始まりの焔
夕日の差す教室に、生徒達の号令が響く、その声に呼応するかのように、この世界から、音が消えるように
光が、そこに溢れた
「ようこそ、新たな住民、あなたの来訪を歓迎します」
光が消え失せ、見えてきた世界は灰色一色だった
響く声と、ざわめく生徒達。
灰色の部屋にいた純白の乙女が、僕らを迎えるように微笑んでいた
僕らがこの世界に来てから、半年もの時が過ぎた、みんなが強くなっていく中、僕はただ一人、己の使い道のない能力に落ち込んでいくばかりだった。
僕の名前は桐井総司、神託能力は『無』、なにも持たない、才能は全て同級生に劣る。
何の力もなく、肉壁にすらなり得ない。
なのにみんなは、僕に優しかった
ただそれが、怖く、悔しく、僕はここにいてはならないのだと、そう思わせた。
僕はいつも、石畳の部屋で剣を振り回している
才能は少なく、授かった力を形にできない。
そんな僕に剣技を教えてくれる人などいなかった、皆は、訓練が終われば疲れて寝てしまう。
たとえどれだけ皆が優しくても、世界はそれを許さなかった。
心配の声が、罵りに聞こえた。
「総司くん…明日からダンジョンに入るって、王様が……」
石戸が開く音と、澄み渡る声、釣られるようにそちらを見れば、黒い髪に、白の装束をまとった同級生。
「若田さん…」
「ごめんなさい」
僕の声に被せるように、彼女は謝罪する。
「あなたは能力を持たないって言って、みなさん、力を貸すことすらしてくれないのに……」
何も悪くないのに、僕に謝るみたいに。
それが、たまらなくこころに突き刺さる。
何故、僕は何もできない、何も守れない。
ふと、窓の外を覗いた。
月が、蒼く燃えていた
ある日の夜だった。
月が、青い空だった
灰色の道、敷き詰められた石畳。
「総司」
吐き出される優しさに、僕は
「諦めるなよ、きっとなんとかなるさ、おまえにできないはずがないだろ?」
そんな、背負わされる期待に
「おまえが戦えれば……おまえが代わりに死ねば! なんで里奈が死ぬんだよ!!」
「やめろアツシ!」
「はなせ、はなせよ!! あいつが、あいつさえ戦えれば、頭数さえ揃えば女は戦わなくてもいいって……!! くそッ!!!!」
その通りだと、そう思った。
僕はなんでここにいるのか、わからなくなって
自分が何なのか、わからなくなって
それで、
それから、
そこから僕は、逃げ出した
だれもぼくを知らない場所に、僕を見て哀れみも、期待もしないそんな場所へ。
そう思って、いつしか気付けば都市を抜け出して、獣に追われて、逃げて、逃げて、逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて。
僕にしがみつこうとしてくるすべてから逃げ出して、いつしか、動けなくなって。
いつか、この心も消えてしまうのか、と霞んだ視界で夜を見上げた、体は動かず、血だらけで服だってボロボロだ。
寂しいはずなのに、僕の心は、どことなく落ち着いて、この先にある死を、恐れながらどこか安らぎの中で受け入れていた。
「おい、大丈夫か?」
死に体の僕を、そっと起き上がらせる影
「全く、どこのどいつだ? こんなガキをほっぽりだしやがって」
「運がいいやつ、いや、悪いのか?このすぐ近くに村があるからな、すぐ届けてやる」
血と涙で濡れた視界からは何も見えなかった、朦朧とした意識では、立ってるかも定かではなかった。
ただ、その恩人を恨むように、ぼやけた意識と視界で、ただ赤色を見つめていた
夢をみた
暗い、怖い夢だった。
何もない世界。
全て、否定するような。
それが、僕の世界。
何もない、なにも、なにも
その暗さに、堪えきれなくなった
まるで、自分が何者でもないように思って
また僕は
逃げ出した
開いた目に映るのは、いつもの天井とはちがう、木の天井だった
