三章 奇襲
三章 奇襲
リカオールの街の路面の大半は、石畳が敷き詰められている。
地方によっては、気候や風土の関係で土が剥き出しの街もあるが、そこはやはり大陸南方でも比較的発展した街ということだろう。
ヒースたちは慎重な足取りで目的地に向かっていた。
辺りはすっかり暗くなっていて、繁華街から離れているだけに通りを行く人影もまばらだ。
目立たないように各々が距離をとりつつ、気配を殺して歩いていく。
それほど修羅場慣れしていないヒースは、正直なところかなり緊張していたが、動揺を外に洩らさないように努めた。
ちらりと後ろを振り返ると、最後尾のレミーはまるで緊張感のない表情でぶらりぶらりとついてきている。
すぐ前を歩くフローラも、表情こそ見ることはできないが、肩から力が抜け、散歩でもしているかのような姿勢だ。
(くそっ、俺だけかよ。こんなにビビッてやがるのは……)
経験が浅いのは仕方ない、とルカは言った。誰でも最初はそんなものだ、とも。
だが、百戦錬磨の強者揃いの中で、やはり自分に引け目を感じてしまうのも事実だった。
うっかりすると、恐怖で足が震えてしまいそうになる。
戦いは初めてではない。
盗賊同士の争いで剣を振るい、人を殺したこともある。
死ぬのが怖い、というわけではなかった。
それよりも、自分がヘマをして周りに迷惑をかけてしまうのではないか、自分は本当にやり遂げることができるのか、ということの方が怖かった。
「よっ、どうしたい? 固くなっちまって」
不意に肩に手をかけられ、危うく大声を出してしまうところだった。
いつの間にか追いついていたレミーが、へらへらとした顔をヒースに向けている。
元が目尻の下がった顔立ちだけに、本当にふざけているのかと思ってしまう緩みっぷりであった。
「……脅かすなよ、レミー兄さん。遊びに行くんじゃねえんだぜ」
囁くような声で叱りつけたが、悪びれる様子もなく、
「へへ、まあそうカリカリしなさんなって。遊びじゃねえなんてこと、俺だって言われなくても百も承知さ。だからって、何も始終おっかねえ顔するこたねえだろが。それとも何か、怖い顔すりゃあ相手が勝手に逃げてくれるとでもいうのかい?」
肩に手を回し、耳元で軽口を叩いてきた。
ヒースには返す言葉も無かった。言われてみればその通りだ。
「信じられねえかもしれねえけどよ、俺だって今は緊張してるんだぜ?」
「はあ? 兄さん、悪いけど全然そうは見えないぜ?」
さすがに呆れ顔で返すが、
「いやいや、ホントホント。胸もバクバクしてやがるぜ? 触ってみるか?」
「ちょ、よせよ、気色悪い!」
本気で嫌がると、レミーが笑いを噛み殺したような表情を浮かべた。
「くっくっ、少しは気持ちが軽くなったかい?」
「はあ?」
そこで初めてレミーの意図に気がついた。
傍目からも明らかに緊張しているヒースの気持ちを和らげよう、としたのだろう。
「……ありがとよ、レミー兄さん」
「へへ、まあ気楽にやろうぜ、ヒース。……ところでお前さあ、ルカ姐とフローラのお嬢ちゃんだったら、どっちが好みだい?」
「はああ?」
あまりに予想外の問いに呆れ顔になると、
「いや、確かにルカ姐はおっぱいもでかいし好いケツもしてるし腰もキュッと締まって最高だけどよ、フローラも顔は可愛いし細いし好い匂いがするし……な?」
「な、何くだらねえこと言ってんだよ!」
「くだらねえとは何だよ、男にとってはすっげえ重要なことだろうがよっ!」
二人のバカなやりとりに堪りかねたか、フローラが足を止めて振り返った。
「……最低」
うっとうしく飛び回る羽虫を見るかのようなその目に、男二人は思わず沈黙してしまった。
「あらら、行っちまったよ。何だか嫌われてるよなあ、俺たち」
「いや、俺は嫌われてねえよ! ……多分だけど」
