草
そう、それは圧倒的な暴力だった。
無慈悲に続く猛攻に、僕は身も心も蹂躙されていた。
既に敗北を認めているにも拘らず、未だ止まる事のない一方的な侵略。
助けを求めても、ハチもミリアさんも手を差し伸べてはくれなかった。
何故僕だけこんな目に合うのか。
一体僕が、何をしたというのか。
「おにたん、あーん」
「う、うん。でももうおなかいっぱ……」
「あーん!」
僕は目の前の幼女に、延々と草を食わされていた。
「ユマ、ご飯の世話してやるなんてえらいぞ! ほら、どんどん食べてもらえよ!」
エマがニヤニヤしながら妹をたきつけ、どこかへ立ち去っていく。
何か用事でもあるんだろう。
お願いだからユマちゃんを止めて……この子の隣に草の山作らないで……。
僕、もう一ヶ月分の食物繊維は摂ったと思うよ。
[残念だがな、兄ちゃん。栄養摂取は一日単位で考えないといけねえぞ]
そんなところで知識を披露しなくていいよ。
「あーーーーーん!」
そうこうしている間にも、僕の口には終わる事のない悪夢が突きつけられている。
魔人さんは嫌な顔一つせずに草を食い続けているし、ミリアさんは微笑ましげに僕らを見るだけだ。
本当なら「ご主人様のお食事の世話は私めがっ!」とか言い出しそうなハチすら、この悪意なき暴虐をとがめるつもりはないらしい。
僕は諦めて、草を頬張る。
お腹の中に広がっているであろう大草原を想像しながら。
何にしても、(ものは兎も角として)食事を用意してもらえて助かる。
巣穴を抜けた後は、さすがに平和な旅路を続ける訳には行かないらしい。
ゆっくり食事が出来るだけでも、ありがたいことなんだろう。
「おにちゃん、おにちゃん! はい、あーーーん!」
……もう無理です。
口の中がすんごく草臭いです。
「あ、あのね。そろそろ別のもの食べたいなあ、なんて……果物とかさ!」
「くだもの……? わかった、いいものあげる!」
小さな角が生えた頭をこくりとゆらすと、ユマちゃんもとてとてどこかへ走っていった。
ふう。脅威は去った。
しかし、まだ決して油断は出来ない。
僕が気を抜けば、力の奔流を招きこの辺り一体はぬるっとした草原になるだろう。
「随分気に入られたものだな、すぐる」
僕は必死で口元を押さえ、巣穴緑地化を防ぐ為に全力を注ぐ。
「幼子にまで奉仕させるとは、さすがご主人様です! このハチ、感服致しましたっ!」
引いては押さえ、押しては引く攻防。
しかし、決してこの戦いには負けられない。
「むむ。うむ。なかなか、うむ」
試練。これは試練だ。
己だけの力で、打ち勝たなければならないのだ!
きっとここで僕が負ければ、ユマちゃんが悲しむ!
