2 魔仙術測定の日
3年が経ち、わたしは6年生になった。
秋の放課後。6年3組の女子ほぼ全員が、校舎裏の花壇に集まった。
みんなが注目するのは、相川理沙ちゃん。
理沙ちゃんは、手に細い木の棒を持っている。
遠目には長めの箸にしか見えないけど、先が尖り、全体に彫られた小さな花が美しい。
理沙ちゃんは、魔仙術師が使う杖だと言っている。
専門店に行き、買って来たらしい。
「いい? やるよ」
理沙ちゃんが言い、わたし達は花壇いっぱいに咲く赤いサルビアと理沙ちゃんを交互に見た。
理沙ちゃんの杖が、一輪のサルビアに向けられる。
「気をつけ。礼」
言うなり花がお辞儀をして、みんなから歓声があがった。
「直れ。次、気をつけ、礼」
お辞儀をしていた花がピンと直り、今度は隣のサルビアがお辞儀をする。
「すっごーい!」
拍手するわたし達を、理沙ちゃんは得意そうな顔で見回した。
「ここまで来るのに、1年もかかったのよ。普通は、何十年もかかるらしいけど。もっと早く才能開発塾に通ってたら、水や火が操れるようになってたかもね。あたしに魔仙術の才能があるって気づいたのが、遅かったものだから」
「へーえー。理沙ちゃん、魔仙術の塾に通ってるんだー。授業料が高いって聞いたけど、高かった?」
わたしの隣にいた舞ちゃんが尋ねた。
舞ちゃんは、わたしの幼馴染で親友だ。
理沙ちゃんのあごが、つんと上がる。
「お金の問題じゃないの。才能の問題よ。うちの両親は、子供の才能にお金を出し惜しみしないから」
塾――――行きたかったな。
わたしは、理沙ちゃんの杖をじっと見つめた。
せめて通信教育だけでもと何度も頼んだけど、無駄づかいする余裕はうちにはありませんって、ママに言われたっけ。
魔仙術師はみんなの憧れで、雑誌でもよく特集が組まれる。
ボロボロになるまで雑誌を読み込んで、書かれてある通りに練習したけど、植物を操るなんて出来るようにはならなかった。
魔仙術には詳しくなったけど。
魔仙術は、樹術――――植物を操る術を基礎としている。
植物を操れる者だけが次の段階、水術へと進むことが出来る。
水術の次に火術、天術と段階があるけど、そこまで上がれる人はごくわずからしい。
理沙ちゃんは、かなりの才能があるんだろう。羨ましい。
魔仙術の杖、わたしも欲しいな。
杖があれば、もしかしたら、植物が操れるかもしれない。
「やらせて!」
勇気を振りしぼって言ってみたけど、理沙ちゃんの返事は素っ気なかった。
「最初は、指を使って練習するものよ。それが出来るようになったら、お店に行くか通信販売で買えば?」
「わかった。……指でやってみる」
「あたしも!」
女の子たちはいっせいに指先をサルビアに向け、わたしも加わったけど、どんなに念じても花はピクリとも動かない。
「あーあ」
「理沙みたいに塾に通わないと、無理だよ」
そう言われ、理沙ちゃんはますます得意そうな顔になる。
「塾に通っても、全員が出来るわけじゃないのよ。同学年で杖を買ってもいいって言われたのは、あたしだけなんだから。才能の無い子が杖を持ったって、使えないし意味ないもの」
女の子たちは、理沙ちゃんを取り囲んだ。
「明日の魔仙術測定、楽しみだね」
「理沙ちゃんが測定に合格したら、テレビ局が来るよ」
「やっべ。髪切りに行かなきゃ。誰か、ビューラー持ってない?」
「ビューラーって何?」
「先生たちが、大騒ぎするだろうなあ。テレビに映るんなら、お祝いのイベントとか派手にやるかな」
「やめて。塾の先生には、合格率50パーセントって言われてるのよ。落ちたらショックだから、騒ぐのは合格してからにして」
理沙ちゃんが言い、わたしは溜め息をついた。
もしも理沙ちゃんが魔仙術学園に進学したら、文化祭に呼んでもらおう。
運が良ければ、御門様に会えるかも。
3年経つうちに、一条御門はわたしの中で「憧れの御門様」になっていた。
最近では、テレビに出ることも雑誌にのることも少なくなったけど、彼の姿は目に焼きついている。
今のうちに理沙ちゃんと仲良しになって、魔仙術学園に遊びに行こう。
