五章 虚々実々
五章 虚々実々
翌日。
朝食を終えたヒースたち一行は、ルカの指示で応接間に集合した。
そこには昨夜同様に元締とアントワン、幹部も勢揃いしていた。
「皆様にお集まりいただいたのは他でもありません。このたびの戦いについて、いくつかご相談させていただこうと思った次第です」
全員がソファに座ったところで、ルカが立ち上がって一同を見回した。
「まずは、僭越ながら元締にお願いしたいことがございます」
ルカが視線を向けると、元締は深々と頷いた。
「この戦いにおける全権を、私に預けていただきたいのです」
「何だと!」
幹部の一人が血相を変えて立ち上がる。
元締が手を上げて制すると、戸惑いの表情を浮かべながら座り直した。
「構わんよ、ルカ」
「親父さん!」
落ち着いた口調で答える元締に、先程の幹部が驚愕の声を上げる。
「黙ってろ。俺たちの今の力では、まともに戦ったら勝てるわけがねえ。お前たちも知っているはずだ、この戦乙女の力量というものを」
裏社会での武勇という点でいえば、ルカよりも遥かに知られている者は多い。
例えばゴドーなどがその良い例だ。
一方、ルカが戦乙女の通り名で呼ばれるのは、個の武勇で優れているからではない。
彼女が指揮した勢力は必ず勝利する、とされているからだ。
その戦歴は、彼女の明晰な頭脳によって編み出された綿密な戦略と戦術、そして臨機応変に部隊を動かす能力によって重ねられてきた。
だがそのためには、彼女に戦いの全てを委ねなければならない。
彼女を使う、ということはそういうことなのだ。
(大丈夫なのか、ルカ姐さんよぉ)
ヒースは内心ハラハラしながら、成り行きを見守っていた。
ルカの能力は疑うべくも無い。
だが、元締はともかく幹部衆は本当に彼女に従ってくれるのだろうか。
「勿体無いお言葉です、元締。それでは重ね重ね失礼なことではありますが、元締の剣を頂きたいと思います」
ルカが深々と礼をすると、元締が傍らに置いていた厚造りの直剣を差し出した。
無骨なその得物を、ルカが跪いて両手で押し戴く。
(なるほど、これで幹部も若い衆も従わざるを得ないってわけだな)
君主と騎士の間で交わす忠誠の儀式は、時として侠客たちの間でも執り行われる。
「本物の」侠客は信義を重んじ、それに己の命を賭けるという。
二人の間で交わされた儀式は、ルカが元締に勝利と忠誠を誓うという意味であり、元締もまた彼女に全てを託すという意味を持っていた。
これにより、元締と義理の「親子」の契りを交わしている幹部・若い衆は、ルカに従わざるを得なくなった。
「それではこれより、戦いにおける重要な方針を決めさせていただきます」
預かった直剣を手にしたまま、ルカが一同に向き直った。
方針、という言葉に一瞬幹部たちが小首を傾げる。
「といっても、難しい話ではありません。戦いにおいて、最も優先すべきことをこの場にいる全員が確認し、共有し合うということです」
ルカの説明に、
「ああ、なるほどねえ。つまり、何があってもこれだけは守れってことだろ?」
「そうよ、レミー。逆に言えば、これが守れなければどんな戦果を上げても意味がない、ってこと」
明るい声で応じたレミーに、ルカが微笑して返す。
「まずは、この一点を肝に銘じてください。『何があっても、元締とアントワンさんの命をお守りする』ということです」
ルカの言葉に、何人かが訝しげな視線を向けた。
ヒースも、何を当たり前のことを言っているのか、と感じた。
だが元締とアントワンに眼を向けると、二人とも険しい表情に変わっていた。
「ルカ殿、それは納得できません。私たちの命は、守られるためのものにあらず!」
「愚息の言う通りだ。お前たちに命がけで戦わせておいて、自分たちだけ命を惜しめというのか?」
侠の世界に生きる二人にとって、ルカの指示は耐え難いものだったのだろう。
誇り高い二人の言葉にヒースは胸が熱くなったが、
「では元締。仮にこの戦いに勝利したとしましょう。しかし、その時にお二人が命を落とされていたとしたら、この街はどうなりますか?」
冷静な問いかけに、二人が厳しい顔のまま口を閉ざし、ヒースも我に返った。
そのような事態になれば、その後は残った幹部たちによる勢力争いとなるだろう。
それは最悪の形での勝利だ。いや、勝利とはとても言えまい。
「ですから、何があろうとお二人はお守りします。しかし、戦力をお二人の周囲に集めすぎては勝てません。私とフローラが交代で、身辺を警護させていただきます」
口調は穏やかだったが、有無を言わせない強い意思に満ちていた。
深くため息をつき、元締が頷く。
何か言いたげなアントワンも結局は父に倣った。
「何においても優先すべきは、お二人の命です。たとえこの街を敵に明け渡すような事態に陥っても、お二人さえ存命であれば反撃は可能ですから」
「何だとっ! 戦う前に負けることを口に出すのかっ!」
幹部の一人が怒声を張り上げた。
しかしルカは全く怯む様子も見せず、
「最悪の事態を想定するのは、戦略における基本。楽観的に考えて動くのは、愚者の所業です。それに先に言った通り、お二人が健在であれば敗北にはなりません」
きっぱりと反論した。
さらに、
「私は敵を追い払い、かつてのように元締がこの街を仕切るようになるまで、決して逃げることなく戦います。それが私の目指す本当の勝利です」
力強く言い切った。
その迷いの無い姿勢、理路整然とした言葉。
何より端々から感じられる強靭な心意気に、一同は居住まいを正してしまう。
(すげえな、ルカ姐さん。俺も、この人になら命を預けられるぜ!)
