四章 双棍鬼
四章 双棍鬼
ニルスが先導し、夜の街を一行が静かに駆け抜けていく。
しかし、ヒースだけはただ一人別のルートを進んでいた。
ルカの指示で、持ち前の身の軽さを活かし、屋根伝いに目的地を目指している。
レンガ造りの屋根の上は、言うまでもなく転落の危険があり、常人ではとても駆け抜けることなど不可能だ。
わざわざこんな道を選ぶ者はいないだろう。
だが稼業柄、ヒースにとっては日頃から通いなれた道のようなものだ。
現に、石畳の上を走るルカたちと併走するように進んでいる。
数刻前、ルカとの間にこのような会話が交わされた。
「貴方の特技は何? 他の私たちにできなくて、貴方にだけできることは?」
「身が軽いことと、足が速いことかな。あと、夜目が利くこと。それに、手裏剣の腕なら自信があるぜ」
ヒースはそう言って、自分の胸を軽く叩いた。
懐には手裏剣を数十本、常に忍ばせている。
一本刺さってもそれほど深手にはならないのが難点だが、軽く投げやすいように細工を施してある。
「上出来よ。今回の戦いでは、それら全てを活かしてもらうわ。貴方の働き次第で戦局は傾くと考えてね。期待しているわよ」
ルカに軽く肩を叩かれ、若干の重圧と共に、胸が熱くなるのを感じた。
単純な人数だけであれば、敵う相手ではない。
一騎当千ともいえるルカたちであっても、真っ向から挑んでは、やはり圧倒的な『数の暴力』に、いずれは倒されてしまうだろう。
そこで、屋根の上からヒースが援護をしようというわけだ。
敵方にヒース同様に身軽な者がいない限り、彼が直接攻撃を受ける可能性は低い。
もちろん、傭兵連中は恐らくボウガンや弓も備えているだろう。
だが、この月明りしか頼りにできない状況で、正確に高所の敵を狙える技量の持ち主は、そうそういるものでもない。
そこまで見極めた上での、ルカの戦術であった。
(……あれか!)
軽やかに屋根を疾駆するヒースは、敵を発見した。
皮鎧や鎖帷子で身を包み、槍や剣を手にした男たちの後ろ姿が遠方に確認できる。
間違いなく、これから元締の本拠地を襲撃しようという傭兵たちだ。
ヒースは口笛を低く吹き、その旨を伝えた。
ルカたちが一斉に得物を抜く。
元締を攻撃しようと迫る傭兵たちを、背後から襲う形になった。
先陣を切ったのはレミーだ。
敵もさすがに戦い慣れている傭兵だけに、背後の警戒は怠っていなかったようだ。
すぐに足を止め、ルカたちを迎え撃つ態勢をとる。
わずか数名のルカたちにも、油断することのない構えだった。
だが、彼らも屋根の上に潜むヒースの存在には気づいていなかった。
(へっ、いい的だぜ)
懐から手裏剣を取り出し、素早く傭兵の一人に投げつける。
狙い通り、皮鎧で守られていない首筋に命中した。男が悲鳴をあげて倒れる。
傭兵たちの間に動揺が走った。
その一瞬を見逃すレミーではなかった。
太刀を振りかぶり、傭兵の隊列に斬り込んでいく。
そのまま、太刀を豪快に振り回しながら一気に駆け抜けた。
危険極まりない突撃ではあるが、夜間ということとヒースの援護で態勢の乱れた傭兵たちには効果的だった。
「ぐっ……ああっ、あああっ!」
真っ先に斬られた傭兵が、苦悶の表情を浮かべた。
腕を浅く斬っただけであったが、それだけで『毒蛇』にとっては十分だった。
手にしていた槍を落とし、血泡を吐きながら石畳の上を転げ回る。
その姿に、傭兵たちは瞬時にレミーの本当の『武器』とその恐ろしさを悟った。
「くっくっく……気をつけなよ、兄さんたち。俺の牙は、かすっただけであの世逝きだからな?」
傭兵の隊列を一直線に斬り抜けたレミーが、不敵な笑みを浮かべて振り返る。
