7 盟約の杖
入学式前夜。
仕事を休んで来てくれたパパとママは、宿泊棟に泊った。
「リオが学校を休んで一緒に来たいと言うから、叱っておいたわ。妹が頑張ってるのに、お姉ちゃんがさぼってどうするのってね」
夕食を食べながら、ママの言葉にわたしの目が丸くなった。
リオはお姉ちゃんの名前だけど、ママがお姉ちゃんを叱った……?
お姉ちゃんに、すっごく甘いママが……?
「あいつ、おまえのことを友達に自慢してるらしいぞ」
パパが言い、ますます驚いた。
お姉ちゃんが、わたしを自慢する……? 人類滅亡の前ぶれか?
「魔仙術師の姉として芸能界デビューするとか、テレビに出てる美形魔仙術師を彼氏にするとか、夢みたいなことばかり言ってるのよ」
「な~んだ」
さてはお姉ちゃん、人を踏み台にしてのし上がる気だな。
お姉ちゃんらしいと思えば腹も立たないし、あのお姉ちゃんがわたしを認めてくれたと思うと、ちょっと嬉しい。
その日は両親と一緒に宿泊棟に泊り、翌日の朝、わたしは教室に向かった。
入学式が始まるまで、1年生は教室で待機する。
校舎に入ろうとした時、向こうから一条君と剣持君がやって来た。
「一条君、入学するの?」
尋ねると、一条君は口角をわずかに上げ、不良っぽく笑う。
「しばらく様子見ってやつ。その気になったらいつでも退学できるんだから、急ぐことないと思ってさ」
「学食の季節限定メニューを一通り食ってからにしろよ。町にあるケーキ屋やパン屋を全制覇しないと心残りだろ?」
熱心にすすめる剣持君を、一条君はあきれ顔で見やった。
「おまえと一緒にするな。たまになら、つきあってもいいけど」
「おお! おまえの好物のラーメン食いに行こう」
「ということは、しばらくはクラスメイトでいられるんだよね? よろしくね」
「こちらこそ、トマト」
「あのね……」
駄目だ。こいつ。この性格、一生治りそうにないわ。
入学式が始まる時間になり、わたし達1年生は二列に並んだ。
文司先生を先頭に、おごそかな管弦楽が流れる講堂に入って行く。
講堂はレンガ造りで、外から見ると西洋の教会のようだ。
中に入ると木製の長椅子が並び、2階席にすわる保護者の中にパパとママがいる。
正面の演壇に学園長先生が立ち、1年生一人一人に細長い木箱を手渡した。
「田中ミオ」
名前を呼ばれ、わたしはドキドキしながら演壇に上がった。
「本日より、君を魔仙術師として承認する」
学園長先生が言い、わたしは皆と同じ誓いの言葉を口にして、木箱を受け取った。
式が終わるまで、ふたを開けてはいけないと言われていたから、両手で箱を握りしめた。
中に入っているのは杖らしいけど、外部生のわたしは魔仙術師の正式な杖を見たことがない。
通信販売で売ってる物とは違うのかな。
もしかして、相川理沙ちゃんが持っていた杖に似てる?
気になる――――。
式は短時間で終わり、わたし達は講堂の外に出た。
中庭で、文司先生が言う。
「木箱を開け、中を確かめてください」
ふるえる指でふたを取った瞬間、わたしの呼吸が止まった。
杖――――!