ヒースもまた、己の内奥から熱い思いが湧き上がってくるのを感じていた。
それから数日間は、眼が回るような忙しさだった。
ヒースはルカから、まず何より街の地理を頭に叩き込むことを命じられた。
屋敷内で地図を穴が空くほど見た後、ニルスたちと共に情報収集のために街中を駆け回る。
主要な通りはもちろんのこと、細かい路地に至るまで全て頭と身体で覚えろ、という指示だった。
「貴方には伝令をお願いしたいの。二手に別れて戦闘行動をとるためには、絶対に必要になる重要な役割よ。そのためには、地理を覚えておかなくてならないからね」
この仕事を与えられ、ヒースは奮い立った。
任務を単に与えるだけではなく、その意味を含めて伝えられたことで「己の役割の重要性」を認識することができたからだ。
ただ「やれ」と言われただけでは、人は全力を出し切ろうとはしない。
ヒースは、寝る間も惜しんで駆け回り続けた。
そしてその間、他の助っ人として集まった面々もまた、ヒースと同様に各々の役割に忠実に動いていたようだ。
ゴドーとレミーは交替で若い衆数名を率い、初日の夜のように敵の拠点となっている酒場や賭場、娼館などを襲撃した。
堅気の人間を決して巻き込むことなく、また数名倒したら深追いはせずに退却の繰り返しだった。
襲撃する場所は、前日までにヒースたちから集めた情報を元に、ルカが決定した。
フローラは元締とアントワンの身辺を護りつつ、負傷者の看護と若い衆の訓練を主に担当していた。 身中を流れる内功を操る彼女の技は、傷や病気の治療にも応用することができる。
また、帝国近衛騎士団でも必須とされる剣術『戴天踏地流』の達人でもある彼女に鍛えられ、若い衆の腕前もめきめき上達しているようであった。
そして皆を率いるルカは、ヒースが思わず
「いったいルカ姐さんは、いつ寝てんだよ?」
と、心配するほどの働きぶりであった。
ヒースやニルスたちの報告を聞き、元締や幹部衆とすぐに打ち合わせを行う。
襲撃を任せたゴドーとレミーからも戦果をつぶさに聞き、指示を下している。
フローラが元締たちから離れている間は警護を担当しているし、応接間では手紙を何通も書いていた。
またある時は、宝珠や札らしきものに術を施し、それをお守りとして幹部や若い衆たちに渡していた。
聞けばそれらは決して気休めのような代物ではなく、呪術や毒などにある程度有効な物なのだという。
しかしこれ程までに様々な仕事をこなしながらも、いつ顔を合わせても彼女は溌剌とした笑顔を誰にでも向けている。
当初はルカに対して半信半疑というか、不安感を覚えていたような幹部衆も、彼女のこの働き振りと笑顔に厚い心服を寄せているように見受けられた。
(これは確かに戦乙女だな……。かなわねえや)
ルカたちが到着してから、一週間の時が過ぎた。
この夜、ヒースはルカから大量の手紙を渡された。
それを今夜の内に、敵の拠点にそれとなく置いてくるのが任務だという。
「中には何て書いてあるんだい、ルカ姐さん」
戦乙女は目を悪戯っぽく輝かせて微笑した。
「これはね、彼らへ向けた私からのラブレターよ」
その答えで、ヒースはおおよその中身を知ることができた。
度重なるゴドーとレミーの奇襲に対し、夜間もピリピリとした空気で敵は厳重な警戒を続けていた。 だが、それをかい潜り、手紙を置いてくることなど、名うての盗人・ヒースにとっては朝飯前のことであった。
(何だかな、こりゃまるで手紙屋になった気分だぜ)
夜もとっぷりと更けた頃に帰還したヒースを迎えたルカは、
「ご苦労様。さて、明日の朝が楽しみだわね」
まるで本当に恋文を渡したかのように、嬉しげな表情を浮かべていた。
それから数日の間に、ルカの書いた手紙は敵に大きな影響を与えていた。