レミーを追撃しようと試みた傭兵たちが二の足を踏んだ。
足を止めた瞬間にヒースの手裏剣がすかさず飛んでくる。
混乱した傭兵たちに、さらにフローラとルカが襲いかかった。
「我はフローラ・ベックフォード! 信義を軽んじる不貞の輩よ、死を覚悟せい!」
「我は『白銀の戦乙女』ルカ・マイヤーズ! 死に急ぎたくなければ道を開けろ!」
二人の凛とした声が、傭兵たちを絶望の淵に追いやった。
どちらも裏の世界では知られた名だ。
猛毒を得物とする剣士に、視界の外から手裏剣に狙われているという恐怖、そして一騎当千と称される侠客が二人。
傭兵は騎士や修道士とは違う。彼らが重んじるのは金と己の命だ。
誰からともなく、傭兵たちは四散してルカたちに道を譲った。
二人は一合も交えることなく駆け抜けていく。
戦意を喪失した敵を討つことは容易であったが、今はそれよりも元締たちを救出に向かうのが先決だった。
ヒースも屋根を蹴り、真っ直ぐに元締の本拠へと駆け出した。
屋根伝いに進んでいたヒースの前方に、大きな屋敷が見えた。
石畳の上に軽やかに飛び降り、レミーたちを先導する。
激しい怒号と、金属の打ち合う音が辺りに響き渡っていた。
大きな屋敷の門が目に入る。
無数の松明の灯りが揺らいでいた。
そこでは元締配下の若い衆が、門に押し寄せる傭兵相手に必死の防戦中であった。
小柄だが、一目で只者ではないと分かる老人が、門を守る若い衆の背後に仁王立ちしている。
自らも抜き身の長剣を握り締め、叱咤激励していた。
その傍らにはアマルの姿もあった。おそらくこの老人が元締だろう。
若い衆は果敢に戦っていたが、次々に襲いかかる傭兵たちの圧力に抗しきれず、一人また一人と倒れていく。
ヒースが口笛を吹くと、それを合図にレミーが雄叫びをあげた。
「援軍だ! てめえら、死にてえ奴だけ前に出ろ!」
太刀を上段に構え、傭兵の集団に突き進む。フローラとルカもそれに従った。
「元締! 遅ればせながら『白銀の戦乙女』ルカ、ただいま参上仕りました!」
ルカが一際大きな声で名乗りを上げる。
その場に居合わせた者たちが、一斉にどよめいた。
ただの援軍ではない。
いかなる劣勢からでも逆転を可能にすると言われる、武侠界の生ける伝説だ。
味方にすれば誰よりも頼もしく、敵に回せば何よりも恐ろしい。
「俺たちには戦乙女がついている! 野郎ども、この悪党どもを押し返せ!」
元締の大喝に、若い衆が奮い立った。
その頃には、すでにレミーの毒刀が傭兵を何人も斬り倒していた。
悶絶し、のたうつ味方の姿を目の当たりにし、傭兵たちが一気に後退する。
この場において、人数の差は問題ではなかった。
単なる戦力差で考えれば、まだ圧倒的に傭兵たちの方が有利だ。
だが、優勢な側はただ勝つだけではなく「生き残りたい」という願望が強くなる。
傭兵であれば尚更だ。
戦いに勝てたとしても、己が死んでしまっては意味がない。
それに比べ、すでに劣勢で死を覚悟している者は強い。
ましてや、援軍はその名も高き『白銀の戦乙女』である。
今まで追い詰められていた鬱憤を晴らすように、怒涛の勢いで攻めかかった。
しかし、当のルカ本人は極めて冷静であった。
「ヒース! 裏手の様子を見て!」
その指示に頷き、ヒースは石畳を蹴って屋敷の高い塀を乗り越えた。
芝生が敷かれた庭を全速で駆けていく。
レンガ造りの荘重な屋敷の裏から、無数の怒号が聞こえてきた。
(くそっ、どうする!?)
ルカに報告をするために戻るか否か、一瞬だけ迷った。
だが、敵の数も確認しないまま戻っても意味がない。
少勢であればヒース一人でも何とかできるだろう。意を決し、裏手に回り込んだ。
(くっ!)
