3 春期講習は波乱だらけ ①
小学校の卒業式が終わって、わたしは旅立ちの日を迎えた。
身の回りの品や勉強道具、制服は宅急便で送ったから、買ってもらったばかりのワンピースを着てレギンスをはき、荷物は肩から下げた小さなポシェットだけ。
早朝。マンションの前に6年3組のみんなが集まった。
舞ちゃんも、興味津々の男子たちも、怖い顔した相川理沙ちゃんもいる。
近所の人たちが来てくれて、マンションのベランダから眺めてる人もいる。
「ミオちゃん、すごいわねええ」
「どこか他の子と違うと思ってたけど、天才ね」
お母さんたちに褒められ、笑顔で応対するパパとママは嬉しそうで、わたしの頬もゆるんでしまう。
晴れがましくて誇らしくて、胸がドキドキする。
「わかってるよね、ミオ。イケメン魔仙術師を、あたしに紹介するのよ」
お姉ちゃんの言葉に、わたしは「どっしよっかなー」と空を見上げた。
「お姉ちゃん、態度悪いしー」
「ミオちゃん、お願いします」
しぶしぶ頭を下げたお姉ちゃんに、笑いがこみ上げた。
お姉ちゃんに頭を下げられるなんて、生まれて初めてだ。たぶん。
何とも言えない、いい気分。
「考えてあげてもいいかなー」
「迎えが来たみたいだぞ」
パパが言い、空から降りて来たお迎えに、集まった人たちの間から歓声が上がった。
空飛ぶスクールバス――――。
観光バスを一回り小さくしたような大きさで、渋い赤色の車体に、白字で「HOUIN GAKUSHA」と書かれている。
京都法印学舎――――それが魔仙術学園の大昔からの正式名称だけど、今ではほとんど使われていない。
窓の向こうに在校生らしい顔が見え、黒いスーツを着た背の高い男性が降りて来た。
年齢は、20代ぐらい。面長の顔は整っていて、長い髪を後ろで一つに結び、強い力を感じさせる。
この人、魔仙術師だ――――。
「教師の文司です。田中ミオさんは、いらっしゃいますか?」
文司先生は、集まった人たちを見渡した。
「はい。……わたしです」
「田中さん? ご両親様は、どちらに?」
先生はパパとママに挨拶し、わたしは先生の隣に立ってみんなの注目を浴びた。
何人ぐらいいるだろう。
通行人は足を止めて見てるし、どのベランダにも人の姿がある。
みんなの視線が痛い。
日差しと同じくらい、みんなの視線がまぶしい。
「それでは失礼します。危険ですから、バスには近づかないでくださいね」
先生に背中を押され、わたしはバスに向かった。
「ミオ、頑張ってね!」
「夏休みには行くから!」
友達の声。
拍手が起こり、小さく手を振るわたし。
恥ずかしい――――でも、嬉しい。
バスに乗ると、十数人ほどの生徒が座っていた。
みんな魔仙術学園の制服を着ていて、私服はわたしだけ。
しまった――――場違い感がはんぱない。
うつむきかげんで空いている席に腰を下ろし、窓を開けた。
舞ちゃんやお姉ちゃんや近所の人たちが、わたしを見上げている。
「田中さん、座りましたか? 出発しますよ。『気』をこめて」
文司先生が運転席に座ると、車体がふわりと浮き上がった。
「行ってらっしゃい! 体に気をつけてね」
ママが言い、わたしの目の奥が熱くなった。やばい、泣きそう。
「行って来ます! 行って来ます!」
窓から顔を出して、みんなに手を振っている間にバスはどんどん上昇し、歯が浮くような浮遊感がわたしを包んだ。
マンションはみるみる小さくなり、強い風が吹きつけ、慌てて窓を閉めた。
座席の背もたれからそっと後ろをのぞくと、生徒たちの体から、白っぽい霧のようなものがただよい出ている。
気だ――――。
気は蒸気のように立ちのぼり、渦巻きながら床下へと消えて行く。
「ちぇっ。朝っぱらから、こき使いやがる。俺の気は貴重なんだぞ」
通路を挟んだ隣の席にいた男子が、荒っぽい口調で言った。
鼻筋の通ったきれいな横顔だけど、唇を曲げた表情と、だるそうに両手を上げた仕草が不良っぽい。
彼は横目でわたしを見て、頭のてっぺんから足先まで視線を走らせた。
「おまえ、『気』が出てないぞ」
「え? うん。出し方が分からなくて……」
「今年の外部生か。青色信号が出たら、外部生は魔仙術師に個人指導を頼んだり、塾通いしたりするんじゃないの?」
「そうらしいけど、わたしは何も……」
「ふーん」
彼はわたしの目をじっと見つめ、にやりと笑った。
「今年の学年最下位が決まったな。おまえか俺か、どっちかだ」
「成績のこと? 何で最下位?」
いきなり……。
まだ入学してもいないのに。
「おまえが、気を出せないからさ。『絶気』なんだろ? だから俺と最下位を争うんだよ」
「勝手に決めないで。失礼ね」
「やっぱり『絶気』なんだな」
面白そうに笑う彼に、わたしはムッとした。
『絶気』は当たりだけど、何もみんなの前で笑いながら言わなくたって。
こっちは不安でたまらないっていうのに、感じ悪い奴!