「––––血の、匂いだ」
そんなもの、自分のだとわかっている
「–––––––血の味だ」
それもまた自分のものだと、知っている
「生きてる……」
それも、いや、それこそが自分の罪だと、痛いほどに理解している
木と木が擦れ合う音に、ビクリ、と体を震わす。
「あ、起きられました?」
その時、僕は
「良かった、もう覚めないものかと思ってました、凄い出血だったんですよ」
「そうだ、お腹空いたでしょう、豪華なものでもありませんが、どうぞ」
まるで、重力に引かれる程自然に
「綺麗だ……」
そっと、恋に落ちた
「え?」
「赤い髪の人?ああ、あなたを連れてきた人ですか、もう旅立ちましたよ」
藁の布団で横になる僕に、彼女は説明してくれた。
赤い髪の人は、僕を連れてきて名前も言わずに、僕が一人で働けるようになるまで面倒を見てくれ、といったこと。
そのために、かなりの額を支払ったこと。
この村の名前がシルーナという事、彼女の名、僕が運ばれている時、ただ、帰りたくないと死にかけのくせにずっと言っていたこと。
なにも知らない僕に、嫌な顔一つせずに語ってくれた。
「それと、動けるようになったら畑仕事、してもらいますからね」
彼女はいつもそう言って、笑顔で笑うのだ
なるほどこれは、まさに魔性というものだろう
その栗色の髪を流し、その錆色の瞳で見つめ、彼女は笑顔になるのだ、だれとでも。
傷も治って、身体も動くようになって、僕は村の一員と認められた。
土の匂いに、慣れたような、慣れないような、そんな不思議な感じだ、乳白色の種を地面に埋めれば、半年後には立派な麦を刈り取れる。
それが恵みになり、僕らの命になる
知らなかったことと、知ったことに挟まれて、命の大切さを知った、村の人が亡くなった時は、一日中、みんなと泣いた。
「おーい!アリー!」
畑を耕すのを中断して、ぼくは彼女の名前を呼ぶ
「はーい!」
僕がこの村に来てから、半年の頃だった
呆れるほどに暑い、夏の日だった
色気も何もない、木の下で僕が言った
彼女は、はい、と笑顔で答えてくれて
アリーと僕は、結婚した
「ソージさん、どうしました?」
川で洗濯をしていたアリーは、洗濯用の籠を持ちながら走り寄ってくる。
「帰ろう、家に」
そして彼女は
「はいっ!ソージさん!」
嫌な顔一つせず、笑うのだ
木造りの扉を押して、薪木に火をおこす、そんな事くらいの魔法はなんとかできる。
そんな単純な一工程で終わる魔法を彼女は嬉しそうに笑う
「アリーはさ、なんでこんなの見てわらうのさ」
苦笑いしながらの僕の問いに、彼女はやはり笑顔で
「魔法が使える人がわたしの夫さんなんて、自慢になるじゃないですか!」
少しだけ、半年前を思い出して
心の底に、小さな痛みを感じた。
それから数ヶ月、寒い冬の日だった
ちょっと出かけてきます、といっていつものように出かける彼女を、なんとなしに追いかけてみたのだ。
そして、見てしまったのだ
複数の男が、彼女と部屋に入るところを
そして、その部屋に、何人と、何十人と、男どもが入っていくところを
夢だ、夢だ、夢だ。
夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ。
これは、きっと夢に違いないのだと、そう信じ込んで、声も出さず、涙も流せず、ひとり家に帰り、声を押し殺して、藁の中で、いつもと同じように横になった。
同じだ、今までの夜と、今までの日々と。
そのはずだからと信じて。
同じようで、全てが違う
嫌になる程の、寒い夜だった
朝になれば、いつもと変わらない彼女がいた。
聞けなかった、聞けるはずも無かった。
夢だったのだと、夢であって欲しいと。
そう信じて、いつもと同じように彼女と過ごした。
「今日も頑張りましょうね、そーじさん」
その笑顔を見れば、なんでもできた
それから、数週間のことだった