ヒースたちが掴んだ情報によれば、かなりの数の傭兵たちが秘かに街を抜け出し始めたのだという。 そして、手紙を送りつけた直後は控えられていたゴドーとレミーの襲撃が再開されると、それはさらに大きな効果を発揮した。
「俺はてっきり、『こちらの味方につけ』って内容かと思ったんだけどね」
昼食時にルカに話しかけると、
「それも場合によってはあり、だけどね。でも、さっきまで敵だった連中がこちらに寝返ったとしても、元締も幹部の方々も、何より若い衆が納得しないでしょ?」
ルカは微笑を浮かべて返した。
「ああ、確かにそうか、言われてみればなるほどだな」
「こちらの最大の強みは結束の強さ、逆に最大の弱みは人数の少なさよ。弱みを補う上で、敵を寝返らせるのは効果的だけど、それで自分たちの強みを消してしまうのは最良とは言えないわ」
「単純な頭数の問題じゃない、ってことかい」
「そう。人間は意志を持たない駒じゃないわ。それに理性だけで割り切って動くものでもない。感情を無視した作戦は、往々にして失敗するものなのよ」
確かにそれはそうだな、とヒースは自分自身になぞらえて実感した。
とりわけ、義侠を看板とする侠客の世界では理よりも義を重んじる。
仲間を殺した連中と手を結ぶなどと言い出せば、反感を招くことは間違いない。
「それに、そんなことをしたら敵が私の手紙に乗じて毒を送り込んでくるかもしれないでしょ?」
「つまり、裏切ったと見せかけて、ってことか」
「ご名答。それを危惧しながら戦うのはかえって負担になるだけ。だから、さっさと逃げなさい、って内容にしておいたの。脅しのスパイスをたっぷりと効かせてね」
ゴドーとレミーの襲撃を何度も受けて、傭兵たちは死の恐怖に怯えきっている。
そこにルカの『恋文』が放り込まれたわけだ。
その中身を知るべくもないが、相当きついことが書かれていたのだろう。
「もちろんそれが効いたのも、ゴドーの武威とレミーの猛毒のおかげだけどね。そう、それにね、貴方の役割も大きかったのよ」
「え、俺が?」
「当然よ。考えてもみなさいな。自分たちが気付かない内に手紙が置かれていたのよ? つまりそれは、どんなに警戒を強めても奇襲は防ぎきれないって意味でもあるわけだからね」
「そこまで考えてたのかよ。おっかねえな、ルカ姐さんは」
自分が敵の立場だったら、と考えて背筋が冷たくなった。
「で、利と理に傾く傭兵の皆様は、考えた末に退却を選んだ、というわけよ」
ルカの言うとおり、敵方の士気がかなり乱れていることは、間違いなかった。
ヒースは連日、界隈で交わされる会話を盗み聞きしていたが、大半は粗暴な他所者の傭兵たちが次々に去っていくことに対して好意的であった。
だがしばらくすると、敵方は思わぬ行動に出てきた。
ある日の昼下がりのこと。
応接間で今後の打ち合わせを行っていた一同の元に、顔色を変えた若い衆が飛び込んできた。
ルカが何事かと問うと、
「連中が、エブロの野郎が停戦の使者を送ってきました!」
「停戦だと!?」
幹部たちが色めきたって一斉に立ち上がる。
ゴドーはあからさまに不機嫌そうな顔を浮かべていた。
レミーが肩をすくめる。フローラは淡々とした表情でルカの顔を覗き込んだ。
ルカは小さくため息をつき、
「ふうん、そう来ましたか。とりあえず、その使者をここに通しなさい」
若い衆に命じた後、興奮している幹部たちに向き直った。
「まずは落ち着いて、先方の条件を聞いてみましょう。話はそれからです」
使者として遣わされたのは、寝返った幹部の一人でネイルという男だった。
幹部衆はもちろん胸倉を掴まんばかりの勢いで迫ろうとしたが、ルカに制止された。
元締とアントワンは、彼に鋭い視線を浴びせている。
(停戦だと? いったい何を考えてやがるんだ?)