[兄ちゃんがこんなに頑張ってるの、初めて見たな]
悲しませたくないんだよ。
僕一人っ子だからさ、年が離れた妹がいるとこんな感じなのかと思って。
ちょっとだけ、楽しんでる。
僕は、体内で繰り広げられる威信をかけた戦いに集中していた。
とそこへ、リンゴの入った籠を脇に抱えたエマが戻ってきた。
「あん? 何してんだ、お前。顔は真っ青だし、涙目だぞ? あれ。ユマ、どこ行った?」
「ああ、貴様の妹なら果物を取りにいった。すれ違わなかったのか?」
ミリアさんはエマの抱える籠を指差して答える。
「あ? 果物……。まさかあいつ、勝手に外にっ!?」
エマの顔色が、変わった。
「ど、どうした。あの子がどうしたと言うのだ。確か、『いいものをあげる』と言っていたが」
エマの剣幕に驚いたように、ミリアさんが言う。
「……ちっ。貯蔵庫にも蓄えがあるのは、あいつも知ってるはずだ。すれ違わなかったってことは、プリナラの実を探しにいったのかも知れねえ。ユマの大好物でな、この近くの地上に売ってる店があるからそこに行ったんだと思う」
「ふむ。出入り口は、魔法を使わんと開けられないのではないか?」
魔人さんが食べる手を止めて、エマを見た。
「あいつ、魔法だけならオレよりうめえんだ。通路いじくってあちこち出歩くから、外にだけは出るなよって言い聞かせてた」
「むむ。外に出たとは限るまい」
エマは魔人さんの言葉に、首を振る。
「ちょうどせがまれてたんだよ、また買ってきてくれって。あいつも場所は知ってるはずなんだ、何度かその店に変装して連れていってるからな。オレ達強盗団を探してる奴は山ほどいて、外はあぶねえから……くそっ!」
僕の、せいだ。
「あの小娘、果物を欲したご主人様に応じるつもりか! うむ、大変有望な娘だっ!」
ハチの言葉が、思いのほか僕の心に突き刺さった。
僕を見るエマの視線も、怒りで鋭くなる。
もう食べられないのに、その場しのぎに「果物欲しい」なんて言ったから。
だからあの子は、外に行っちゃったんだ。
僕を喜ばせようとして。
ねえおっさん。
[なんだ?]
ちょっと聞きたいんだけど、あの自動発動の魔法を一旦発動しないように出来る?
[……出来るぞ。本当にいいのか?]
うん。
「エマ……ごめん。僕が軽々しく頼んだからだ」
怒りの滲んだ目をしたエマに向かって、僕はおずおずと頭を下げた。
僕の方に、足音が近づいてくる。
突然地面から、僕の足が離れた。
そうだよね。
謝れば全て許してもらえるなんて、最初から思っていない。
僕の胸倉を掴んだ腕も、視界の下の方で涙をこらえているエマの顔も
「……っぶっ」
この、腹部にめり込んだ拳も。
全て、僕は受け止めなきゃならないんだ。
こみ上げる吐き気も、必死にねじ伏せる。
絶対に吐いたりするもんか。
口の中にまで登ってきたご飯を、何とか飲み下す。
これはユマが僕に食べさせてくれた、大事なご飯だ。
「貴様、ご主人様に何をっ……ご主人様?」
飛びかかろうとするハチを、僕は何とか片手を上げて止める。
「わりいが、案内はここまでだ。オレはユマを連れ戻しに行く」
エマはハチをふと見て僕へ視線を戻すと、言った。
掴んでいた手が緩む。
僕の足が、また地面に着いた。
「さっきも言ったが、オレらを目の敵にしてる奴なんて山ほどいるんだ。お前らにも追っ手がかかってんだろ。早く見つけねえと、ユマがあぶねえ。後はお前ら、自分で何とかしてくれ」
「……ゲホ。待って……よ」
背中を向けるエマを、むせる喉で僕は何とか呼び止める。
「ばぁっかじゃねえのっ!? 待てるかよ、例え後でお前らに命狙われても、オレはユマを助けるぞ!」
「ち……ゲホ。ちが……う。僕も、行く」
助けなきゃ。ユマを。
**初級魔法入門より抜粋**
それでは、①の触媒魔法について説明していく。
触媒魔法は、その名の通り『触媒』を得る事で使用出来る魔法である。
火があれば火を、水があれば水を、土があれば土を行使することが出来るだろう。
しかしその効果の程は、利用者の技能、才能に大きく左右される。
利用者の技能に見合った範囲で正しい魔法を利用する事が、免許保持者としての義務である事を忘れてはならない。
尚、魔法を使用する際は当然だが免許を保有していなければならない。
無免許での魔法使用は、発見次第厳罰に処される。
免許を取得するまでは、くれぐれも教習所の外で魔法を使用する等の行為は慎む事。