「へへっ、まあどっちでもいいや。ところでお前さ、何でまたルカ姐さんとつるんでるんだよ?」
(本当に緊張感のねえ兄さんだなぁ……)
度胸が据わっているのか、ただ単に軽薄なだけなのか計りかねつつも、ヒースは彼女との経緯をざっくりと話した。
「へへえ……盗みに入った先で出くわすなんて、面白い偶然もあるもんだな」
「兄さんはどうして姐さんと知り合ったんだい?」
まだ目的地に着くまでは余裕があったので、ヒースも尋ねてみた。
戦地に向かう緊張感を少しでも和らげたいという気持ちもあったが、何よりこのレニーという賞金稼ぎに、人の口を軽くする不思議な魅力があるのも事実だった。
「俺かい? へへっ、前もちょっと話したけどよ、ルカ姐さんには義理があるんだ。それも、返しても返しきれないような、大きな義理がな」
「命を救われた、とかかい?」
「ああ、そうよ。俺もお前と同じように貧民窟の出でな。男はヤクザ者、女は娼婦になる以外、生きてく道がなかったようなもんだったのさ」
しかしレニーはその道を選ばなかった。まだ幼い頃、弟を土地のヤクザに殺されたことから、彼らを憎んでいたのだという。
「その糞野郎をブッ殺して、弟の復讐をすること……それだけをずっと考えて生きていたんだよ、あの頃の俺は。で、身体もでかくなって刀も自己流だが使えるようになってから、そいつをぶった斬ってやったんだ」
当然ながらレニーは、それによって逆にヤクザたちの標的になってしまった。
そして多勢に無勢、追い詰められて万事休すというところでルカに命を救われたのだという。
「しかし俺もその頃はひねたガキンチョでね、余計なことすんな、俺は命なんざいらねえんだって、ルカ姐さんに反抗したんだよ」
「ふうん、まあ何となく想像がつくなぁ。で、どうなったんだい?」
「ルカ姐さんにボッコボッコにされたよ。もうな、俺の身柄を引き渡せって取り巻いてたヤクザどもすらドン引きしちまうくらいにね」
それはヒースにはにわかに想像しがたい光景だった。
「でもってよ、貴方みたいな奴は斬り捨てるって言って、もう動くどころか口もろくに利けなくなった俺を引きずっていっちまったってわけさ。呆気にとられたヤクザどもを尻目にね」
そこでようやく、ヒースもその時の彼女の意図に気がついた。
「ヤクザどもも俺に報復したいのは山々だが、あのルカ姐さんが本気でブチギレてるとあっちゃあ、容易に手が出せねえ。さすが姐さんってところだね。ま、その時の俺は本当にそのまま殺されると思い込んでいたけどよ」
「なるほどね、それで命の恩人ってわけか」
「ああ。ま、それで素直に感謝するような俺じゃなかったんだけどな。それからしばらくルカ姐さんの……なんていうのかな、子分みたいな感じで色んな所を連れ回されたんだよ」
「今の俺、みたいな感じか……」
「ん、まぁそうだな。それで、俺も初めて気がついたんだよ。今までてめえが生きていた世界のちっぽけさと、てめえの馬鹿さと無力さにね」
レニーが一瞬、遠い目をした。普段の軽薄さとは程遠い真摯な表情であった。
「ちっぽけでクソみたいな貧民窟じゃねえ、このだだっ広くて面白い世界で、もっともっと生きてみてえって思ったんだ。それでまあ、ひねたクソガキが一念発起して、西に東に旅する凄腕の賞金稼ぎ、『毒蛇』のレミー樣と相成ったわけさ」
しばらく進むうちに、目指す拠点の一つが間近になった。
ニルスが足を止め、狭い裏路地にすっと入る。
続けてルカが、そして三人がそれに従った。
辺りは小さな茶店や鍵職人の店、鍛冶屋などが雑然と並んでいる。
「この先に狭い酒場があるんですが、夜はそこに三、四人若い衆が詰めています。元締の屋敷からは遠いので、腕の立つ連中は置いていないようですね」
ニルスの説明を聞き、レミーがにやりと笑った。
