拉麺
魔人の脅威も去った事だし、死刑になる前に逃げてしまおう。ハチの話では、この牢の中に転移陣があるらしい。牢の中にいれてもらおうと、僕は忠実な下僕と化した看守を見た。
「……あれ、どうしたの?」
ハチは、感極まった様子で泣いていた。
「お見事っ! お見事でしたっっ! 不肖ウィッセ……いえ、ハチ、魔人を倒す為に微力ながら力を尽くすつもりでおりました。しかし、あの魔人を一瞬とはっ!」
この階層に響き渡るような男泣きだった。
そんなにすごい事だったんだろうか。
[当たり前だ。魔人グレンザムっつったら、神に届くって恐れられた男だぞ。無気力に陥ってたのと、おれの作ったすんばらしい魔法があってこその快勝だぞ。感謝だ。神に感謝しろ、兄ちゃん]
頭の中に、偉そうなおっさんの声が響く。
でも元々、死刑になったのもその神のせいなんだけど。
[小さい事を気にすんなよ、魔王になるんだろ。さっさと逃げようぜ]
死刑って小さいのかな。でも逃げるのには、賛成。
「ハチ、取り敢えずその転移陣ってのに連れてってよ。この中なんでしょ?」
僕の声に頷いて、ハチは牢の鍵を取り出す。
「さ、中へどうぞご主人様。転移陣は、ベッドの下にあるはずです」
鍵を開け、ベッドを指差すハチ。
そういえば転移陣って僕でも使えるのかな。
「ねえハチ、転移陣ってそこで痙攣してる魔人さん以外も使えるのかな」
ハチは牢の扉を開けたまま、首を振る。
「よかった、僕が使えないんじゃ意味ないもんね。じゃあこれで……」
あれ。あのバカ犬、今横に首振ってなかった?
[振ってたな]
確認してみよう。僕はしっかりとハチを見て、訊ねる。
「僕でも使えるんだよね?」
うん。やっぱり横に首振ってるね。
「僕には使えないってこと?」
あれ、また横に振ってる。もしかして。
「使い方がわからないってこと?」
今度は、しっかりと首を縦に振るハチ。なるほど、分からないけど適当に案内した、と。
[やれ、兄ちゃん]
おっさんの声が脳内に響く。見て、思うだけっと。
しかし、どうしたもんかな。これで牢を抜けられると思ってたのに、いきなり手詰まりだ。牢の入り口でうずくまるバカを尻目に、僕は悩んでいた。
そして、そこで僕ははたと気付く。そういや頭の中に神様いるじゃん。こんなときこそ神頼みだよね。神様の力で、どうにか出来ないの?
[出来ないね]
神様って、いつもそうだ。おっさん、すごい神様なんじゃなかったの?
[言ったと思うが、おれが兄ちゃんとこうしてしゃべってるのは賢者の涙に取り込まれたからだ。だがな、あの涙はペインを使うようにしか作られてねえんだよ。おれは言わば、兄ちゃんの知恵袋くらいにしかなれねえよ]
何だよ役立たず。
[役立たずだと……遠慮がねえにも程があるだろう。敬え、もう少し敬え]
じゃあ転移陣を使う方法教えてよ。
[だから魔法陣ってのはそんな簡単なもんじゃねえんだって。魔法陣を書くのにも魔法がいるし、使うにもそれ用の魔法がいるんだ。兄ちゃんには使えねえな。ハチが使えると思ったんだが、当てが外れたなあ]
外れたなあ、じゃないよ。このままじゃ死刑じゃないか。
[だから、看守なんざ全部倒しちゃえよ]
嫌だよ怖いもん。おっさんとの脳内トークで盛り上がっていた僕は、全く気付いていなかった。一番に警戒しなければいけない敵が、意識を取り戻しつつある事を。僕の背後で、ゆっくりと何かが動く気配。
「貴様、何をした」
魔人グレンザムが、後ろに立っていた。
「気を失う激痛など、初めて味わった。今のは何だ」
後ろから続けて、質問を重ねてくる魔人。思わず体が硬直する。やばい。怒ってるのかな。
[いや、だったらとっくに襲われてると思うぞ。無気力だってのはほんとかもな]
ああ、確かに。
「答えろ。何をした」
後ろから再び、深く沈んだ声。やばい。急かされてる。
「ま、魔法をちょっと……」
