女王
おっさんの説明は、さっぱりわからなかった。
わからなかったが、少女の傍に落ちてる凶悪な棍棒が僕を襲う事は、もうなさそう。
しかし「姐御」って呼ばれてたの、ほんとにこの子かな。
長いベルトで締め上げただけの上半身に、太もも丸出しのホットパンツ。
褐色の健康そうな肌に、まだ幼い顔。そしてブルンブルンな、あれ。
確かに発育が大変よろしい肉感的優等生花丸タイプではあるだろうけど、あの棍棒を振り回せるような腕には見えない。
顔も角を隠せば人間と変わらないし、目のくりっとした美少女だった。
[――ふう。ミノタウロスは、雌雄で見た目が大きく異なる。雄は屈強な肉体を持ち、獰猛だ。そして雌は、雄のような強靭な肉体は持たないが、膂力と凶暴性は雄のそれを遥かに凌駕すると言われている。群れを率いるのは大体雌であり、地中に巣穴を作って生活する事を好む種族だ]
……。あなた、誰ですか。
[知の神、賢者パビラスカである]
おっさんが何の神様か、初めて聞いたよ。
童貞の神様かなんかだとばかり。
[……。頼むからおれの話をちゃんと聞いて、そして覚えてくれ。頼む]
あ、いつものおっさんに戻った。
次から頑張るよ、次から。
しかしこの涙目ぷるぷるガールどうしよっかな。
今にも泣き出しそうな涙の溜まり具合。
「いたいよおおぉ……おかあさあああああん……おかあさああああああん」
さっきまでの強気な感じは、もうどこにもない。
でもわかるよ、あまりの痛みにお母さん呼びたくなる事あるよね。
大きな目から涙がぽたぽた垂れてる。
「痛いいいぃ、痛いいぃ」
うんうん。痛いよねえ(やったのは僕だけど)。
――バンッ!
泣いている少女を扱いかねていると、勢いよく扉を開ける音がした。
「ご主人様! 大声をあげてどうしましイッタアアアアアアアッ!」
いつもの姿でハチが飛び出してきた。
多分僕の声を聞きつけて飛んできたんだろう。
せっかくなので色んな恨みを込めて、すぐさまお仕置きをしておいた。
「むむ。何だミノタウロスではないか」
続いて魔人さんが入ってくる。
ハチが痛がってるのは見慣れたのか、全く関心を払っていない様子だった。
あと、口の周りが汚れていた。
「なに、ミノタウロスだとっ? 大丈夫かすぐる!?」
最後にミリアさんが、勢いよく飛び込んできた。
すごく慌てた顔してるけど……うん、ミリアさんも手ぶらだな。
僕のご飯、誰が持ってるんだろう。
[そこかよ]
「ふむ、襲われたか。しかしミノタウロスが徒党を組んだ所で、スグルに敵うはずもあるまい」
魔人さんが転がっているミノタウロスを踏みつけながら、僕の方に歩いてくる。
うーん。あの口の汚れ、どうみてもなんかのタレみたいだな。
「おかえり、グレンザムさん。何食べたの? 僕の……」
「グ、グレンザムッ!?」
僕のご飯の所在を聞きたかったのに、涙目プルルンガールに邪魔された。
「グレンザムっていったかてめえ……おいそこのもやし! そこの陰気面の事『グレンザム』って呼んだか!?」
「うん、呼んだよ」
でも、もやしは失礼じゃないかな。
あと陰気面ってのも……まあ陰気か。
魔人さんはどうでもいいのか、気にするそぶりもなく僕の後を引き継いで口を開く。
「うむ。いかにも私がグレンザム・ダイゴノアだ。ミノタウロスよ、スグルを侮辱するのはやめた方がいい。先ほどから貴様の喉笛を、ウルフヘジンが狙っているぞ」
「なっ!? 本当だ、満月でもねえのに変身してやがる……。あんた、本当にあの魔人グレンザムなのか」
乳子さんはハチの姿を見てやっと納得したように、魔人さんに向き直る。
頷く魔人さんの隣で、ミリアさんがポンと手を打った。
「お前、指名手配を受けている強盗団のボスだな。そのおかっぱ頭に金棒、手配書で見覚えがある」
「なっ!? ……その髪にその格好、その鎌。てめえ『猟犬ミリア』か?!」
「今は職を離れている。だがすぐるに手出しすると言うなら、わたしも相手になろう」
ミリアさんとはお互いに面識? があるようだった。
多分、友好的じゃない方の。
――トスッ。
雌牛花子さんは諦めたように腰掛け……
[せめて呼び方を統一してやれ]
腰掛け、笑い出した。
「こりゃいいぜえぇ、あはははははははっ! 死んだはずの伝説の魔人に、神聖なる狂戦士。ついでに宝具持ちの猟犬様かよ……逃げられる訳がねえじゃねえか、ばぁっかじゃねえの!?」
乱暴な言葉遣いに、下品なふるまい。
廃墟に響く、彼女唯一人の笑い声。
その笑っている姿には、恐怖は微塵も見えなかった。
彼女はひとしきり笑うと、僕を見て言った。
「もやし。オレ一人の首で済ませてくれ。そこに転がってる部下共は、逃がしてやって欲しい。魔人様がいるのはよくわかんねえが、オレ達の事を捕まえにでも来たんだろ?」
なるほど、そうなるか。
ミリアさんのことは知ってるみたいだし、僕が魔法使った所は普通見えないんだもんね。
何か誤解をしている様子の少女に、僕は首を振ってみせる。
「違うよ、僕は死刑囚だ」
「は? じゃあ何で『猟犬』がお前の事を守ろうとしてんだよ」
彼女は勢い良くミリアさんを振り返って、指差す。
「すぐる、西へ向かう方法なんだが」
ミリアさんが、少女の問いを無視して僕に言った。
「こいつらの手を借りる、と言うのはどうだ」
何か案でもあるんだろうか。
でも、その前にどうしても確かめなければならないことがあった。
「あの、僕のご飯は……?」
返事は、誰もしてくれなかった。
**魔王年代記より抜粋**
紀元前二年
緑葉の月
初代魔王閣下が旧ブガニアから出立する際の様子は、こう記されている。
逞しき牛鬼二百人の血肉は、陛下の為に捧げられた。
捧げしは、牛鬼の美しき巫女である。
陛下はこの絨毯を大層お気に召した様子で、血肉の香りの中で食事などを所望されていた。
と。




