出会い
異世界ドア、正式名称『グリムルの鎌』は、ブガニア連邦王国に通じる扉だ。僕はこのドアを使って、異世界旅行にやってきた。そして観光した感想は、至って平和な国。それに尽きる。と言うのも、つい三十年ほど前に、帝王ブブガニウス十三世が天空大陸全土の統一を行ったばかりらしい。
ガイドブックを参照すると、
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そして偉大なるブブガニウス十三世の宣言と共に、ブガニア連邦王国の絶対君主制は終わりを迎えた。
『余が行った大陸統治は、永続的な平和の為である』
希代の名君は、真の平和を願っていた。
血塗れた腕に、数多の命を吸った大地。
失われた部下達や、愛すべき国民。
それら全てを犠牲にして得た平和が、あっという間に混乱に呑まれていく事だけは許しがたかった。一刻も早く本当の意味での統治をせねばならぬ。
深いお考えの下で行われたブブガニウス閣下の判断は、正に英断と言えよう。
自身の権利を放棄して、立憲君主制への移行をお決めになられたのだ!
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のだ!
だそうだ。要は大陸統一の直後に厳しい法律整備を行い、内乱やそれに乗じた犯罪を一気に抑制した、って事なんだろうか。おかげで今日まではトラブルに巻き込まれる事もなく、平和に観光旅行を楽しむ事が出来ていた。
問題は、立憲君主制の法治国家。つまり、法律が全てだということ。現行犯だと例え王が否といっても猶予なく有罪、らしい。なんでこんな話を長々としたかというと。
不肖、わたくし伊丹克。実は現在、こちらの警察こと保安部、『キーパーズ』の留置所に入れられております。先ほど聞いた話では、はい。残念なことに死刑だそうです。猶予なく。
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事の発端を思い出す。あれは、とあるカクテルを出すと有名なバーだった。
「エロスの涙、一つ」
僕はカウンターでこそっと、目の前のリザードマンに注文していた。
「かしこまりました。……お相手はどちらでしょう」
丁寧な態度だがしかし、とても不思議そうな顔で対応されたことを、今でも鮮明に思い出す。はっきりいって、何を聞かれたか意味がわからなかった。
「いえ、飲みたいのは僕一人ですけど……」
僕は質問の意味がわからず、そう答えた。すると突然、店内にクスクスと嘲笑する声が店内に響く。ここの名物頼むのはそんなに変なことなんだろうか。
リザードマンは肩を小刻みに揺らしながら、言った。
「お客様、恋愛成就のエロスの涙は、お一人でお飲みになっても効果はありません。残念ですが、お出ししない方が宜しいでしょう」
「……カシスオレンジ一つ」
今思い出しても腹が立つ。あのリザードマン、間違いなく必死に笑いを堪えていた。
えー。ここで注文した理由を、念の為に説明したいと思う。このバーを訪れた理由に、不純な動機は一切なかった。本当に。決して。
僕はほんの好奇心で、あくまで自分の視野を広げる為、異世界観光の一環で、もちろん恋愛成就など期待せず、「どんなものかなー」「へー有名なんだどれ一口飲んでみようかな」という気持ちで訪れただけだ。彼女が欲しい、などと言う意図で訪れた訳では、断じてない。そこだけは誤解しないように。
まあ兎に角。嘲笑が響くバーで、僕が顔を真っ赤にしていると、声をかけてくる男がいた。
「兄ちゃん、わかる。わかるよお。おれもそう言われたんだ。でもそれってあんまりだよなあ」
無断で隣に腰掛けながら肩を組んできたのは、いかにもモテなそうなおっさんだった。
話しかけてきた、小汚いおっさん。これが全ての元凶だった。
「おれも、一人で暮らすのもう嫌になっちゃってよ。面白い話聞いたもんだから来てみたら、一人じゃ飲めません、だってよ。一人が寂しいから来たんだよなあ」
「い、いえあの……」
違う。断じて、違う。好奇心だ。
しかし心の声は届かない。おっさんは目を潤ませながら続ける。かなり酔っているらしい。
「周りじゃやれ誰が好きだの、結婚しただ、浮気しただの騒いでてよ。お前はどーなのよ? とか聞かれてもいつも変わらず何もないですって答えなきゃいけない人の気持ち、きっとこのバーテンダーわかってねえんだぜ」
おっさんはリザードマンを指差して言う。明らかに誤魔化すようにグラスを拭いてる所を見ると、図星のようだ。
おっさんは、カウンターに突っ伏して、泣きながら情けなく叫ぶ。
「彼女ほしいよおおおおお」
理由はわからないが、やけに胸に響く言葉だった。
「胸きゅんしてみたいよおおお」
何か魔法の呪文なのだろうか。心当たりがないのに、胸が苦しくなる。
「エッチな事したいよおおおおお」
ポタ。
理由もなく、僕の目からは涙がこぼれていた。
その後すぐ、僕たちはリザードマンが呼んだ警備員に店を追い出された。金のなさそうな若者と小汚いおっさんが、カウンターで肩を抱き合って泣いていたら営業妨害なのだろう。目当てのものが飲めない上に、この汚いのとセットで追い出されるとは。
おまけに、本当におまけに、些細な小さなどうでもいいことではあるが、恋愛成就だって遠のいたではないか。
「兄ちゃん、兄ちゃん」
おっさんが話しかけてくるが、無視した。これ以上仲間だと思われたらたまらない。
「おい、兄ちゃんって」
くいくい、とシャツの袖をひくおっさん。いい年のおっさんに長年の夢である「袖クイクイ」をされるのがこんなに気持ち悪いとは。思わず怒りが芽生えるが、ここで相手をしてはいけないのだ。殺意を胸の中に抑え込み、無視を貫く。
「なあ、なあってば。童貞兄ちゃん」
「うるせえ童貞おやじ」
「へへ、やっとこっち見たな。」
しまった。条件反射を利用するとは。見事な誘導と言わざるを得ない。
「はあ、なんですか。まだ何か用ですか」
ため息交じりに僕は言う。特大の……いや些細な楽しみがつぶれたんだから、おっさんごときに塩対応になるのもやむを得ないというものだ。
「もう一軒いこうぜ。奢るからよ」
「僕はお酒飲みたいわけじゃな……」
「パフパフパブ」
「ごちになります!!」
コチラで有名な、高級キャバクラみたいなものだった。華麗に態度を翻して、おじさまの後ろを歩き出す。
**魔王年代記より抜粋**
紀元前二年
緑葉の月
初代魔王の御活躍の背景には、常に付きまとう一つの名前がある。
その名は『清廉の賢者パビラスカ』
この賢者との邂逅は、魔王閣下が来訪して間もなくであった。
想像し得ない運命的な出会いであった事は、想像に難くない。