裏門は二十名ほどの傭兵に襲われていた。
対する元締側は、白い鉢巻を締めた若い男を中心に、五人ほどで応戦している。
後ろには、うめき声をあげて倒れている者が数名いた。
明らかに押されている状況であった。
「援軍だ! 『白銀の戦乙女』が援軍に駆けつけたぞ!」
ヒースは喉が枯れんばかりの大声を発しつつ、先頭で戦う傭兵に手裏剣を投げた。
「おお! 援軍か!」
若い男が長剣を振るいつつ応えた。
凛凛しい風貌の若者で、年の頃はヒースと同じくらいだろうか。
荒くれ者を率いる、白皙の美男子といった風情だ。
(ルカ姐さんに報告する余裕はねえな。それに俺が戻らなければ、きっと姐さんは気づいてくれるはずだ!)
ルカを信じる気持ちと共に、この青年を死なせたくないという気持ちがヒースを突き動かした。
だが、裏手に攻めかかった傭兵たちは表門の連中とは違っていた。
「怯むんじゃねえ! こんなケツの青いガキンチョどもに舐められてたまるか!」
傭兵部隊のリーダーらしき年配の男が、怒声を浴びせた。
傭兵たちがそれに応え、気炎を上げる。
覚悟を決め、ヒースは奥歯をギリリと噛み締めた。
腰に差した小剣を抜き放ち、長剣の若者の隣に並ぶ。
「援軍かたじけない。私は……」
「挨拶は後だぜ、兄さん。まずはこいつらを追い払わねえとな」
若者が頷き、長剣を中段に構えた。
じりじりと傭兵たちが間合いを詰めてくる。
(俺が突っ込んで、掻き回すしかないか)
身軽さ、俊敏さには自信がある。ここに居る誰にも負けないだろう。
だが、少しでも足を止めてしまったら、確実に餌食にされてしまう。
それでも、やるしかない。
ゆっくりと長く息を吐いた。心の動揺を鎮め、肩の力を抜く。
「いくぞっ!」
ヒースは自らに気合を入れた。それに呼応して傭兵たちが身を低くする。
異変が起きたのは、その直後だった。
重く硬い鈍器が骨肉を砕く音が、傭兵たちの背後から聴こえてきた。
その不吉極まりない音に、百戦錬磨の傭兵たちが一斉に振り返る。
ヒースたちにとっては、またとない好機であった。
だが、若い彼らもまた事態を把握できずに立ち尽くしてしまった。
後方に控えていた傭兵の一人が殺されていた。
いや、正確に表現するならばその男は『潰されて』いた。
四肢こそ生前そのままの姿を留めていたが、頭部は想像を絶する強い力で上から押し潰され、原形が全く残っていない。
頭の代わりに、男の胴の上には黒い鉄棍が乗せられていた。
その太く長大な鉄棍の表面には無数の鋲が打たれ、無慈悲な鈍い光を放っている。
あまりに凄絶な死にざまに、死体は見慣れているはずの傭兵たちも思わず息を呑んだ。
経験の浅いヒースは、我知らず膝頭が震えるのを抑えることができない。
鉄棍が、ゆっくりと振り上げられる。
かつて頭があったはずのその場所から血潮が飛び、湯気が立ち昇った。
そこで初めて、ヒースの目に鉄棍の主の姿が映った。
巨大な『鬼』が、宵闇の中に佇んでいた。
背丈は軽く二メートルは越えているだろう。
横幅は大の男二人分の広さだ。
鎖帷子を着込み、その上から黒の外套を羽織っている。
肩の後ろまで伸ばした黒髪は、生え際が著しく後退していた。
年齢は三十代後半から四十代といったところであろうか。
浅黒く張りのある肌をしている。
一重の眼が、鋭い殺気を周囲に放っていた。
そしてその額の中心には、螺旋状をした銀色の角が生えている。
長さにして五センチ程しかなかったが、それはこの大男が『鬼族』の一員であることの証であった。
かつては辺境で細々と集落を形成していたという鬼族であったが、大陸が現在の帝国によって統一されて以後、徐々に他種族と交わるようになったとされている。
ヒースが鬼族の者と相見えるのは、これが初めてのことだった。
(これが鬼、か……)
尋常な重量ではないであろう鉄棍を、その鬼は軽々と片手で扱っていた。
しかももう一方の手には、全く同じ鉄棍が握られている。
常人の膂力ではとうてい不可能な芸当だ。一本を両手で抱えるだけでも精一杯だろう。
「ま、まさか双棍鬼……っ!」
傭兵の誰かが、悲鳴に近い叫びをあげた。
鬼はまるで意に介さない態度で、両手の鉄棍をゆっくりと振り上げる。
そして、切り出された丸太の如き双腕を振るった。
振り上げた時の動きとは別人のような、素早く鋭い一撃だった。
悲鳴をあげることすらできぬまま、後方に控えていた若い傭兵二人の身体が真横に文字通り飛んでいった。
そのまま、冷たい石畳の上に力なく落下する。
確認するまでもなく、二人とも頭部を砕かれて即死していた。
(おいおいおい、伝説の『双棍鬼』じゃねえかよ! こいつはやべえっ!)