樫の木で作られた杖は、全体に睡蓮の花が彫刻され、長さは30センチぐらい。
持ち手の端に取り付けられた白銅の輪に、小さな六個の輪が通され、留め具で留められている。
「花の模様? わたしのはオリーブよ」
森木さんが言い、見ると彼女の杖には細い葉と楕円形の実が彫られていた。
円野さんは、トンボだ。
文司先生が背広のポケットから杖を取り出し、コホンと咳払いする。
「皆さんが手にしているのは、魔仙術学園生徒用に作られた特別な杖です。それぞれの『気』に合わせて作られているので、彫刻の柄が違います。これは、私が本校の生徒だった時に使っていた物です。杖の形態は、私が純真な中学生だった頃も今も変わっていません。術を使う時は持ち手を握り、先端を対象物に向けてください」
先生をまねて持ち手を握り、細くなった先端を空に向けた。
不思議な気分――――。
わたしの中の何かが杖をつたい、空に向かって行く。
「次に、遊環を使う場合。持ち手を握ったまま、輪の部分を上にしてください」
文司先生は杖を逆さにし、白銅の輪を上に向けた。
「この部分を遊環と言い、このように音を鳴らして使います」
先生の指が6個の小さな輪に触れると、輪が触れ合い、シャンシャンと美しい音を生み出す。
わたしは白銅の留め具をはずし、杖を振ってみた。
シャリン。シャリン。鈴に似た澄んだ音色が、耳に心地いい。
カラン、コロン。シャッ、シャッ。
皆がいっせいに遊環を振り、よく聞くと微妙に音が違っている。
「どうですか? それぞれの『気』に合わせているので、音色が違っているはずです。遊環は悪霊払い、魔除け、その他さまざまな用途に使われます。大切な物ですから、普段は鳴らないよう動かさないよう留めておいてくださいね。さて、最後に。杖に署名をお願いします。木の部分と金属部分のつなぎ目に、黒い宝玉がありますね? 触ってみてください」
言われた通り小さな石に触れると、目の前に自分の顔が現れてびっくりした。
胸のあたりに「田中ミオ」と黒い文字が浮かび、まるで鏡にマジックで書いたみたい。
「皆さんが見ている映像は、一般の方々には見えません。魔仙術師が杖に触れた時、持ち主の顔と名前がわかるようになっています。もう一度宝玉に触れると、今見えている映像が30秒間、杖に保存されます。保存は一回きり。再登録は1年後になりますから、気をつけてくださいね」
黒い石にそっと指先を置き、顔を上げた。
映像の中のわたしは緊張した表情で、驚いたように目を見開いている。
慌てて笑みを浮かべ、もう少し笑った方がいいかなと頬をゆるめた瞬間、映像は消えた。
周囲を見ると、女の子たちが真剣な顔つきで撮影している。
「プリクラみたいに修正できたらいいのになあ」
つぶやくと、森木さんから「それいいねー」と笑顔が返って来た。
一人の男子生徒に別の男子生徒が忍び寄り、背後から手を伸ばして鼻をつまみ上げた。
「豚の鼻あ!」
「うわ――っ。おま、これ、1年間保存されるんだぞっ。くそ」
男子生徒はきょろきょろあたりを見回し、映像を登録中の近衛君の背中に飛びついた。
近衛君の口に指を突っ込み、横いっぱいに広げる。
「カニの口――っ」
「あーっっ!」
近衛君の叫ぶ姿を保存し、映像は消えた。
「貴様、何て事をっ。父上に見せねばならんのに! こうなったら、みんな道連れだ!」
「おう!」
近衛君と数人の男子が、顔の登録が終わっていない男子を追い回す。
「百面相!」だの「ひょっとこ!」だの声が飛び交い、絶叫が響き渡った。
「みなさん、そのくらいに……ああ! せめて数秒間だけでも、地顔がわかるようにしておいてくださいね。それにしても、ひどい顔……」
文司先生があきらめたように首を振り、女の子たちの反応は冷ややかだ。
「男子って、どうすんのよ。持ち物検査のたびに杖がチェックされるのに」
「1年間あの顔をさらすの? さいあく~。笑えるけど」
「保護者の方々が来られましたので、ここで解散とします。これより自由行動となりますが、寄宿舎の門限は午後5時ですから、忘れないように」
先生が言い終わらないうちに、講堂から体格のいい女性が走り出て、剣持君に飛びついた。
「麻呂ちゃーん。お式に遅刻してしまったわ。あらま、痩せたんじゃないの? ちゃんと食べてる? おやつを送りましょうか?」
「うむ、母上。俺様の『具現』はカロリーを大量に消費するから、体重がかなり落ちた」
えっ。少しも痩せたように見えないけど?