「それならルカ姐、俺一人でやらせてくれねえか? 連中の胆を冷やすには、圧倒的な力の差ってもんを見せつけてやった方がいいんじゃねえかな」
ルカは少考した後、
「いいわ、レミー。貴方に任せます。ただし、一人も逃さないことと、堅気の人間は決して傷つけないようにね。もちろん、私たちが逃げ道は押さえておくけれど」
「へへ、合点承知だぜ!」
レミーが嬉しそうに、背中に負った太刀の鞘を払った。
月明りに照らされた刀身が、銀色の大蛇のような鈍い光を放つ。
レミーとは対照的に、フローラは出番を奪われて不満そうにそっぽを向いた。
頬を少し膨らませ唇を尖らせた顔も綺麗だな、とヒースは思った。
「私とフローラが裏口を押さえるわ。ヒース、貴方は後ろでレミーの戦い方を見ていなさいね」
「見ているだけでいいのかい?」
「そうよ。これから長い戦いになるわ。有利に戦況を動かしていくには、私たちはお互いの戦い方、呼吸を知る必要があるの。だから、気を抜かないでね」
「分かった」
それぞれが優れた能力を持っているとはいえ、自分たちは所詮、急造のチームに過ぎない。
フローラなどは、あからさまにレミーを敵対視しているほどだ。
ルカが指揮を取るとはいえ、一人ひとりの力を最大限に引き出し、それをチームの『力』とするには相互の協力が必要になる。
協力し合うには、相手に対する信頼と知識が不可欠、とルカは言っているのだ。
「よく見てなよ、ヒース。賞金稼ぎ『毒蛇』レミー様のお手並みをよ」
懐から朱色のバンダナを取り出し、それで鼻から下を覆い隠したレミーが軽くウィンクすると、路地から通りへと滑るように走り出した。
ヒースは一瞬間をおいて、その後を追う。
ニルスの言っていた通り、本当に狭い穴蔵のような酒場だった。
看板もかかっていなければ、窓も無い。
背を少し屈めないと入れないような戸口を挟むようにして、派手な身なりの男二人が雑談をしていた。
腰にそれぞれ剣を差している、いかにもゴロツキといった感じの若い二人だ。
太刀を肩に担ぐように構えたレミーが、一気に間合いを詰める。
男の一人がそれに気付いたが、腰の剣を抜く余裕は与えられなかった。
太刀が振り下ろされ、右側の男の肩口から一気に斬り下げる。
悲鳴を上げて倒れた次の瞬間には、もう一人の男が下段から斜めに斬られていた。
(凄え……)
ほんの一瞬のうちに、太刀が二人の男の命を奪っていた。
息つく間もなく、構え直したレミーが木製の粗末な戸を蹴り破る。
「誰だ!」
怒声が中から聞こえてきた。
レミーの背中に隠れて中の様子は窺えなかったが、危険を察した連中は、すでに得物を抜いて待ち構えているようだ。
レミーが躊躇い無く中に躍り込んだ。
中段の構えで踏み込み、構えていた禿頭の男に突きを入れる。
狭い室内で避けることもできず、男はそのまま胸を深々と刺し貫かれた。
絶命した男の身体を右足で蹴り、太刀を引き抜く。
他に酒場にいたのは、マスターらしい男と客が四、五名。
三日月刀を手にした一人以外は、全員が床に突っ伏すようにして怯えていた。
レミーが再び中段に構え、三日月刀の男と正対した。
似合わない髭をたくわえた若い男だった。ヒースよりも一つ二つ上くらいだろう。
男は、歯の根が合わないほど震えていた。
刀の切っ先も、離れていてもはっきりと分かるほど揺ら揺らとしている。
一瞬だけ、ヒースはこの男に同情した。
太刀が鋭い弧を描き、男の右腕が三日月刀を握ったまま床にどっと落とされた。
血しぶきが激しく舞い上がり、男が自分の右腕を失ったことに気づいた時には、太刀が喉笛を貫いていた。
鮮やかな手並みで四人を屠ったレミーは、踵を返して酒場から出ると顔色一つ変えず、ルカたちの待つ裏口に向かった。慌ててヒースもその後を追う。