魔仙術学園は山奥にあって、生徒はみんな寄宿舎に入る。
宿泊施設が整っていて、家族や友人が泊る様子をテレビで見たことがある。
山をいくつも含む広大な敷地。きれいな校舎とおしゃれな寄宿舎。
一度は行ってみたい。
そう思いつつ、女の子たちが理沙ちゃんを囲む様子を見ると、足が止まってしまう。
みんな、同じことを考えてるんだ―――
翌日。
担任の岡田先生が、黒板に大きく「魔仙術」と書いた。
「静かに。魔仙術とは何か。みんなもテレビや雑誌で、魔仙術師の活躍は目にしているだろう。何も無い場所に物を出現させ、木や水や火を操り、さらには天候をも動かす」
岡田先生は、魔仙術の隣に「神仙術」と書く。
「大昔、中国の『神仙術』が日本に伝わり、日本独自の『陰陽道』や『修験道』となった。そこに明治時代、西洋の『魔術』が加わり、現在の『魔仙術』に進化したというわけだ。魔仙術師になるには、体内に大量の『気』を持っていなければならない」
黒板に、「気」という文字が加わった。
「人が持つ『気』の量は体の成長と共に増え、12歳ぐらいで増え止まる。6年生を対象に魔仙術測定が行われるのは、12歳以降、『気』の量はほとんど変わらないからだ。一般的な人間は、1000ナントから3000ナントの『気』を持っている。そのほぼすべてが、体と心の健康を保つことに使われる。体内の『気』が減ったら、どうなると思う?」
「腹が減る」
「病気になる!」
「死ぬ!」
6年3組のみんなが口々に言い、先生は笑った。
「腹が減るかあ。そういう者もいるかもしれないが、普通は病気になったり、最悪の場合は死んだりするんだ。『気』は人間にとって、なくてはならない大切なものだ。さっき一般人の『気』の量は1000ナントから3000ナントと言ったが、魔仙術師の場合は軽く1万ナントを越える。最上級者である『天術師』は、10万ナント以上の『気』を持っているらしいが、ここまで来ると仙人だよなあ。魔仙術師は、このあり余った大量の『気』を使い、術を操るというわけだ。さて……」
先生の顔が真剣なものに変わり、クラスのみんなを見回した。
「毎年全国で数名、1万ナントを越える『気』を持つ6年生が見つかる。『気』という奴は、何もしないでいると、一生体内に隠されたまま終わるんだ。魔仙術測定は、この隠された『気』を測定し、魔仙術師の卵を発見しようという計画のもとに始められた。その発見の場に先生は一度も立ち会ったことはないが、君らの中から魔仙術師の卵が現れるといいな。魔仙術師になりたい人は?」
クラス全員が、手を上げた。
「はいはいはい!」
「俺、『気』をたくさん持ってるぞ」
松本くんがハアッと息を吐き出し、隣の斎藤さんがため息をつく。
「それは、肺活量でしょ。馬っ鹿じゃないの」
「空気は空の気と書くんだよ。つまり、空気に『気』は含まれないということだね」
クラス一の秀才である高岡くんが言い、松本くんは口を尖らせる。
「おまえは黙ってろよ」
「こらこら喧嘩するな。今日は、これから『気』を測定する。魔仙庁という役所から係官が来てるから、きちんと挨拶して、静かに測定を受けるように。いいな」
岡田先生に引率され、3組全員で体育館に向かった。
6年生は3クラスあり、1組はすでに測定を始めていて、2組がその様子を眺めながら待っている。
体内にどれほどの「気」があるのか。
目には見えない「気」の量をはかるための道具を、わたしは見上げた。
体育館の中央に置かれた、巨大な釣鐘草――――。
庭に咲く小さな釣鐘草と種類は同じだけど、大きさがまるで違う。
細くとがった葉っぱは人の身長ほどあり、緑の茎が一本、天井に向かって伸びている。
茎の先で下向きに咲いているのは大輪の花で、形も大きさもお寺にある鐘に似ている。
大みそかに鳴る除夜の鐘の、あの鐘だ。
本物の植物でありながら見上げるほど背が高く、釣鐘のように垂れ下がった純白の花は、人一人をすっぽり覆い隠してしまえるほど大きい。