僕は答える。おずおずと振り返りながら。
[散々痛めつけたやつの態度じゃねえな]
おっさんが馬鹿にしてくる。だって、やっぱり怒ってるって。
グレンザムは、僕の答えを少し目を開いた。あの表情って、もしかして驚いてるのかな。
「魔法だと? 今のがか。それに……ほう。中に神が住まう男か」
え。もしかしておっさんの事もわかるのかな。
[だろうな。目の前にいるのは、多分この世で最も知恵と魔法を集めた生物だ。神には及ばねえがな]
ふーん。そんな強い人なんだ。あんなにあっさり泡吹いてたのに。
[そりゃそうだろう。何せペインはお前、おれの最高傑作だぞ? 魔法の理論を無視した絶大な効果に圧倒的な……]
「手も足も出ない、という状況に陥ったのは初めてだ。名前を聞かせてもらえるか、少年」
おっさんの自慢は、魔人の声にかき消された。
「はい、伊丹克です」
怖いから、素直に答える。
「うむ……聞かぬ響きだな。出身はどこだ。牢に入れられている間に、このような魔法使いが現れていたとは」
魔人さん、なにやら首を捻りながら唸っている。
「はい、僕は異世界からの旅行者なんです」
聞かれたことには、取り敢えず答えておく。就職活動で染み付いた癖だった。
「なるほどな。技術が確立されたとは聞いていたが、お前がそうか。恐るべき魔法だった。一体、何を喰らえばそんなに強くなる」
これは普段どんなものを食べているのかって質問かな。
「はい、普段は健康に気を使って野菜スティックやサンドウィッチを食べています。でも一番大好きなのはラーメンです」
「……ラーメンだと?」
そこに食いつくか。参ったな。
「はい、ラーメンが僕の力の源といっても過言ではありません。中でもとんこつラーメンが大好きです。一杯目はそのまま。替え玉を頼んだら紅しょうがを入れて。最後は高菜も入れて、一気に啜ります。スープから漂うとんこつと小麦の香りは、何物にも変えがたい至福の瞬間を味わわせてくれます」
問いには、全てきちんと答える。これが、就活で叩き込まれた鉄則だった。
完璧だ……僕は自分の受け答えに、かつてない満足感を覚えていた。
[……つまり、魔法に革命を起こす技術なんだよ! あと、やっぱり兄ちゃん洗脳されてると思う]
そして、おっさんの魔法自慢も終わったようだった。
「スープ……そうか、やはりそうか。なあ少年、私にも力をくれ。そのトンコツ・ラーメンとやらを、分けてはくれないか」
魔人さんは、何故かすがるように僕を見ている。
そっか、こっちにはラーメンってないんだよね。僕は少しだけ、この魔人さんがかわいそうになった。あんなに美味しい食べ物を食べられない人がいるなんて。ラーメンは全てに平等であるべきなのに……。自然と僕は、魔人さんに頷きかけていた。
「いいですよ、僕の財布の中に千風堂のスタンプカードがあるのでよかったら差し上げます! ただ、今手元に無くて……」
ラーメンを是非、食べて欲しい。ただ、財布は逮捕された時に取り上げられているからなあ。どうしたもんか。
「ご主人様の荷物は、私が回収しておきます」
いつのまにか役立たずまで目を醒ましていた。僕は目を醒ましたハチにそっと頷き、魔人さんに向かって続ける。
「ただ、条件があります。僕はこの地下牢獄から逃げたいんです。魔法陣を使わせてくれませんか?」
「お安い御用だ。では、まずはここを出よう」
よし、交渉成立っと。
[かわいそうとか言いながら、しっかり見返り求めてるじゃねえか。兄ちゃん、いい性格してるよほんと]
今回はおっさんの声はほとんど聞こえなかった。ことにしよう。
**魔王年代記より抜粋**
紀元前二年
緑葉の月
初代魔王は、圧倒的で壊滅的な力を持っていた。
しかし中でも魔人グレンザムが恐れた力がある。
それは、絶対服従の呪文『トゥンコッツ・リァミエーンヌ』
初代魔王閣下以外の使い手は、数千の時を経た今でも現れていない。