総身の毛が逆立ち、口の中がカラカラに渇くほどの恐怖にヒースは囚われていた。
双棍鬼・ゴドーといえば、裏社会では知らぬ者はいない大物だ。
彼は用心棒の結社『双鬼會』の長である。
彼が護る隊商を襲い、返り討ちにあった者は数知れず。
山賊・野盗・盗賊の間では、名を出すことすら憚れるほどに恐れられている存在であった。
あまりにもその勇名が知れ渡っているため、行商人や商家の間では彼の名を冠した『双棍鬼札』なる木札を御守として携帯したり、店先に飾ったりしているほどだ。
盗人稼業のヒースにとっては、天敵中の天敵のような存在だった。
「おお、ゴドー殿! 助太刀感謝いたす!」
白鉢巻の青年の歓喜に満ちた叫びで、ヒースは我に返った。
青年のよく通る声に気づいた鬼が、唇にふっと笑みを浮かべる。
それだけで見る者を安心させるような、頼もしい微笑だった。
だが、敵対している傭兵たちにしてみればまさに『悪鬼』の笑みであった。
恐慌をきたした彼らに向けて、鬼が次々に容赦のない一撃を加えていく。
その一振りで確実に一人の命が奪われていく、まさに海内無双の戦いぶりだった。
「散れ!」
リーダー格の男が命じるまでもなく、傭兵たちは各々がバラバラにこの修羅場から逃走を試みていた。
勝てる、勝てないという次元の相手ではないことを本能で悟ったのだろう。
逃げ出す傭兵たちにも情け容赦なく鉄棍が振り下ろされたが、それはもはや戦闘ではなく一方的な殺戮であった。
結局、かろうじて生き延びられたのはリーダーを含む数名ほどで、他の傭兵たちは見るも無惨な屍を晒すことになった。
周囲から敵の気配が完全に消えたことを察したゴドーが、
「久方ぶりだな、アントワン。しばらく見ぬ間に、立派な侠となったではないか」
白鉢巻の青年に楽しげに語りかけた。
つい先刻まで、悪鬼の如き戦働きをしたとは思えない、余裕に満ちた表情だった。
激しく暴れまわったにも関わらず、息一つ切らせていない。
「ご無沙汰しております、ゴドー殿。相変わらず、戦神もかくやという見事な武者振りでございますな」
拱手して答えるアントワン青年に、双棍鬼が苦笑を浮かべた。
「ふん、あの坊やが一人前に世辞まで言うようになったか。で、お前は何者だ?」
鬼の鋭い眼が向けられ、ヒースは動揺した。
彼にとって不倶戴天の敵ともいえる盗人稼業と知ったら、いったいどうなることだろうか。
一瞬、この場ははぐらかして切り抜けようと算段しかけたが、偉観を誇るゴドーの体躯と、修羅場を数多く踏んできたであろう双眸の光がそれを許さなかった。
嘘をつけば躊躇無く殺されると察し、覚悟を決めた。
「俺は猟豹のヒース。義賊です」
「ほう、名は聞いたことがあるぞ、小僧。して、お前はなぜここに居るのだ?」
一瞬、ゴドーの身体から怖い気配が漂ったように感じられた。
間近で見るその巨躯に圧倒され、足がすくんでしまう。
「今はルカ姐さん……その、『白銀の戦乙女』ルカに従って、元締の助太刀に馳せ参じたところです」
ルカの名を聞いたゴドーは相好を崩した。
「ほう、ルカが来ているのか。ならば安心だな。よし、小僧。案内せい」
少なくとも、今この場で殺されるような心配はないようだ。
胸を撫で下ろし、ゴドーと共に表門へと向かった。
ゴドーはその体躯とは裏腹に、想像を越えるほど俊敏だった。
屋敷の庭を走るヒースの背後に、ぴったりと尾けてきている。
もちろん、軽功に絶対の自信がある自分が本気で駆ければ、追いつかれることはないだろう。
だが、並の盗人であれば捕えられてしまうのは必定だ。
(なるほどね、そりゃあ俺らの天敵ってわけだ)