釣鐘草の横に机と椅子が置かれ、魔仙庁から派遣された男性がすわり、書類に何やら書き込んでいた。
6年1組の男子が一人、釣鐘草の下に立った。
純白の花が下りて来て、覆いかぶさる。
すぐさま上がり、花びらの色が純白から赤に変わった。
「おー」
がっかりしたような低い歓声に、男子は照れくさそうに頭をかいた。
「健康なんだよ、健康!」
赤は「気」の量が普通で、心と体が健康だということを表している。
去年の6年生は全員、赤だったらしい。
花が黄色に変わると「気」の量が足りていないことになり、魔仙術治療院に通院するようにと言われる。
青は、魔仙術学園へのキップだ。
赤だろうなあ、わたし――――。
1組と2組の全員が赤という結果に終わり、3組の測定が始まった。
6年生全員で巨大な釣鐘草を囲み、岡田先生が名簿を見ながら名前を読み上げる。
「相川理沙」
「はい」
先生に呼ばれ、理沙ちゃんはやや緊張した表情で前に出た。
青かも――――。
わたしを含め、そう思っているみんなは、真剣に理沙ちゃんを見つめる。
釣鐘草の茎が曲り、花が理沙ちゃんを包んだ。
すぐさま上がり、白が別の色へと変わって行く。
「黄色――――?!」
「ひゃあっ」
3組の女子の間から悲鳴がこぼれ、理沙ちゃんは黄色い花びらを見上げ、ぼう然とした。
「魔仙術のトレーニングか何かを受けましたか?」
魔仙庁の係官が優しく尋ねても、理沙ちゃんの答はしどろもどろだ。
「……トレ? ……塾へ……週1回」
「週に一度、魔仙術師の指導を受けたんですね?」
「……はい」
「黄色の判定が出たということは、その術師の指導法はあなたに合わなかったのでしょう。あなたの『気』量は、3100ナント。標準値よりやや多目ですが、魔仙術師になれるほど大量ではない。本来なら心身の健康を保つべき『気』が別の用途に使われ、あなたは健康を失いつつあります。これについては、ご両親と一緒に話し合いましょう」
「でも、でも、塾の先生は、わたしには才能があるって言いました! 魔仙術師になれるって!」
理沙ちゃんの言葉は悲痛で、今にも泣き出しそうだ。
「残念なことに、すべての魔仙術師に良心がそなわっているとは言い切れないのですよ。中には、悪い言い方ですが、お金儲けに走る者もいます。あなたが通っていたという塾について、後で教えてくださいね。魔仙庁から厳しく指導、あるいは処分しますから」
「健康が一番大事だぞ、相川。先生も小学生の頃は魔仙術師に憧れたが、今では教師になって良かったと思ってる。先のことは、健康を取り戻してから考えような」
岡田先生が言い、理沙ちゃんはくちびるを引き結び、目をぱちぱちさせた。泣くまいと必死に堪えているみたいだ。
順に名前が呼ばれ、赤の測定結果が続いた。
「田中ミオ」
いよいよ来てしまった、わたしの番。運命の瞬間だ。花びらは赤く染まり、3年間の夢が終わるだろう。
足が重くなり、うつむき加減で花の下に立った。
大きな花が下りて来て、わたしをすっぽりと包み、視界が真っ暗になる。
一瞬後、視界は下から順に明るくなり、魔仙庁の係官と隣に立つ岡田先生、周囲を囲むみんなが目に入った。
わたしは2歩前に出て、固く目をつぶった。
夢――――終わってほしくないけど、今日で終わりなんだ。
泣きそうになりながら振り返ると、ぴんと伸びた緑の茎の先で、釣鐘草の花は純白のままだ。
3回まばたきしたけど、まだ白いまま。
どうしたんだろう。他の子の時は、すぐに判定が出たのに。
「花が疲れてしまったのかな。君、もう一度やってみてくれますか?」
魔仙庁の係官がにこやかに言い、わたしは再び花びらに包まれた。
さっきと同じように2歩進み、ドキドキしながら振り返る。やっぱり花びらは、白のまま。
「壊れちゃったんじゃないのー?」
男子の一人が冗談まじりに言い、係官は厳しい表情で釣鐘草を見つめた。
「マリアン。とりあえず判定だけ出してくれ」
マリアンって誰? 疑問が頭の中をめぐり、次の瞬間、こっぱみじんに弾け飛ぶ。
花の色が変わった。――――青。え? ――――青? 青?! えええっ?!