「ふかくさ屋のクリームあんみつ味ポテチと、うじ屋の抹茶マヨネーズ入りビスケットをケースで。それから……」
剣持君はクスクス笑うみんなを物ともせず、聞くだけで胸やけしそうなお菓子の名前をずらずらと並べ、お母さんがせっせとメモをとる。
次々と講堂から保護者が出て来て、一条君の前に両親らしい男女が立った。
厳しい顔つきのお父さんと、優しそうな美人のお母さんだ。
一条君はポケットに手をつっ込んで、そっぽを向いている。
親の前でも、ああいう態度なんだ。
常にブレないという点では、尊敬に値するけど。
近衛君が直立不動で、お父さんらしい男性に杖を渡している。
男性はしげしげと杖を眺め、低い声で言った。
「近衛家の嫡男にふさわしい、いい杖だ。大事にしろ」
「はい、父上。これからも精進して参ります」
父子だなあと思う。言葉の使い方が、そっくりだ。
「アヤちゃんは、体が弱いから心配だわ」
「大丈夫か? やっていけるか?」
「大丈夫。もう子供じゃないんだから」
声の主は、円野さん一家だ。
小柄な円野さんを、両親が心配そうに見下ろしている。
振り返ると、笑顔の森木さんと両親。
やっとパパとママが講堂から出て来て、わたしは駆け寄って杖を見せた。
2人の嬉しそうな幸せそうな笑顔に、わたしの顔もほころんでしまう。
「素晴らしい杖ね。おもちゃの杖とは違うわね。当たり前だけど」
「芸術品だな」
「見てて。使ってみるから」
講堂の入り口横に、睡蓮の咲く池がある。
睡蓮――――わたしの杖に刻まれた花だ。
杖の先を池に向け、心の中で念じた。――――水よ、踊れ!
体の奥から熱いものがあふれ出し、ほとばしる。
気――――わたしの気。
以前はお腹のあたりで止まってるみたいだったけど、今は「気」の動きがはっきりとわかる。
自由奔放にうねり、全身を巡って杖に流れ込む、わたしの気。
「クロワッサン!」
声に出して命じると、池の水が高々と吹き上がり、ママの息を呑む声が聞こえた。
水は円を描いてゆっくりと落ち、途中で止まる。
杖を横に振ると横に跳ね、縦に動かすと縦に飛ぶ。
杖の動きに合わせ、空中でくり広げられる水のダンス。
わたしは指揮者だ。3年前の御門様のように。
杖をタクトのように振り、水という楽器を自由自在に操るわたし。
魔仙術師に憧れるばかりだったのに、自分の足でここまで来たんだ――――。
振り向くと、パパとママが目を見開いている。
「ミオがしていることなの? あなたの力?」
「そうよ」
「すごいわ、ミオ! 信じられない」
「まるでマジシャンか、魔法使いだな」
「ミオは魔仙術師なのよ。マジシャンでも魔法使いでもありません」
パパをたしなめるママは、目に涙を浮かべている。
わたしの胸が熱くなった瞬間、水は蒸発して白い水蒸気になった。
杖先を動かし、水蒸気で空中に文字を書く。心をこめて。
――――あ・り・が・と・う――――。
「まあ、ミオったら」
ママはハンカチで目頭をふき、パパは笑顔で文字を見上げている。
「ありがとう」の五文字が青空の真ん中で凍り、やがて雪になって舞い落ちた。
雪は白い花びらのようにパパとママに降りそそぎ、わあっとクラスメイトの歓声が起きる。
「水の温度を変えられるなんて、お嬢さんには天術師の才能がおありなんですね」
円野さんのお母さんが感心したように言い、
「ありがとうございます。天術や魔仙術についてよく知らないものですから、これから勉強しますわ」
ママはにこやかに答え、わたしに向き直った。
「ママの方こそ、ミオにありがとうって言わなきゃね。こんなにも幸せな気持ちにしてくれて、ありがとう。ミオ」
わたしは両手をこぶしに変え、胸の前で握りしめ、ガッツポーズを決めた。
完
本作品は、ここで終了とさせて頂きます。
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