4 入学できないっ!
「『気』を使う時は、リラックスして集中しないといけないの。深刻に悩んでたら、使えないと思うよ」
森木さんは、ひと事のように言った。
実際、ひと事だけど。
何日たってもわたしの「気」は内に閉じこもり、外に出て来る気配がない。
悩むなと言われたって悩んじゃうよ。
毎朝森木さんと一緒に登校したけど、いつしか彼女は他のクラスメイトと親しくなっていた。
とくに、円野綾目さんと。
森木さんと円野さんとわたしでお喋りしていると、円野さんの小鳥が彼女の肩にとまった。
「可愛い鳥ね。式神?」
円野さんは微笑した。
「もちろん。円野家は代々、和紙から式神を作るのが得意なの。名前は、朱羅。わたしの護衛役よ」
「触ってもいい?」
「どうぞ」
美しい朱色の羽を持つ小鳥は、どこから見ても生きた鳥だ。
紙にも護衛役にも見えない。
滑らかな羽はひんやりと冷たく、朱色の目がわたしを見てる。
「いい加減にしたらどうだ。学園長がどう言おうと、式神は持ち込み禁止だ」
近衛君が教室に入るなり近づいて来て、ちっぽけな虫を見るような目つきで小鳥を見下ろした。
「円野は、小学校に行かなかったそうだな。登校拒否か? 式神を連れていないと学校に来れないのか」
「大きなお世話。家庭教師を雇っただけよ。そういう人は、他にもいるわ」
「本物の式神を見たり触ったりできるから、円野さんには感謝してるよ。わたしも式神が欲しいよー」
わたしが言うと、近衛君は険しい顔つきで腕組みをする。
「そうやって、みんなが式神を連れて来たがる。競争になる。争いになる。過去そういう事件があったから、禁止になったんだ。規則には、守るべき理由がある。魔仙庁長官の息子として、規則破りを見過ごすことはできない」
「親父の言いなりかよ」
窓際に座っていた一条君が、頬杖をついて近衛君を見上げた。
「ご立派なお父上を猿まねする息子か。笑えるな」
「授業をさぼる常習犯に言われたくないね」
まただ。一条君は笑ってるけど、2人の間に冷たい空気が張りつめる。
魔仙術の授業になると姿を消す一条君に、問題はあると思うけれど。
「とにかく式神は没収する。学年委員長として、権限はあるはずだ」
「何するのよ!」
小鳥をわしづかみにしようとする近衛君の手を、円野さんが払いのけた。
初日のホームルームで、近衛君は中等部1年の委員長に選ばれたけど、だからって……
「こんなのひど……わっ」
わたしの言葉が終わらないうちに、小鳥は円野さんの肩からふわりと飛び立った。
白い霧が漂ったと思うやいなや、朱色の長い髪をなびかせた筋骨たくましい男性へと変わる。
着物の上に鎖帷子を着込み、弓型に曲がった長い剣を腰に吊るしている。
「小鳥が人間になった!」
組んだ太い腕といかめしい顔が強そうで、わたしは目を見張った。
「式神のぶんざいで、近衛家にたてつく気か」
「綾目様をお守りするよう、円野家当主様より申し付かっております」
朱羅が怖い顔をして近衛君に歩み寄り、一条君の声が飛ぶ。
「近衛、やめておけ。朱羅は超一流の式神だ。おまえじゃ歯が立たねーよ」
「だまれ!」
近衛君は後ずさりながら、人差し指と中指を立てて印を結んだ。
「身のほど知らずめ、祓ってくれるわ。臨兵闘者皆陣裂在前!」
いにしえの呪文を唱えながら、立てた二本の指で縦、横、縦、横と空を切る。
「坊ちゃん。その程度の力で、私を祓うことはできませんよ。綾目様、いかが致しましょうか」
「そうね……」
「近衛、ケータイ貸してやるから親父に電話しろ。助けてーってな」
