客人
ピアーニャの部族『マレージア』には、ある風習があった。刃を持つもの、馬に乗るものが村を訪れれば、例え友でも滅ぼすべし。何も持たないものが村を訪れれば、例え敵でも客人として最上級のもてなしを与えるべし。
『客人は村に安寧と繁栄を齎す』
呪われた魔人は、空腹を誤魔化す為にマレージアの村を訪れたに過ぎない。しかしその姿はピアーニャには、紛争が続く西部で初めて見る幸福の象徴として映っていた。
魔人は、今まで数多くの命を丸呑みに平らげてきた。だがピアーニャが差し出した薄い味の汁ほど、充足感を得られたものはなかった。一口、また一口と匙までかみ締めるように食事をする魔人に、ピアーニャは言った。
「お兄さん、ご飯食べるの久しぶりなの?」
ニコニコと嬉しそうに微笑むその頬は、飢えで削げていた、にも関わらず。
「お前は食わないのか」
魔人は少女の問いを無視して、訊ねる。
「うん、もう食べるものあんまりないから。沢山食べて、私達のこと助けてね」
恐れではなく、期待。ヒトの風習など知らぬ魔人は知るべくもなかったが、この村では客人は神に等しい存在とされていたのだ。
マレージアは、飢えと度重なる侵略で既に疲弊しきっていた。だから魔人は、食事で得た知恵と力を与えた。もう一度、ピアーニャの作ったスープが飲みたかった。西部に点在していた部族はそれぞれ独自の文化を築き上げており、その文化は全て魔人の脳内に納められていた。
作物の作り方、土の肥えさせ方、猟の仕方に、牧畜の方法。飢えから逃れる為に教えることは、山ほどあった。
他を排斥し続けたマレージアの村は、魔人の手により繁栄を手に入れた。村を訪れて十年が過ぎる頃には、かつての貧しい村から飢えの恐怖は消え去っていた。もちろん、村に住まう魔人の体からも。そしてかつての少女は、いつしか魔人を慕うようになり、やがて魔人の妻となる。
西部の諍いは魔人の暴食により終わりを迎え、マレージアの村は平和な生活を手に入れた。しかし、幸せは長くは続かない。旧ブガニア王国が、侵攻を始めたのである。西部紛争の終結が、彼らを招き寄せた。
魔人は妻を、そして村を守る為に再びその力を振るう。
『魔人グレンザム・ダイゴノア』の呼び名は、ブガニア王国の兵を震え上がらせた。
◆◆◆◆◆◆
たどり着いた牢の先には、暗い顔をしたお兄さんがいた。何であんな落ち込んでるんだろう。失恋か。失恋だな。
[……はあ。いいか、すぐペインを発動させるんだぞ]
何だよ、そのため息。
僕は取り合えず、改めて視線を牢の中に向けた。お兄さんの長い灰色の髪は、うつむく顔を覆っている。ベッドに腰掛けて、僕と同じ囚人服を着ているだけなのに、何故かその姿が絵になってた。
沸々と、僕の中に暗い感情が込みあがってきた。よーっし、見て思うだけっと。
「む。何だこれは痛い」
お兄さんがピクっと揺れる。しかしそれにしても、影のある美男子ですね。何だか憎いからもう一回。
見て、思うだけ。
「うむ痛い。何だこれは痛い」
なんだよその落ち着いた痛がり方。ますます憎い。もう一回。
見て、思うだけ。見て、思うだけ。見て、思うだけ。
「痛い。痛いぞ。感じた事のない痛みだ。痛い。飢えより痛い。いったーーーーーいっ」
暗い顔のまま、身もだえして崩れ落ちるお兄さん。ふう、やっと泡吹いた顔を見れた。
[兄ちゃんさ、やっぱ理不尽だよな]
僕は、聞こえないフリをした。
**魔王年代記より抜粋**
紀元前二年
緑葉の月
初代魔王の右腕、魔人グレンザム・ダイゴノア。
恐るべき力を持ち、魔王がこの地を訪れるまで最も恐れられた男だった。
魔王と魔人の出会いは、熾烈な戦いを伴ったと伝えられている。
人知を超えた力を持つ二人の戦いは、七つの山を崩し、七つの海を干上がらせた。