「一番槍ご苦労様、レミー。さ、次に行くわよ」
ルカが声をかけると、レミーが片手を軽く上げて応じた。
フローラは一言も喋らず、相変わらずの仏頂面だ。
騒動に気付いた周囲の人々と、客たちの間で大声が飛び交っていた。
喧騒をよそに、ルカたちは次の目的地へと向かって走り出した。
「レミー、追っ手に注意して。ただし、見かけても殺す必要はないからね」
「了解」
一行は人通りの少ない、裏道を駆けていく。
先程とは違い、お互いの距離を開けずに一団となって走っていた。
ヒースからすれば全速力とはまだ言えないが、並みの人間ではついていけない速度だ。
これを追ってこられるのは、軽功にかなり長けた者だけであろう。
先頭を行くニルスが足を止めた。一行も立ち止まり、周囲の気配を窺う。
「フローラ、頼んだわよ」
「はい、お姉さま。お任せください」
かなりの速度で走ったにも関わらず、フローラは息一つ乱していなかった。
涼やかな目元には余裕すら漂っている。
一行は裏路地の一角に身を潜めた。
話によれば、ここは行商人や職人などの居住区ということであった。
朝の早い者も多いからか、すでに灯りを消して眠りについている家も多かった。
ニルスが通りの数軒先に在る小さな家を指差した。
「あそこで小さな賭場が立っています。客はここらの職人などですね。見張りに二人、中に三人はいるはずです」
フローラがすっと立ち上がり、
「分かりました。それでは行って参ります」
「レミーは裏口を押さえて。ヒース、貴方はさっきと同じようにね」
ルカが手短に指示を出す。
レミーが裏路地の闇に溶けこむように消えた。
ヒースは、堂々とした足取りでポニーテールを揺らすフローラの真後ろについた。
見張りに立っていたのは、皮鎧を着た若い男と壮年の男の二人組だった。
猥談にでも興じているのか、顔を見合わせて下卑た笑い声をあげている。
真横から近づいているフローラには全く気付いていない様子だった。
見張りとしての役割を果たしていない。
すでに勝勢ということと、元締たちの拠点から離れた場所ということで気が緩んでいるということだろうか。
いずれにせよ、奇襲を受けたという連絡が入っていないことは明白だった。
フローラは歩く速度も歩幅も一定のまま、まるで二人など眼に入っていないかのように無造作に近づいていく。
盗賊稼業のヒースは、忍び足ならもちろんお手の物だ。背後を、気配を殺しながらついていく。
(そろそろ間合いか……?)
そう思った瞬間、フローラが石畳を蹴って跳躍した。
低い姿勢で踏み込みつつ、腰に差した細剣を抜く。
磨き抜かれた銀色の刃が煌き、手前に立っていた若い男の首筋を深々と裂いた。
すぐさま手首を返し、何が起きたか把握できていない壮年男の首を横から薙ぎ払う。
二人が、口をぱくぱくとさせて同時に膝を突き、そのまま崩れ落ちた。
細剣の血を拭いもせず、フローラが戸口に手をかけた。
わずかに隙間を開けると、猫のように素早く中に滑り込む。
足音に気を遣いながらその後を追った。
すぐに男の悲鳴と、ドスンと倒れこむ男が聞こえてくる。
狭い玄関があり、すぐ隣の部屋でサイコロ賭場が行われていたようだ。
複数の男たちの怒号と悲鳴が飛び交う。
上半身裸の男が床の上に倒れ、末期の痙攣をしていた。やはり一撃で倒されたのだろう。
突如現れた刺客の前に、男たちが右往左往している。
その中で、二人の男が仁王立ちになり、鋭い視線をフローラに向けていた。
一人は若い男で、やはり上半身裸だった。肩から腹にかけて蛇の入れ墨が彫られている。
得物は黒皮を巻きつけた棍棒だ。
もう一人は顔に無数の傷がある中年男で、肥えた身体をゆったりとした上衣で包んでいる。
こちらは湾曲した大ぶりのナイフが得物だ。
(さあて、フローラ姐さん、どう捌く?)