一条君の笑い混じりの言葉に、近衛君は目をむいた。
「ケータイは持ち込み禁止だ!」
「貸してやんねー」
「もういいわ、朱羅。庭に出て。騒ぎを起こしたくないから」
円野さんが腕に触れると、朱羅は白い霧となって消えて行き、わたしはぽかんとあいた口をあわてて閉じた。
「式神、すごい! 円野さん、すごい!」
「ほめてくれて、ありがとう」
「もう終わりか」
「面白くなりそうだったのに」
同級生たちが、口々に言う。
みんな、争いが起こるのを期待してたんだ――――。
その日もまた「気」を使えなくて、わたしは放課後の補習を受けるようにと文司先生に言われた。
誰もいない教室で一人待っていると、一条君が入って来た。
「よう、ラーメン。補習か?」
「そういう呼び方、やめてくれない? 田中ミオって名前があるんだから」
怒った声で言うと、一条君は隣の席に座り、にやりと笑う。
「髪染めるなら白にしろよ。とんこつラーメンは大好物だ」
「染めません。ラーメンじゃありません。一条君、性格悪いって言われない?」
「よく言われる」
何を言っても平気な顔で、わたしの方は怒りで頭が爆発しそうだ。
「ところでさ、『絶気』になった原因を思い出した方がいいぞ。原因を取り除けば、あっけなく治るもんさ」
「生まれつきだと思ってたけど」
「生まれつきの『絶気』なんて聞いたことない。理由があるから『絶気』になるんだよ」
「そう言われても……何も思いつかないよ」
「そういうもんだよなあ。本人も忘れてるような、ちょっとした出来事で気の流れが止まってしまう。『気』は繊細で傷つきやすい。俺みたいに」
「はあ?」
誰が繊細で傷つきやすいって?
どさくさにまぎれて、何言ってんのこいつ。
「お? 仲間がいた」
剣持君がやって来て、どさりと腰をおろした。
「なあ。樹術など使えなくとも天術が使えれば、それでいいと思わないか? 俺様のことだが」
「俺様のは天術じゃなくて、食欲だろ?」
「何を言うか。ぐおっ、ぐおおお――っ」
剣持君が気合を入れ、握った拳を前につき出した。
パッと開いたてのひらに、握りつぶされた物体が乗っている。
「……パン?」
「アンパンだ。食うか?」
首を横に振るわたし。
しっかり指の跡のついたパンを、誰が食べるのよ。
「一条は?」
「いらねー。おまえさ、食い物しか出せないの?」
「まあな。腹が減った時にすぐ食えるよう、修行を積んだのだ」
「その修行を樹術に向けろよ。俺にはどうでもいいことだけど」
「いやだ。木に興味はない。俺様の『気』は、食うためにある」
つぶれたアンパンは剣持君の口の中に消え、文司先生が教室に入って来た。
わたし達3人は先生に連れられ、学園の敷地内にある小高い裏山に入った。
山道を10分ほど登ると、丸い石に囲まれた場所に出る。
石のまわりで緑の木々が生い茂り、午後の日差しがまぶしい。
「この一体は龍穴と言って、大地の『気』が集まって来るんです。石で囲まれた場は『磐境』と呼ばれています。強い『気』の発生する神聖な場所で修行すれば、効果てきめんですよ」
先生はそう言いながら丸い石で囲まれた磐境の中央に立ち、手招きした。
「さて、始めましょう。一条君、剣持君、田中さん、ここに来て座ってください。座り方は自由に。ただし、尾てい骨を地面につけて。大地の『気』を尾てい骨から背骨に沿って、上にあげる事が大事です」
思い思いに座ったわたし達3人を、文司先生が見回した。
暖かい風が心地よく、日向ぼっこをしながらお昼寝したい気分だけど、それどころじゃない。
やらなきゃ!
ここで絶気を治さずして、どこで治す!