「はいはい、一条君。女の子には優しくしましょうね。気が途絶えたらバスは墜落しますから、死にたくなかったら精神集中! ああ、田中さんは何もしなくていいですよ。バスの動かし方は、いずれ学校で習いますからね」
文司先生の言葉に、わたしの目が丸くなる。
スクールバスは、みんなの気の力で飛んでるんだ――――。
それに、一条君? こいつ、御門様の親戚か何か?
「今年の外部生だって……」
後ろの席からヒソヒソ声が聞こえ、わたしはあわてて前に向き直った。
魔仙術学園には中等部と高等部があり、ほとんどの生徒は内部生――――「魔仙四十八家」と呼ばれる家系の子供だ。
わたしのように魔仙術測定で見出された子供は、外部生と呼ばれている。
わたしは数少ない外部生の、さらに数少ない「絶気」だ。
絶気――――。
ママと一緒に魔仙庁まで行き、約3万ナントの「気」がわたしの中で眠っていることは確かめられたけど、気の蛇口が固く閉じられていると説明された。
今のままでは「気」は使えないけれど、訓練すればなめらかに流れ出すそうで、蛇口が閉められた状態を「絶気」と言い、そういう子供がごくまれにいるらしい。
わたし、病気なのかな……。
魔仙庁の係官は、大丈夫ですよとニコリともせずに言ったけど……。
クラスメイトに聞かれ、正直に「絶気」だとしゃべったのは失敗だったかもしれない。
頼んでもいないのに相川理沙ちゃんが、みんなの前でくわしく教えてくれた。
「塾の先生から聞いたんだけど、たくさんの気を持ってるのに、一生『絶気』のままの子がいるそうよ。魔仙術学園に入学したのに『絶気』が治らなくて、退学になった子がいるんですって。ミオはそんな事ないと思うけど、もしも退学になっても、めげないでね」
そう言った時の、理沙ちゃんの嬉しそうな顔。
嫌だよ、退学なんて――――。
パパとママが調べたけど、絶気のせいで退学になった子については何も分からなかった。
魔仙術学園に関する情報は、ほとんど外にもれないらしい。
治るかなあ……。
小さく溜め息をつき、外の景色に目をやった。
バスはビルやマンションの上を猛スピードで走りながら、さらに上昇する。
窓の下に飛行機が見え、鳥の群れがじゃれるように平行して飛んだ。
途中で数人の生徒を乗せ、1時間ほど飛び続け、魔仙術学園上空までやって来た。
学園はけわしい山に囲まれ、広々とした緑野に立つ城のようだ。
中央に高い塔がそびえ、大小さまざまな校舎と寄宿舎が並び、どれもが和風と洋風の入り混じった造りになっている。
クリーム色の建物の前でバスは止まり、文司先生が「女子寄宿舎前ですよ」と教えてくれた。
「またな、ラーメン。たぶん同じクラスだろ」
一条君がわたしを見上げ、含み笑いをしている。
「ラーメン!?」
「頭がしょうゆラーメンの底に沈んだ、ちぢれ麺みたいだからさ」
「ちょっと……」
ひどいんじゃない、それ?
茶色い癖っ毛のことは、気にしてるのに!
「そっちだって」
悪口を言い返してやろうと思ったけど、相手は腹立たしいことに非のうちどころのない美形だ。
でも、いいのは顔だけ。
「性格悪い。最低最悪の性格!」
「いまさら? 一目見りゃ分かるだろーに」
「そんなんじゃ女の子にモテないよっ」
「ご親切に。俺のことより自分の心配してろよ」
何を言われても、何とも思わないらしい。
それどころか人の顔見てクスクス笑って、腹が立つったらない。
どっかで転んで天罰を受けろ!
ツンとあごを上げてバスを降り、興味深そうにちらちら振り返る女生徒たちの後ろを歩いた。
206号室と書かれた紙きれと鍵をポシェットから取り出し、女子寄宿舎に入る。
古びた木の階段を2階まで上がり、部屋の前に立った。
しばし、深呼吸。
そっと扉を開けると、大きな窓から春の光が差し込んでいる。
中央のついたてが部屋を仕切り、両壁際にベッドと机が置かれていた。
磨かれた木材に囲まれた2人部屋。
今日からここが、わたしの部屋だ。
女の子が一人、荷物を片付けていた手を止め、振り返った。
「この部屋を一緒に使う人? 私、森木遥香です」
「田中ミオです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。田中さん、外部生?」
「そう。魔仙術測定で青が出たの」
「私もよ。今年の外部生は、私たち2人だけみたいよ。この子は、タク。よろしくね」
彼女が指さしたのは、植木鉢に植えられた高さ10センチほどの小さなサボテン。
長く鋭いトゲが、円形の全身をおおっている。
「タク、新しいお友達に音楽を聞かせてあげて」
森木さんがサボテンに触れると、トゲが動き始めた。
カチッ、カチッ。
トゲが打ち合ってリズミカルな音を立て、テンポを上げていく。
「タクトを振ってるみたいでしょ? だから、タク」
「すごい! 植物を操れるの?」
「えっ。そんなの簡単だけど……。測定で青が出てから、塾に通わなかったの?」
驚く森木さんに、「絶気」だから魔仙術学園で正式な教育を受けるまで私塾には通わないようにと魔仙庁で言われ、何の訓練も受けていない……と説明するうちに、気分が落ち込んで行った。