嵐の夜だった、怖がる彼女を抱きしめながら剣を抜いた
逃げることなどできなかった
そうだ、この村に
竜がきた。
「ソージさん、行かないで…! 二人で逃げましょう!村の人なんて要らない! あなたと二人でっ……なんで村の人を逃がすためになんて!」
目に溜めた雫を振り落としながら、彼女は僕の足を抱きしめる。
わかってる、そんな手段も取れる、未来を選んで、保護されるかわからない都市に逃げ出すこともできる。
「僕一人が戦うんじゃない、それに、この村には恩がある、返す時が来たんだ」
でも、彼女達は逃がせる、女子供はにげて、未来をつくれる
一瞬、いつか見た夢を思い出す
忘れるように彼女の頭を撫でて、女大将に預ける
「サマさん、アリーを頼みます」
その声に、サマさんは涙をこらえながら答えてくれた
「ああ、………達者でね、この子は必ず逃してみせるよ」
それだけで大丈夫だった
剣を抜いて、僕たち男は村に備え付けられた巨弩をひく
その時だった
雷鳴が、鳴った
「ドラゴンだ、予想よりずっと早い、あいつらまだ出発すらしてないってのに!」
隣の男がそう叫ぶと、すべての弩が放たれ
嵐が大地に、降り立った
「くそっ、せめて足止めでも……!」
叫んだ男が、竜に踏み潰される
「おっさん……!」
鍛冶屋の親父だった。
打った鉄はドラゴンを切ろうと試みればその鱗の前には叶わなかった。
「あああああああっ!!」
若い、青年だった
その命も、ドラゴンの腕の一薙ぎで血と肉塊へと変わる。
黒い空に、赤い大地。
地獄に、見えた
「––––––あ」
目の前には空と見間違う漆黒の鱗を持つ竜。
––––––死にたくない
ここまで来た、愛するべき人もできた
なのに。
––勝てるはずなどない
才のない、ちっぽけな男達が揃って、質の悪い鉄の剣で勝利を収める?
そうだ、まだ逃げても間に合う
恥を捨てて、あの時のように、夢の中の様に逃げ出せば、何度罵倒されても、彼女に会える。
できるはずなど、ない
すでに皆、恐怖で押しつぶされそうになっている、そんな中で逃げれば、みんな一斉に散り散りになって各個撃破、おしまいだ
それに、それに決めたんだ、僕は
僕はもう、逃げない……!!
「はああああああっ!!」
みんなが距離をとりながらクロスボウで対抗する中を、剣を握り疾走する–––––!!
「vein-holss!!!」
かつて、王宮にいた頃に時間を使い、唯一覚えた魔法、『ルーン』
それは、あらゆる物にルーンを刻み、世界の法則としてその事象を発現する、原初の魔術–––!!
剣を握っていない左手に早急に刻んだルーンは、己の肉体の耐久を大幅に弱体化させる……!
あたれば、終わり。
それが、どうした。
–––––それがどうした、当たれば終わるのは自らに守護を刻んでも同じ事。
ならば、この一手に賭けるしかない–––––!
「accel-one!!」
再び行使するルーン魔術を、その両脚に刻みつける。
「全員、ソージを支援! 絶対殴らせんなぁ!! 」
村長の息子。
影響力を持つ声は、その場にいる男共を統率しドラゴンの頭部に一気に矢を放たせる。
刺さらずとも、目の前に多くの矢が通ればドラゴンとて鬱陶しく感じるのだろう、その目を閉じ、その場で踊るように暴れ出す。
足は動く、例え血管が切れても、その筋肉は動きを止めない。
右脚に響く痛みを無視してただ目の前の障害へと走り続ける。
「set-Ronah!!」
足の裏にルーンを仕組む、先ほどと同じ、物理的干渉を使わない、魔力をラインとして引いただけのお粗末なルーン、それでも構わない、入念な下準備などする暇もない。
気がつけば、ドラゴンが目の前に居る。
怖い、心が折れてしまいそうだ。
それでも、まだやれる––––––!
「open!!」
足に仕込まれた跳躍のルーンが、内包された法則を解放する––––!
