、周囲を探すハチ達へ、声をかける男がいた。
「ほおおう。面白いものが釣れたであるなあ。どうれ、捕まえさせてもらおうか」
噴水の影から姿を現したのは、なまず髭を生やした軍服の男だった。
軍服を着た男の右手が、光を帯びた。
「大人しく縛に就くであるなあ、魔人っ!」
男は、そう言いながら光球をグレンザムに投げつける。
球は矢のような速さで、彼へ襲い掛かった。
「ぬっ」
グレンザムは、避けなかった。
幾千の戦いを経て、彼の力は高まるばかりだった。
そしてその強さは、やがて彼から「回避」という概念を奪う。
やがてその驕りは、彼を危機へ導いていた。
「ぬぬぬっ」
光で包まれたグレンザムの体は。変わらず動かない。
いや、動けないのだ。
「魔人、動けまい。骨董品のようなお前が、新しく開発された涙魔法、麻痺魔法の妙を理解できるわけがないであって」
再び手に光を宿し、残るハチとエマをけん制しながら男は言う。
「そのなまず髭に、気取った話し方。貴様、パタスか」
ハチが牙を向きながら、軍服の男を呼ぶ。
「ふううむ、しゃべる、犬。……そうか、ウルフヘジン。という事は、プリムステイン元帥のご子息。やはり裏切っていたであるなあ」
パタスと呼ばれた男は考えをまとめるように、なまず髭を片手で弄る。
どうやら、ハチの正体にすぐ気がついたようだった。
「ご子息。元帥にお連れするよう言われているであって。大人しく同行してはくれぬかなあ」
「断る」
パタスの言葉を、ハチは短く跳ね除ける。
「ふううむ。貴殿には麻痺魔法を当てるのは難しいであって。ならば」
話しながら、パタスの軍靴が二度鳴った。
「自慢の部下と共に、プリムステイン家の暴れん坊を捕獲と参ろう」
いつの間にか、三人の周囲には軍人が四人立っている。
「くっ…っ! エマ、下がれっ!」
「下がれってどこへだよ、囲まれてる! それにユマがまだ見つからねえ!」
じりじりと迫る、危機。
いかにハチと言えど屈強な軍人相手、それも涙魔法の使い手を含んだ相手を相手に無事には切り抜けられぬだろう。
「もう一度、聞くであるかなあ。大人しく捕まってはくれまいか」
「主を裏切る事は出来ぬっ!」
「そうか。では……」
「ふむ。おもしろいものだ」
正に一触触発の状況で会話に入り込んだのは、動けぬはずのグレンザムだった。
「ふむふむ。体の自由を奪う魔法か。体が痺れるようだ。魔力を麻痺毒に転換しているのか?」
痺れる、と言いながら流暢に口を動かすグレンザムに、パタスは驚きを隠せない様子だ。
「うむ。確かにこのような魔法、はじめて見る。解毒の存在しない、新しい毒の生成を魔力で行うとはな。着眼点は、素晴らしい。だがな。私は数千数万の命を奪った魔人だ」
す、とグレンザムが何もなかったように歩き出す。
「こんなもの、すぐに馴れる。毒の効かぬ生き物等、蛇の頃いくつ食わされたか分からぬ」
グレンザムを覆う光は、いつの間にか消え去っていた。
「ぬうううっ! 麻痺魔法が効かぬならば、直接縛り上げてくれるであるなあああっ!」
パタスの声に従うように、四人の配下が懐から分銅のついた鎖を取り出し、回し始める。
「何もこの任に就いたのは、麻痺魔法を持つだけが理由ではないのであって! 鎖縛部隊と呼ばれる所以、見せてやるであるなあああ!」
しかし、グレンザムに動じる様子はない。
皆の集中がグレンザムに集中している間に、ハチが配下の一人に、喰らいついていたからだ。
声を上げる間もなく、男は息絶えていた。
「ふむ。ハチ、その配下の者達は任せていいか」
ハチはワーウルフに姿を変えながら頷いた。
**魔王年代記より抜粋**
紀元前二年
緑葉の月
魔王閣下の右腕、魔人グレンザムは逸話に事欠かない。
正確には、古の記録から彼のものであろう記録を追いきれないのだ。
数百年を生き、魔王閣下に就き従った彼がどのような異能を持っていたのか、正確に把握しているものは未だにいない。
だが更に恐ろしきは、彼を打ち破り『トゥンコッツ・リァミエーンヌ』を用いて服従を強いた、初代魔王その人だろう。