意外な俊足に舌を巻くと同時に、今度に限って味方であることを心から感謝した。
「小僧、お前は運が良いな」
「え?」
「俺がどんな男かは知っているだろう。ルカの仲間でなければ、この場で殺すか引っ捕えていたところだぞ」
「……」
腹の底を見透かされてしまい、何とも言葉の返しようがない。
「ふふ、まあそう怯えるな。朋友であるルカの仲間に手を下したりはせん。しかしあやつ、顔が広いにも程があるな。会うたびにわけのわからない奴を連れてきよる」
(いや、俺からしたら鬼族が友達ってことの方がビックリだよ)
軽口を叩きたいところだったが、こちらが叩き殺されかねないので自重した。
「……ほう、随分と盛り上がってるな、表門は。血が騒ぐわい」
刃と刃の打ち合う音と、男たちの怒声が近づいてくる。
背後で、ゴドーの気が膨らむのをヒースは感じ取った。
「『双棍鬼』ゴドー、助太刀に参ったぞ!」
地の底から響き渡るような大喝が、周囲の空気を震わせる。
思わず足を止めてしまったヒースを追い抜き、正門からゴドーが黒い獣のように飛び出した。
慌てて後を追う。
正門前は、新たな援軍の登場に沸く声と、絶望を孕んだ悲鳴が交錯していた。
レニーとフローラが前面で戦い、ルカが若い衆と共に元締を囲んでいた。
辺りには、傭兵たちの死体が重なるようにして倒れている。
だが、依然として頭数では傭兵たちの方が遥かに勝っていて、士気もそれほど衰えてはいない。
たとえルカのような手馴れが現れても、それだけでは戦いは決しないということを傭兵たちも判っているのだ。
そんな戦況を、双棍鬼が引っ繰り返そうとしていた。
雄叫びを上げ、両手に持った二本の鉄棍を振り回しながら敵勢に向かって突き進んでいく。
圧倒的な突破力だった。
その鉄棍の一撃は、盾や鎧、手にした得物で防げるような一撃ではない。
一振りで鎧ごと肉を潰し、骨まで砕かれる。
決壊した堤防から溢れ出る濁流の如き勢いに、傭兵の陣はみるみるうちに切り裂かれていった。
「今だ、双棍鬼に続けっ!」
これを好機と判断したルカが、凛とした声で一同に指示を下した。
レニーとフローラが素早く反応し、算を乱した傭兵たちに斬りかかる。
さらにルカと元締が、勢いに乗る若い衆を率いて突撃した。
ヒースはルカの元に駆け寄った。
「裏門はゴドーさんのおかげで守りきったぜ、ルカ姐さん」
「ご苦労! それにしても予期せぬ援軍だったわ、あの『双棍鬼』が参戦してくれるなんてね」
ヒースの報告に、ルカが会心の笑みを浮かべた。
「え? 俺はてっきり、姐さんが呼んだのかと思ったよ」
「そうね、本当なら真っ先に声をかけたいところだったけれど、最近は北方に出向いているという話だったから諦めていたの。寸善尺魔が世の習いとはいえ、こういう好事も時にはあるのが戦いってものよね」
「朋友、って言っていたよ、姐さんのこと」
「ふふ、そうねぇ。長い付き合いというか腐れ縁というか……。お互いに命の貸し借りをしてきた間柄よ」
知略に長けた戦乙女と、古今無双の双棍鬼。想像するだに恐ろしい組み合わせだ。
敵に回したら、それこそ逃げるのが最良の選択であろう。
「長い付き合い、ねえ……」
それにしてもルカは、一体何歳なのだろうか。
見た目は二十代前半であるが、その経歴を考えるともっと年上と考えてもおかしくはない。
(まあ、それを聞くのも野暮というか……普通に怒られそうだな)
「そうよ。あ、ちなみに盗賊避けのお守りで『双棍鬼札』ってあるでしょ? あれ考えたの、実は私なのよ、フフフ」
「そ、そうだったんだ……」