目の前の敵は、今までの連中よりも遥かに場慣れしている。
彼女の手並みを信用しているが、万が一に備えて懐に忍ばせている手裏剣に手をやった。
蒸し暑く、むせ返りそうな汗の匂いが室内に充満していた。
フローラは下段に剣をだらりと下げ、肩の力が抜けた状態で様子を窺っている。
男たちが同時に動いた。
若い男は棍棒を振りかぶり、中年男は身体ごとぶつかるように突っ込んでくる。
悠然と構えていたフローラの右腕が、凄まじい速さで振り上げられた。
次の瞬間、若い男の腕が飛んだ。
そのまま勢い余って倒れこんでくるのを、フローラが横に動いて回避する。
しかしそこには、中年男のナイフが待ち構えていた。
思わずヒースが息を呑む。だが――。
「ぐはっ……!」
刃が彼女のしなやかな肢体を捉えたと見えた瞬間、骨の砕ける乾いた音と共に中年男が悲鳴を上げた。
フローラが半歩踏み込み、剣を持たない左の掌で男の手首を横から叩いていた。
傍目には軽い一撃のようにしか見えなかったが、それだけで中年男の手首はあらぬ方向に捻じ曲がってしまった。
(これが……内功の力か!)
内功とは、身体に流れる『気』を練りそれを活かす技だ。
これに長けていれば、膂力に劣る者でも強烈な破壊力を持った打撃を見舞うことができるという。
習得するには独自の鍛錬を長年行うことと、それ以上に素養が必要だとも言われていた。
話には聞いていたが、実物を目にするのはヒースも初めてだった。
驚愕している間に、フローラの剣は二人にトドメの一撃を見舞っている。
一瞬の出来事に呆然としていた室内の男たちは、正気に返ると我先に裏口から逃げ出そうとした。
足をもつれさせ、ぶざまに転ぶ者もいる。見る限り全員が堅気の人間のようだ。
ニルスの情報通り、ここにいた敵は三人だけだということだろう。
フローラが剣の血を拭いつつ、振り向いた。
顔の下半分を深紅の布で覆っているため、表情を窺い知ることはできない。
だが、その眼にはどこか悲哀がこめられているようにも見えた。
「長居は無用よ。さあ、行きましょう」
フローラに促され、ヒースは足早に戸口を出た。
「ありがとう、フローラ。さて、一旦隠れ家に戻るわよ」
二人は裏道でルカたちと合流した。
賭場から這いずるように出てきた連中が騒ぎ出したため、辺りの寝静まっていた家々からも何事かと問う声が聞こえてくる。
一行はニルスを先頭に、人の気配の少ない道を選びながら隠れ家へと急いだ。
ヒースはレミーと共に殿を務めたが、追尾する人影は見当たらなかった。
とりたてて何もないまま、隠れ家に無事到着した。
「みんな、ご苦労様。ニルス、大変だけどもう一仕事お願いするわ」
ルカの言葉にニルスが頷き、すぐに裏口から消えていった。
四人は板張りの床に座り、輪になった。
当然ながら灯りはつけない。わずかに開けた窓から差し込む月の光だけが頼りであった。
「みんなのおかげで奇襲は成功したわ。これで敵がどう動くか、ニルスたちには今、それを探ってもらっているの」
「へっ、敵さんは大慌てだろうな」
レミーが低い声で忍び笑いを洩らす。
フローラは顔色一つ変えずにルカを見つめていた。
「これから考えられる敵の動きとしては――そう、まず各拠点の守りを固めるでしょうね。それから、私たちの正体を探ろうと躍起になるはずよ」
「今夜は寝ずの番か。へへっ、ご苦労なことだな」
「相手が堅く守っているところに、わざわざ仕掛けにいくのは愚策。だから私たちも今夜は動かずに……と、いきたいところなんだけれどね」
ルカがそこでため息をついた。
一同が意外そうな顔で彼女を見つめる。
ヒースも、今日はてっきりこのまま休みをとるものだとばかり思っていた。