失敗は許されない。
これ以上失敗を続けたら、本当に退学になってしまう。
奥歯をかみしめるわたしの前で、文司先生は両手を地面に置き、ゆっくりと持ち上げた。
手の下に現われたのは、タンポポ。
黄色い花びらに先生が優しく息を吹きかけると、タンポポはぐんぐん育ち、30センチほどの背丈になった。
「具現? タンポポを育てた?」
わたしの言葉に、先生は微笑みながらうなずいた。
「では、剣持君。タンポポを動かしてください」
「おお、やってやる。美しいタンポポよ~。君は~花の中でもっとも~美しい~。さらに美しくなれるよう~お~、メシ、じゃなくて~え、栄養たっぷりの土をあげよう~。動いてくれたら~あ~、栄養たっぷりの土をあげよう~お~。きょえ――っ」
剣持君は妙な音程で歌い、最後は天に向かって叫んだ。
一握りの土をタンポポの根もとにかけ、鼻の下をこする。
「どうだ、俺様の具現。食い物だけでなく、土も出せるぞ」
「剣持君は、真言を唱えないの?」
わたしが尋ねると、剣持君は首を振った。
「西洋の魔術やらインドの呪文やら日本の真言やら色々やってみたが、どれも古臭くて俺様には合わん。魔仙術は歌と気合いだ。これからは、麻呂様流魔仙術が流行るぞ。そして食料に困る者はいなくなる」
「思いっきり握りつぶした食料な。食うのに勇気がいるよ」
「動いた!」
わたしの目は、タンポポに釘づけになった。
土をもらったタンポポが、嬉しそうに茎をくねらせている。
「ざっとこんなもんだ。樹術の極意は、ほめ殺しと買収にある」
「なるほどー。そういう心の通わせ方もあるんですねー。次はぜひ別の方法でお願いしますよー。では、一条君」
「俺は、いい」
「よくありません。花を動かしてみてください」
「だ、か、ら……」
一条君の言葉が終わらないうちに、タンポポの頭部がくるりと回る。
ざわざわという音に、わたしは周囲を見回した。
見渡す限りの木という木が、風もないのに枝を揺らし、草が葉ずれの音を立てている。
「龍穴の気にあおられて、一条君の気が放射されているんですよ。どんなに隠そうとしても、ここで気を隠すことはできません。一条君、そろそろ悪あがきはやめませんか? あなたには、20万ナントの気がある。その才能を有効に使いませんか?」
20万ナント! わたしの7倍近く!
驚きの目で一条君を見ると、彼はきつく文司先生をにらんでいる。
「気の量が人より多いからって、たまたま魔仙四十八家に生まれたからって、何で魔仙術師にならなきゃならないんだよ。俺は、サッカーがやりたい。無理矢理ここに放り込まれて、迷惑だ」
「サッカー部なら、魔仙術学園にもあります」
「弱小のな。全国大会はおろか、地区予選も勝ち抜けそうにない。成績最下位なら学校をやめさせると親父は言ってる。俺を退学にしてくれ」
「そう言われましてもねえ……」
先生は困った顔で首をかしげ、一条君は立ち上がった。
「授業を放棄する。やる気のない者は、退学になるだろ?」
「だめですよ。待ちなさい」
先生が止めるのも聞かず、一条君は急ぎ足で去って行く。
彼がわたしと成績最下位を争うと言ったのは、冗談じゃなかったんだ。
退学になりたくて、本気で最下位になるつもりなんだ。
「あいつ、有名なサッカー選手なんですか?」
剣持君が問い、先生は哀しそうな顔でうなずいた。
「全国大会に出たそうですよ。気の力が強くなければ、どこかのクラブチームのジュニアユースに入っていたでしょう。しかし残念ながら、魔仙術師はプロのスポーツ選手にはなれないのですよ。そういう、しきたりがあります」
「術を使えば、簡単に勝てるもんな。使わなくたって、使ったと疑われる」
「プロになれないと分かってるのに、どうして学校をやめたいなんて……。やめてどうするんでしょうか」
「どうするんでしょうねえ」
文司先生はわずかに首を傾け、わたしは無性に腹が立ってきた。
20万ナントも持ってるのに!
ポイッと捨てて、他のことがやりたいなんて!
ポイッと捨てられた魔仙術に、わたしは必死にしがみついてるのに!