「飛べ––––!」
自らのジャンプと共に発動したそのルーンは、ただのそれを加速させた。
視界が切り替わる様に素早く上昇し、目の前に映る竜の頭部を見据える。
「elt-left!!」
唱えられたルーンは合わせて、効果を移す力、効果がきれたルーンは消失し–––––残ったルーンは、左腕の呪いだけ––!!
「届けえええ!!」
突き出した左腕が、竜の頭部に触れる。
焼ける様な痛みとともに、魔力が溢れる
しかして、それと共に描かれたルーンは、竜の頭部へと転写される……!!
「ghaaaaaaaa!!!!」
魔力の奔流に抗う様に竜は頭部を振り回す
「しまっ………」
言葉を言い切るまでもなく、その角が肋へとぶつかる。
落ちていく。
落ちていく。
その雨を眺めながら、その感覚を味わう
目下にある人たちの顔は、決死の表情だ。
受け止めようとしてくれているのだろうか、ただ僕を見つめている
ああ、有難い
そう思って僕は–––
突如、体を打つ痛み、吹き飛ぶ体
何が起きたかわからないまま、意識を失った
地面が水に打たれる音で、意識を戻した
目を覚ませば、また地獄だった
燃え盛る木々、炎上する家々
「よぉ、ソージ、生きてっかぁ」
かけられる村長の息子の言葉に
「ああ、……なんとかね」
そんなはずなどない、左足と左腕は動かないし、たぶん肩の傷は残り続けるだろう。
ドラゴンの角にぶち当たってこれとは、存外耐久性のある体らしい––––––もっとも、勝機などないのだが。
「おい、ソージよ、行っちまえよ、もうドラゴンも去った、村の男なんて俺ら以外みんな死んだ、町も……焼けちまった、俺には何も残らなかった、だけど、だけどお前にはあと一つだけあるだろ、守るためのものが、まだ残ってる」
そうか、みんな死んだのか。
守るために、僕ら以外。
「行けよ!!!–––わかるんだよ、どんな治癒でも、俺の身体はもう保たねぇ、お前、まだ動くんだろ、だから––––だから行っちまえ!! 」
怖がった声で、振り払った意思で、そう叫んで。
捨てることなどできない、だから
だからこそ、俺は
「………………ああ、行ってくる」
「へっ––––––––気張れよ、ソージ」
足にルーンを刻み無理やり治す、筋繊維がくっついていき、創造され、流れ出る血は止まった。
「それと…………すまねぇな、俺には、お前達をたすけられなかった」
わけのわからない言葉を振り切って、僕は走り出した。
皆が逃げていった方向へ走りながら、足に加速のルーンを刻み続ける。
「–––––––––あ」
地獄を、見た
雨に濡れて、なんども転びながら、目の前にある地獄を見た
横向きに倒れた一つの馬車。
燃え盛る、周りの木々
「アリー、アリー!!」
きっともう一つある馬車に彼女は乗っているのだと、そう信じて倒れた遺体をかき分けて進む。
「-----Ghaaaaaaa!!!!!」
突如の咆哮に、既にボロボロの剣を構える。
それに応えるように、空から、また嵐が舞い降りる。
「こんな………ところでっ………!!」
見れば、竜の頭部は既にくだけ、角は折れ、既に肉を露わにしていた。
だが、だからなんなんだ、勝てる道理などない。
死にたくない
死にたくない–––!
「俺は……まだ…!!」
思い出す。
かつて笑い合った日々を、帰ると誓った、かつての世界へ
でも、守るものができてしまったから
「帰れなくても構わない、だから––!!」
そのユメをすてても、構わない
「う、おおおおおおお!!」
叫び、己が爪にルーンを刻みつける
つけたルーンは強化、たった一つだ。
「set-expeio!!」
一時的にとは言え、鉄よりも硬くなったその爪は刃こぼれした剣へ確かにルーンを刻む。
体が諦めても、この心はまだ此処にある。
故に……!!
「俺は、俺は生きる!!」
叫び、そのぬかるんだ道を疾る–––!
「生きて、生きて……!! アリーを守る–––!!」
例え、臆病者だと蔑まされたとしても––––––!
声とともに、剣が竜のひび割れた頭部へ突き刺さる。
脳までは届かない、それでも構わない。
反逆の一手は、そこに在るのだから––––!!