「青だ!」
「おおーーっっ! 青だ―っ」
歓声が渦を巻き、悲鳴が飛び交い、わたしの視界がぐるぐる回った。
拍手が聞こえたけど、青く変わった釣鐘草以外、何も目に入らない。
信じられない。これは夢だ。何度も手をつねってみる。
「田中。こっちへ」
笑顔の岡田先生に呼ばれ、わたしは係官の前に立った。
四角い顔の係官は満面に笑みを浮かべ、すわったままわたしを見上げた。
その存在感。ただすわっているだけなのに、伝わって来る圧倒的な力。
御門さまと同じ力だ。周囲に『気』は見えないけど。
この人、魔仙術師だ――――。
そんな気がした。御門さま以外、魔仙術師に会ったことはないけれど。
「田中さん。あなたの『気』量は多過ぎて、測定不能です。魔仙術学園に入学するまでに、別の方法で測定されるでしょう。入学おめでとう。ようこそ、魔仙術の世界へ」
「あの……」
おめでとう? 入学? わたし、魔仙術師になれるの?
頭の中がぐちゃぐちゃになって、何が何だかわからず、思わず尋ねた。
「マリアンって、どなたですか?」
「相棒の名ですよ、あなたを測定した釣鐘草の。私は樹術師で、相棒に可愛い名前をつけたつもりですが、センスはどうですか?」
「まあまあ……だと思います」
その後、クラスメート達にもみくちゃにされたけど、よく覚えていない。
ただ理沙ちゃんの眼だけは、はっきりと覚えている。
恨みと涙に濡れた理沙ちゃんの眼を、わたしは一生忘れないだろう。
放課後、職員室に呼ばれ、岡田先生から保護者宛てだという書類を渡された。
「魔仙庁から電話があるはずだから、ご両親ともよく話し合って、期日までに手続きを済ませるように。先生も、これからマスコミの対応に忙しくなるよ。子供への取材は禁止されてるから、田中は何もしなくていいぞ。周囲が騒がしくなるだろうが、すべて学校と先生にまかせ、卒業式まで普段通りに生活すること。体調に気をつけてな。宿題も、ちゃんとやれよ。魔仙術学園といえども、他の中学と同じ勉強があるんだからな。さぼってると、ついて行けなくなるぞ。しかし田中がなあ。正直に言うが、全然気づかなかったよ。おめでとう」
「はい……」
他の先生からもお祝いの言葉をもらい、職員室を出ると、6年生の女子たちが廊下で待っていた。
男子や下級生たちが遠まきにながめている。
「いっしょに帰ろうよ!」
「文化祭に呼んでね。泊まらせてね」
「う、うん……」
「絶対だからね!」
「う、うん……」
みんなに囲まれ、機械のように返事をし、うなずいた。
魔仙術学園に入学できる。夢がかなう。それが実感できたのは夜、布団に入ってからだった。
やった! やった!! やった――――っっ!!
布団の中で声を押し殺し、雄叫びをあげた。