「普通に考えたら、奇襲を受けた上に敵の正体も掴めないとしたら、慎重に守りを固めて様子を窺うのが本筋よ。だけど、ここで元締の拠点、それも本拠地に一気に攻め込むという策もないわけではないわ」
ルカの言葉に、レミーが低く唸った。フローラも険しい表情を浮かべる。
「どういうことだよ? だって、相手が援軍を呼んで、しかもそれがどの程度かも把握できてないってのに……」
ヒースにはルカの言葉の真意が掴めなかった。
「だからこそ、よ」
「えっ?」
「把握できていないといっても、大規模な援軍ではないことは一目瞭然よね? そもそも、それだけの人数が気付かれもせずに街に入って奇襲をかけるなんていうのは不可能なのだから」
「まあ、そりゃそうだよなあ」
「彼らにとって今一番問題になっているのは、私たちが今どこにいるか分からない、ということでしょ?」
「だから密偵やら何やらを使って探りを入れてくるっていうんだろ?」
「そうね。でも、そんなまどろっこしい手段をとらなくても、私たちを燻り出す簡単な方法が一つあるでしょう?」
そこまで説明されて、ようやくヒースもルカが憂慮している問題について理解することができた。
つまり、元締の居所を直接攻撃することで援軍をおびき寄せよう、というわけだ。
「彼らの部下は奇襲を受けて動揺しているし、敵の人数も戦力も把握できていないまま仕掛けるのは確かに危険だわ。だけど、元々が圧倒的な戦力差をつけている状態なのよ。多少乱暴な作戦でも、それほど影響が出ないほどにね」
「もちろん、俺たちがそれでも動かなけりゃ、そのまま元締を殺っちまえばいいだけの話だしなあ。ルカ姐、もしあんたが敵の大将なら、その手を打つかい?」
レミーが肩をすくめて問う。
「そうね。奇襲を受けても動揺していない連中を集めて、一気に叩きにいくでしょうね。もちろん、そこで駆けつけるであろう私たちを襲う、精鋭で組んだ別働隊も用意した上でね」
「もしそうなったらどうする、ルカ姐さん」
不安を押し殺そうと努めながら問うと、ルカは快活な笑顔を見せた。
「当たり前でしょ、元締を救援に向かうわよ」
「お姉さま……」
それまで沈黙を守っていたフローラが、力強く頷いた。
「私たちは何のために来たの? 元締を助け、仁義の道を踏み外した悪辣な輩を誅するためでしょ? たとえ罠を張られようと、ここで退くわけにはいかないわ」
背筋を伸ばし堂々と語るルカの姿に、腹の内が熱くなるのを感じた。
「それに、さっきの奇襲でお互いの戦い方・呼吸も理解できたでしょ?」
ヒースは頷き、レミーとフローラの動きと得物の間合いを思い浮かべた。
そして自分が、それに対してどう援護すべきかを考える。
「勿論、気持ちだけで勝てるほど甘くはないってことも理解っているわ。勝つための策も、ちゃんと考えてある。ともあれ、あちらの出方次第……」
ルカが言葉を切り、鋭い視線を戸口に向けた。
間髪入れず、ニルスが息を切らせて飛び込んでくる。
「奴らが、動き始めました!」
その焦燥した様子は、ルカの予見が的中したことをありありと物語っていた。
ルカを除く三人が、一斉に立ち上がる。
「落ち着きなさい。まずは、報告をちゃんと聞きましょう。全てはそれからよ」
ルカは沈着冷静そのものだった。熱さと冷たさを瞬時に使い分けるその姿勢に、ヒースは舌を巻いた。
ニルスが板の間に座り、拡げられた地図の前に全員が身を乗り出す。
「奇襲の後、連中がどういう動きをしたか、順を追って説明してちょうだい」
ルカの言葉にうなずき、ニルスが一度ため息をついてから報告を始めた。
「まず連中ですが、騒動を聞きつけた近くの拠点から本拠に連絡が入ると、すぐに全体に伝令を飛ばしました」