「もったいないと思います!」
怒りをこめて言うと、剣持君が賛成してくれた。
「だよな。20万ナントあれば一生食い物に困らんのに、何でゼイゼイ息を切らせて走って、食えないボールを追いかけなきゃならんのだ。気が知れん」
「そうよ。わたしなんか、1ナントも出て来ないのに」
「そう怒らずに。田中さん、さあ力を抜いて」
先生はわたしの背後に回り、いつものように掌道術を施した。
先生の手のひらからわたしの肩へと、暖かい気が流れ込む。
全身の力を抜いて何も考えないようにしたけど、フッと気づいてしまった。
一条君は、優秀な兄と比較されて育ったのかもしれない。
テレビや雑誌に出てファンも多いだろう御門さまと比べられて、悲しい思いをしたのかも。
もしかしたら彼は、サッカーに逃げようとしているんじゃ――――。
わたしだって、お姉ちゃんと比較されて悲しかった。
自分は駄目な人間だと思い知らされるのは、すごく悲しかった。
お姉ちゃんなんか、いなくなればいいと何度思ったことか。
やっとお姉ちゃんに勝てるものが見つかったのに、駄目になるかもしれない。
いやだ、退学になりたくない。
そんなの恥ずかしい。
みっともなくて、家に帰れない。
「田中さん。集中力が大事ですよ」
「はい。オン・マイタレイヤ・ソワカ、オン・マイタレイヤ・ソワカ……」
先生に言われ、覚えたての真言を唱えながら一生懸命意識を気の流れに向けたけど、うまく行かなかった。
補習が終わり、職員室に戻る文司先生をつかまえて尋ねてみる。
「あの、先生。……絶気で退学になった生徒について、聞いてもいいですか? どんな人だったんですか?」
「どんな……そうですねえ。内省的な人でしたよ」
「ナイセイテキ?」
「心の中を探るのが好きみたいでした。心の中にある宇宙を旅し、得たものを絵に描いていましたね。彼は絵の勉強がしたくて、自ら望んで退学したんです。きっと素晴らしい画家になると思いますよ」
「画家……」
「絶気は、病気ではありません。その人にとって必要だから、気の道を絶つんです。高橋君は外に出して使うべき『気』を内に向けることで、いい絵を描こうとしていました。あなたの場合は、大量の『気』を使って心を守ろうとしているのかもしれませんね」
「どうしてわたしが、心を守るんですか?」
「さあ。どうしてでしょうねえ」
先生は、にっこりと笑った。
「その答は、あなた自身が見つけなければ。あなたには、素晴らしい才能があります。そのことに気づけば、絶気は治りますよ」
「はい……」
素晴らしい才能――――。
文司先生はそう言ってくれたけど、そんな風には思えない。
何度やっても、植物をピクリとも動かすことができないんだもん。
とぼとぼと寄宿舎に戻ると森木さんの姿はなく、一人さびしく大浴場に向かった。
入り口の扉を開き、スリッパを脱いでいる間に聞こえて来た話し声。
森木さんの声だ。
カーテンの向こうにある脱衣場で、上級生と話をしている。
「高橋君は、多少の樹術を使えたのよ。田中さんは、ぜんぜん使えないんでしょ? 退学というより、入学できないと思うよ」
「そうなんですか……。できれば一緒に入学したいと思ってるんですけど……」
「先生方が、どう判断するかよね。見込みがあると思えば一応入学はさせるだろうけど、駄目なら春休み終了と同時に家に送り返されると思う」
わたしの足が、すくんでしまった。
入学できない――――!
文司先生は、どうして教えてくれなかったんだろう。
いくら素晴らしい才能があっても、今すぐ使えないなら入学できない。
素晴らしい才能と言ってくれたのは、わたしにやる気を起こさせるためだったのかも。
本当は先生も、わたしに才能があるとは思っていないのかも。
わたしの手からバッグが落ち、乾いた音を立てた。
話し声がやみ、開かれたカーテンから森木さんが出て来た。
「失礼します」
上級生に頭を下げた森木さんは、こわばった表情で、わたしの横を素通りした。