盗人稼業の身の上としては、何て余計なことをしてくれたのだというところだが、そういうアイデアはいかにもルカらしい、とも思えた。
ゴドーが死体の山を築きながら道を切り拓き、レニーとフローラが残った敵を次々に仕留めていった。
ヒースたちは、鬨の声を上げながら進むだけで十分だった。
完全に戦意を喪失した傭兵たちは、立て直すことができぬまま潰走していった。
「貴殿らのご助力、誠にかたじけない。不肖マグナス、貴殿らのご厚誼に報いる術もござらん……」
「ああ、マグナス親分。堅い話は抜きにしましょうよ」
背筋をピンと伸ばして屹立したまま、深刻な面持ちで拱手する元締の姿に、ルカが苦笑してかぶりを振った。
傭兵たちを追い払った一同は、見張りを残して屋敷へと戻っていた。
若い衆は怪我人の治療や武具の手入れ、ルカたちを迎える部屋の準備などで大わらわの様子だ。
大きな屋敷であったが、使用人などは置かず全て若い衆が行っているらしい。
病死した奥方が、かつては切り盛りしていたのだという。
戦いの熱も覚めやらぬまま、応接間へ通された。
そこも質素な作りの家具が整然と並べられているだけなのは、主である元締の性分というものかもしれない。
「かつて親分に受けた御恩、生涯忘れることはないでしょう。此度はその返しても返しきれぬ御恩に報いようというだけのこと。お気遣いは無用にございます」
拱手して返すルカの眼には、一点の曇りも無かった。
「私はお姉さまに何度もこの命を救われました。命の借りは命で返すのが、侠の世の掟。浅才にして若輩の身なれど、この戦いに尽力させていただきます」
フローラがルカに続き、前に一歩進み出て拱手する。
「親父殿、あんたは俺の朋友だ。何があろうと友の危難には手を差し伸べる。それがこのゴドーの生き方。水臭い話はするなよ」
ゴドーの言葉に元締が深々と頷いた。その眼の端には光るものが浮いている。
一方、ヒースはこの場において、少し困っていた。
自分の場合、義侠心に駆られて、という動機ももちろんあるが、それ以上に「ルカと共に戦いたい」という気持ちの方が強かったのは事実だ。
だが、それを当のルカの前で言うのが、少々気恥ずかしい。
それに、ルカたちのようにすらすらと口上を述べる自信もなかった。
しかし、
「いやあ、俺はたいした理由があって来たわけじゃなくってね、ま、その、ルカ姐さんとかフローラちゃんみたいな別嬪と一緒なのは楽しいなー、なんてね」
レニーの脳天気そのものの口調に、一同が呆気にとられる。
少ししてルカが楽しそうに腹を抱え、ゴドーが苦笑しつつ肩をすくめた。
元締たちもつられて笑い出す。
ただ一人、フローラだけは軽蔑しきった眼を向けていた。
「あれ、どうしたんだよ、フローラちゃん」
「私に構うな、話しかけるな、顔を見るな」
「いやいや、怒った顔も可愛いなあ、フローラちゃんは」
「もうお前は帰れ! もしくはさっさと死ね!」
レミーの讃美に、フローラが顔を紅潮させて怒鳴りつける。
その様子を見て、ルカがさらに大きく口を開けて笑い出した。
おかげで、ヒースはすっかり肩の力が抜けてしまった。
「俺は、正直に言うとルカ姐さんについてきたってだけなんです。ケチな盗人ですが、少しでも力になりたいと思っています。どうか、よろしくお見知りおきを」
緊張の解けた空気の中で、ヒースは元締に挨拶した。
シワが深く刻まれた、歴戦の侠客を思わせる元締が笑顔で応える。
こうして、開戦の夜は静かに更けていった。
(五章 虚々実々 に続く)
レミー「……もうさ、このおっさんだけでいいんじゃないかな」