「連絡態勢は整えているようね、予想通り」
「はい。それで連中は拠点を全てがら空きにして、全員が本拠地に集合しました」
「何だって!?」
レミーが思わず大きな声を上げたが、すぐにルカがそれを制した。
「なるほど、それは大したものね」
まるで驚いた素振りを見せないルカに、一同が目を向ける。
一様に、敵がとった行動に対する彼女の解釈を求めていた。
「つまりね、まずは全体の士気の低下を防いだというわけよ。特に戦闘経験の浅い者は、こういう場合に動揺しやすいからね」
敵の戦力は各地に分散している。
奇襲の情報が入り、次は自分たちかと動揺する者も多いだろう。
その不安を解消するため、あえて全軍を集結させたということだ。
「それに、奇襲を敢行した戦力がそれほど大人数ではないことは明白でしょ? だから、戦力を集めることでこれ以上の損耗を避けた、という意味もあるわ」
これが同時多発の奇襲であれば、彼らも躊躇したかもしれない。
だが、実際には襲撃者はほんの数名だ。
しかし放っておけば、またどこかの拠点が襲われるかもしれないし、それを警戒して夜を明かせば戦力の疲弊は避けられない。
この二つを同時に防ぐため、敵の指揮官は本拠地に全員を集めたのだ。
その説明で全員が納得したのを確かめると、ルカはニルスに続きを促した。
「それから、古参の者と若い衆を中心に本拠地を固めさせ、傭兵や流れの侠客たちで部隊を編成しました。こいつらが今、元締の本拠地に向かって進んでいます!」
レミーが低く口笛を吹く。先刻のルカが危惧していた展開そのものだった。
すなわち、奇襲者を燻り出すための本拠地攻撃だ。
もしルカたちが姿を見せなければ、そのまま元締を討ってしまうつもりだろう。
ニルスが地図の上に石ころを五つ、置いた。
彼の情報によれば、約二十人ずつ、五つの部隊が編成されて迫っているのだという。
「時間がないわね。最短の経路で元締の本拠に急行しましょう」
「途中で、必ず連中とぶつかることになりますが……」
苦々しい顔のニルスに対して、ルカは余裕の笑みすら浮かべていた。
「傭兵が二十人ずつ、ね。それなら何とかなるわ。レミー、貴方のとっておきを使ってもらうわよ」
「あいよっ! それじゃあ、五分だけ待ってくれや」
レミーがザックからいそいそと荷物を取り出した。
何の変哲もない小さな壷を、板の間に並べられていく。
それを見たフローラが露骨に嫌そうな表情になった。
何のことかと訝しがるヒースの様子を見て、
「レミーの本当の武器はね、『猛毒』なのよ」
「それで『毒蛇』ってわけか……」
ルカの説明に、ヒースは背筋が凍る思いがした。
レミーは、これまでとはうって変わった真摯な面持ちを浮かべ、刷毛で太刀の刃に軟膏のような液体を薄らと塗りつけている。
無色透明なそれは、彼が各種の薬草を調合して編み出した独自のものだという。
「解毒は不可能。傷口から入ればそれだけで致命傷になる代物よ」
このような恐ろしい猛毒を塗られた太刀を、先刻は一瞬で数名の敵を斬り伏せたレミーが操るのだ。 敵に回せば、これほど恐ろしい相手もいないだろう。
また同時に、潔癖なフローラが彼を忌み嫌う理由も納得できた。
「それとヒース。今度は貴方に頑張ってもらうわよ」
レミーの準備が終わり、いざ出立となったところで声をかけられた。
「ああ、分かってる。フローラ姐さんとレミー兄さんの援護ってことだろ?」
「それもあるけどね。今回はね、貴方ならではの戦い方をしてもらうって意味よ」
ルカはそう言うと、指を立てて天井を示した。
「天下の義賊『猟豹のヒース』ならではの戦い方をね」
彼女の言葉の意味を、ヒースは瞬時に理解した。
(四章 双棍鬼 に続く)