「open––––」
その言葉とともに、刻まれた法則は解放され。
薔薇の雨が、大地に降り注いだ。
「––––っ………ぁ」
言葉に、ならない。
非凡ならざるその身で、勝てないと知ったこの身で、災害を討った。
「––––なかなか、いい争いだった」
枯れた、息も絶え絶えの言葉に、体を強張らせる。
「……恐れるな、人の子よ、勝者はおまえなのだ」
「あん、た」
目の前の竜が片方の目を閉じ、血管を垂らしながら、その首を上げている
「人の子よ、貴様一人で勝ったのではない、だが、勝者は貴様だけだ」
「……ああ」
わかっている、そんなことくらいわかっている。
自分だけで、誰かみんなを守れるほど強くない。
「勝者には、褒美がいるからな………とは言え、生憎此処は私の住処ではない、与えられるものなど、この老いぼれには何もない」
その竜は、もはやこれまでか、というほどに血を流していた、意識すら保つことが限界だろう。
そして、それは自分も同じだ。
「人の子よ、おまえは先程、まさにお前の限界を越えたのだ……いやはや、死ぬとは言え、その前座には、素晴らしいものだ………」
「––だからなんだ」
先を、急がなければならない、この壊れた身体でも、為さねばならないことはある。
「そう急かすな………いや、もう私も持たん、人の子よ、我が血を啜れ、我が生涯の一片を、汝に授けよう」
その言葉に、なぜか体が勝手に従った。
赤い血を手で受け止め、その血を口元へ運ぶ
鉄の味だ、其れを嫌な顔をしながら飲み込んだ
「あんたの…… あんたの名前は?」
「……ファブニール」
かすれた声で、そう言ってから、もはや彼は何も語らなかった
その災厄から離れて、馬車の進んだ道を走り始めた
また、みつかった
燃えている、同じ情景。
いるはずだ、生きているはずだと信じたい。
だから。
「アリー!!」
その名を叫んだ。
それと同時に、馬車の瓦礫が崩れる。
期待を胸に、其れを急いで退けた
「ソージ、さん」
「アリー! 生きて、くれた……」
たまらなく嬉しかった、生きて、生きてまた会えた
「ソージさん、なん、で、ここに」
瓦礫に押しつぶされて苦しいのか、途切れ途切れの声で話してくる、それを無視して瓦礫をどけ続ける
唐突に
「もう、やめて」
その言葉が聞こえて
「……え?」
彼女の腕が、僕の首を絞めた
「あなたは、悪魔よ……!」
わからない、力の入っていないその腕が、まるで僕の心臓を強く握っているように、深く突き刺さる
「村に来て、私を生贄にささげた」
「私は……私はあなたといれたら、それでよかったのに」
悲痛な言葉、絶望だけの顔
「そのために、身体だって汚した」
––––夢を、見た
–––忘れたはずの、夢を見た
「なのにあなたは、私を殺した」
「どれだけ願っても、貴方は私を棄てた」
–––逃げ出した、その夜を見た
「もう、諦めた、諦めた、はず……なのに」
「なんで、来てしまったの、私の愛しい人……」
頭がガンガンと大きな音を響かせている、声は途切れ途切れにしか聞こえない。
「私の全てを、奪って、そう、そうよ、貴方は–––、」
そう言って彼女はその命を散らした
その先に続く言葉はなんだった?雨で聞こえないのか、それとも心がそれを否定したのか。
わからなかった、その言葉も、理由も
ただ暗い空に降り注ぐ雨が、天と地を濡らし
髪が重力に従うように、己の心のように、逆らうことはできない
流れる涙はもはや瞳から落ちているのか、それとも空から滴る雨がそう感じさせるだけなのか。
何が、いけない。
幸せになることも赦されず。
与えられた温もりも偽りと知って。
儚い祈りすら踏みにじられ。
散り際に、悪魔と呼ばれた。
その腕は、強く首を締めた。
与えられた幸福と、命。
そうだ、この幸福は借り物、命を救われ、やがて返さねばならない、なんの理由もなく、生きている訳にはいかない。
–––––––ならば、この命はなんのためにある
幸福は返した、この涙も、もはや枯れ果てた、
ならば、何のために俺は、俺は何のために生きている?
