武家
貫いた刃が、胸から抜けていく。私は自分の胸から吹き出るのを他人事のように感じながら、徐々に短くなっていく刃を眺めていた。やがて血に濡れた刃は消え、女が握る柄は再び大鎌としてその姿を取り戻す。
そうか……。大鎌の刃が赤く染まっているのを見て、やっと宝具の特性を理解した。
「気付いたか。このハーヴェスは、刃の位置を自在に操ることが出来る。貴様のようなバカ犬には見破る事など出来なかったろう」
大鎌の血を払いながら、女がそう言った。
……愚かな。
「ご主人様の前で地に伏すのは、踏まれる時だけと私は決めたのだっ!」
未だ倒れぬ私を見て疑問に思わぬとは、愚かの極み。見よ、あのご主人様のお顔! 期待外れだ、とばかりの呆れ果てた視線っ! 力が……力が漲るぞっ!!
「何っ!」
女が再び構えるが、漲った私の敵ではない。再びご主人様を退屈させぬよう、早急に駆逐するのみだ。
力任せに、ひたすら女に向かって拳を突き出す。
「うおおおおおおおおぉっ!」
スピードを乗せて、打つ。ただがむしゃらに、畳み掛ける。長柄の獲物を器用に使いこなしているようだが、もう一度言おう! 漲った私の敵ではなぁいっ!!
「調子に……っ! 乗るな駄犬めっ!」
攻撃を捌き続ける柄はそのままに、女は再び膝の先から刃を伸ばしてくる。脇腹から、冷たい刃が差し込まれたのを感じた。口から再び血が噴き出すが、構っていられない。ありったけの力を腕に込め、女に向けて振り払う。
「……くっ!」
さすがに耐えられなくなったのか、大鎌の柄は女の手を離れ飛ばされていく。同時に、脇腹に食い込んでいた刃が消えるのを感じた。そうか、手を離れれば刃を自在に出す事は出来ないのか。
膝をついてこちらを仰ぎ見る、女。その顔は恐れを抱きつつも、目だけは誇りを保っているように見えた。
「プリムステインの子として、立派な戦いぶりを褒め称えるぞ、女」
せめて一瞬で楽にしてやろう。
首を切り落とすべく、腕を掲げ……
「ッ! キャウオウウウウウンッ!」
そしてご主人様の愛の痛みが、体に走った。
◆◆◆◆◆◆
[兄ちゃん]
はいはい。
[何でハチにペイン使った?]
気持ち悪かったから。
おっと。ハチが崩れ落ちたね。うっわぁ。恍惚とした表情で泡吹いてるよ。
[……おれはそろそろ、ハチが不憫になってきたぞ。理不尽すぎる]
だって戦いながら興奮してるんだもん。多分、性的な方の。
それにあいつさ。あのお姉さん殺しちゃう気だったでしょ。
[ま、だろうなあ。あいつの爪の切れ味は、兄ちゃんも見てるだろ]
うん。でもハチが目の前で人を殺す所も、あんなきれいな人が死ぬ所も見たくないしさ。
[魔王目指すって奴が、随分甘ちゃんなこと言うじゃねえかよ]
ほんとだね。こっちの世界のことなんか知るかって思ってたんだけど、やっぱり目の前では見たくないや。
[兄ちゃん、こっちの世界の事なんて無関心だもんな。おれにはよくわかるぜ]
考え読まれるのって気持ち悪いなあ。でも、まあね。異世界旅行はして見たかったけど、この国の人たちの事はどうでもいい。言っちゃえば他人事だった。皆して勝手なこと言って大騒ぎしやがって、くらいにしか思ってなかった。
でも、やっぱりちょっと付き合ってると、ね。
[情が沸くって訳か。ま、ハチがウルフヘジンでよかったな。あの勝手な盛り上がり具合からすると、ハチはお前に対する忠誠心で復活したくらいに思ってるだろう。だがそりゃ元々の特性だ。獣人化してる間は生命力も恐ろしく高くなる。あの程度の傷、凶戦士ウルフヘジンにはさほど効果はねえ]
おっさんがさっき教えてくれてよかったよ。血が噴き出したりお腹刺されたり、驚いたけど心配して損した。
[そうだなあ。兄ちゃんの目は、潤んでるけどな]
うるさいな。おや?
お姉さんがこっちに歩いてくるぞ。
「きさ……いや、あなたが助けてくれたのか」
あれ。何でわかったんだろ。
「わたしは魔力や生命力が識別出来る。あの駄犬が悲鳴を上げて倒れる時、こちらから変わった魔力を感じた」
へえ。魔法かな。
[だな。恐らく賢者の涙で魔法を得たクチだろう]
僕のとは大違いの、素敵な魔法だなあ。
「どうなのだ? あなたが助けてくれたのか!?」
ぐいっ、とお姉さんは顔を寄せてくる。うわあ、顔ちかっ。
でも、近くで見ると。あちこちハチの血飛沫が付いてるのに、すごくきれいだなあ。
「う、うん。きれいな人が死ぬの、見たくなかったから」
取り敢えず返事だけしとこ。これ以上近寄られると、童貞梗塞起こしそう。
[どこが詰まるんだ、どこが]
「……ふん。死刑囚に褒められても、嬉しくなどない。 礼は言わぬぞ」
あれ。怒っちゃった。
[……]
「お礼言われたかった訳じゃないよ、僕が勝手にやった事だから。それに、うちのハチがご迷惑をおかけしました」
僕はペコリと頭を下げる。不本意ながらご主人様らしいし、ペットの責任は飼い主が持たなきゃね。
「あのプリムステイン一族のものを、本当に従えていると言うのか。いくつもの武人を輩出している名門武家だぞ。あの駄犬は忠義が欠しい、腕っ節だけの暴れん坊と聞いていた。それをあんなにあっさり平伏させるとは」
あのバカ犬が? どうにも僕の中のイメージがしっくりこない。
「わたしも没落したとはいえ武家の娘だ。レズドール家の、ミリアと言う。名を教えてくれるか」
何か決心した様子で質問してくるお姉さん。
それにしても、訊ねる時はまず自分からってすんなり出来る人ってかっこいいなあ。
「あ、伊丹克です。宜しくね、ミリアさん」
「死刑囚と馴れ合うつもりはない! 気安く呼ぶなっ!」
ありゃ。今度は顔まで赤くして怒ってる。というか、名乗っておいて呼ぶなとはいかに。
[……チッ]
そして、舌がないのに舌打ちとはいかに。器用だね、おっさん。
**魔王年代記より抜粋**
紀元前二年
緑葉の月
初代魔王が起った背景には、悪辣なるブガニアの圧政があった。
長きに渡る圧政に民草は疲れ果て、天空大陸は疲弊と混沌で満ちていた。
暗き時代を憂うのは、初代魔王閣下ばかりではない。
かつてはブガニアに仕えていた名代貴族までが、かつての主君を相手に立ち上がったのである。
この事からも、滅ぼされたブガニアがどれだけ愚かで無情なものであったかを伺い知る事が出来る。