ヒースには敵方の意図が掴めなかった。
いくら士気が低下し、傭兵たちが逃げ出しているからといっても、依然としてこちらの方が頭数は少ない。
戦いを避けようとする理由が分からなかった。
「……と、いうことでございまして、こちらとしてはこれ以上堅気の衆に迷惑をかけるのは忍びないと……」
ネイルは冷汗三斗といった様子で、おどおどと停戦の意を伝えてきた。
要するに抗争を手打ちにし、これ以上お互いの縄張りに手を出すのは止めよう、ということであった。
その他に条件などは一切提示されていない。
「へえ、こりゃまたずいぶんとそっちに都合の良い話だよなあ」
話が終わったところで、レミーが乾いた笑いを洩らした。
幹部たちもそれに同調し、ネイルにきつい罵声を浴びせる。
(そりゃそうだ、こんなバカな話に乗るわけがねえよ)
ヒースも同感だった。
最初に元締に対して反旗を翻したのは、エブロたちの方だ。
それに対する謝罪は一切無く、力ずくで奪った縄張りを返そうという意思ももちろん無い。
さらに言えば、抗争を手打ちにするのであれば仲介役を立て、しかるべき『儀式』を双方の頭領同士で行うのがこの世界の通例だ。
それも無しに、ただ戦いを止めようというのである。
「ふざけたこと言ってねえで、エブロの外道をここに連れてきやがれっ!」
幹部衆が猛り立ち、それに返す言葉も無いネイルが下を向いて黙りこくる。
「皆さん、落ち着いてください」
ルカは一声で、幹部衆を沈黙させた。
その上で彼女は、ネイルを真正面からきっと見据えて言い放った。
「貴方たち、要するに時間稼ぎをしたいのでしょ?」
「……うっ、いや、そういうわけでは…」
ネイルの広い額にはびっしりと汗が浮き出ていた。
「はっ、やっぱりそういうことかよ。せこい連中だな」
「停戦の間に、新たな援軍を集めようということですね」
レミーとフローラに冷たい視線を浴びせられ、ネイルがうつむく。
ここに至って、ヒースも敵方の申し出の真意を察することができた。
「その援軍はかなりの猛者でしょうね。何しろ、この状況でのこのことやってくるぐらいなのだから」
ルカの言葉で一同の間に緊張が走った。
よくよく考えてみれば当たり前のことである。
せっかく呼び寄せても、ルカやゴドーに恐れをなしてしまうような連中では意味が無い。
本当に命知らずの者か、あるいは彼女たちに匹敵するような腕利きであろう。
その正体もまだ見えぬ敵の姿に、ヒースは思わず喉を鳴らしてしまった。
結局、停戦を突っぱねられたネイルは、罵声を浴びながら帰る羽目になった。
翌日。
街で信じられない噂を耳にしたヒースは、息せき切って屋敷へと舞い戻った。
「どうしたの、ヒース」
その慌てた様子に、ルカが眉をひそめて問いかけてくる。
唾をごくりと飲み込み、報告した。
「大変だぜ、ルカ姐さん。街の噂じゃあ、昨日の時点で俺たちは停戦に合意したことになってやがるんだ!」
「何だと! それは真か!」
ゴドーが怒りを露わに詰め寄ってきた。その圧力に一瞬怯んでしまったが、
「間違いねえ、この耳で聞いたんだ。元締が停戦を受け入れて、もう争いは起きねえって話になってんだよ。一人や二人の話じゃない、街中で!」
ヒースがそこまで話したところで、ニルスたちも屋敷に戻ってきた。
彼らの報告もまた、ヒースと同様であった。
明らかに敵方の陰謀だ。
街中に根拠の無い噂を流し、拒絶したはずの停戦が妥結されたことになっている。
「なるほどね。ここでこちらから手を出せば、元締が義に背いた、という謗りを受けるというわけね……」
ルカが苦々しげに呟いた。
「やってくれるわね、敵さんも」
「どうするんだい、ルカ姐さん?」
「安心なさい。相手がそういう手で来るのなら、こっちもこっちで別の手を使うだけよ」
ウィンクして答えるルカの明るい声に、ヒースは安堵した。
(六章 災厄 に続く)