幸せに、ただ幸せになりたかった
だけど、それは赦されなかった。
ならば、なぜこの命はここにある。
なんのために、まだ燃えている。
もはや、それが燃え残りの微かな命でも、決して潰えた訳ではない。
ならば、ならばこの命はきっと–––––––
全てを失い、遥か彼方へと見上げた空は
あの日と変わらない程に。
月が、蒼い空だった。
風が、吹いた
その時だった
また、瓦礫が崩れる音がした。
––––わたし、ソージさんが人助けをしている時が、一番好きなんです
彼女の、いつもの笑顔がよぎった
「ああ、そうだったね」
まだ、誰かが生きてるかもしれない
崩れた足に力を入れる、まだ動くなら、まだ、可能性があるのなら
ならばこの体は、彼女が望んだ存在であり続ける。
そう覚悟して、僕は瓦礫へと足を向けた
結果で言えば、それは簡単なものだ。
人々は生き残ってなどいなかった。
ただ一人を除いて、全てその命を散らしていた。
–––全てが手に入らないから、あなたの人生は楽しいの、あなたを支えさせてくれてありがとう、ソージさん
そうだ、全てなんて望むべくもない、君は僕の支えだ、アリー。
「ソージ……?」
その幼い声に、荒れた息で返す
「なんだい? サナリーちゃん」
そう言うと、サナリーちゃん………村長の息子、その娘は首を横に振り、そして俯きながら喋りだした。
「お父さんは……? お母さんは……?」
–––ああ、そうか。
当たり前じゃないか、彼女は、まだ子供なんだぞ。
「君の、お父さんは……」
そんな事実、伝えてはいけない。だから。
「お父さんは、生きてる」
嘘をつく、考えるまでもなく、自然にこぼれでる。
拙い、ただ流れ出た嘘。
そうすれば、少女は癇癪のように怒り出した。
「うそ! うそつき!!」
その言葉が深く、心へと突き刺さる。
「しってる–––! しってるの! お父さんは…お父さんはもういないの!!」
「わたしの、頭を、なでてくれたの」
なみだを堪えながら、少女は言った、自分に告げられた言葉を、その時知った絶望を。
「いいこでなって、そう、いってたの」
なみだを流しながら、彼女は叫んだ
これまで、そんなことしてくれなかったと、そう少女は言った。
彼女はその時知ったのだ、ああもう二度と、わたしはこの人と会えないのだろう、と。
この先何があっても、父親は戻らないのだと
「ごめん、ごめんね。」
そうやって、少女の顔を抱きしめる。
少女は、腕の中で大きく慟哭をあげている。
血と雨で濡れていた服が、更に深みを増して濡れてくる。
この子は、もう一人だ
誰が助けても、この子を救える人は、きっと誰一人いないだろう。
その涙の苦しみを、ぼくは知らない。
今だって聞こえる、彼女と過ごした、近くて遠い記憶の声が。
『あなたは優しいから、きっと誰かが困っていれば、自分の事なんて投げ捨てて助けてしまうんでしょう?』
『少し、寂しい気もするけれど、私、あなたのこと、支えるって決めたんですからね』
ごめん、アリー。
たとえ君がいなくなっても、僕は君に頼ってばかりだ。
君はもういないという事実を、未だに受け入れられずにいる。
そうして、サナリーちゃんはないた、ひとしきり泣いたか、というところで、涙を流して疲れたのか、目を腫らしたまま眠ってしまった。
頭を撫でて、空を見上げる。
雨は止んだ、立ち止まり続けるわけにもいかない。
折り曲げていた膝を立て直す、踏みしめた地面の感覚は、確かにこの絶望が真実だと告げていた。
言葉も出さず、僕は眠る少女を横抱きにして街へと歩き出した
北へ、そこに在るのはかつての僕の逃げ出した場所。
帝都、シュベルニアへ、再び戻る時がやってきた。